お願い
……御心のままに
お返事をいただいてしまった。わー、やったー・・
しゃべれたんだ。鳴き声とか吠えるじゃないんだ。礼儀作法も心得てるんだ、すごーい
……
いやいやいやいや、まってまってまって。そんなわけなくって。もうほんとうに訳が分からない。
確かに私の誓願は私の覚悟を示すものだった。それは間違いない。後悔もない。
でもまさか、完璧な礼儀に則った返事が来るとは全く考えていなかった。
ええっと、こういう場合はいったいどうすれば?
「・・ご成約おめでとうございます、姫様」
ファルの声で我に返った。思いのほか落ち着いた声で、ついさっきまで泣いていたはずなのにいったいどうしたと聞きたくなるほどだ。成約?・・そうか、私が誓願して魔獣が承諾したのだから確かに契約が正しく成立している。あまり聞いたことがないほどきっちりと。でも・・
「ありがとう。だけどそれに何か意味があるのかしら?この魔獣がほんとうに意味をわかって返事をしたのかもわからないのよ?」
「そうですわね。そのあたりは後でいろいろ確かめてみればよいでしょう。私から姫様に言いたいこともいろいろあることですし。でもその前にわかったことがあります」
「わかったこと?」
「先ほどからずっと見ていて、この魔獣はやはり知能があります。姫様のナイフを押さえたのもそうですし、今の答礼も、姫様の誓願を見て、私たちの表情から何かを考え、己の意思でそうしたようです。そういうことができる魔獣です」
「・・そうね、私もそう思うわ。それが?」
「お願いすれば、本当に助けてくれるかもしれません」
「「「!!!」」」
「言葉が通じていなくても、状況を見せてやれば理解するかもしれません。お願いして、戦場に来てもらいましょう。御心のままにと応えたのです。本当に姫様と王国のために戦ってくれるかもしれません。たしかにあまり根拠がなくて、賭けといえばそうなのですけれど、初めて自分の予言に賭けてみる気になりました」
予言!あまりにも予想外のことが起こりすぎていちばん大事なことなのに頭から飛んでいた。そうだ、ファルの予言。わたしは『全てをささげる』誓約をし、魔獣もそれを(すくなくとも形式上は)受けた。思っていたのとは違うけれど、ちゃんと予言の言葉をなぞっている。このままいけば『国難は払われる』かもしれない。希望が具体的になってきた。
「そうね。お願いしてみましょう」
改めて魔獣の顔を見る。実はずっと手を重ねたままだったりする。近くで見ているとやっぱりちょっと怖い。目も鼻も口も、眉や耳だって私たちの顔についているものと大して変わらないはずなのに、ぶくぶくと膨れた頬やたるんだあごが豚を連想させる。なのでちょっと小声になってしまった。
「あの・・私たちと共に西の戦場で戦っていただけますか?」
「……」
魔獣は首を傾けた。・・ぜったい承諾の動作ではない。やっぱりあの成約は偶然だったのだろうか・・
「と、とにかく、来てください!!準備をしましょう!」
わたしは勢いよく立ち上がり、重ねられた手を振りほどいて、改めて魔獣の右手を両手で掴んだ。そして、地上に出る階段に魔獣を引っ張っていく。魔獣はちょっと戸惑ったような顔をしていたが、素直に立ち上がり、ついてきてくれた。そのことに安心して、わたしは左手だけで魔獣の右手、というか中指を掴んで歩く。まっすぐ立つとやはり大きい。わたしの背では胸にも届かない。たぶん15歳のころの自分とお父様ぐらいの差がある。
慌てて戦士長たちがが私を追い越して石の階段を上り、ドアを開けた。巨大な魔獣を召喚しても大丈夫なように巨大で頑丈な扉で、ファルなどでは動かすことさえかなわない。城門なみの大きさなのだ。さすがにこれだけ大きければ、魔獣もつかえることもなく通ることができた。
外に出ると、夜が明けようとしていた。8月の冷たい風が私の頬に触れ、通りすぎる。北方の山脈が雪をまとう季節になっている。すでに冬の入り口だ。風に熱が少し奪われ、頭も少し冷えてきた。クゥ・ザイダレングが攻めてくると聞いたときはまだ春だった。わずか半年足らずで隣国を屈服せしめ、国境近くまで兵を進めてきた。草原の兵は寒さに強いと聞く。戦闘が長引き、年が明けて寒さが厳しくなれば、戦況はいっそうこちらに不利になるだろう。時間がない。季節に限らず、これまでのところずっとこちらに不利な要素が積み重なっている。勝利の予言を得ているといっても、結局のところ、予言頼みの現状なのだ。そのことを改めて自覚すると、心の中で熱をもった新しい覚悟も、すこし凍り付いたような気持になった。
魔獣の顔を見上げると、召喚されてから、いちばん驚いたような顔で目の前に広がる荒野を見ていた。怖いけれど、こういうところは人間っぽい。予言に従って行った〈召喚〉で現れた魔獣。お願いします。私たちを助けてください。何でもしますから。心の中で呟いて、その指を少し強く握りしめた。それに気づいた魔獣が私の方に顔を向け、何かを考えるような、でも何を考えているかわからないような表情で、私の目を見ていた。