独り
何を言っているか、怜士には全くわからなかった。かろうじて聞き取れたのは、『サリュー』という単語と、『イェール』という単語だけだ。たまたま、セリフのためのようなものがあって耳に入りやすかった、というだけだ。ただ、周囲の大人(美少女以外はそこそこの年齢に見える。実年齢は当然わからないが)たちが相当驚いた顔をしている。特に最後の『イェール』という単語に強い反応をしたようだ。
なにしたんだ、この娘。
戸惑うばかりの怜士である。なにか、自分に対してお願いか何かをしたように見える。しかし、何を『お願い』されたのかは、まったく分からない。わからなければ『はい』『いいえ』も言えない。そもそも、どう言えば『はい』『いいえ』が伝えられるかもわからない。
ただ、なんとなく断る理由もないと怜士は思っていた。なんとなくだが。美少女から、、まあ美少女じゃなくても(ちっさくても美少女のほうがいいといえばいいけど)、真摯に頼み事?をされたら、叶えてあげたい怜士である。詐欺に引っ掛かりやすい性格ともいえる。用心深さや悪意に対する勘の良さもあるので過去に引っ掛かったことはないが。
できることならやろう。そう思った怜士だが、さてどうやって返事をしたものか。この美少女にどうすれば自分の意思を伝えられるか。
まだ美少女は跪いている。怜士の方を見ている。本当になんとなくだが、先ほどの彼女の言葉『イェール』が怜士には気になっていた。格別の意思が入っていた、ように感じた。なので、同じことをすれば何とかなるかな、と思った。なんとなく。なので
膝立ちから片足進んで彼女の方に近寄り、固く組まれた手に己の手を乗せ、
「イエール」
と返事をした。白いドレスの美少女に短パンタンクトップ姿で。
このときの自分のふるまいの意味を、ずいぶん経ってから怜士は知ることになる。
GJ俺!!ていうか何考えてんだ俺!ていうか何も考えてないな俺!と思った。
そこからなにやら会話があり、美少女に手を(正確には指を)引かれ、建物(どうやら塔のようなものだったらしい)の外に出た。
日本ではなかった。
荒涼とした大地が広がっていた。曇り空で、冷たい風が吹いていた。はるか彼方に山脈らしきものが見えた。山頂には雪が見える。この時完全に怜士は理解した。
俺は独りだ。
異世界だか何だか知らないが、とにかく俺はここに独りでいるのだ。目の前の人間が明らかに自分とは違うことは見ればわかった。なにか、違う世界に自分がいるらしいことを感じていた。何をすればいいのか、どこに向かって進めばいいのか、何もわからない。だがそういうことの前に、これまで存在した、家族や友人や社会との繋がりはここには無いのだ、ということが、このとき怜士の脳と心の、いちばん根っこのところに刻まれた。
ふと、握られている自分の指に、すこし力が入った気がした。美少女が怜士の顔を見上げていた。先ほどの真摯な顔とはまた違った、ちょっと悲壮感のようなものを感じさせる表情だった。
独りだけど、独りで生きていくってわけじゃないみたいだ。
この美少女とか、槍もったちっさいおじさんとか、ちっさいお姉さん?とか、この世界にも人はいる。この人たちと生きていくのだろうか。そうではないのだろうか。安心感と不安感がいっしょぐらいでぐちゃぐちゃに混ざった感情が怜士の心の中でぐにぐにと動いていた。先ほどの美少女とのやり取りを思い出すと、何とかなりそうな気もするが、情報量が少なすぎてどうにも心許ない。
……ていうかさむっ!!
明らかに冬でしょ!心もぐらんぐらんだが、それより身体だ。夏よりは好きと言っても限度がある。手先足先が、がんがんに冷たくなってきている。顔色からして変わってきたことに、どうやら周囲の人間たちも気づいてくれたようだ。
が、ここで美少女が消えてしまった。挨拶らしきものをして、お姉さんと一緒に足早に馬車に乗り込み去ってしまった。
あぁぁ、美少女が行ってしまう……名残惜しい怜士だったが、実のところそれどころではない。着るもの、それと、できれば室内に連れて行ってほしい、そうしないと死んでしまう。ふつうに生命の危機を怜士が感じ始めたころ、おじさんたちが何やら怜士を急かし始めた。どうやら移動するらしい。ここよりはましなところに行けそうだと思い、素直についていく。
檻に入れられた。絶望のあまり目の前が真っ暗になる。驢馬とほぼ同じ大きさの馬に引かれていく。
こういう扱いなのだろうか……
戦士たちにしてみれば、もともとは魔獣を運ぶつもりだったので檻を用意しただけで、怜士を運べる手段が檻を載せた荷車しかなかったというだけなのだが、事情を知らない怜士は感情弄ばれまくりである。
異世界転移ハードモード:冬に短パンタンクトップで転移