29 貴族
何事もありませんように。
なんて神様に願っても大抵叶えられることはない。それどころか狙ったように問題はやってくるものだ。
旅は順調そのもの。魔物が現れることもなければ盗賊が襲ってくることもない。ただ、お尻や腰が痛い移動が続くだけだった。
だから油断していた。外ばかりに目を向けて中を見なかったことに。
いや、それは正しくはないか。あえて見なかったってほうが正しいでしょうね……。
隊商の人たちとコミュニケーションをとっていたらわたしのことが隊商の中へと広まるもの。広がればそれは貴族の耳にも入るもの。偵察なのか、いい生地を使った旅用の服を着た三十歳くらいの女性がやってきた。
最初は挨拶をするだけで、わたしたちの様子を探ることはしなかったけど、二回目からは徐々に距離を縮めてこられたわ。
旅に出て六日目の夜営地は隊商が協力してお金を出し合い整備したところで、井戸はなく近くの川から水を運んでくるしかないところだった。
「ミリア。とうとうきた」
イルアにそう言われ、ため息で返してしまった。
「あ、あの、ミリア、どうしたのです?」
わたしたちの行動に戸惑うラミニエラ。まあ、世間知らずなシスターにはわけがわからないでしょうよ。
「イルアの雇い主が、旅をよくするためになにか言ってきたんですよ」
貴族の暮らしがどんなものか知らないけど、裕福なのは確かだし、身の回りを整える侍女とかいるでしょう。
お館で暮らしてるならまだしも旅の下では不自由でしない。町で暮らしてるわたしですら辟易してるのだ、貴族様からしたら苦痛でしかないでしょうよ。
「具体的にはなにを言ってきたの?」
予想はできるが、聞かないことには覚悟が決められないわ。
「近くでの護衛と身の回りの手伝いだ。報酬は一日金貨一枚だそうだ」
イルアが一日最高に稼いだのは金貨四十枚。なんとかって魔物を倒したときだ。少ないときでも銀貨十八枚だったかな? まあ、悪くない依頼でしょう。
けど、身の回りってことはわたしがやらなくちゃならないってことだ。つまり、これはわたしへの依頼ってことだ。
「身の回りの手伝いは断ったんだが、どうも高位の貴族っぽくてな、やんわりと強制されたよ」
「こちらにはシスターがいることを伝えた?」
貴族と言えど教会を蔑ろにはできない。ましてやラミニエラは聖女候補。そんな存在に身の回りをさせるわけにはいかないはずだわ。
「ああ。祈りを捧げたいそうだ」
つまり、話し相手、ってことでしょう。町の領主である男爵様も月に一回は教会に出向いているそうだからね。
「もしかして、その貴族、女性なの?」
男性ならシスターを同じ馬車には乗せたりしないわ。
「ああ。オレらと同じ年齢だ」
「ま、まさかとは思うけど、王族、ってことはないよね?」
そんなわけないわよね。仮に王族ならこんな隊商に紛れ込むなんてないわ。ない、よね……?
「さすがにそれはない。が、王族になるかもしれない存在だな」
言い難そうなイルア。かなり厄介な事情のようだわ。
「詮索はしないほうがいい、ってことね?」
「そうだな。貴族のお嬢様、ってことだ」
うん。町娘が触れていいことじゃないっぽい。なら、貴族のお嬢様で対応するしかないわね。
「わかったわ。わたしが身の回りをすればいいのね?」
「すまない。下働きみたいなことさせて」
「下働きが嫌いでは町でなんか暮らしていけないわよ」
大商会のお嬢様でもなければ家事はやるものだし、大半の女は下働きの仕事につくものだわ。
ましてやわたしは釜戸女。下働きになんの抵抗もないわ。
「シスター。貴族のお嬢様の話し相手になりますが、よろしいですか? 嫌なら教会の名を使って断ってもいいですよ」
「いえ、よくわかりませんが、わたしにできることがあればやらせていただきます。それに、貴族の相手は経験がありますから」
聖女候補ともなれば貴族の相手もしなくちゃならないんだ。益々シスターなんて面倒な者にはなりたくないわね。
話が纏まったことで、その貴族のお嬢様のところへと皆で向かった。
「って、わたし、貴族様とどう相手していいかわからないんだけど」
礼儀作法を町娘に求められても困るわよ。
「仰々しくする必要はないよ。地方領主のご令嬢って立場で隊商に同伴している体だからな。まあ、お上品にしてれば無礼にはならんよ。と言うか、そう言う態度を取ったほうがいい。立場を隠しているんだからな」
「面倒ね」
「そう言わんでくれよ。ミリアのコミュニケーション能力なら問題ないって」
それは町の人だからできることで、貴族相手にやれとか難易度マックスよ。
今さらできないとも言えず、わたしはイルアとシスターの後ろに立って、地方領主のご令嬢とやらを待った。
わたしたちを探りにきた侍女さんとイルアがなにか話し合ってるけど、わたしはイルアやラミニエラの下。下は下らしく後ろでひっそりしています。
「お嬢様。ご挨拶をお願いします」
侍女さんに呼ばれ、馬車の中から金髪の少女が出てきた。まさに貴族のお嬢様って感じだった。




