なまえ――誰かの名前のラブレター――
下駄箱にラブレターが入っていることに気がつき、なんじゃこりゃ、新手のいじめかと思った。
手紙は上履きを取ろうとしたわたしの足元にぱさりと落ちた。
ハートのシールが張ってある。男の癖にいい趣味してやがる、それがラブレターだと気がついた後にそう思った。
ところでわたしは察しが悪い。こんな気持ち悪いものを送りつけるのはどんな男かと、妙な興味を抱いてしまう前に、考えておくべきだったのである。
わたしにラブレターなんか渡す男がいるのだろうかと。いまどきの男がラブレターなんぞ送るものだろうかと。
わたしはその場で手紙を開いた。そこには愛の言葉がつづられていた。
短い手紙だ。
それを要約すると、あなたが好きです、付き合ってください、今日の夕方、はじめて会ったあの場所で返事を待ってます、とのことだった。
そうして、一番最後に宛名と、差出人の名前が書いてあった。
それは男からの手紙ではなかった。
この手紙を書いたのは女で、しかも、わたし宛ですらなかった。赤の他人への手紙を、間違ってわたしの下駄箱へいれたのだ。
困ったことに、その差出人は、わたしの知らない人だった。
わたしはその出来事を誰にも言わなかった。
友達にさえも。
相談は出来たが、彼女たちでは埒があかないように思えた。
面白がって、差出人の勇気を嘲笑うのが関の山だ。
したがってこの手紙への責任はわたし一人が担うこととなった。
さて、どうすればいい?
女の名前には名字がなく、平仮名だけで書かれており、この学校に何人いるかわからない。
わたしのクラスにさえ一人いる。
学年では五人ほど、同じ名前の女子生徒がいる。
そのうちの四人はいずれも知らない人なのだ。
はじめて会ったあの場所、というが、そこがどこのことかも想像がつかない。
差出人に見当もつかない一方で、受取人は想像がついた。名前はちゃんと漢字で書いてある。そうしてちょっと珍しい名前だ。
わたしと同じクラスで、しかも彼とわたしは、少々話さないこともない。
けれども、その日はどうも、彼は友達に囲まれていて話しかけづらかった。
目立たないグループの一員であるわたしにはどうしても気後れがする。一方でわたしのグループもその日の会話は盛り上がっていた。
途中で席は立ちづらかった。
結局、チャンスをつかんだのは夕方だった。帰り際の下駄箱で、一人でいた彼を呼び止めた。
「どうしたの?」と彼は不思議そうな顔をする。「珍しいね、君から呼び止めるなんて」
どこから説明していいか、わたしは迷った。
これはラブレター。ちょっと説明が難しいんだけど、わたしからのものじゃない。あなたを好きな人がいる。
その人からのラブレターを、間違って受け取ってしまった。だからこの人のこと、探して欲しい。
そんなことを言おうと考えながら、わたしはポケットから例の手紙を取り出した。
「え」と彼は驚いたような顔をした。「これ……」
「ラブレターなの」
「ラブレター? 本当に?」とそこでわたしが口を挟もうとする前に、彼は間髪いれず、「うれしいな」
そう言った。
「え」と今度はわたしが言った。
「ぼくにだよね。そうなんだ。信じられない」と彼は笑い、手紙を開きながら言った。「それって、つまり、君も、ぼくのことを……」
わたしは固まってしまった。
君も、って。
なんだ、それ。
「いや、違う。そういうわけじゃなくて」
「どういうわけ?」
彼は手紙を開き、すでに読み進めていた。
わたしは頭を抱えた。彼は読み終えると、わたしを見つめた。
「はじめて会った場所って、確か、ここだよね。まだ覚えてる。変な子がいるなあ、ってのが最初の感想。でも、いまは……」彼はちょっと微笑んでから続けた。「返事はこうだよ。ぼくも君が好きだ」
「だからね、それは……」
どういえばいい?
そう考えながらも、でもまあ、いっか、とわたしは思いはじめていた。どうせ差出人の彼女は振られてしまうのだから。
なぜなら彼はわたしが好きで、そしてわたしも、彼のことは好きだったのだから。
でも、結果はどうあれ、誤解は解いておかなくちゃならない。
ラブレターを最後まで読んでも、彼は、自分の間違いに気がつかなかった。
女の名前は平仮名で書かれており、この学校に何人いるかわからない。
わたしのクラスにさえ一人いる。
というか、それはわたしの名前だ。