プロローグ
星牧市。
学園都市を擁した人口四十万人ほどの、国内外において知らぬ者のない有名な都市である。
だが、この街の名が広く知れ渡っている理由は、そうした背景とは別にひとつ――いや、ふたつの特異性があった。
そんひとつが、どこからともなく現れる『異次元獣(Alternate Dimensions Beast)』、通称『ADB』と呼ばれる、どのような武器を使っても斃すことができない、凶暴かつ醜悪なこの世ならざる魔物の脅威と、そしてもうひとつ。まさに魔法としか思えない謎の力で、これを駆逐して街の平和を守る可憐な少女たち――魔法少女の存在である。
学園都市の闇の中から現れるADBと、それと戦う魔法少女たち。
これは、ひょんなことから魔法少女となったひとりの中学生と、それを支援する一匹のマスコットの物語である。
【星牧九条学園中等部】
幼年部から大学部まで一貫教育がなされる、学園都市に十校以上ある教育機関のひとつ。
昼休み時間。一年の教室にある自分の席で、野暮ったい黒縁眼鏡をかけた、小柄で華奢な――確実にまだ二次性徴を迎えていないであろう、髪が長ければ少女と見まごう中性的な容姿をした――少年が、もの静かに教科書を読んでいたところ、級友の男子数人が堂々とスマホを取り出して、なにやら近くの席で騒いでいた。
「これ俺の兄ちゃんの友達がたまたま撮影したんだぜっ。魔法少女だぜ、本物の魔法少女の生映像!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおっ!!!」」」
――ぽろ……。
鬼の首でも取ったかのように吹聴する男子と、目を輝かせて感嘆の声を張り上げる級友たち。
その騒ぎの中、なぜか黒縁眼鏡の少年の手が震え、教科書が落ちて床に転がったが、周囲の喧騒に紛れて気づいたものはいなかった。
ただ、少年の机にぶら下がっている学校指定のカバンに取り付けられていた、黄色いデフォルメされた子熊ともカピパラともつかぬマスコットのキーホルダーが、不自然に揺れたような気がしたが……。
「……いや……違う。魔法少女は、他にも……るし、変に意識……」
自分に言い聞かせるように、眼鏡の奥に隠れた鳶色の瞳を大きく見開き、微妙に不規則な呼吸を繰り返しつつ、床に手を伸ばして教科書を拾おうとする少年。
と、データを共有したのだろう。動画を再生した少年たちが、より一層声高に騒いだ。
「よっ……しゃっあーーーっ! 幻の魔法少女ベリィベリーちゃんじゃないか!!」
一時停止した動画の中では、ストロベリーピンクの長い髪をツインテールにした青紫色の瞳の少女が、きわどいミニスカートからフトモモもあらわな、ヒラヒラの衣装で戦っている様子がばっちり映っていた。
――ドタ……ン!
途端、バランスを崩して床に尻から落ちる少年。
さすがに騒いでいた男子や教室内にいた他の級友たちも、何事かと少年に注目するが、音の出どころが彼であるのを確認すると、一様に微妙な――腫れ物にでも触るような表情を浮かべ、声をかけるべきかどうか躊躇いつつ……結局のところ見なかったことにしたらしい。
何事もなかったかのように、騒ぎの続きに興じるのだった。
「うひょ~~~っ、可愛い! ベリィたん、(^ω^)ペロペロ」
「太ももに頬ずりしてーーーっ‼」
「他の魔法少女と違って、つるまないから情報少ないんだよな~」
「おっ、このアングルだとパンツ見えそうだな」
「バ~カ、画像を下から覗き込んだって見えるわけないだろう」
「こういうのは画像処理で解析度を……」
そんな少年たちの騒ぎから逃れるように、教科書を拾ってカバンに詰めた黒縁眼鏡の少年は、カバンについていたキーホルダーを外して掴んだまま、速足で教室から出ていく。
ちらりとその後姿を見送った級友たちの視線が、示し合わせたかのように教室の中に三つばかり空いている――そして、机の上に花束の飾られた花瓶へと向かい、後ろめたさと薄気味悪さがない交ぜとなった表情を落とすのだった。
校舎のはずれにある、いまは立ち入り禁止となっている鉄階段の裏。
誰もいないその裏に隠れるようにして(実際、隠れているのだが)、先ほどの黒縁眼鏡の少年が手にしたキーホルダーのぬいぐるみに詰め寄った。
「どーいうこと!? 結界を張ったから一般人は現場に立ち寄れないって話じゃなかったの!」
握りつぶさんばかりに少年に両手で押さえつけられた、手の平サイズのキーホルダーが、次の瞬間、一瞬のノイズとともに三十センチほどの大きさに早変わりして、さらには自然な動作で動き出して、少年の手をパタパタと短い手で叩いた。
「まあまあ、気にしなさんな、イチゴたん」
「イチゴたん言うな!」
周囲をはばかりながら押し殺した声で、顔を赤くして激昂する少年――夏櫨 依智心(十二歳)。
少年の怒りと羞恥などどこ吹く風で、マスコットはどこかおっさん臭い仕草で、依智心の手を逃れて、コンクリートの上に「どっこいしょ」と落ちると、
「いゃあ、一日辛抱しとるのも退屈ですな。せめて気晴らしに煙草でも吸えればいいやけど、こっちの世界では有害物質扱いで、自動販売機すらないんやから、ほんま息苦しいもんですわ」
はぁ、やれやれ……と肩をすくめる。
それから言い訳のように周囲を見回して、校舎の死角とはいえ誰も通らない不自然さを確認すると、度の入っていない伊達眼鏡越しに(周囲をはばかる変装の一種である)、責めるような眼差しで自分を睨みつける依智心の小作りの顔を見上げて言い聞かせる。
「つーても、ご覧の通り結界はきちんと機能しとるで? ただし最大で半径百メートルの範囲内やからなぁ。それより離れたところから、望遠レンズで写されたらどーしようもないわな」
市販品でも最近のスマホのレンズは月のクレーターが映るくらいやし、専門のレンズなら木星の輪まで見えるらしいからなー、と他人事のように嘘くさい関西弁で付け加える。
「なんだよ、それっ?! 『結界があるから目視されても大丈夫や』って言ったから、ボクはあんな……」
「〝目視”はされとらんやろ? だいたい、ファンや追っかけに撮影されるのは、有名税みたいなもんや。それにイチゴたんは嫌がっとるけど、他の魔法少女の中には進んでメディアに露出して、アイドル気分を満喫するミィハァな子もおるしな」
「ボクは好きでやってるわけじゃない! だいたい『幻の魔法少女』ってなんなのさ、タカアキ!?」
頭を抱えて煩悶する依智心の肩を、見た目愛らしいマスコット――タカアキが、いい笑顔をしながら叩いた。
「イチゴたんはほとんど公の場に出んし、他の魔法少女との横のつながりもないからなぁ。それで逆にミステリアスというか、品薄商法みたいになって『幻の魔法少女』と呼ばれて、希少価値が高いんやで。いっぺんエゴサしてみぃ」
「したくないよ! 恥ずかしいからさっさとADBが出た現場に出撃して、戻るだけだし。他の魔法少女と知り合いとかになったら、ボクの正体がバレるから関わらないようにしてるだけだし!」
そんな依智心の悲痛な心情の発露に対して、タカアキはどこからともなく――有袋類の袋のようにお腹のあたりから出したような――取り出したスマホで、ポチポチと詮索をする。
「おっ、さっきの映像、もう拡散されとるわ。おまけに画像加工ソフトで、パンツまでええ具合に盗撮されとるなぁ」
「うあああああああああああああああっ!!!」
すでに事態が取り返しのつかない状況になっているのを指摘され、一層頭を抱える依智心。
「しかし、あれやな……全国の男が、これをずりネタにしとるんやろうなぁ。野郎とも知らずに……不憫やなぁ。バレたらイジメどころやないやろなぁ」
「うあああああああああああああああああ~~~っっっ!?!?」
さらに傷ついた少年の心を抉って塩を塗るマスコット。
ひとしきり悶え悩んだ依智心は、ずり落ちかけた眼鏡を直しながら、悄然と肩を落とした。
「……こんなことなら、魔法少女になんて契約するんじゃなかった……」
今更の後悔に苛まれる少年の独白に、タカアキは「――はっ!」と鼻で嗤って言い返す。
「クラスの虐めっ子に毎日イジメられ、死んだほうがマシや……つーて、屋上から飛び降りようとするまで、追い詰められていたイチゴたんを助けたワシに対してずいぶんな言いようですなぁ」
そう言ってタカアキは、ちらりと閉鎖されている屋上へと続く鉄階段を見上げる。
「――う……」
と、ひるんだ依智心だが、良心の呵責に耐えかねた様子で、タカアキに言い放つ。
「だからって、クラスメイトを三人も殺すなんてやりすぎだよっ!!」
『魔法少女になる』という契約書にサインをして、親が作っていてくれた実印まで捺した翌日。
いずれも事故という形で、続けざまに亡くなった虐めっ子たちを思い出して、悲痛な叫びをあげる依智心。
お陰でいじめはなくなったが、代わりに他の級友たちから疑念と薄気味悪いものを見るような視線にさらされ、触らぬ神に祟りなし……という具合に、遠巻きに眺められる立場へと変わったのだ。
無視されているわけではないけれど、距離を置かれているのは地道に堪える。これがあとどのくらい続くのか――大学部までの一貫校なのを考えると、別な意味で死にたくなる依智心であった。
半ば八つ当たりで非難されたタカアキは、特に堪えた様子もなく、ニヤリと笑みを深くして、
「なあイチゴたん。仮に……仮にや。イジメっ子どもが鬼籍に入った原因がワシにあったとしてもや。ワシちう存在は魔法少女以外には認識できんし、機械的にも観測できんのや。つまり物理的に証明できない以上、罪に問われることはないんやで? それに、や……連中を葬るように依頼したのはイチゴたんやから、殺人教唆ということになるんで、一蓮托生やろ?」
そう言い聞かせる。
(――悪魔だ。マスコットの皮をかぶった悪魔がいる!)
いまさらながら取り返しのつかない……サラ金を払うために闇金に手を出し、ドツボにはまったことを理解した夏櫨 依智心、十二歳の春であった。
「なーに、気にすることないわ。イチゴたんは正義のために戦っておるんや……ミニスカート穿いてな。せやから、正義を害そうという輩は悪や。悪が滅びれば、その分世界が平和に傾くんやで?」
独裁者の論理であるが、なんかおかしいとは思いつつ明確な否定ができるほど、人生経験が豊富ではなく、口も達者ではない依智心である。
それでも必死に言葉を選んで反論しようとする依智心を見ながら、
(あと、ポイントを貯めれば次の転生でワシも畜生道から抜けられるからなぁ)
心の中で打算を優先するタカアキであった。
と、その時、依智心とタカアキの持っていたスマホが警報を鳴らした。
「!! ADBや! ADBが現われおったで! ――近い。学園から直線で百五十メートルってところや」
Foogleマップを呼び出して見れば、近くの商店街のあたりにドクロマークが点滅している。
「……うえ~~~~っ」
思いっきり後ろ向きの依智心の尻を、文字通り叩いてせかすタカアキ。
「なに渋ついとるんや! 変身してADBを斃さんと、ワシらの査定に響くんやで!」
「査定ってなにさ!?」
反射的に尋ね返しながら、根が几帳面なも少年らしく、依智心は持っていたスマホを振りかざして、音声入力で『変身』のアプリを呼び出した。
「ま、魔法少女――変身っ!」
途端、虹色の輝きが小柄な少年の体を覆い隠し、
「魔法少女、べ、ベリィベリー!」
一瞬の早変わりで、地味な学生服の少年から、ピンクのツインテールに輝く青紫色の瞳をした(なお、同時にルージュとファンデーションも完了)魔法少女が変わって現れたのだった。
「……ううう……」
羞恥に悶える魔法少女の肩の上に、軽く飛び乗ったマスコットが、ADBのいるほうを指さして急かす。
「悩んどる場合やない! 世界の平和を守るためや、男やったら覚悟を決めて戦わなきゃいかん!」
「男だったらこんな格好しないよねぇ!?」
「しゃーないやろ、仕様なんやから。ほら、行くで!」
タカアキの指示に従ってベリィベリーが、ADBの現れた現場へ向かって飛ぶように走る。
こうして、魔法少女とADBとの戦いが今日も繰り返されるのだった。
これは星牧市を守る、ひとりの魔法少女と一匹のマスコットの物語である。
最近、ローファンタジーばかり読んでいるのですが、こーいうのが読みたいと思って発作的に書いてしまいました。
続きが読みたいという奇特な方がいらっしゃれば、感想、星、ブクマなどいただけましたら、作者のモチベーションも上がりますのでよろしくお願いいたします。
ちなみに『夏櫨』というのは、日本国内にあるブルーベリーの仲間です。ブルーベリー&ストロベリーで『ベリィベリー』という安直なネーミングです。