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記憶

鉢に触れるなりぶっ倒れた俺は、翌日の夕方まで意識が戻らなかった。

目を覚ますと、おっさんとベアドが心配そうにベッドサイドに張り付いている。

ベアドはいったん学校へ行ったらしいが。




ざっくり20歳前後までの記憶が消えたわけだが、何もかも覚えていないのかというと、そういう訳でもない。


とりあえず、わずかにあるルジンカの記憶はそのままっぽい。


それと、20歳以降に思い出したことのある記憶は上辺の情報だけ残っていた。


例えば、通ってた小学校は『玉影たまのかげ小学校』だし、中学の修学旅行で行ったのは京都と奈良。


中学の時まで同居していた祖母がいた。

高校の時は村田っていう仲の良かった友達がいたり、友達以上恋人未満の同級生や下級生の女子達が絶えず俺の周囲でキャーキャーやっていた。


・・・はずだ?


実体験としての記憶は無いが知識として覚えている。

アクセス元の記憶が消えてるせいか存在感は薄いな。


何度も思い出してる情報はそれなりに形を保っているが、大半は事実なのか、人から聞いた話なのか、本やゲームの話なのか区別できない状態だ。

劣化コピーみたいなもんだな。



というか、俺の人生に女の影とかあったっけ?

なんもないから婚活してた気がするが、とりまきの女子達は偽の記憶か?

それとも高校時代だけモテてたのか?


でも確か、ブラジャーに触ったはずなんだよ。高校で。

俺のラストブラだったはず・・


モテてなきゃブラになんて触れないだろ?

チョコ食った気もするからバレンタインか・・


まてよ?あのブラは授業中回ってきたんだ。

いや、それはテレビかなんかの記憶か。

授業中にブラが回って来るわけないからな。


でも、じゃあ、俺は誰のブラに触ったんだ?

てか、ブラだけか?

パイは??


引っ越しちゃった好きだった女の子とか、オッパイアイスのお姉さんとか実話だろうか?

親父の田舎なんてあったっけ??


こんな具合に、1つ疑い出すとキリがない。

確認する術も無い。


高校時代はきっとモテてたんだろう、多分。




頭の中に中途半端な記憶の残骸が散らばったことで、俺は本体の記憶が消えてることにすぐには気づけなかった。

チェックリストを作ったり、ルーチンのように記憶を回想してきたことも完全に裏目に出たな。


まあ、記憶の消失に気づけたのもリストのおかげではあるんだが。


20歳前後を境に、急に臨場感とか奥行きが消えてスカスカだった。



うんこポエムを見た時に胸騒ぎを感じた理由も分かった。


本を受け取った時、小学生の頃を思い出して懐かしさを感じたはずなんだよ。

鍵付きの本にワクワクしたし。


鍵付きってのは今でもワクワクするけど、懐かしさとか特別な感慨はもう無い。


あの段階で気づいていたら、記憶の大量喪失は防げただろう。

頭がボーっとしてたとはいえ、マジで悔やまれる。



37歳の俺にとって、20年はでかい。


今後の俺のパーソナリティにどんな影響を及ぼすのか想像もつかない。


なんてことない経験の積み重ねで、今の俺は出来ている。

中身の半分が空洞になったからって、いきなり外の輪郭まで変わらないと信じたいが・・




「慰めになるか分からないが、過去から順番に消えていくなら代償としては一番マシなタイプだ。もっと深刻なケースはいくらでもある」


落ち込む俺にベアドが言う。


「マジで慰めにならねーよ。消えてもいい記憶なんていくらでもあったのにさ。ポケモンの進化素材の知識とか無駄に無事だからな。それに、ルジンカちゃんの記憶もなんで無事なんだ?順番的には真っ先に消えるはずだろ?」


前世である俺と、記憶の順番が入れ替わったわけだからな。


言った後で複雑な気持ちになる。

ルジンカの記憶が無事なのは、こいつらにとって喜ばしいことだろう。


「すまんが、わからないな。本来の順番で消えているのかもしれないし・・まだ思い出していなかった記憶達が無事かは不明だ・・」


ベアドは少し躊躇ためらい、こう続けた。


「あとは、お前にルジンカだという自覚がないからとも考えられる。“代償”なんだから他人の財布からは払わないだろ」


「じゃあ、俺が自分をルジンカだと思えば、そっちから消えるのか?」


「・・・もし、そういうルールで消えて行くならそうだろう。ただ、その時の喪失感は今と変わらないはずだ」


そりゃそうか。


目の前の2人がなんともいえない顔をしている。

きっと、俺の顔も。



俺は落胆していた。

記憶を失ったこともだが、2人がそれを嘆いていないことが分かるからだ。


所詮しょせん、こいつらはルジンカちゃんの家族だからな。

そっちの記憶の安否を心配するのは正しい姿だ。


俺だって、もし親父や兄貴が急に「自分は16歳の美少女アイドルだ」とか言い出しても相手にしないだろう。

その上「アイドルの記憶が消えちゃいそうなの」なんて泣きついて来ようもんなら、「そりゃ良かった。これで元の親父に戻るかもな」としか思わない。

どうでもいいからな、そんな記憶。



こいつらだって同じだろ?

自分を広だと主張する俺と、ルジンカに戻って欲しい2人。


俺達は運命共同体だが、完全に利害が一致してるわけじゃない。

仕方ないっちゃ、仕方のないことだ。


でも、俺ばっか家族だと思ってるってのは、なんだかな・・



「・・とりあえず、ルジンカちゃんの新しい記憶を思い出せれば2人は安心なんだろ?」


少々、やさぐれて言う。

すると、前のめりになったおっさんが大きな手で俺の手を包んだ。


「ルジンカちゃん。私達は君に悲しんで欲しいとは思っていないよ。ルジンカちゃんの記憶の無事を願ってはいるけど、ヒロシの記憶が消えて良かったとも思っていない。私達は家族なんだからね?」


声からも表情からも、本心であることが伝わって来た。


「パパ・・」


タイムリーな優しさが胸にみる。

やっぱ俺と違って人間ができてるよ!

俺の記憶の消失を嘆いてはいないのかもしれないが、気持ちに添おうとはしてくれている。

これだけでも十分だと思うべきだろう。



が、どうもベアドは同意見ではないらしい。

手を取り合う俺らを視界から追い出すよう、そっと目を伏せた。


こいつはルジンカちゃんに並々ならぬ思い入れがあるようだからな。


今、俺の記憶が消えれば否応なしにルジンカに戻るだろう。

まだ思い出してない記憶が無事なら、いつか元に近い状態まで戻るかもしれない。


そして、鉢を使えば広の記憶は消せる。


それが分かった今、まだ俺ごとルジンカだって言えるのかね・・?



自分の考えにヒヤリとした。


予知の問題が解決したら鉢は叩き割ろう。

寝てる間に押し付けられでもしたら、俺は消される。







とにかく、今は予知の解決が優先だ。

記憶の消失はショックだが、しみじみ落ち込んでいられる状況でもない。

もっとでかい問題があったんだった。




「“はち”だ。数字の。そう見えた」



ベッド脇の2人に告げる。


「見えたの!?」


おっさんが問う。


「ハッキリとは・・・でも、間違いないないと思います」



多大な犠牲を払ったが、得たものもあった。


結局最後まで明確な文字は見えなかったが、沢山の傷跡から読み取れたと思う。

カタカナの“ハ”の可能性もあるが、ここは八が正解だろう。

そんな確信があった。


「8・・・?8月か!?」


一気に鋭い眼差しになったベアドに、俺はうなずく。


「それしかない。王太子の暗殺時期か逮捕時期のことだと思う」


俺らは11月までは一応安全だと踏んでいたから不意を突かれた形になる。

未来の俺としては伝えておきたいはずだ。


暗殺方法とか濡れ衣の詳細とかの方が知りたいが、一文字で伝えられる情報なんて限りがある。

絞り込んだ結果なんだろう。



「つまり、クルクミー侯爵達は新回服薬の完成を待ちはしないということか?それとも、待とうとした後、計画を変更し当初の8月に戻したのか・・」


「ネレッサ嬢の死因も妊娠による暗殺じゃないのかもね。ウェイド様と同時に亡くなったか、別件か・・そもそも、姓がわからないから、結婚したのかどうかも・・」



厳しい顔で考え込む2人。

俺は別のことが気になる。



「なあ、今鉢を見たらどうなってると思う?新情報をゲットして新しい未来になってると思うか?」


俺の問いに、2人がハッと顔を上げる。


「ルジンカちゃん、まだやる気なの!?」


おっさんが目を丸くして言った。


「もちろん、やりたくないですけど、死んだら元も子もないし・・」


今日は5月13日の夕方。

8月まで2月半しかないし、出し惜しみしてる場合でもない。


「とりあえず、あと5年分くらいなら提供可能・・・かな・・」


無限美ちゃんとの出会いの記憶は消したくないからな。



「無理をしなくていいんだよ?」


「正直、僕達は助かる申し出だが・・ルジンカはそれで良いのか・・?」


口々に言う。


だから、良いわけない。

俺の青春時代のほぼ全てが鉢に喰われることになる。


20~25って、俺にとって人生が大きく動いた年代だ。

就活して卒論書いて、大学を卒業して社会人になって。

自由になる金が増え、酒も覚え、体力もやる気もあった頃。


旅行もずいぶん行ったし、徹夜でゲームしたり、アニメ見たり、同人誌描いたり、仕事でぶっ飛ばされたり・・


「良くはないけど、思い出抱えて死にたくはないんで。鉢を見ないのも、やっぱ不安だし」


「そうか・・」


ベアドは腕を組み思考を巡らす。


「さっきの質問だが、現状では予知の内容に大きな変化は無いと思う。8月という情報は受け取ったが、何も行動を起こしてないからな。傷の情報は更新されてるかもしれないが、雪だるま式に増えていった負荷もそのままだろう」


「新しい予知になれば、負荷もリセットされると思うか?」


「多分な。今まで異変を感じなかったくらいだし、初期値の代償は大したことないんじゃないか?」


大したことないって、人に言われると微妙にムカつくな。


「とにかく、どこかで一回触ってみないと変わったかどうかは分からない。その前に簡単な暗号などを決めておこう」


「暗号?」


「文字を残すのは難しいようだし、あらかじめ顔の部位ごとに意味を決めておくんだ」


例えば、伝言をウェイドの死因に限定し、右頬なら刺殺、左頬なら毒殺、といった具合に。


あまり複雑だと覚えられないし、別件で顔に傷ができる可能性もある。

でも、文字を残すよりはるかに簡単だ。

鉢の使用回数を大幅に押さえられるだろう。


昨日、これを導入してれば良かったな。

強行したのは俺だし自業自得だが。





それから俺達は暗号のことや、おっさんが調べた情報の確認や、緊急時の逃亡計画のことなど、あーだこーだ話し合い、晩飯時になったタイミングで切り上げた。



ベアドは一応、追放中の身なので飯は食わず帰るらしい。

おっさんは飯くらい食ってけって言ってたけどな。



「じゃあな、お兄さん・・じゃなくてお兄・・ベアド」


部屋を出ていこうとする背中に軽く声をかける。

ついお兄さんって言っちゃうんだよな。


ベアドはビクリと振り向き、すぐに首を横に振った。



「・・いや、お兄さんでいい。今まで通り」


めっちゃ意外な反応に、おっさんと2人でまじまじとベアドを見る。


「なに?どういう心境の変化よ?あいかわらず振り幅デカいな、お前・・」


「別に深い意味は無い。呼び慣れてるなら今さら直すこともないだろ」


鬱陶しそうに俺らから顔を背ける。



「もしかして、俺がルジンカに戻ってそっちの記憶が消える心配でもしてんのかよ?」


「まさか。僕を名前で呼んだくらいで元に戻ったら苦労しない。それに、鉢の代償とは関係無く、ルジンカに戻れるなら戻った方がいいとも思っている」


淡々と答える。

まあ、本人がそれでいいって言うならいいんだろう。

よく分からないが。



「ふーん。じゃあ、今後も“お兄さん”な」


だが、ベアドは急に慌て始める。


「いや・・ルジンカが呼びたい方で呼べばいい。僕は何も強制する気はない」


「・・なんなんだよ、素直じゃねーな。結局お兄さんじゃ嫌なんだろ?」


「そんなことはない」


「正直になれよ。俺はマジでどっちでもいいぞ」


ベアドが眉根を寄せ、憐憫れんびんに満ちた視線を送ってくる。



「気づいてないのか・・?」



片手を伸ばし、俺の頬を指で払う。



ポタポタと透明な水滴が落ちていく。




「は???」




理解するのに時間がかかった。



俺、泣いてたのか?



「な、なんだ?これ、何の泣きだ?」



ポカーンとベアドを見る。


ベアドとて分かろうはずもない。



俺を見つめたまま思いっきり困惑していたが、やがてその手を伸ばし、俺の濡れた頬に添えた。


温かくて、見かけによらずゴツゴツした手だ。



「多分、ルジンカの記憶は無事だ。涙はきっとそこから来ているんだろう。・・・僕も父上と同じだ。今でも変わらずルジンカを家族だと思っているし、お前が悲しむ姿は見たくない。だが・・」



言い淀んだベアドの瞳に危ない光が宿る。



「僕は全部消えてしまえばいいと思ったんだ。ヒロシの記憶もルジンカの記憶も全部」



どんな家族だよ。



「・・お前、最初から“まっさら”にこだわってたもんな。全部忘れた俺をどうするつもりなんだよ?」


若干引きつつ問う。


ベアドは間髪入れず答えた。


「ルジンカはロイル様に嫁ぐんだ。記憶があろうがなかろうが。ロイル様が黒でも白でもだ」


「黒なら嫁がせないよ!そもそも、それ、私が決めることだから。あと、近いから!ルジンカちゃんに!」


後ろからおっさんがわめく。

ベアドが身を引き、頬に当てられた手が離れていく。


「黒なら白にすればいいでしょう。少なくとも、僕はそのつもりです」



そういえば結婚問題について、ちゃんと話したことなかったな。

ベアドの主張はだいたい聞き流してきた。


「俺的にはお兄さんと結婚する未来も無しじゃないが・・?」


まあ、有りでもないが。


「無しだ」


食い気味で拒否るベアド。

前に見せたあのこだわりは何だったんだよ。


「おっさん混じりのルジンカとはヤれないか?それならそう言ってくれていいぞ。無理に王子様に押し付けんなよ。結婚のこととか、別にまだ決めてねーし。好きにさせてくれ」


「違う。全然ヤれるがそういう問題じゃない。ロイル様の妻にならなければ、ルジンカは必ず絶望する」


「絶望って・・そんな大袈裟な。失恋なんて珍しいことじゃないだろ。あと、ロイルを好きなのは俺じゃないし・・」


ベアドの瞳に強い光が宿る。


「お前はロイル様が好きだ。いい加減受け入れろ。僕や父上を家族として認識しておいて、恋愛感情だけ認めないなんて最初から無理な話だ。ずっとロイル様のことで泣いているじゃないか」


「だから、俺の意思で泣いてるんじゃないんだよ。何度も言ったろ」


「涙こそがルジンカの本当の意思だ。僕はその涙を止めてみせる。必ず!」


鋭く言い放つ。

俺が何か言うより先に身をひるがえし、今度こそ部屋を出て行ってしまった。



なんだよ、あいつ。


「止めてみせるって・・今お前に泣かされたばっかだが・・?」


俺のつぶやきは聞こえなかったに違いない。


横でおっさんが大きくため息をつくのが聞こえた。


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