雨上がり 後
一番近くのベンチに移動し、サンドイッチと水筒に入ったリゴーで昼食タイムとする。
「煮詰まったときは、何か腹に入れた方がいい。空腹だとろくな考えが出てこない」
大きなサンドイッチをモリモリ食いながらロイルが言う。
俺も負けじと大口を開けて噛り付き、水筒のリゴーをグビグビ飲んだ。
号泣したせいで、喉がカラカラだよ。
泥まみれの体が不快だが、食事の効果はてきめんだな。
荒れ狂っていた過去の記憶達が、サンドイッチを飲み込むごとに、俺の中で新しい居場所を見つけて収まっていくような気がした。
俺はルジンカだったのかもしれないが、今は木村広だからな。
あんまり振り回さないで欲しい。
「記憶が戻ったのか?」
黙々と飯を食う俺に、ロイルが話しかけて来た。
「一部分だけです。・・すいませんでした。諸々《もろもろ》」
王子様には無礼だが、顔を見ないように返事をする。
あの青い目はまだ危険だからな。
「かまわない。元をただせば私のせいだ」
あっという間に1人分を完食したロイルが、新しい包みを開けながら言う。
サンドイッチはかなりデカいんだが、こいつは2人分買ったらしい。
瘦せぎすのわりによく食う。
重い女を振るのは大仕事だろうからな。
食い物を準備しておいたのは正しい。
「ああいう修羅場よくあるんですか?」
まだボーっとする頭で、なんの気なしに聞く。
「・・あるわけないだろ。身が持たない」
新しいサンドイッチをかじりながら答えるロイル。
よく見ればこいつも疲労の色が濃い。
振られた俺はもちろんボロボロだが、振る方もゼロダメージとはいかないらしいな。
お断りを引き伸ばしていてた気持ちもわからないでもない。
「シズンティカを見せない方がよかったか?」
ロイルが問う。
俺の頭の花を見ようと視線を向けてきたので、目が合わないように顔を背けた。
どうなんだろうな?
この花を見に来たせいで振られたしな。
俺の心もめっちゃ振り回された。
服も顔も泥まみれだし、不本意な初チューまでしている。
でも、ありがとうと言われた時、報われた気がした。
髪に挿してもらって嬉しかった。
それは事実だ。
シズンティカが無くたって、そのうち振られていたのは間違いない。
だから、
「良かったんだと思います。見せてもらえて。髪にも挿してくれてありがとうございます」
この時だけはロイルと目を合わせ、そう礼を言った。
正直、本当に良かったのかまだよくわからない。
ルジンカは失恋したが、普通ならこれで前に進めるわけだ。
しかし、今は俺がルジンカだからな。
前もクソもない。
木村広としてはマジでクソ迷惑だった。
なのにクソ迷惑と言い切れないのは、俺がルジンカだからか。
ベアドの奴に言わせれば、そういうことになる。
なんとも複雑だった。
「そうか。そう言ってもらえると救われるな」
ロイルは食いかけのサンドイッチに目線を移し、しばし俯いていた。
肩の荷が下りてホッとした、という様子でもない。
あんなに泣かれれば普通に気も滅入るだろう。
「シズンティカがよく似合っている。言いそびれていたが」
それだけ言うと、思い出したようにサンドイッチの残りを口に押し込んだ。
ふと周囲を見回すと、バラ園には俺達だけだ。
チラホラいた生徒達の姿が見当たらない。
気付かなかったが、もう昼休みが終わってるのもかもしれない。
服もドロドロだし、これ食い終わったら今日はもう帰ろう。
「ところで、さっきの話は本当か?」
リゴーを飲みながらロイルが問う。
「さっきの話?」
「ベアドのことだ」
そう言われて、ようやく俺は思い出した。
あれはマズかったよな。
頭に血が昇っていたとはいえ、このままじゃあいつの将来に影を落としかねない。
「あれは、全部嘘ですわ。兄はそんな人じゃありません」
きっぱりと否定しておく。
「ずいぶん具体的だったが・・」
ロイルが真意を確かめんと俺の顔をのぞき込んだので、サッとそらす。
今は極力目を合わせたくない。
落ち着いたばかりの俺の感情は、脱皮したてのザリガニ状態だからな。
「本当に全部デタラメなんで。ああ言えばロイル様が心配して、私を振るのを躊躇してくれるかもと思いましたの」
振る、という言葉に再び胸が強くうずき、涙がにじむ。
慌ててバクリとサンドイッチを頬張ってやり過ごした。
マジで下手な話題は危険だ。
「“おかず”なんて言葉どこで知ったんだ?」
「学校の性教育の授業です」
「お前は記憶喪失だろ?」
「そこだけは何故か覚えてたんです。そういう話好きだったみたいで」
「先月の舞踏会で転倒したとき、“複数の男に靴下を見られたから、妊娠したかもしれない”と泣いていたらしいな。男連中の間で噂になっていた」
「覚えてませんが・・」
「記憶を失う前のお前が“おかず”を知っていたとは思えない」
めっちゃこだわるな。
お前の嫁になるわけでもない女の性知識なんてどうでもいいだろ。
「本当に兄は無実です。取り乱した時の言葉なんて忘れてくれません?どっちにしたって、ロイル様にはもう関係のない話です」
イラっとして答える。
「そうかもしれないな。すまない」
ロイルが俺に注いでいた視線を景色に移す。
「お前と結婚することはできないが、私がさっき言ったことは本当だ。ルジンカの今後の幸せを願っている」
前を見ながら、静かに言った。
やめてくれよ、そーゆうの。
胸のうずきがいっきに蘇る。
さっきのような激しさはないものの、無視できるほど控えめでもない。
せっかく、サンドイッチで押し込んだ涙がまた溢れ出す。
これが失恋の痛みか。
まさかこういう形で知るとはな。
俺の失恋じゃないんだが・・・
せっかくだから今度アーニャちゃんに慰めてもらおう。
あの胸に顔を埋めるチャンスだしな。
泣くことに麻痺し、涙を拭うこともせず放置する。
そんな俺を見かねたのか、無言のロイルが今度こそ自分のハンカチを差し出してきた。
俺達以外の人影が無くなったバラ園に、新緑の薫りを乗せた風が吹き抜ける。
枯れゆくシズンティカの葉を揺らし、ロイルの金髪を揺らした。
「その髪のウェーブ、ホントに寝癖なんですか?」
なんとなく聞いてみた。
「そんなわけないだろ」
こちらを見たロイルが微かに笑う。
ロイルに関する記憶のほとんどは思い出せないままだ。
いつ惚れたのか、どんな歴史があったのかもわからない。
だが、今まで自分に向けられてきたであろう数々の表情の中で、この笑みがきっと一番自然で優しいものだ。
なんの根拠もないが、そう思った。
胸の痛みが、また新しい涙を生む。
俺はサンドイッチの包み紙を丸め、アーニャちゃんの巨乳に見立てて顔に押し付けた。




