雨上がり 前
翌日も朝から雨が続いていた。
「おはようございます、ルジンカさん!」
雨粒をよけながらベアドと校舎に入った直後、リコピナに声をかけられた。
「リコピナさん!おはようございます」
挨拶を返しながら視線を送ると、後ろにオレオンもいる。
2人も今来たところなのだろう。
オレオンは一応上級生であるベアドには、ペコリとやる気のない会釈をしたものの、俺のことはシカトだ。
不自然に目を逸らされる。
メンチ切られないだけましだけどな。
リコピナの戸惑ったような視線が、俺の後ろに注がれている。
「リコピナさん、こちら私の兄です。もうご存じでしたか?」
「いや、初めてだ。ベアド・フラボワーノです。妹がいつもお世話になっています」
心得た様子のベアドが、リコピナに歩み寄り自己紹介を始める。
「あ、ええと・・・リコピナ・クルクミーと申します。オレオンの妹です。どうぞお見知りおき下さい」
はにかみながら会釈する。
「4月から編入されたそうですね。オレオンにとても可愛らしい妹ができたという評判を耳にしています。もう学校には慣れましたか?」
「はい。皆様とても良くして下さいますので。昨日もルジンカさんと一緒に授業を受けましたの」
言いながら俺と目を合わせ、ほんの少しだけ肩をすくめる。
朝からキュンとするな。
「それはよかった。妹の記憶喪失はすでにご存じかと思いますが・・・もしご迷惑でなければ今後も仲良くしてやって下さい。あなたと友人になれたことを、とても喜んでいるようです」
ベアドの言葉に、リコピナの表情がパッと輝いた。
「まあ!私もですわ。ルジンカさんともっと仲良くなりたいんです!」
オーラをキラキラさせ無邪気に笑う。
「とっても明るくて素敵な笑顔だ。ルジンカ共々、僕ともぜひお近づきになって頂けると嬉しいな」
クールに微笑んだベアドにリコピナが頬を赤らめる。
何か返事を言いかける前に、ぶち切れオレオンが割り込んできた。
「そういうの控えてもらえますか。妹はまだ社交辞令には慣れてないんですよ!」
「別に社交辞令じゃない。素直な気持ちを伝えたまでだが・・驚かせてしまったならすみません」
悪びれる様子もなく、ベアドが答える。
後半の言葉はリコピナに向けたものだ。
「おい、真に受けるなよ?」
オレオンが苦虫を噛み潰したような顔をリコピナに向ける。
「あ、いえ・・あの・・・そういえば!ルジンカさん、今朝の体調はもう大丈夫ですか?」
2人のやり取りに目を白黒させていたリコピナが、強引に話題を変えた。
昨日のアーニャちゃんのパイ揉み中に倒れたことを言っているんだろう。
医務室から戻った後も、ずいぶん心配してくれた。
しかし、今その話はまずい。
オレオンがいるからな。
靴下の落とし主が俺だと気づかれる。
「心配していただいてありがとうございます。でも、あの件は大丈夫でしたの。その、気のせいでしたわ」
俺はリコピナにあいまいな返事をする。
「え?気のせい??」
小首を傾げるリコピナ。
「はい、気のせいです・・・えーと・・・まずは一緒に教室まで行きましょう!女同士で!!」
思わずリコピナの手を取り、歩き出す。
お!?
俺、女の子の手を握ったぞ!?
自分のやったことにビビり、慌てて離す。
「どうしたんですか?行きましょう」
何が嬉しかったのか、リコピナがニコニコと俺の手を握り直してくれる。
ヤバいな。
めっちゃカワイイ。
ドギマギしながらベアドを置き去りに、教室へ向かう。
「あの、リコピナさん。昨日倒れたことオレオンさんには秘密にしてほしいんですが・・・」
口止めしとかないとな。
「え?ごめんなさい、兄にはもう言ってしまいましたわ」
マジかよ。
早くね?
「昨日、ルジンカさん達に誘っていただけたことが嬉しくて。そのお話をしたときに、ルジンカさんが途中で倒れて医務室に行かれたことも話してしまいました・・・まずかったでしょうか?」
リコピナが申し訳なさそうに告げる。
「そ、そうですか・・・オレオンさん何か言ってました?」
「いいえ、別に・・?」
「なら、大丈夫です」
まあ、仕方ないか。
俺が医務室に行ったことを知ってる奴は大勢いるしな。
直接オレオンと顔を合わせたわけじゃないし、とぼけるしかない。
ロイルは多分しゃべらないだろう。
靴下履けって言ってたくらいだからな。
こうして手を繋いだまま登場した俺とリコピナに、教室内が一瞬どよめいたのだった。
「ルジンカ。今から少しいいか?」
「え?」
ロイルが声をかけてきたのは、昼休みになってすぐだった。
わざわざ俺の席まで足を運んでのお誘いである。
「どうした?予定でもあったか?」
「え、いいえ・・・」
リコピナを誘ってアーニャちゃん達と飯を食うのが、予定と言えば予定だったけどな。
「じゃあ、来てくれ」
そう言ってさっさと歩きだそうとする。
予定がなかったら応じて当然って態度が王子様だな。
「はい。あの、どこへ?」
「バラ園だ」
「バラ園!?いけませんわ!」
ロイルの答えに、俺の隣にいたアーニャちゃんが大きな声を出した。
いぶかし気に振り返るロイル。
「どうしたんです?アーニャさん」
俺が問う。
「あの・・いえ。あの辺はあまり人気がないので・・」
どうやら俺とロイルがいかがわしい行為におよぶ可能性を心配しているらしい。
今日も通常運転だな。
「それがどうした?」
ロイルが静かに尋ねる。
「え?それは・・その・・」
巨乳を揺らしてソワソワと口ごもるアーニャちゃん。
「都合が悪いならやめておくが?」
と、俺を見ながらロイル。
「どちらでもいいぞ」と続けるところを見るに、急ぎの用じゃなさそうだ。
だが、せっかくのお誘いだからな。
ここは行くべきだろ。
「行きますわ。すいません、アーニャさん」
心配顔のアーニャちゃんに見送られながら、ロイルと教室を出た。
昼飯の時間がなくなるかもしれないと、食堂に寄ってサンドイッチを入手してから校舎の外に出る。
外で食うらしい。
登校時に降っていた雨は、昼前にあがったばかりだ。
ぶ厚い雨雲の晴れ間から、何本もの光の筋が伸びている。
「あまり道の状態が良くないんだ。大丈夫そうか?」
ロイルの言う通り、地面はぐちゃぐちゃのぬかるみ状態だった。
大丈夫なわけねーだろ。
スカートを汚さずに歩くのは無理だな。
俺は前回より、さらに大胆にスカートをたくし上げて歩いた。
それでも跳ね上がった泥が裾や靴下を汚していくので、より一層高く持ち上げる。
こいつ、これが目的で誘い出したんじゃねーだろうな?
疑いの眼差しを向けると、
「違う」
微妙な顔をしたロイルがボソリと否定した。
一昨日歩いた並木道を進んで行く。
空気には雨と土の匂いが満ちていた。
風が吹くたび、頭上の葉から雨の雫がバラバラと落ちてきて、髪や服を濡らす。
「バラ園はこの先だったんですの?」
隣を歩くロイルに質問する。
「そうだ」
「もしかして、一昨日もバラ園に行かれる予定で?」
最初に散歩したときは、途中でチャイムが鳴ったからな。
「わからない・・」
「わからない??」
わからないって何だよ!
お前自身の行動だろうが。
「正直、迷っていた。昼休みの時間内で間に合えば行けばいいし、間に合わなければそれでいいと」
結局、間に合わなくて帰ったがなと、前を見つめたままのロイルが語る。
「どちらかというと、行きたくなかったというのが本音かもしれんな」
「はあ・・」
そういや、ちんたら歩いてたな。
ドレスの俺に気を使っていたわけじゃないらしい。
実際、今はこんな道を歩かされてるからな。
「シズンティカが咲いたんだ」
すこしばかり躊躇うように、ロイルが言った。
「シズンティカ??」
「それだ。それも覚えてないか・・」
覚えていないな。
咲くってことは花か?
きっと、オレンジ色の花だな。
そんな気がする。
「昨日、雨が降ったろ。そのまま散るんじゃないかと思ったとき、やはり連れて来るべきだったと後悔した。
最後の1輪だったからな。今朝もう一度見に行ったらまだ咲いていたんだ。都合良く雨もやんだから誘うことにした」
ロイルは淡々と語る。
ほとんど俺の方を見ないし、表情も固い。
行きたくなかった、という本人の言葉通り、気乗りしないのは今も一緒なのだろう。
でも、今朝ってまだ雨が降ってたよな。
よく見れば、ロイルの足元には今着いた泥と、時間が経ち乾いた泥の両方がついている。
雨をおしてわざわざ確認に行く程度には、気がかりだったらしい。
「それって、もしかして、私が植えたという花ですか?」
ベアドが言ってたな。
ルジンカちゃんがロイルのために花を育ててたとか、なんとか。
「誰かから聞いたか?」
「はい。それになんか夢も見たので。ほとんと覚えてないんですが」
「そうか・・・どんな夢だった?」
お前と口論して、花を蹴散らす夢だよ。
とは言えない。
だが、口論の内容は気になった。
その辺覚えてないからな。
「ええと、誰かと揉めて・・花も出てきたような?」
曖昧にぼかして伝えると、ロイルが足を止め、俯いた。
「“誰か”は私だ」
特に表情を変えたわけではなかったが、めっちゃ憂鬱そうなのが伝わって来る。
「記憶を失う前のルジンカに、リコピナへの態度を注意した。かなり目に余るものがあったからな。
・・・ちょうどこの道でだ。私から声をかけることはほぼなかったから、お前はすごくはしゃいでいた」
ロイルの視線につられて、後ろを振り返る。
今歩いて来た並木道と、夢で見た風景が徐々に重なっていく。
「ロイル様、新緑が素敵ですわね」
嬉しそうに話す自分の声が聞こえた気がして、思わずハッとした。
「どうした?」
「い、いえ、なんでも」
ロイルは言葉を選びながら続けた。
「私は結婚相手を私情では選ばない、とも伝えた。お前は納得できなかったようでな。かなり取り乱していた」
何かに耐えるように口を引き結んだ。
まあ、王族なんてみんな政略結婚だろうしな。
特別変なことを言ったわけじゃない。
ルジンカちゃんはなんでそんなに取り乱したんだ?
腹の底がザワザワする。
この前思い出したロイルへの感情は、過去のものとして整理できているはずだった。
それが首をもたげたような不気味な気配を感じる。
なんか、あんまりよろしくない兆候だ。
俺は掴んでいたドレスから手を離し、深呼吸して自分のおっぱいを揉んだ。
「な、なにしてるんだ!?」
「こうすると、気持ちが落ち着きますの」
嘘じゃないぞ。
目を閉じ、おっぱいに集中することで、頭の中を煩悩でいっぱいにする。
ついでに昨日触ったアーニャちゃんのパイの感触も思い出しながら揉む。
わけのわからないざわめきは静まった。
「やめ・・いや、控えた方がいいんじゃないか?他の生徒の目もある」
昨日、おっぱいの所有権について指摘したばかりだからな。
「やめろ」とはっきり言えなくなったらしい。
心配しなくても、遠目には胸に手を当てているだけにしか見えないだろう。
「何も変なことはしていませんわ。自分の胸ですから」
「そうかもしれないが・・・とにかく、行くぞ!もう着く」
サンドイッチの紙袋で股間を隠しつつ、勢いよく歩き出す。
リコピナに寝癖と評された金色のウエーブが風に翻った。
汚ねーもん押し付けんなよな!
俺も食うんだぞ、それ!
こっそり舌打ちをしてドレスをつかみ、後に続いた。