茶会
誤字のご指摘ありがとうございました!
「小言は言わない約束だが、大事なことだからこれだけは伝えておく」
翌朝、登校中の馬車の中でベアドが話し始めた。
2人きりになるのは昨日の帰りの馬車以来だが、目立った変化は見られない。
「時間割によると、今日お前のクラスの一時間目はお茶の時間だろ」
ウリュンデル王立学校では、週に1度、クラス単位でお茶の時間が設けられているらしい。
優雅だよな。
一応授業なので、メンバーは茶会用に組まれた班があるそうだ。
「確か、ロイル様とリコピナと同じ班だったはずだ。お前のテーブルマナーがなってないのは致し方ないことだが、あんまり無様な振る舞いはするな。少なくとも、リコピナよりひどいと思われないように頑張るんだ」
「なんでだよ?」
「あまりにも酷いと、王子の妻なんて到底無理だと周りが見限る。お前のロイル様への好意の有無とは関係無く、死期が早まるかもしれない」
「マジか・・・」
ルジンカの資質に問題アリとなれば、ウェイド王子を殺してもロイルとは婚約できない。
フラボワーノにウェイド暗殺の動機がなくなったと判断される可能性もある。
「ライバルが市井育ちのリコピナで良かったな。今後は行儀作法の勉強にも力を入れるべきかもしれない。思い出す気配も無いしな」
今は寝る前と、その時々のタイミングでリリアやおっさん達から指導を受けるくらいだ。
まあ、こっちの世界に来て、まだ8日目だからな。
俺的には勉強を回避して、記憶の復活を待ちたいところだ。
「わかった。まあ、お茶くらいなんとかなるだろ」
「とにかく、何事もゆっくり動くんだ。あと、飲み食いするときに頭をテーブルに近づけるな。それだけでも全然変わる」
「食事中にテーブルの下覗いてた奴に言われてもな」
俺はつい蒸し返す。
「ああいう無茶振りはもう勘弁してくれ。まったく・・・僕くらいだぞ、あんな要求に答えてやるのは」
やれやれ、とため息をつく姿に、気まずさや恥じらいは見つけられない。
開き直りって怖いな。
「そういえば、ロイル王子ってどんな奴なんだよ?」
一応確認しておく。
記憶は断片的にしかないからな。
「昨日、一緒に散歩して来たんだろ?」
「いや、たいした話してないしな。散歩というか、取り調べって感じだったぞ」
「そうだな・・」
眉間にシワを寄せ、片手で頭を抱えるベアド。
その手で黒髪をグシャグシャとつかみながら考えこんでいる。
「・・・まあ・・つかみどころのない人だな・・すごく変だという噂も聞かない・・・ルジンカを相手にしない、という点を除けばな。でも、僕はロイル様と親しいわけじゃないし、あてになるかわからない。自分で確認してくれ」
まあ、つかめてたらもっと上手くやったよな。
ルジンカをふった奴を、変じゃないと評するのが不本意なのだろう。
組んだ足をイライラと揺すっている。
昨日の散歩中も、特に変わった人には見えなかったよな。
ロイヤルオーラが怖かったが。
「じゃ、今日のお茶会でからんでみるか」
「いや、やめておけ」
「はあ?からまなきゃ確認できないだろ」
「茶会は毎週あるんだ。今日は様子見でいいだろ。ルジンカの記憶が無くなったからって、いきなり態度を変えるとも思えない。ちょっと話してみて、反応が悪かったらそのまま引き下がれ」
「ああ、“追うより追わせろ”ってやつか?」
でも、こいつもルジンカちゃんを追わせられてないよな。
「別にそういうわけじゃないが・・追ってこないルジンカに、どんな反応をするのか知りたいだけだ。前は検証できなかったからな・・・」
ロイルにからむな、という指示が後ろめたいのか、ベアドの言葉は歯切れが悪い。
「好き好きアピールはいいのかよ?」
「今回は気にするな。記憶喪失をきっかけに、芸風を変えるのも新鮮味があっていいだろ。それより、一歩引いてロイル様やリコピナの様子を観察して来るんだ。リコピナについても、以前のお前の話だけじゃよく分からなかったからな」
ルジンカちゃんは、リコピナは下品な庶民!をひらすら連呼していたらしい。
「わかった。じゃあ、楽しくお茶を飲んでくればいいんだな?」
「そうだな。それでいい・・・」
散々言われてきた、「破廉恥な振舞いだけはするな」の一言は今日はなかった。
校内の芝生エリアに日傘とテーブルセットが設置され、4~5人が1つのテーブルを囲んでいる。
テーブルの上には茶器やポットや茶菓子が並び、花瓶に生けられた花まである。
さっき事務員さんらしき人が運んできてくれたんだよ。
お坊っちゃま、お嬢ちゃまの学校なんだなって痛感したな。
俺は今その中の1席に座り、リコピナが人数分のお茶を入れてくれるのを眺めている。
ティーポットを傾けるわずかな動きに合わせて、キラキラ光るモンブラン色の長い髪。
頭の両サイドに細い三つ編みがつくられ、薄紫色のリボンで留めている。
胸元には、大ぶりの紫色の石がついたブローチ。
澄んだ紫色の瞳と合わせ、統一感を出している。
やっぱり、すごくかわいい。
規則正しく制服を押し上げているおっぱいから、リコピナの真剣な息遣いを感じる。
これが、思っていた以上にデカいんだよ。
華奢≪きゃしゃ≫で小柄だけど、おっぱいだけは大乳ちゃんくらいある。
ベビーフェイスにデカパイは反則だよな。
服を脱いだ姿をぜひ見てみたい。
俺と同じテーブルのメンバーは、計5人。
俺の右にロイル、ロイルの隣にリコピナで、ライバル2人で王子様を挟んだ格好だ。
リコピナの隣が兄のオレオン、その隣で、俺の左隣にいるのが新顔の男だ。
マッシュルームカットの淡い金髪に緑の瞳。
まつ毛が長く、口角がキュッと上がっている。
女みたいな顔のイケメンだが、スゲー遊んでそうだ。
名前はルーガハント・オーゴニー。
ロイルの従兄弟で、王弟の息子。オレオンの母方の従兄弟でもあるらしい。
父親が早世したため、こいつ自身が既に公爵だ。
王位継承権はロイルの次。
『☆死☆の運命星』の会議でベアドがごちゃごちゃ言っていた気がするが、覚えていない。
「練習の成果が楽しみだな」
緊張しながらお茶を入れるリコピナに、金髪を光らせ、イスの背にもたれたロイルが声をかける。
お茶はリゴーという、紅茶みたいなもんだ。
渋みを出さずに入れるのが難しいらしい。
「緊張させないで下さい。ロイルさんの分だけ渋くしちゃいますよ?」
リコピナがピンク色の唇を尖らせる。
「高等テクニックじゃないか。ぜひ飲み比べしてみたいものだな」
「もう!」
リコピナが小さく笑った。
ずいぶん気やすい感じのやりとりだな。
俺は右隣のロイルの横顔をそっとうかがう。
今日は茶会が始まる前に少し話しただけだ。
昨日の散歩の礼とかな。
席についてからはまったく目が合わない。
意識的にこちらを見ないようにしているのか、反対側のリコピナばかり見ているからか。
俺はこの体になってから、実にたくさんの視線を引き付けるようになった。
校内を歩けば大抵の奴らが振り向くし、2度見されたり、凝視されたりするのなんて日常茶飯事だ。
まあ、今は話題の女ってのもあるんだろうけどな。
前の体はデカかったからな。
一瞬パッと視線が集まることには慣れてるんだよ。
あと、2度見もな。
でも、それとは全然比較にならない。
野郎供の視線の滞在時間が特に長いことを考えれば、美しさ故の注目だろ?
こんな美少女に好き好き言われてんのにさ、ロイルは本当になんとも思ってないのかね?
どんなこと考えているのか想像もつかない。
なにせ、俺は無限美ちゃんに真心を捧げた男だからな。
「ほとんどの記憶がないって聞いたけど、逆に覚えてることって何があるんだい?」
左のルーガハントが頬杖をついて話しかけてくる。
いたずらそうな緑色の瞳は、好奇心でいっぱいだ。
「家族と、ロイル様のことを断片的に・・・他はもう全然で」
俺は首を横に振りながら答える。
「学校の勉強や、日常生活の細かいことまで覚えてないんだって?ルジンカが犬食いしてるって噂もあるけど」
「いえ、犬食いなんてそんなまさか・・・でも、礼儀作法を勉強中なのは本当ですわ・・」
耳が早いな、こいつ。
「大変そうだね。記憶が無いってどんな感じするの?」
「・・・なんか、全然知らない世界に来たような・・自分がどんな人間だったかわからないのに、相手だけが自分を知っているというのも、微妙で・・・」
この辺はほぼ本音だ。
右側からロイルの視線を感じる。
「そんな状態で、よくロイル様の妻になろうなんて思えたな」
険しい顔のオレオンが絡んでくるのを、ルーガハントが「まあ、まあ」となだめる。
「むしろ朗報だろ?お前にも、もう一度チャンスがあるかもってことだ」
そう言ってニヤニヤするルーガハントを、オレオンは無言で睨みつけた。
リコピナ以外は全員、幼い頃からの付き合いらしい。
全く思い出せないけどな。
茶を入れ終えたリコピナが、ロイル、ルーガハントの順にカップを渡していく。
「・・・あの、どうぞ・・・」
恐る恐るという雰囲気で、俺にも差し出してくれた。
前もこんな怯えた目で見られてた気がするな。
固い表情の男達が見守っている。
「ど、どうも・・・」
つられて緊張しながらカップを受けとると、皆が一様にホッとしたのがわかった。
なんだ?
ルジンカとリコピナは、よっぽど仲が悪かったらしいな。
「香りはいいな」
湯気の立つカップを見つめ、優雅に口元に運ぶロイル。
「いかがです?」
「・・・・渋いが・・・ギリギリ及第点だ」
口元を歪ませたロイルのジャッジに、リコピナが苦笑する。
「前回より全然いいよ。練習がんばったんだね」
次いでルーガハントが笑顔で感想を述べた。
俺、リゴーはあんまりなんだよな。
渋いバージョンも渋くないと言われたバージョンも、普通に渋かった。
それに猫舌だし。
受け取ったはいいが、すぐには飲めない。
何も考えず、砂糖をザラザラと入れ、ミルクも入れようと容器を手に取ったところで、場の空気の変化に気づいた。
ロイルの視線の温度が下がり、オレオンが眉間にシワを寄せてため息をついている。
リコピナも悲し気に目を伏せた。
なんかまずいことしたのか?
あ、渋いか確認する前に砂糖とミルク入れたからか?
キョドったせいでミルクをカップのふちギリギリまで入れてしまった。
ちょっとの振動で溢れそうだ。
とにかく、ライバルのリコピナが入れたお茶だ。
飲んで美味いと言わなきゃ角が立つ。
俺は受け皿を両手でそっと持ち上げ、ソロリ、ソロリと口元に近づけていく。
途中で頭を近づけ、ズズズッと、飲んで水位を減らしたくなったが、ベアドの注意が頭をよぎり思いとどまった。
「大丈夫?入れすぎちゃったね」
ルーガハントが声をかけてくれたが、集中していたのでシカトする。
こぼさず顔の高さまで持ち上げることに成功すると、カップのフチをパクリと咥え、手も添ずに受け皿ごと傾けゴクゴク飲んでしまった。
皿を下ろし、唇についた滴を舌先でペロリと舐める。
「あの・・・美味しかったですわ」
味なんかわからなかったけど言っておく。
俺の感想に、リコピナがニッコリと嬉しそうに微笑んだ。
「ずいぶん、下品なマネをするようになったんだな」
オレオンが吐き捨てるように言う。
「やめなよ。記憶喪失だって聞いたろ」
ルーガハントがたしなめる。
「因果応報だ」
「やめろって」
オレオン態度悪いな。
こういうお友達がいる王子様って大丈夫なのかね?
ちらり、と横のロイルを確認するが、静かに茶を飲んでいるだけだ。
オレオンを止める気も、助け舟を出す気もないらしい。
「ごめんなさい、オレオンさん。はしたないところばかりお見せしちゃって」
大きな瞳を揺らめかせ、オレオンにおずおずと謝った。
さっさと黙らせたかったからな。
テーブル全体に驚きが広がる。
「記憶喪失って本当だったんだね・・・オレオンに謝るルジンカなんて、もう何年も見たことないよ」
目を見張るルーガハントの声はかすれている。
ルジンカちゃんとオレオンのバトルは激しかったみたいだな。
「あの・・・・ルジンカさん。実は、私も色々お勉強中なんです」
聞き役に徹していたリコピナが、遠慮がちに話しかけてきた。
「私は先日父の屋敷に引き取られたばかりで。今、テーブルマナーや、立ち居振る舞いなんかを、先生につきっきりで見ていただいてるんです。毎朝コルセットが苦しくって、泣きそうなんですよ」
はにかみながらも、滑らかに話す。
俺を見る目に、もう怯えは無かった。
「わ、私も同じですわ・・」
リコピナの優しい表情が眩しくて、モソモソ返事をする俺。
なんだよ。
めっちゃいい子じゃないか。
これは、俺をフォローしてくれたんだよな。
「よかった。私だけなのかと思ってました。まだ、こういうお話のできるお友達いなくて・・・」
無意識なんだろうが、胸から腰までさすりながら話す姿に、男達の視線が飛んでいく。
これがリコピナの男をおとす芸風なのか?
いや、素か?
俺も乗った方がいいのかね?
・・・・それにこれはチャンスかもしれん。
俺はリコピナに向かって、にこやかに話しかける。
「私は毎晩お風呂の時に、お胸のマッサージをするようにしてますの。むくみが取れて、コルセットも楽になる気がしましてよ?」
「マッサージ、ですか?」
リコピナが自分の胸に手を添え、大きな目をパチパチさせる。
「はい。こうやって・・・」
俺は自分の右腕をしなやかに上げ、左手で胸の後ろの背中部分に優しく触れる。
野郎供のうす汚ない視線が移動して来るのを感じる。
胸に向かって手を滑らせかけ、「あ、」と呟いて、腕を下ろす。
「あの、ここでは恥ずかしいので・・・女性だけの授業のときにお教えしますね」
はにかみながら伝えた。
こう言っとけば、オレオンあたりから「はしたない」とクレームが来ることもないだろう。
ロイルは風呂で胸のマッサージをする俺の妄想でもするかもな。
そしてなにより!
リコピナのおっぱいを触る口実ができちゃったんだぞ!!
しかも、上手くいけば、その場でアーニャちゃんや他の女子のおっぱいも揉めるかもしれん!!
ヤバイだろ!?
俺は天才なのか!?
この体以外のおっぱいを触るのは人生初だ!
俺は期待と興奮で戦慄きそうになるのをこらえる。
マッサージのやり方なんて全然わからないけど、なんとかなるだろ。
女はヨガとかマッサージが好きらしいけどさ、
あんなのの効果なんて、所詮気の持ちようだろ?
「まあ!ありがとうございます!」
俺の企みも知らず、リコピナは心から嬉しそうに笑った。
こちらこそ、ありがとう!
午後には君のおっぱいは俺の物だ!!
「仲良くなれたみたいでよかったね。でも、僕たちが聞いていい話だったのかな?」
ルーガハントが目を爛々と輝かせながら参加してくる。
「あら大変!じゃあ、急いで別のお話をしましょう」
男達の前だったことをやっと思い出したのか、リコピナが少々慌てる。
「驚いたぞ。いきなりコルセットの話なんて始めたからな」
腕を組んだロイルが冷やかす。
真面目腐った顔をしているが、目の奥が笑っている。
あいかわらず、俺には話しかけないのにな。
「もう!別のお話をって言いましたわ!」
プンッとふくれるリコピナ。
「女性の身支度の話は、実に興味深いからね」
「ルーガさんまで!男性は起きて10分で家を出れますもんね。羨ましいですわぁ」
「失礼なやつだな。さすがに10分以上かかるぞ。寝癖も直すしな」
「え?直していらしてそれだったんですか?私、ロイルさんのそのウェーブ寝癖かと思ってました!」
リコピナが口元に手を当て、わざとらしく驚いて見せる。
「よく分かったな」
「ロイルさんったら!」
リコピナがクスクスと可愛らしく笑った。
ロイルもすまし顔をしているが、楽しそうだ。
俺と話してたときみたいな、しゃっちょこばった感じがしないな。
こっちが素に近いんだろう。
すまし顔のロイルも、スケベそうなルーガハントも、妹の活躍に満足そうなオレオンも楽しそうだ。
俺は全然楽しくないが。
なんか、めっちゃアウェーな気分だな。
5人の班で4月からお茶してんだろ?
ここにルジンカちゃんがどう加わっていたのか見えてこない。
この仲良しの輪に、ルジンカちゃんの居場所はあったのかね?
俺の記憶喪失のことも、誰も悲しんでないしな。
普通、幼馴染が自分のこと忘れちゃったらさ、こんな風にはしゃげるか?
つらつらと考えていると、気を利かせたのかリコピナが話しかけてきた。
「ルジンカさん、お茶のおかわりはいかがです?」
「ああ、はい。ありがとうございます」
いい子だよな。すごく。
「そういえば、今回もリコちゃんの唇に注目だね」
俺のおかわりのリゴーを注ぐリコピナに、ルーガハントがちょっかいをかける。
「唇?」
思わず質問する俺。
「紅を落とさずに、お食事をする練習中なんですの・・・でも、本当は、もうお料理に紅を塗っておいてくれたらいいのにって思いますわ。そうしたら、お食事が終わる頃には、私の口に紅がついてますでしょ?」
ため息交じりに、ユーモアに富んだ説明をするリコピナ。
「今日のその紅は、何を食べてついたんだ?」
ロイルが混ざってくる。
「パンですわ。バターの代わりに塗って、モリモリいただきましたの」
ムスっとしながら答えるリコピナ。
ふくれた顔もかわいいね。
「あれ?ルジンカは紅を塗ってないよね?」
ルーガハントがどうでもいいことに気づく。
俺の美しい唇に装飾はいらないんだよ!
「リコピナさんと同じですわ。すぐ落ちるので・・」
「リコピナはちゃんと塗っているだろ。ルジンカはさっそく手を抜いてるわけだ。ロイル様もいらっしゃるのにな」
オレオンがここぞとばかりに攻撃してくる。
確かに、これはぬかったな。
初登校の日しか塗ってないからな。
「ええと・・・兄に塗らなくてもいいと言われたので、つい・・・」
「ベアドさん?そういうの厳しそうだけどな」
と、ルーガハント。
「・・その・・・中途半端に落ちているのもみっともないから、うまく出来るようになるまではそのままでいい、と・・・」
もちろん嘘だ。
まあ、今のあいつは口紅ごときスルーだろうな。
「ルジンカには甘いもんね。あの人」
「婚約者だからな」
「よせ」
低く嗤うオレオンを、ロイルが短く制止した。
ピリピリしてきた空気に、リコピナがハラハラしているのが見えた。
毎回フォローされるのもな。
俺は困り顔を作りつつ、可愛らしく唇を尖らせる。
「でも、大変なんですのよ?紅を落とさずお食事するのって」
男性はおわかりにならないでしょ?っと、ポケットから一応持ち歩いていた口紅の丸いケースを取り出す。
「はい!ルーガハントさん」
ビックリ顔の男に差し出した。
「え?」
「これを塗って、そのお茶とケーキを召し上がってみて下さいな」
笑顔で要求する。
最初はロイルに言おうかと思ったんだけどな。
全然からんでないのに不自然なので止めた。
オレオンはブチ切れて終わるだけだし、残るはルーガハントしかいない。
この中で一番話しやすそうだしな。
頼むよ。
空気読んで塗ってくれ。
「え?僕が?」
「ルジンカ、くだらない真似はやめろ」
オレオンがつっかかって来たが、シカトする。
「もし上手くできたら、さっきのマッサージお教えしますわよ。お嫌でなければ」
これは冗談だったが、ルーガハントの目がキラリと光る。
「僕のことはルーガでいいよ。こういうノリ嫌いじゃないんだ」
ニッと笑って口紅を受け取る。
俺の差し出す手鏡を覗きながら、薬指でポンポンと口紅を塗っていく。
妙に上手いな。
ロイルやオレオンも興味津々に見守っている。
「どうかな?」
まんざらでもなさそうなキメ顔で、薄い金髪をかき上げ、桜色に染まった唇を披露する。
女顔なので、全然おかしくない。
むしろ、すごく似合っていた。
「すごい!お似合いですわ。ルーガさん!」
「似合ってるぞ・・・本当に」
「自然だな!」
他の3人からも大絶賛をもらいつつ、さっそくお茶を飲み、ケーキを食べ始める。
序盤は順調だったが、徐々にケーキの欠片が唇につき始め、カップに紅がつき、食べ終わる頃にはほとんど取れていた。
「案外難しいんだね。女性の苦労がわかったよ」
やり切った感を出しつつ、紅をぬぐうルーガハント。
「おわかりいただけて良かったですわ」
俺は”悩殺☆ニコ”を披露し、感謝を伝える。
「ね、さっきのマッサージ教えてくれる?」
ルーガハントが小声で囁いた。
「上手くできたらってお約束でしたでしょ?」
そもそもリコピナのおっぱい触る口実だしな。
「色々、役に立つと思うんだよね」
「例えば?」
「色々だよ。美人のルジンカ直伝っていうのが重要なんだ」
食い下がるチャラ男。
ロイルの親戚で、友人でもあるようだし、仲良くしておいて損はないな。
「わかりましたわ。・・・今度お教えしますわ」
俺の了承に、ルーガハントは「やった!」と嬉しそうに笑う。
女に使うんだろうな。
いいよな、モテる奴は。
「でも、楽しかったですわ。ルジンカさんとこんな風にお話できるなんて」
リコピナが茶菓子のパウンドケーキを切り分けながらニコニコと笑顔を向ける。
思わず微笑み返さずにはいられないような、屈託のない笑顔だ。
大人しそうなのに、体中から若さと生命力が溢れ、溌剌としている。
治癒の血ってエネルギッシュだよな。
「ルジンカは本当に変わったな。全く別人のようだ・・・・」
ロイルが難しい顔で呟く。
今日初めて話しかけられたな。
いや、これは独り言か?
まだ予知を疑ってんのかよ、こいつ。
「僕的には、今のルジンカの方が全然アリだね。まあ、毎日大変なんだろうけどさ。もし記憶が戻っても、今のままでいてほしいな」
ルーガハントの言葉に、リコピナが小さく頷いている。
俺を好意的に評価してもらえたのは、普通に嬉しいと思えたよ。
受け入れてもらえるなら一安心だ。
ただ、ルジンカちゃんが浮かばれない気がして、ちょっと複雑だったが。
「色々慣れるまでは大変だろうが、がんばるんだな」
ロイルも一応激励の言葉をくれた。
どっちの俺がいいとかは、さすがに言わなかったな。
お茶の授業ももうすぐ終わりだ。
リコピナが、ケーキの余りを頬張っている。
「私、なかなかお腹いっぱいにならないんです。召し上がらないなら、ロイルさんのも頂いちゃいますよ?」
モグモグやりながら指先で、ほとんど手つかずのロイルの皿をつまみ、ツツツッといたずらっぽく引いてみせた。
その指は、細く華奢ではあったが、貴婦人の手とは違う。
あきらかな労働者の手だ。
だが、ロイルに気にする様子はない。
「すごい食い意地だな」
皿をリコピナに押しやってやり、口元に小さく笑みをつくった。
ルジンカちゃんにとって、リコピナが協力なライバルだったのは間違いない。
コミュ力高いし、可愛くて、明るくて、気が利く優しい子だ。
あと、おっぱいもデカい。
暗い影なんて見当たらない娘だが、『☆死☆の運命星』に名前を連ねているからな。
油断は禁物だ。
アーニャちゃん達の話では、クルクミー侯爵が娼婦に産ませた子のようなことを言っていたが、さっきの自己紹介では、屋敷に引き取られるまで、片田舎で母親と祖父母の4人暮らしをしていたと言っていた。
そういえば、後で誕生日聞いておこう。
ロイルとはほぼからめなかったが、仕方ないだろう。
俺も話しかけなかったしな。
とりあえず、今日のお茶でリコピナ、ルーガハントとは距離を縮められたのは収穫だったな。
ブックマークや評価をありがとうございます。
調子に乗って夜更かしを連発していたら、首を痛めてしまいました。
今後は更新ペースを落としての投稿となってしまいそうです。
暇な時にでも読んでいただけると幸いです。




