0007超人類は今日も進化します
「お笑いぐさだな。悔しいか坊主。悔しいだろう。俺様を憎め。憎悪で泣き叫べ!」
「てめえっ!」
俺は涙を撒き散らしながら化け物に立ち向かった。手刀でその胴を両断する。手応えはまるでなく、瞬間真っ二つになった体はすぐ元に戻った。
「ぐあっ」
むしろ俺の方が、手に火傷をしてしまう。炎の魔族はせせら笑った。
「どうした。お前の攻撃はそれまでか、超人類の小僧」
「この野郎……! よくも、よくも親父とお袋を……っ!」
俺は激痛をこらえながら、何度も何度も化け物に切りかかった。だが有効打は一発も与えられない。そのうちキッチンに焔が広がり、黒煙が充満し始めた。
「はあ、はあ、くそ……」
俺は仁王立ちして燃え盛る魔族を前に、疲労と苦痛で両膝をついた。手の皮膚はただれ、水脹れし、これ以上は耐え切れないほどの激痛に包まれている。
と、そこへ……
「研磨……」
その声に俺はぞっとした。写だ。写が1階に下りてきている。死んだ親父やお袋を目の当たりにしている。俺は両親を守れなかった恥ずべき情けない男として、弟に認識されてしまう。その恐怖で首を巡らすのが遅くなった。
「う、写……!」
ようやく視界に捉えた写は――笑っていた。
え? 笑っている? 俺は混乱した。あのあどけない顔の持ち主、俺と違って頭の冴える優秀な次男、写は、焼き焦げた親父とお袋を前に、氷のような微笑を傾けていた。どういうことだ? もしかして炭化しちまって判別できねえのかも。
「おい写。この2人は、親父とお袋……」
「アシュレ、もう殺しちゃったんだ」
写は俺を見ていなかった。炎の怪人と視線を交錯させ、いかにも楽しそうに――何ならハイタッチでもせんばかりに――笑顔を浮かべていた。俺が再度名前を呼ぶと、ようやくこちらを一瞥する。その目は汚らしいものを見るように侮蔑に満ちていた。
「まだ分かっていないようだね、研磨。実は僕も異世界に呼ばれているんだ――魔界側からね。僕も超人類なんだよ」
何だって……。俺は驚愕を隠せなかった。写は嬉々として喋り続ける。
「今は君を殺すことはしない。その代わり、必ず異世界に来てもらえるように火炎魔人アシュレに両親殺害を頼んだんだ」
この化け物はアシュレというらしい。
「どうだい、親の仇となったアシュレを、僕を殺したいだろう? 研磨は何だかんだ言いながら、親に愛情を持っていると、僕は踏んでいたからね。さっきからここで会話を盗み聞きしてたけど、父さんも母さんも研磨も、笑っちゃうほど幼くて呆れちゃうね……」
「この野郎!」
俺は振り返るのと立ち上がるのと駆け出すのを同時に行なった。写の顔面に鉄拳を打ち込むためだ。だがそれより早く、弟の手刀が閃く。距離はあるはずなのに、俺の右の肩口がパックリと切れた。
「ぐあっ」
火傷とはまた違った激痛に、俺は情けなく倒れこんだ。その俺の頭に、写とアシュレ、両者の嘲笑が降り注ぐ。
「じゃあ異世界で待ってるよ、研磨。また会おう」
二人の気配が消え失せる。汗と血にまみれた体を起こすと、そこにはもう弟たちの姿はなかった。ただ燃え盛る炎が、黒い煙と共に俺を飲み込もうとしている。俺は両親の亡き骸を見た。
死ねない。こんなところでくたばってたまるか。俺はすっかり忘れていた飛行能力を発揮して、開いているドアから部屋の外へと逃げ出した。煙に巻かれないよう頭を低い位置にして、そのまま廊下を突っ切り玄関に辿り着く。扉を開けて戸外へ脱出しようとし――その手を止めた。
俺の家は既に外からでも燃焼が見られるだろう。今頃大勢の野次馬に囲まれているに違いない。その真っただ中へ転がり込んだら、きっと俺が放火と両親殺しの犯人にされてしまうだろう――普段の素行の悪さからして。
「鏡さん! 鏡さん! 燃えてるわよ!」
隣近所のおばさんが鍵のかかった扉を叩いている。俺は自分が両親殺しの汚名を着せられるのも、両親が長男に殺されたと世間から間違われるのも、どっちも勘弁だった。だが火の手はますます迫ってくる。立ち込める黒煙で、もう呼吸さえできない。どうすればいい?
「研磨!」
不意に背後から声がした。ミズタだ。振り返れば、黒地に白い紋様が描かれた魔方陣がこちらに表面を向けて展開されている。その中央から彼女が半身だけ現し、こちらへ手を伸ばしていた。まさに蜘蛛の糸だ。俺は煙に咳き込みながらもそれを掴む。強い力で引っ張られ、俺は魔方陣の中へと引きずり込まれた。
「うわっ!」
俺は真横に移動したはずなのに、なぜか地べたに顔面から叩きつけられた。鼻を押さえて痛みをこらえていると、ミズタが隣にしゃがみ込んだ。
「大丈夫? 魔方陣の向き、人間界とは違ったんだけど」
「そういうことは先に言えよな」
俺は顔についた土を払いながら、周囲に目を凝らした。どうやら昼間らしい。輝く太陽に照らされた異様な世界は、一瞬で俺の視線を釘付けにした。
漆喰塗りの灰色の家が、アイスクリームのように螺旋を描く尖塔を付属させて、空一面に浮かんでいる。家同士は紐で繋がっているものもあれば、巨大なもの、小さなもの、複数の住居が入っているものなど様々だ。そしてその間を、半透明の輪を背中に生やした女たちがせわしなく行き交っていた。そしてそんな宙に浮かぶ住宅群の真ん中に、シンボルのようにそびえ浮遊しているのは、巨大な城郭だった。
神界だ。紛れもなく、ここは異世界だ。俺はミズタの手で、この地球とはかけ離れた場所へ連れてこられたのだ。よく見れば、地上は一面畑であり、見たこともない奇妙な野菜が列をなして生えている。ところどころに井戸があり、さすがに水だけは地上から汲んでいるらしい。
ズキリ、と両手が痛んだ。それで俺は一時の放念から立ち直る。
「ミズタ、奴らはどこだ? 弟の写と火炎魔人アシュレはどこに行ったんだ?」
マグマのような怒りが再び湧き上がり、俺は彼女の両肩を掴んで揺すぶった。ミズタは逆に聞き返してくる。
「弟の写? じゃあ、あたしたちが検知した新しい超人類の力は、研磨の弟さんが出したものだったの?」
こいつ、どうやら何も知らないらしい。
「俺を助けに来たんだろ、おめえ」
「そうよ。アジトに戻る前に人間界を見物していたら、あんたの側にもう一人の超人類を検出して……それで急いで戻ったら、研磨の家が燃えているじゃない。だから私は2階の窓から入って、玄関で停止しているあんたを見つけて近くに移動したわけ。気がつかなかった?」
「ああ、外に出るべきかどうか考えてたんで、全く……」
「鈍感ね。で、あたしは神界と通じる魔方陣をこしらえて、その中へ研磨を引き込んだわけよ。あたしは命の恩人ね。感謝なさい」
俺はミズタから手を離した。写とアシュレの行方が分からないとなって、溶岩の行き先が袋小路に陥ったのだ。そうなると上半身のあちこちが火傷でズキズキと痛み出す。右肩からは出血が止まらない。痛みすら忘れるほどの激情が行き止まりにぶつかって、負傷の苦痛が次第にぶり返してきた。