表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/39

0006超人類は今日も進化します

「今カレーライスを温めますからね、お待ちなさい」


 はきはきと言ってコンロの前に立ったのは、お袋の鏡鶴利(かがみ・つるり)。親父より2つ下で、おしどり夫婦として世間に認知されている。黒いセミロングの髪で、少し皺の目立ってきた顔は縦に細長いキュウリのようだ。親父に対し、こちらはやや痩せ気味だった。


「サンキュー」


 俺は椅子に座り、テーブルに両肘をつく。エアコンで(あたた)まった部屋に、学ラン姿は少し暑い。しかしそんなことはおくびにも出さず、鍋をかき回すお袋の背中と、俺に向かい合って座った親父の顔とを等分に眺めた。


 この食卓も、もう終わりなんだな。もちろん神界から生きて帰る気満々だけど、魔族相手に不覚を取らないとも限らない。そう考えると何となく寂しい気持ちにとらわれる。


 建設会社に精勤(せいきん)する親父と、足りない家計をパートで補うお袋。難関中学で成績トップクラスの弟。出来損ないは俺一人。


「親父、ちょっと話しておきたいんだけど、いいか?」


「何だ、研磨」


 俺は親父の素朴(そぼく)な瞳に触れて、こらえ切れずよそを向いた。喧嘩に勝ったときも負けたときも、それはいつも心配の輝きを放っていた。


「俺、ちょっと旅に出るわ」


 キッチンはしばし静寂に包まれた――沸騰するカレーの音を除いて。親父がタバコを(くわ)えて火を点けるのが視界の片隅に映った。昔からの愛煙家である。吐き出された紫煙が宙を漂った。


「研磨、それは長くなるのか?」


 ああ、この感じ。俺の言うことを正直に受け止め、理解に努めようとする姿。年を取って頭頂部が薄くなっても、この父親の感じは全く変わることがなかった。これには俺も頭が上がらない。


「親父は俺がどこへ、何しに行くか、聞いてみたくないのか?」


 分かり切った質問だったが、とりあえずしてみた。案の定親父は首を振る。


「お前は間違ったことはやらない人間だ。喧嘩も弱い相手には吹っかけないし、女・子供・老人には手を出さない。脳味噌(のうみそ)の方はちょっと弱いが、その姿勢は信頼している。僕はお前の仕出かすことには、何かそうさせるものがあるのだと考えていてね。旅に出るならそれもまたいいだろう。僕らは信じて待つだけだ。その目的より、当面何か入り用ならそっちを教えてほしいね」


 全く、この男は……。俺は親父と視線を合わせた。こちらを気遣うような眼差(まなざ)しに敬服する。何でこんな立派な男から、俺みたいなだらしない人間が生まれたのだろう。


「とりあえず金も飯もいらねえよ。絶対戻ってくるとも言えないけど……」


「それは駄目だ研磨」


 親父が俺を睨み、お袋もこちらに振り向く。


「お前は僕らの子供だ。どこへ行こうとも、必ず戻ってくるんだ。それが約束出来なければ旅には出させられない」


「そうですよ研磨。私たちを置いていくことは許しません。どんなに素行(そこう)が悪くとも、貴方は私たちの立派な長男なんですから」


 やれやれ。まあそうなるか、この二人なら。俺は言葉を変えた。


「分かった、分かったよ。絶対に戻ってくる。それは約束するよ。それならいいだろ?」


 親父は灰皿にタバコの灰を落とした。その双眸(そうぼう)に承知の色彩が宿っていた。


「よし。約束だぞ、研磨。僕たちはいつまででも待っているからね」


 お袋がまた鍋に向き直り、いくぶんしょげた声を発した。


「それで、いつ出発するんですか?」


「明日」


 親父は肩をすくめ、タバコを灰皿で揉み消した。


「ずいぶん早いな。じゃ、今日は少し話そうか。しばらく会えなくなるものな」


 俺はうなずいた。さっきからカレーのいい匂いがしていて、空きっ腹が耐え難くなっていた。


「お袋、もう温めなくていいよ。早く飯をくれ」


「もう少し……」


 そのときだった。


 キッチンの斜め上付近に、あの黒地に赤い紋様の――ちょうどさっきのデク人形が現れたのと同じような――光り輝く魔方陣が、突如描かれたのだ。


「えっ?」


 俺も親父もお袋も、揃ってこの異様な物体を見上げた。規則正しく多重に回転する円盤は、中央がやはり出入り口になっているようで、そこから輝く何かが降りてきた。


 あちっ! 何だよこれ、炎じゃねえか!


 だがただの炎ではなかった。それは身長2メートル前後の、人型の怪物だったのだ。頭にあたる部位に目玉が二個、まるで人間のように浮かんでいる。そいつは大儀(たいぎ)そうに俺たちを見回した。


 魔族か? 魔方陣の色からして多分神族ではなさそうだが……。俺は椅子から立ち上がり、燃え盛る怪人にメンチを切る。


「何だてめえ! 俺たちに何か用かっ!」


「うるさいぞ、小僧」


 熱い。近づくことさえ出来ないほど、その熱気は容赦なかった。くそ、こいつは違う。人形の魔族とは雰囲気も格も桁違いだ。それが喧嘩慣れしている俺には手に取るように分かった。奴はニタリと笑った。


「俺様は野暮用を済ませに来たんだ。早速実行するとしよう」


 その手に炎の鞭が出現した。風切り音と共にテーブルが叩かれ、灰皿や食器が割れ砕かれた。


 と、そのときだ。


「下がれ、研磨!」


「逃げなさい、研磨!」


 親父とお袋が、俺をかばうように間に入り、俺を後退させた。馬鹿、何やってんだ。


「おめえらこそ下がって逃げろ! こいつの目当ては多分俺だ!」


 小太りの親父が(げん)として叫ぶ。


「だったらなおさらだ! 何が何だか分からないが、お前に指一本触れさせるものか!」


「そうですよ!」


 お袋も震え声で同調した。親父、お袋……。俺は捨て身の二人に感激して、胸が一杯になった。ここまで二人に感動させられたのは、多分生まれて初めてだ。


 その俺たちを炎の魔族は嘲笑(あざわら)った。余裕たっぷりに馬鹿にしてやがる。


「見事な親子愛だ。俺様が嫌いなものの中でも五本の指に入るな。そんなものは、こうしてやるのさ……!」


 火の怪物が鞭を振るう。それは立て続けに親父とお袋を痛打し、その全身をまたたく間に炎上させた。


「ぎゃああっ!」


「熱い……熱いっ!」


 紅蓮の炎に包まれてもがき苦しむ二人に、俺は絶叫する。


「親父! お袋!」


 着ていた学ランを脱いで、それで二人を叩き回った。だが火は消えるどころかますます燃え上がり、重なるように倒れた親父とお袋を黒焦げにしていく。俺は必死に火炎をしずめようと、馬鹿みたいに同じ動作を繰り返した。


 そんな。俺の両親が何でこんな目に遭わなきゃならない? あんまり残酷じゃないか。俺は涙さえ浮かべてめったやたらに二人をはたいた。だが引火して燃え出した学ランを放り出した頃には、俺の大切な、かけがえのない親父とお袋は、完全に炭化して人相すら分からなくなっていた。


「は、はは……。嘘だろ、おい……」


 俺を育ててくれた、いつも俺の側に立って守ってくれた、俺の両親。喧嘩に明け暮れる俺をどっしり構えて見守ってくれた親父。美味い飯と穏やかな人柄で俺を支えてくれたお袋。


 まだ何もしてやれてない。まだ何も返せてない。それなのに、それなのに……!


 炎の怪人は冷笑をやめない。その陽気な、罪悪感一つ感じられない言葉が軽々しく空中に撃ち出された。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ