0031超人類は今日も進化します
写がにやにや笑う。今すぐぶっ殺してやらねば気が済まないほどの、感情を逆撫でする笑い。
「僕とアシュレは帝王を殺せない。でもそれじゃ駄目なんだ。『大統一』によって神の座に登り詰めるには、神界の女王ハンシャ、魔界の帝王マーレイの2人の死が必要だったんだ」
俺は疑問を叫んだ。
「『大統一』? 神の座? ……詳しくは知らねえが、それは女王ハンシャが死ねば起こるっていう、神界と魔界の一体化のことだろう?」
「何も知らないんだね、研磨。神界の主だけじゃ駄目なんだ。魔界の主も同時に死なないとね。……そら、始まったよ」
大気が鳴動する。大地がひび割れ、遠くの火山が次々に噴火した。津波のような地鳴りが鳴り響き、それは轟音となって世界を包み込む。『大統一』とやらが開始されたのだ。
あの両親が炭化した夜、写は俺に言った。『今は君を殺すことはしない。その代わり、必ず異世界に来てもらえるように火炎魔人アシュレに両親殺害を頼んだんだ』。俺は写を睨み殺さんばかりに凝視する。
「俺が進化し続け、魔界の帝王マーレイを倒すことを、おめえら2人は望んでいたんだな。だから俺を神界側につけたんだな」
「そうだよ。僕はね研磨、君を買っていたんだ。そして僕の期待通り、君は動いてくれた。僕からも礼を言うよ。ありがとう」
アシュレがくっくと笑う。
「俺様は研磨と帝王が戦い始めたと知るや、部下の火球たちと共に、魔方陣で人間界の火山へ行っていた。あそこで溶岩に浸かって能力を高めている間、ずっとお前の勝利を願っていたよ。俺様に何も出来なかったあのときからしたら、大した成長ぶりだ。見事だったぞ、研磨」
写が世界の崩壊する音に、まるでオーケストラのコンサートか何かのように聞き惚れる。
「僕は待った……このときを……! ああ、美羅、今会いに行くからね」
その、人を殺めたばかりとは思えない自己陶酔が癪に障った。俺は受けたばかりの火傷が回復すると、写目掛けて突撃していく。魔人が炎の鞭を構えるが、写が大声で制した。
「構わないよ、アシュレ。僕が殺る」
火の玉どもとアシュレがさっと脇にどき、俺と写との間にトンネルを作る。俺は手刀衝撃波でもない、『無効化波動』でもない。ただ一発でもいいから、この鉄拳を叩き込もうと愚直に突進した。写が薄ら笑いを浮かべる。
「殴り合いなら応じるよ、研磨。もう帝王は死んだ。僕らにとって君は用済みなんだよ。穏やかに退場してくれ」
そして、神速の勢いでこちらへとまっしぐらに飛び出した。俺の右ストレートが屈んで避けられる。次の瞬間、写の鋭い右の突きが俺のどてっ腹を貫通していた。皮膚が、内臓が、脊椎が、滅茶苦茶に粉砕されて背中から飛び出す。
「がはっ……!」
あまりの痛みに脳が焼けるようだ。写の左手が俺の顔面を鷲掴みにする。せせら笑いが聞こえた。
「どうやら研磨は凄い回復能力を手に入れたらしい。でも、これなら死ぬでしょ?」
目の前が真っ青な光で染め上げられた。『無効化波動』だ。写も使えたのだ。俺は超人類としての全ての能力を失った。一時的なものとはいえ、致命傷を負わされた状態でのそれは死を約束する。
「ばいばい、研磨。これでおしまい……!」
右腕を引っこ抜くと、弟は俺を蹴り飛ばした。俺は無残な姿で落下し、神族たちの死体にバウンドして地面に転がる。痛みどうこうじゃない。全ての力が急速に失われていくのが感じられた。俺は首だけ動かした。
写……! アシュレ……!
俺は奴らが仲良く飛び去っていくのを見ながら、意識の摩滅に必死に抵抗していた。無駄な足掻きというものだったが……
人が生きる、というのはどういうことか。俺はふと立ち止まったとき、ふと空を眺めたとき、いつもそんな取り留めのないことを考える。いつぞやの商店街。いつぞやのバクー湖。そこでも俺は自問自答していた。
なぜ俺は生きているんだろう、と。
男と女の間に生を受ける。成長する。老いる。死ぬ。ただそれだけの人生。無駄にしか思えない。
途中でパートナーと子をなすこともあるかもしれない。だがその子供に、お前は何のために生まれたのかと正しく教えられる親など、この世にどれだけいるのだろう? お前の人生は無駄だと正直に言ってやることしか出来ないのではないか?
「また馬鹿なこと考えてる」
ミズタの声だ。金色の長髪、俺好みの美貌、抜群のスタイル。彼女は白い世界で体育座りする俺に、優しく寄り添って手を取った。俺はその温かみに、思わず涙をこぼしてしまう。
「何を泣いてるんですか?」
今度はマリの声。赤いショートボブに、紐で耳に引っ掛けた眼鏡。凹凸に乏しい稚拙な肢体。彼女は反対側の手に手を重ねてきた。
「ミズタ……。マリ……」
守れなかった。救えなかった。いつわりだと、虚像だと分かっている2人に対し、それでも俺は落涙して身をゆだねる。謝罪する。
「ごめんな。俺が情けなかったばっかりに……ハンシャを、神族を、2人を死なせちまって……」
ミズタは俺の手を自身の頬に当てた。柔らかい。
「いいのよ研磨。あんたはもう十分頑張ったわ。あたしやマリやハンシャ様……みんなのことで、自分自身を責めないで」
「鏡さん、貴方が悔やむことはないんです。貴方が出来なかったことは、他の誰でも出来なかったことなんですから……」
勝手だ。俺は自分自身を慰め、いたわるために、勝手にミズタとマリを創り出し、勝手に喋らせている。何て情けない俺なんだ。俺は慟哭し、それでも彼女らの言葉にすがりついた。
「俺、生まれてきて良かったのかな? 勉強も出来ず、喧嘩ばっかりして、両親を困らせて……。あげく神界にやってきてもまだ魔人どもや帝王と喧嘩して……。最後は写の奴に負けて死んじまった。何のために、俺は、この世に……」
「好きよ」
「え?」
俺は顔を上げた。俺の問いかけになぜ唐突な告白が返ってきたのか、不審で理解できなかったからだ。ミズタとマリはこれ以上ない慈悲深い笑みをたたえている。
「あたしは研磨のこと、好きよ。マリも好き。マリも研磨が好きでしょう?」
「はい! 大好きです」
俺は2人を等分に眺めた。涙が溢れて止まらない。
「ミズタ……! マリ……!」
声にならない。俺はむせび泣き、同時に答えを悟った。
「俺も好きだよ。二人が大好きだ……!」
それは簡単な事実。愛する人が、想いを伝えたい相手がいるなら、それだけで……
しかし2人は消えていく。弾力と温もりをまとった手が、見慣れた姿が、俺の目の前から失われていく。いつまでも笑みは残したまま……
彼女らは俺の前から消失した。