0030超人類は今日も進化します
俺は空中から元マーレイを見下ろしながら、ハンシャたちに叫んだ。
「助太刀はありがてえが、これは俺と帝王の喧嘩だ! もう邪魔せず、そこで大人しく見てろ!」
「邪魔って……あんたねえ」
ミズタがこめかみを指で押さえている。ハンシャは微苦笑した。
「では、ここで見守らせていただきます。ご武勇を」
とはいえ、さっき治癒の白い光弾を浴びて、俺はすっかり回復してしまった。まあ巨龍に変貌出来た帝王と、これで勝負はどっこいどっこいだろう。俺は奴の左目も潰してやろうと、手刀を構えて急降下した。
『研磨め……! よくもこのわしを……っ!』
怪物は傷ついた口を開いた。真っ赤な血液をうがいのように音立てながら、その奥で執念の種火を作った。やばい!
「くっ」
次の瞬間、ドラゴンの火炎放射が俺を襲った。まさかまだ炎を吐けるとは思っていなかったのと、距離が近過ぎたこともあって、俺は回避しきれず左足に被弾した。だが俺から散々ダメージを受けたこともあり、その火力は変身仕立ての頃に比べ、だいぶ弱まっていた。俺の左のすねから下は、即座に炭化することなく、原型をとどめて火傷したのだった。
「痛ってえ!」
しかしもちろん激痛が走ることには変わりがない。ただ、女王の力でだいぶ体力が戻っていたらしく、負傷した左足は即座に元通りになった。ミズタが遠くでぼやく。
「あんた、どんどん進化して人間離れしていくわね」
うるせえな、だから俺を呼んだんだろが。
何にせよ俺は攻めあぐねた。近づけば炎や爪が待っているし、かといって遠距離では衝撃波が鱗に弾かれる上、『無効化波動』も通じない。短く思考をまとめている間に、黒龍はまた種火を燃やし始めた。再び衝撃波をもらわないよう口を閉ざしたまま、口端から黒煙を湧き立たせる。どうする?
俺は熟慮の末、自分らしい大博打をうつことにした。右手を前方にかざし、その肘を左手で押さえる。そして、そのまま帝王へと突っ込んだ。ミズタとマリが、レンズやハンシャさえもが、俺の行動に仰天して声を上げた。
「炎にやられるわ、研磨!」
元マーレイが喜悦の声を上げる。
『愚か者め! 焼け死ぬがいい!』
かっと開いた口から、即座に業火の柱がこちらへと伸びてきた。俺はそれへ――右の手の平より『無効化波動』を放った。衝突した二つの光は、より一層の輝きを放って明滅する。神族たちの悲鳴を背景に、俺はその光輝の乱流へ飛び込んでいった。
熱くない。『無効化波動』はドラゴンの火炎放射を完全に無力化したのだ。俺はそのまま奴の口腔に突撃すると、構えていた左手を思いっきり振り抜いた。
『があああっ!』
超人類である老人の断末魔の悲鳴が、俺の頭に響く。俺は相手の頭部を内側から裂断すると、魔龍の口から反転して逃げ去った。巨体が力を失って横倒しに倒れる。振動が伝わってくるような物凄い地響きを立てて、ここに帝王はその命を失ったのだ。
俺ははぁ、と溜め息をついた。
「やったぁ!」
「とうとう帝王を倒しましたね!」
「素晴らしいです、超人類様!」
着地した俺の元に大挙飛来する、歓喜に沸いた神族たち。その中でミズタとマリは、人目もはばからず思いっきり号泣して抱きついてきた。精神的な疲労でくたくただった俺は、思わずよろけて彼女らごと地面に倒れる。
「研磨、研磨……!」
「鏡さん……!」
俺は2人の頭を撫でてやった。ちと照れくさい。
「どうだ、約束守っただろ、俺。必ず戻ってくるってさ」
「うん、うん……!」
ミズタは泣き笑いで顔をくしゃくしゃにしていた。マリも額をすりすりと擦り付けてくる。
俺は2人の頭の隙間からハンシャを見た。彼女は俺たちを眺め、幸せそうに微笑んでいる。まさに慈愛の女王といった貫禄だった。俺も微笑み返す。
そのときだった。
「――え?」
俺は信じられないものを見た。ハンシャの首がずれ、頭部が転げ落ちたのだ。切断面からシャワーのように血潮がほとばしる。その後ろにいたのは――
いたのは――
「写!」
俺はそこに、まがまがしい黒装束を着込んだ、憎き弟の姿を見い出した。写は誰もが――ハンシャ女王でさえも――『境界認識』を緩ませた一瞬の隙を狙い、背後から接近して、手刀で斬首したのだ。
女王の体が首を追いかけるように落下する。と同時に、まわりの神族たちが失神したかのように一斉に倒れていった。俺に泣いてすがり付いていたミズタとマリすらも、その全動作を停止させる。ぐっと体重がかかってきた。
「おい、ミズタ、マリ。冗談はよせ……」
俺は2人が嗚咽を止め、虚ろな眼差しを無意味な方向に投じている姿に戦慄した。がばっと起き上がった俺は、左右に転がったミズタとマリを交互に揺する。
「おい、ミズタ! マリ! 死んだ真似なんかするな! 本気で怒るぞ! 他の連中もそうだ!」
重なり合うように倒れた神族の女たち。全く動かなくなったミズタとマリ。首を斬られて落ちていったハンシャ。示すところは間違いなく分かっていたが、俺はそれでも受け入れ難くて、必死に愛する――そう、愛していた――2人の肩を掴んで揺さぶった。
「ミズタ! マリ!」
「無駄だよ、研磨」
写の無慈悲な、ぞっとするような冷酷な声が鼓膜を叩く。それは俺の肺腑に無情な現実を突き刺した。
「ハンシャは僕が殺した。代々の女王の爪から生まれた神族たちも、それで全員死んだ。そして帝王マーレイは研磨の手で殺された……。全ては計画通りだよ」
俺は瞳孔が開き、半目で人形のように動かなくなった二人を絶望的な思いで眺めた。また奪われた。俺は写に、実の弟に、二度に渡って大事な人々を奪われたのだ。
「てめえ……!」
俺は爪が食い込んで皮膚が破けそうなほど、両拳を固く握った。ぎりぎりと何か鳴っているなと思ったら、俺の歯軋りの音だった。写は黒いマントをなびかせ、ハンシャがいた場所に浮遊してこちらを面白そうに見つめている。俺はその薄ら笑いに、もう歯止めがきかなかった。
「うつるーっ!」
俺は大地を蹴り、復讐の鬼と化して写に飛び掛かった。その頬桁をぶん殴ろうと、右のパンチを思い切り振りかぶる。だが、奴は叫んだ。
「アシュレ!」
写のそばに黒地で赤文字の魔方陣が現れた。そこから飛び出してきたのは、無数の火の玉と火炎魔人アシュレ! いつの間にか飛行能力を獲得したらしく、奴は宙に浮遊した。
「どうやら帝王は死んだようだな」
自分たちが仕える主をこともなげに切り捨てると、アシュレは目を細めて俺を炎の鞭で叩いた。俺はあまりの激痛に空中で止まってしまう。するとそこへ火の玉どもが体当たりしてきた。傷こそ自然治癒能力で治るものの、苦痛の連打にさらされて、俺は仕方なしに写とアシュレから距離を取らざるを得ない。
火炎魔人は哄笑した。まるで親父とお袋が殺された、あの夜の再現だった。
「鏡研磨よ、帝王を殺してくれてありがとうよ。写は転移時に、俺様は誕生時に見えない烙印を押されたんだ。帝王に逆らうことが出来なくなる、強固な力を持った烙印をな。だから帝王を殺してくれる存在が必要だった。ハンシャでも良かったが、俺たちは奴より帝王の方が強いと見た」




