0025超人類は今日も進化します
しょうのない奴だ。だがそれが本心であることは、この場の誰もが分かっていた。ハンシャは立ち上がり、微笑した。
「では仕方ないですね。衛兵さん!」
女王が叫ぶと、奥のドアから武装した女4人が駆け寄ってきた。
「ははあっ、ハンシャ様」
「このお方を独房に入れてください。無礼のないように」
「かしこまりました」
こうして京は連れ去られ、城の牢に閉じ込められることとなった。その姿を見送ってから、俺たちは円を描くように向き合う。ミズタが唇を動かした。
「女王様。魔界の帝王が東に現れた、という情報は本当ですか?」
「そのようです」
ハンシャの相貌が固い。腰まで垂れる銀色の髪が、やや光彩を失したように見えた。
「魔界の帝王、その名はマーレイ。わたくしに毒矢を撃ち込んだ魔女から聞き出しましたが……。その情報によると、マーレイは魔界を統べる最高位の存在にして、最強の力を持つといいます。わたくしと神族たちとの関係と同じかどうかは分かりません。マーレイを倒しても魔族は生き残り続けるのか、それとも死に絶えるのか、そこは不明です。ただ、帝王を倒せばこの戦争はほぼ勝利したも同然でしょう」
俺はもちろん安請け合いした。
「俺に任せとけ。マーレイだかハーレーダビッドソンだか知らねえが、俺が軽くのしてきてやるよ」
ミズタが俺にローキックを見舞ってきた。痛い。彼女はぷりぷりと怒っている。
「また調子のいいこと言っちゃって……。京に負けたくせに」
「うるせえな。あれは不覚を取っただけだ」
「毎回不覚を取ってたら、それは不覚とは言わないのよ」
「ちっ……」
ともかく傷はないし体は絶好調だ。何なら全身健康体だ。虫歯さえ治った気がする。俺は女王にお気軽に告げた。
「早速行ってくる。誰かと喧嘩したくてしょうがないぐらい、体中がうずうずしてるんだ。ミズタとマリを案内役として借りていいか?」
ハンシャは喜色満面で首肯する。
「はい、構いません。いいですね、二人とも」
ミズタもマリも頭を下げて「御意」と答えた。神界の支配者は俺を見つめた。
「お願いできますか、研磨」
「おう。俺がこの戦いに蹴りをつけてきてやる。ついでにアシュレと写がいたらまとめて殴り倒してやるさ」
こうして俺たちは慌ただしく東へ進発した。
俺たちは当然一日では戦場に辿り着けず、その日は逸る心をおさえて洞窟で野宿することにした。洞穴のすぐそばで焚き火を起こし、携帯していたパンやチーズを腹に収める。ひとしきり食うと眠気が襲ってきた。
俺は煙を上げ続ける火のそばで横になる。これから最後の戦いに赴くというのに、何だか平和だった。森は微風に梢を揺らし、かさかさと乾いた騒音を響かせる。葉の重なり合う隙間から天蓋が覗き、見事な星空を切り抜いていた。月は煌々と輝き、星々の主たる威厳に満ちている。虫の音が遠くで奏でられていた。
「……なあ、ミズタ、マリ」
俺は薪の弾ける様を見つめながら、何となく聞いてみる。
「何で俺たち、戦ってるんだろうな」
どうして魔界と仲良く出来ないんだろう。マリが慎重に答えた。
「基本的には女王様のおっしゃる通り、『降りかかる火の粉は払うまでです』。一方的に攻撃されて屈従するなんて、そこまで女王様も神族もお人よしではありません」
「じゃあどうして魔族は急に攻め入ってきたんだ? 魔界の帝王マーレイは、何か遠大な目的があるんじゃねえのか? 苦痛をもたらす神界の空気に触れて、それでもなお侵攻してくるほどの、強固な目的が……」
黙って聞いていたミズタがつぶやいた。
「恐らくは、『大統一』……」
「『大統一』?」
マリがミズタをたしなめるように言った。
「不謹慎ですよ、ミズタ」
「いいじゃない。誰も経験したことのない伝説なんだし」
焚き火に正面を向けて体育座りするミズタに、俺は視線を向けた。パンツは炎が邪魔で見えない。つまんねえの……
じゃなくて。
「『大統一』ってのは何だ?」
「神界と魔界という表裏一体の世界が、崩れ落ちて再結合し、一つの世界にまとめられることよ。まるで人間界のようにね。人間界も、元は二つの世界だったものが、『大統一』によって球体と化したと言われているわ。賢者サイード様が数万年前に残した伝承ね」
それがマーレイの目的だってのか?
「でも、何でそれが不謹慎なんだ?」
代わって答えたのはマリだ。その瞳は炎を照り返す眼鏡で隠されている。
「『大統一』は、神界の女王様が絶えることによって起きると言われています。女王様の死をも意味する『大統一』は、だから口にのぼせるのも失礼なんですよ、ハンシャ様に対して」
なるほど。俺はうとうとしながら更に尋ねた。
「マーレイは『大統一』を行なって、統合された世界の頂点に立ちたいわけか」
「予測では、ですね。強力な配下だった3魔人のうち2人をやられて、いよいよ彼自身が本腰を入れてきたのでしょう。次の戦いは今までで一番厳しいものになるかと思われます。頼りにしてますよ、鏡さん」
俺は答える前に眠りに落ちた。
翌日昼、大空を飛ぶ俺たちは顔見知りに遭遇した。
「レンズ!」
数名の部下と共に落ち延びる彼女に、俺は声をかけた。
「どうした、おめえが率いていた神族の軍隊は」
「全滅させられた……火炎魔人アシュレの軍勢に……。すまない」
屈辱にまみれた言葉だった。よく見れば、神界ナンバー2の女傑も、その部下たちも、手酷い火傷を負っている。
「そんなに強かったか、アシュレたちは」
「桁違いだ。これから女王様の城へ向かい、報告するつもりだ。面目ない」
俺は気を引き締めてレンズの脇をすり抜ける。
「よく頑張った。早く戻って治療してもらえ」
「ああ」
俺たち3人は先を急いだ。さっきから遠く東で立ち昇っているのは、木々が燃える白煙だろう。あそこに俺の両親の仇がいるわけだ。俺は自然、飛行速度を速くした。後ろから苦情が投げかけられる。
「ちょっと! 研磨、飛ぶの早過ぎ! ついてけないわ」
ちょっと前まではミズタもマリも俺も、トップスピードは同じぐらいだったのに……。これは更なる進化と捉えても良いのだろうか。俺は急停止して、いらいらと2人を待った。
「あんまり遅いと置いてくぞ」
「嫌よ。あたしたちだって役に立ちたいし。ねえマリ?」
マリはしきりに首を縦に振った。
「もちろんです。最後の戦いに参戦できなかったら馬鹿みたいです」
俺は彼女らを等分に眺めた。長いようで短いような付き合いだったが、命を共にしてきた繋がりは最早分かち難い。勝つにせよ負けるにせよ、3人一緒が一番だ。
「2人とも、ともかく最高速で飛んでくれ。俺が合わせる」
「それでいいわ」
「分かりました」
俺たちは横に並んで、燃焼する森へと急いだ。煙で気付かなかったが、近づいてみると火災の奥で突風が渦巻いている。竜巻だ。規模が小さく寿命が短いはずのそれは、しかし巨大で延々と大地の土砂を巻き上げていた。