0020超人類は今日も進化します
「マリ、お願いがある」
戦場から離脱しようと飛行する彼女に、俺は哀願した。
「俺をこの場に置いていってくれ。もう俺に価値はない。何も出来やしないでくのぼうだ。それなら逃げ出すより、せめて雪だるま相手に特攻でもかける方が――」
「黙っていてください! 本気で怒りますよ!」
叩きつけるような叱咤だった。
「私もミズタも鏡さんの仲間です。困ったときには助け合うのが本当の仲間です。あの超人類の方は私たちが何とかしますから、ここは引いてください。落ち着く場所についたら、魔方陣を開いて人間界に帰して差し上げますから」
「マリ……」
ミズタが俺たちを見つけて急接近してきた。マリに抱きかかえられる俺に驚きを隠せない。
「どうしたの、研磨! やられたの? 怪我は?」
「はは、面目ない。怪我はしてねえよ。ただ『無効化波動』を撃ち込まれて、役立たずになっちまった。すまねえ」
マリがミズタに俺を手渡す。
「ミズタ、交代で運びましょう。さっきの野戦病院までいったん退却して――きゃあっ!」
衝撃の瞬間だった。何とマリの腹から血飛沫と共に、つららが飛び出してきたのだ。俺とミズタが愕然と息を呑む間に、マリは力なく急降下していく。やがて積雪のクッションの上に横倒しになった。真っ赤な花が咲いたようだった。
「マリっ!」
ミズタが泣き叫ぶ。マリは氷の槍で背中から腹を貫通されたのだ。氷の槍? それを投げるものは一人しかいない。
「ブラングウェン!」
俺はミズタに抱きとめられたまま、はるか遠くで哄笑している凍氷魔人を睨みつけた。その喉を締め付けられないか、とばかりに狂おしく両手を伸ばす。
その指先で魔人は叫んだ。
「上出来だよ京殿。でも情報では泥土魔人ウォルシュを倒したのが彼、鏡研磨だというじゃないか。無力化するだけではなく、ちゃんと弔い合戦を遂行しないとね。ちと外れて、別の神族に当たってしまったようだが」
ミズタは俺を抱き締めたまま呆然としていたが、ブラングウェンが新たな氷の槍を作り出すのを見ると、背を向けて戦場を離脱し始めた。マリは置き去りだ。俺はその冷酷非情な行為に、ミズタの腕の中でもがいた。
「おい! 何でマリをほったらかしにするんだよ! 助けに行こうぜ!」
彼女は涙を流し、唇を噛み締めた。
「無駄よ。あの傷じゃもう助からないわ」
「仲間だろ!」
ミズタが金の長髪を振り乱して叫んだ。
「仲間だからよ!」
まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるようだった。遠くで京がブラングウェンを抑えているのが見える。
「神族は出来る限り殺さないという約束だろう!」
「京殿、君のその思考は甘過ぎる」
マリは吹雪の中、血にまみれて転がっている。既に絶命したか、ピクリとも動かない。
俺は悔し涙を流しながら、無力な自分自身を呪った。そしてもう振り返らず、過酷で無慈悲ないくさ場から、ミズタに抱かれて逃走した。
「はあ、はあ、もう無理……」
約15分後、ミズタが森の中に急降下した。ふわりと雪の積もる地べたに着地する。俺を下ろすと、両腕を力なく垂らした。衣服とあわせて今の俺は60キログラムくらいはあるだろう。それをか細い両腕で抱えて飛ぶのは、さすがの彼女もしんどいようだった。
――もっとも、俺にとっては好都合だった。ちょっと試してみたかったのだ。
「研磨?」
俺は近くの木に寄った。曲がりくねった盆栽のような不思議な樹だ。それに手刀を当てる。ミズタが首を傾げた。
「何やってるの? 『無効化波動』で力を失ったんじゃ……」
「ふんっ!」
俺は気合一閃、手刀を振り抜いた。チェーンソーで切り裂いたように、一瞬で木が寸断される。他のそれとぶつかり合い、梢をバキバキ鳴らしながら、巨木はあっけなく倒れた。俺は手を握ったり開いたりした。
「やっぱり……。力が、超人類の進化の力が、時間と共に戻ってきてる」
ミズタが寂しそうに笑った。
「そっか。超人類相手の『無効化波動』は、一時的な効果しかなかったわけね。てっきりずっと元に戻らないものだと思ってた」
「ミズタ?」
彼女が泣き笑いのような顔で、俺の胸に飛び込んだ。とっさのことに、俺は慌てて抱きとめる。彼女はすすり泣いていた。
「マリの、マリの命は無駄じゃなかったんだわ。犬死にじゃなかった……! 研磨を一時的にでも逃れさせて、回復させることが出来て、彼女も天国できっと喜んでいると思うわ。マリ……!」
俺は泣きじゃくるミズタの頭を撫でた。今度は負けない。仲間の仇はきっと討つ。俺はそう強く心に誓っていた。
俺とミズタは戦場へ逆戻りするため雪景色の中を飛んでいた。もう飛翔能力も完全回復している。その道すがら、ミズタは俺にマリとのこれまでの交誼について語った。
「あたしとマリは同日の生まれだったわ。研磨もハンシャ様が新たな神族を生み出すところを見たでしょう? 自ら爪を剥がし、それを女の子に変えて……。あたしとマリも同じように誕生したの。前女王クキョク様の手でね」
当時を懐かしむように、隣を飛行する彼女は目を細めた。
「あたしたちは仲良く育ったわ。人間でいうところの1歳を、神族は403年かけて成長するの。生まれた時点で12~3歳ぐらいの体格と知能だから、神界のしきたりや常識はその年齢のうちにすっかり学んでしまうわ。そしてそれぞれの特性を生かして、神界の各部署に配属されるの」
落ち込んだようにうつむき、気をしっかり持つように首を振った。
「あたしとマリはツーといえばカーだった。お互い呼吸が良く合ったのね。後任の女王であるハンシャ様も、そのことを意に汲んでくださって、あたしたちを同じ赴任先や同じ職務につけるよう手配してくださったわ。マリとの付き合いは生まれてから今まで2017年にも及んで、もはや離れがたき存在とも言えた……」
またマリの死を思い返したのか、赤い目尻に涙が溜まる。
「マリはあたしの半身よ。彼女が死んだならあたしも死ぬべきだわ。どこまでも一緒……」
自分の言葉と覚悟に酩酊しているようだった。俺は近づいて頭をはたく。
「痛ったいわね! 何すんのよ!」
俺は真剣な顔と口調で彼女の思考をいさめた。
「おめえは俺の仲間でもあるだろうが。勝手に死んでもらっちゃ困る」
ミズタは何か言いかけ、途中でやめた。そのまま黙り込み、後頭部を撫でる。やがて口をついて出たのは復讐の誓いだった。
「私が凍氷魔人を倒す。あの氷の化け物を、今度はこの手で粉微塵にしてくれるわ」
「やめとけ。レベルが違いすぎる。もうおめえは俺の遥か下だ。大人しく雪だるまの相手でもして、俺が奴を倒すのを待ってろ。相手には超人類の京もいることだしな」
俺とミズタは鋭い視線を交錯させ、見えない火花を散らした。やがて折れたのは彼女の方だった。実力差を把握出来ないほど、ミズタは愚かではない。
「分かった。今度は負けないでよね」
「任せろ」
俺はマリの無念を晴らすべく、京と凍氷魔人の姿を求めて豪雪の中を突き進んだ。