温泉へ(3)
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私たちは温泉を満喫すると、部屋でのんびりと過ごした。
私は下着姿になって冷たいシーツに身を埋めている。セリニアンは何か言いたげにしているが、今日は休日なのだから私の好きなように過ごさせてもらうぞ。セリニアンの忠言も今日はお休みだ。
「外の世界っていろんなものがあるんですね」
ふとライサが窓から海を見ながらそう呟いた。
「見たこともないような広い温泉。果てが見えない海。その海を行き交う大きな船。エルフの森にいたら一生目にすることがなかったものです。リナトにもこの世界を見せてあげたかったな……」
ライサは儚げにそう呟き、窓の外を眺め続ける。
ライサはまだリナトのことを想っているのか。エルフというのは長命の種族だと聞いているが、やはり引き摺る時間も長いものなのだろう。
「ライサ。リナトは見ているさ。君の目を通じて、世界を」
「そう思いたいです。私だけが世界を見て、リナトが見れなかったなんてあんまりにも可哀想ですから」
別れを受け入れられないなら、受け入れなければいい。まだリナトが傍にいると、心のうちにいると思えばいい。それは間違ったことじゃないさ。強引に現実に目を向けたって事態が好転するわけじゃない。
「セリニアン。君は温泉は満喫できたかい?」
「はい。心なしか体がほぐれた気がします。これなら次の戦いでも勝てそうです!」
セリニアンは戦うことばかり考えているな。けど、それもいいだろう。セリニアンが戦ってくれるおかげで私たちは安心していられるんだ。セリニアンなしの戦争なんて、もう考えられない。それがいけないことだと分かっていても。
そう、よくはないのだ。
ひとつのユニットに依存した戦略はそのユニットがやられた時に音を立てて瓦解し、代替案に移ることもできない。本来ならば複数のユニットで確実な勝利が得られるようにしておかなければならないのだ。
だけれど、今はようやく新たに数ユニットがアンロックされただけで、まだまだこれからもセリニアンに頼ることになりそうだ。
頑張ってくれ、セリニアン。期待してる。
「はい。ご期待にはお応えします、お嬢様」
ありゃ。私の心情が集合意識を通じてセリニアンに伝わっていたようだ。
「ああ。これからもよろしく頼むよ、セリニアン」
私は信頼のおける自慢の騎士にそう告げて、湯の熱が冷めるのを待った。
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私たちが温泉を満喫した後は食事の時間だ。
温泉旅館と言えば懐石料理、なのだろうが異世界にそんなものはない。
「この中からお好きなメニューをお選びください!」
従業員の女の子はそう告げると、メニュー表とお冷を置いていった。
「ふむ。いろいろあるな……。実に悩む……」
メニュー表にはおいしそうな料理の名前が羅列されていた。どれも魅力的で、どれを選ぶのか困ってしまう。
「私はシーフードフライのディナーセットにします!」
ライサはそうそうにメニューを決めた。決断力があるな、君は。
「私は今日のお勧めのディナーセットを」
セリニアンも決めてしまったぞ。参った。私だけ決まってない。
と、私が焦っているときに気になるものが見つかった。
「カレー……?」
カレーというのはあのカレーだろうか。私の大好物のひとつである辛くておいしいあのカレーライスのことであろうか。
「ちょっと失礼する」
「はい! 何でしょう、お客様!」
私が従業員の女の子を呼ぶのにその子がやってきた。
「このカレーというのはコメをメインにして、それでいて辛くて、とろりとした感じのソースがかかった料理で間違いないか?」
「はい。その通りです! ポートリオでは有名ですけれど、ここら辺で知ってるお客様は少ないんですよね。お客様はポートリオから?」
「いいや。別の場所からだ」
カレー。涎が出てきそうになる。
「私はシーフードカレーのディナーセットにする」
私は辛抱できずにカレーを選んでしまった。せっかく異国の地に来たというのに、日本と同じ食事を食べるのはもったいない気もするが、異国のカレーは異国らしさがあるかもしれないからよしとしよう。
「畏まりました! しばらくお待ちください!」
従業員の女の子はオーダーを確認すると、すたすたと厨房に向かっていった。
「お嬢様。カレーとはどのような料理なのですか?」
「とても美味しい料理だよ、セリニアン。あとでちょっと分けてあげよう」
カレー。カレー。カレーライス。
母さんの作るカレーは美味しかったな。実家に帰ると必ずカレーを食べていたっけ。元の世界に帰れたら、また母さんのカレーが食べたいな。キチンとナスと人参のカレー。どう食べたっておいしいのだ。
「お任せしました、前菜のサラダとカツオのマリネとなります!」
ディナーコースは前菜から始まる本格派だった。
前菜が出て、スープが出て、それからカレーの出番だ。
「こちらがシーフードカレーとなっております! お熱いのでお気をつけて!」
おお。カレーだ。琥珀色のルーがお米にしっかりと覆いかぶさった、見事なまでのカレーライスだ。私は心の中で歓声を上げていた。
私はぱくりと最初の一口を口に運ぶ。
ちょっと熱くて後悔したが、やはりカレーの味だ。ちょっと辛口で母さんのカレーとは違うけど、カレーのスパイスがよく利いているカレーだ。やっぱりカレーは最高だな。人類が生み出した英知のひとつだ。
「そ、そこまでですか?」
おっと。私の心情がまたしてもセリニアンに伝わっていたらしくセリニアンが目を丸くしてカレーを眺めている。
「味見させてあげよう、セリニアン」
私はスプーンにカレーを救うと、セリニアンの口に運ぶ。
「で、では、いただきます」
セリニアンはスパイスの香りが気になったのかもしれないが、私のお勧めだよという表情を見ると口を開いてカレーライスを口に含んだ。
「これは……刺激的ですね。ですが、女王陛下が納得されるのも分かるおいしさです。私もカレーにすればよかったです」
「明日はカレーにすればいいよ」
そうそう、2泊3日なのだから1日目で全てを体験しなくともいい。
今も前線で戦っているローランたちには申し訳ないけど、このカレーの味は集合意識にあげておくのでみんなで味わってくれ。
と言っても、ローランの方もシュトラウト公国に侵攻しようとするニルナール帝国軍の規模が激減してきており、戦線は静かなものだと聞いている。私はローランに万が一に備えて部隊の一部を後方に置き、予備としていつでもどこにでも投入できるようにしておくように命じている。
「お嬢様! 私のカキフライを分けますので、私にもカレーを!」
「はいはい。ライサもカレーを味わうといいよ。これも外の世界でしか味わえない味だ。味わって、世界を堪能してくれ」
私たち3人はそれぞれの料理を交換したりしながら食事を進め、デザートの美味いケーキに舌鼓を打つと、食後のコーヒーを味わってから食事を終えた。
それからはまたお風呂に行って、夜の海を眺めて潮騒の音に耳を傾け、温泉を心から満喫した。
だが、私の中にはまだ不安がある。
ニルナール帝国はどう動くつもりなのだろうかと。
ニルナール帝国海軍の存在を私はやや忘れていたが、彼らも海軍を有している。東部商業連合に強襲上陸してくる可能性は否定できない。東部商業連合の海軍がそれを防いでくれることを願うばかりだ。必要ならスワームを派遣しよう。
そして、気になるのはニルナール帝国がグレゴリアのユニットを使っていることだ。ワイバーンは偶然かと思ったが、リントヴルムは間違いなくグレゴリアのユニットだ。ニルナール帝国はどうやってかグレゴリアのユニットを使用している。
となると、ベヒモスやドラゴンにも備えなければならない。
幸い、ようやくアンロックが終わったユニットはリントヴルムを相手にしても効果があるユニットだ。それでいてドレッドノートスワームのように亀のような歩みで進まず、他のユニットと共に行動できる。
だが、ニルナール帝国も英雄ユニットを持っていたら?
ゲーム中最強格と言われたグレゴリアの英雄ユニット“竜殺しのゲオルギウス”が出てきたら私たちは戦えるだろうか。セリニアンはまだ次のステップに進む様子はないし、ゲオルギウスが最終進化形態ででてきたら、最悪だ。
「ふう……。考えることがいっぱいだな……」
課題は積もり積もっているが、今回の温泉旅行のおかげでリラックスとリフレッシュができた。これからも頑張っていけそうだ。
温泉に誘ってくれたライサにはちゃんとお礼を言っておかないとな。
それじゃ、そろそろ寝よう。
お休み……。
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私の目が覚めた。
いや、これ夢だ。
だって、私がいるのは日本にある私の家だったのだから。
「サンダルフォン、サマエル。どっちだい?」
私はもうこの空間が偽りのものだと知っている。本当の私の部屋ではないと。
「私です、────さん」
「サンダルフォンか。よかったよ、君で」
現れた白装束の少女が告げるのに、私が安堵の息を吐く。
サマエルは正直苦手だ。
「聞かせてください。あの世界のことを────さんはどうお思っておられますか?」
「随分と唐突だね、サンダルフォン。でも、難しい質問だ」
サンダルフォンの問いに、私は首をひねる。
「いまは愛着もあるし、セリニアンたちと一緒に過ごすのは楽しい。だけれど、あそこが私がいるべき世界ではないと分かっている。私は異邦人だと。だから、そうだね。なんとも言い表せないよ」
「正直ですね、────さんは」
私が困り果てて告げるのに、サンダルフォンが優し気に笑った。
「でも、それがいいのかもしれません。────さんはまだ人の心を失ってはいない。時に冷酷になることはあっても、それは理由あってのことです。だからこそ、私はあなたをあの世界から救い出したい」
そう告げてサンダルフォンは真剣な表情で私を見る。
「ですが、今はまだ無理です。サマエルがあの世界に仕掛けを施したようで、何かしらの条件を達成しないとあの世界からは出れないようです」
「何らかの条件を達成すれば、元の世界に戻れるというわけか。なんだかゲームみたいな話だね」
サンダルフォンが告げるのに、私は意地悪なサマエルを恨んだ。
「……────さんは、本当に元の世界に戻りたいですか?」
「それは当然だよ。私がいるべきは、このアパートなんだ。いずれは大学を卒業して出ていくけれど、それまではここが私の住まい」
サンダルフォンが尋ねるのに、私は迷いなくそう返した。
「そうですね。分かります……」
そう告げるサンダルフォンはどこか悲し気だった。
「────さん。今を立派に生きてください。救いはあります。必ず」
サンダルフォンがそう告げたとき、私の意識は暗闇に落ちていった。
あのサンダルフォンの悲し気な視線はなんだったんだろうか?
今の私には分からない。
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