簒奪者の末路(2)
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私たちは地下のワインセラーの前に立っている。
確かにそこは鋼鉄の扉に守られていた。
「ワインセラーは緊急時の避難場所にもなっていて、そのためにこんな扉で塞がれているのですよ」
「まさか脱出通路があったりはしないだろうな?」
「そんな話は聞いたことがありません。ですが、そのようなものもあるかもしれませんね。何せここは文字通りの最後の砦ですから」
ここまで来て逃げられたなんて冗談じゃない。
私は何としてもレオポルドを捕まえるのだ。そして思い知らせてやる。
「セリニアン、扉を開けられるか?」
「お任せを」
私が命じるのにセリニアンが黒い破聖剣を手にワインセラーの扉の前に立つ。
「はああっ!」
セリニアンは肺いっぱいの空気を吐き出して、破聖剣で鋼鉄の扉を叩き切る。
切れたのだから驚きだ。
鋼鉄の扉は真っ二つになり、金属音を立てて崩れ落ちた。扉の厚さは3、4センチぐらいの代物だったが、鋼鉄というのは刃物によって切断できるものだったのかと私は感心したのだった。
「中に複数の臭いがします、女王陛下。人間でないものの臭いも」
「用心しろ、セリニアン、ローラン。何が隠れているのか分からないぞ」
嫌な予感は的中した。人間じゃないものの臭いとは何だ?
「畏まりました、女王陛下」
「ご安心を」
セリニアンとローランは薄暗いワインセラーの中を進んでいく。中には確かに何かが潜んでいる気配がする。獣の唸り声が聞こえ、何か巨大なものがのたうつ音が響く。私はこういうのは苦手なんだけどな。
「セリニアン、ローラン。本当に注意してくれ。何がいるのか──」
私がそう告げたとき、獣の雄叫びが響いた。
「クソ! もう天使も、怪物もなしだって言ったじゃないか!」
ワインセラーの棚が倒されていく音が響き、獣が雄たけびを上げながらこちらに向けて突き進んでくる。一体何の怪物なのか見当もつかない甲高い雄叫びだ。それが近づいてくるのに、思わず私は竦み上がった。
「女王陛下、お下がりください!」
リッパースワームが私を掴んでワインセラーから引き摺り出す。
それと同時に怪物が姿を現した。
巨大な蛇ににた生き物。だがそれには鶏の足があり、翼がある。そして、気分が悪くなるような煙を口から吐き出していた。
「バジリスクかっ!」
ローランがそう叫んで、セリニアンと同じ黒い長剣を構える。
「バジリスク? あの毒がある蛇の仲間か?」
「ええ。シュトラウト公国にはバジリスクの生息地があるのです。その毒は歴代の公爵の暗殺にも使われたとか。冒険者ギルドでも何度も討伐クエストが発注されているほどに有名な魔獣です」
私がおぼろげな記憶から尋ねるのにローランがそう告げて、牙の並ぶ頭を振り下ろしてくるバジリスクを長剣で受け流す。バジリスクはそのことに余計に怒りを燃やし、先ほどよりも激しく牙でローランを攻撃してくる。
「毒か……。恐らくこれが切り札だったんだろう。地下室に油断して入ってきた敵をバジリスクの毒で仕留め、食い殺させるのがこのバジリスクの仕事だったんだろう。だが、私たちにとっては些か無意味だったな」
私は毒がある息を吐きかけるバジリスクを見てそう呟いた。
「セリニアン、ローラン。毒は気にするな。切り殺せ」
「了解」
バジリスクは毒の息を辺り一面に吐いてワインセーラーの空気を汚染する。恐らく常人が中に入っていたら、全身から血を吐き出して死んでいただろう。
だが、スワームという毒に耐性のある種族を相手に毒はあまり意味がない。彼らは猛毒である神経ガスを浴びたって、まるで効果はないはずだ。それだけスワームは毒に耐性があるのだ。
スワームになったローランと、元からスワームのセリニアンはバジリスクの毒は効果はない。ただ、獰猛な怪物を相手に戦うだけだ。もちろん、私はスワームではないので、あの毒の中に入れば死ぬだろう。
「はあっ!」
「てやっ!」
セリニアンとローランが声を上げ、バジリスクに切りかかる。
「ぎいいぃっ!」
バジリスクは胸を切り裂かれ鱗を飛び散らせて悲鳴を上げる。
だが、それでもバジリスクは果敢に攻撃を繰り返していた。何度も、何度も爪でセリニアンたちを攻撃し、牙でローランに噛みつこうとする。セリニアンは容易に爪をはじき返し、ローランは牙を食い止める。
バジリスクはもはや捕食者の側ではなくなった。もっと獰猛なものから身を守るための被捕食者の側に落ちぶれた。今やセリニアンとローランは激しく攻撃を繰り返し、バジリスクを追い詰めていく。
「ローラン。トドメを刺すぞ」
「ああ。理解した、セリニアン嬢」
バジリスクが一度大きく爪を弾き飛ばされて後退した瞬間にセリニアンが告げる。
ふたりは息を合わせると、バジリスクの胸と首に向けて長剣を突き出した。
そして、セリニアンの長剣はバジリスクの喉を突き、ローランの長剣ばバジリスクの心臓を貫いた。バジリスクは口から大量の血を吐き出し、気泡も混じったそれを床にぼとぼとと滴らせる。
所詮は冒険者ギルドのクエストで討伐される相手だ。セリニアンたちが勝てないはずがない。バジリスクは哀れにも大量の血をまき散らして、地面に崩れ落ち、毒を含んだ息も途絶えた。
「片付いたな」
「ええ。片付きました。後は卑怯者のレオポルドを探し出すだけです」
セリニアンはバジリスクの血を帯びた長剣から血を払ってそう告げる。
「さて、このワインセラーの中に隠し部屋があるはずだ。誰も頭がどうかしていない限りはバジリスクと同じ部屋に隠れようなんて思わないはずだからな。では、リッパースワーム、頼むぞ」
「お任せを、女王陛下」
再び探索が始まる。私は念のために毒の息が完全に沈下するのを待ってから、ワインセラーに入り、バジリスクによってバラバラにされた戸棚を眺める。
「女王陛下、臭いはここに通じているようです」
「よくやった、リッパースワーム。恐らくはこの棚を横にスライドさせれば隠し部屋だ。よく見れば床に何度もスライドさせた跡が残っている」
リッパースワームは隠し部屋を見つけた。私は隠し部屋への入り方を見つけた。
「セリニアンとリッパースワームは援護。ローランは扉を開いてくれ」
「畏まりました」
ローランは重い戸棚を横にスライドさせ、セリニアンは黒い長剣を、リッパースワームは鋭い鎌を構えて内部に突入する準備を整える。
「開くぞ!」
ローランはそう告げて力任せに扉を横に押しやり、素早く長剣を構える。
「うおおっ!」
隠し部屋への扉が見つかるや否や、中から兵士たちが飛び出してきた。セリニアンは長剣で飛び出してきた兵士たちを次々に切り殺していき、リッパースワームも飛び出してきた兵士に鎌を突き立て、牙で八つ裂きにする。
「ま、待ってくれ! 殺さないでくれ!」
兵士たちが倒れた後にそう囁く声がする。
「出てこい、レオポルド。それともロレーヌ公閣下と呼ぼうか?」
私は隠し部屋に最後まで隠れていた男に向けてそう告げる。
「お、お前は何者だ!?」
「アラクネアの女王グレビレアだ。貴様はレオポルド・ド・ロレーヌだろう?」
部屋にいたのは晩餐会の日に私をコケにしてくれた男だった。ローランの兄だと思えないほどに、臆病で、惨めな男だ。
「そ、そうだ。私がロレーヌ公だ。私がシュトラウト公国の公爵だ。わ、私には和平の準備がある。両者が納得できる提案だ。あ、さあ、和平交渉を始めようじゃないか。私たちは平和を望んでいる!」
「そうか。私は和平など望んでいない。望んでいるのは貴様の死だけだ」
私がそう告げるのに、リッパースワームがレオポルドを引き摺り出す。
「さあ、どういう目に遭わせてやろうか。マリーンの街で貴様がやったことは最高に私を苛立たせた。そして、最悪の気分にさせてくれた。その礼はしてやらなければと思っている。お礼は何がいいか」
「やめてくれ。頼む。私は国を守ろうとしただけなんだ……」
確かにこの男は国を守ろうとしたのかもしれない。だが、その方法は私たちに並ぶほど最低な手段だった。あの老人は良心によって本能を抑えていると告げていたが、この男には良心が欠落している。
そういう私の良心とて褒められたものではないが。
だが、私はこいつに苛立ち、腹を立て、憎んでいる。
どうして私たちに親切にしてくれた冒険者ギルドの受付嬢の首を吊るした? 何故私たちと談笑しただけの酒場の客と店主を殺した? どうして、この男は私たちが関わりを持ったものを殺し続けた?
腹が立つ。苛立つ。不快感を覚える。
「こいつには償いをさせなければならない」
私はそう告げて、ローランの方を向く。
「君の兄をどういう目に遭わせても構わないか?」
「どうぞご自由に。もはや私はこれを自分の兄だとも思いたくはない」
私の確認にローランが頷いた。
「ローラン! 忘れたのか! 俺たちは兄弟だぞ! 兄弟として一緒にいろんなことをやってきたじゃないか! その俺を見捨てるのか! そんなことは光の神がお許しにならない行為だぞ! 背信だ!」
ローランの言葉にレオポルドが叫ぶ。こいつの言葉は聞くに堪えない。
「そういう弟を先に見捨てたのは兄さんだ。兄さんが全ての元凶だ。シャロン公の弾劾にも慎重になるように僕はいったはずだ。それを無視した兄さんが悪い。地獄があるならば、そこで自分の行いを悔いるといいさ」
ローランはもはや肉親を見る目でレオポルドを見ていない。虫けらを見る目だ。
「異論はないようだな。では、これより貴様の処刑を行う」
私はそう告げて袖口からパラサイトスワームを取り出した。いつも何かあった時に備えて私はパラサイトスワームを袖口に隠している。
「セリニアン。押さえて、口を開けさせろ」
「畏まりました、女王陛下」
私の命令にセリニアンが応じる。
セリニアンはレオポルドの体を押さえつけ、口を開かせる。
そして、私はそこにパラサイトスワームを流し込んだ。パラサイトスワームはレオポルドンの喉を伝い、定着すると組織を支配する触手を伸ばし始める。
「爪を剥げ」
私はパラサイトスワームに支配されたレオポルドに命じる。
「ああっ! あああっ!」
レオポルドは悲鳴を上げながら自分の爪を自分で剥ぐ。
それは強烈な苦痛だろう。それは強烈な悪夢だろう。
だけれど、マリーンの街の人々はそれを味わったんだぞ?
「指の骨を──」
私が次々に命令を出すのに、レオポルドは悲鳴を上げながら従う。
「ローラン。辛いか?」
「いいえ。この男は祖国を裏切り、何百万の国民を犠牲にした。これでも生ぬるいぐらいです」
私が尋ねるのにローランがそう告げて返す。
「そうか。君は人間ができているな」
私ならば肉親がこのような目に遭わされていれば、それがどんな外道でも止めただろうに。私は本当に弱い人間だ。
「最後だ。この刃で自分の腹を抉り、内臓を取り出せ」
私はトドメを刺す決意をした。
これ以上、この男を痛めつけてもマリーンの街の人々は戻ってこない。私のやる復讐というのは所詮は自己満足にすぎない。スワームの集合意識から生まれたか、私が生来持っているサディスティックな感情を満足させるだけのものに過ぎない。
「ぐあ、あ……」
レオポルドは自分の腹を自分で切り裂いた。傷口からぼとぼとと血が流れ、それが隠し部屋いっぱいに広がったとき、レオポルドは倒れた。
「これでお終い。復讐とはかくも虚しいものか」
私はそう呟いて、死体になったレオポルドを見下ろす。
「正義はなされたのです。あなたは正義を成された」
「そうであることを祈りたいよ。光の神以外のものに」
私たちはそう告げてワインセラーの隠し部屋を出た。
これで全てお終い。
というわけでもない。レオポルドがいなくなった今、フランツ教皇国は国境を越えるだろう。シュトラウト公国を占領するために。それに対応するのが私の責務だ。
そう、アラクネアの女王である私の責務だ。
私の、私の……。
「女王陛下!?」
酷く疲れた。
…………………