海という怪物(3)
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夜明けまで残り30分弱の時間帯。
私たちは木造船でシュトラウト公国首都ドリスを目指していた。
ローラン曰く一番いい船を選んだそうだが、乗り心地は最悪だった。私は船酔いで死にそうになり、ライサも顔を青ざめさせている。平気なのはローランとセリニアン、そしてスワームたちだ。彼らにはこの苦しみは理解できまい。
「間もなく首都ドリスですよ」
「分かった……。なるべく早く地面に足を付けたい……」
私はこれまでフェリーなどの船に乗ったことはあるが、こんなに乗り心地の悪い船に乗ったのは初めてだ。揺れ、揺れ、軋み、軋み、全てのものが乗っている乗客を殺そうとしてくる。
私はいつ転覆するかも分からぬ船から早いところ陸地に辿り着きたかった。
「ローラン。間もなくというのはどれくらいだ……?」
「そうですね。残り30分というところでしょう」
最悪だ。
私は気を紛らわせるためと、作戦状況の確認のために、集合意識にアクセスして城壁に突入させたスワームたちがどうなっているかを確認する。
スワームたちは激しい攻撃の中を突撃し続けていた。
自分たちを貫く弓矢が雨のように降り注いでも、自分たちを焼き尽くす炎がいくら降り注いでも、その先には頑丈な城門が聳えていても、リッパースワームたちはひたすらに前進を続けている。
……ごめん。君たちをこんな使い捨てのような作戦に投入してしまって。でも、これは私たちが勝利するために必要なことなんだ。許してくれ。その代わり絶対に私たちは勝利するから。
私は心の中で死んでいくリッパースワームとマスカレードスワームたちを弔いながら、勝利への意志を覚悟した。そうすると自然と船酔いは収まり、ここの奥から勝利への意志がこみ上げてきた。
何としても勝たなければ。もう犠牲は出すぎている。これ以上の犠牲は許されない。私たちは残り数十万のリッパースワームを有していようとも、1体、1体のリッパースワームを無駄死にさせるわけにはいかない。
「女王陛下。敵は城門の警備に集中しているようですね」
「ああ。リッパースワームとマスカレードスワームたちがその命と引き換えに作った隙だ。絶対に無駄にするな」
セリニアンが告げるのに、私は力強くそう返す。
「無駄にはさせません。我らが同胞たちの貢献。勝利のために役立てましょう」
「そうだ。私たちは絶対に勝利する。絶対にだ」
セリニアンと私は勝利への意志を強く固めた。
「もうすぐ上陸です、女王陛下! 大きく揺れますよ!」
「もう揺れには慣れた! いくらでも揺らしてくれ!」
ローランが叫ぶのに私が叫び返す。
同時に月明かりに照らされて、私たちと並行して航行する艦船の姿が見えた。全てがシュトラウト公国の港湾都市で得た木造船だ。年季の入った今にも沈みそうな船もあれば、比較的新しい代わりに小さな船もある。
これらには全てリッパースワームたちが乗船している。
「水から上がる兵は弱い。リッパースワームたち、なんとか敵の戦力をそちらに集中させておいてくれ……」
上陸作戦はリスキーだ。上陸地点に敵が陣取っていれば、私たちはいい射的の的になって、瞬く間に殲滅されるだろう。あるいは船ごと魔術攻撃によって、海の底に沈められるかもしれない。
だが、それでも勝利するためには上陸作戦は不可欠だ。
「上陸まで5分!」
ローランが叫び、リッパースワームたちが乗船し、リッパースワームたちが操る船が加速して我先にと首都ドリスの港湾部を目掛けて突き進んでいく。
「リッパースワームたちの操船技術は高いですね」
ローランは感心したようにそう告げる。
「彼らは完全な集合意識で動いている。ひとりが学べば全員が学ぶ。ひとりずつが別々のことを学べば一斉にそれらの知識を取得する。彼らは私たちよりもずっと賢く、効率的な生き物なんだ、ローラン」
そう、スワームたちの学習速度は速い。
ひとりが生物学の知識を学べば、それを勉強していなかったものたちも全員が等しく生物学の知識を手に入れる。
全員が並行してひとりが生物学、ひとりが物理学、ひとりが化学、ひとりが数学、ひとりが音楽について学べば、スワーム全員が生物学、物理学、化学、数学、音楽について一斉に学び取る。
これが集合意識の強さだ。
ゲームでは戦闘での経験値が参加しなかったスワーム全員にも均等に振られるぐらいの効果しかなかったが、現実と化した今ではその集合意識は驚くべき効果を発揮している。スワームはこの世界でもっとも優秀で、効率的な生き物なのかもしれない。
「上陸まで残り数秒! 衝撃に備えてください!」
私がそんなことを考えている間にも船は海上を疾走し、一気に首都ドリスの港湾部に突っ込んだ。そう、突っ込んだのだ。
「敵はまだ気づいていない! 作戦開始だ!」
私はそう告げ、船からリッパースワームたちが溢れ出ると、彼らは埠頭に飛び移り、市街地内へと進撃していく。いくつかのスワームは灯台や軍艦にいた兵士たちを始末して回っている。
「女王陛下、上陸作戦成功です」
「ああ。大成功だ。やってやったぞ」
セリニアンが告げるのに、私は二ッと笑った。
今や蟲たちは孤立した首都ドリスに攻め入り、その爪を上ってきた太陽の光に輝かせている。我らは降り立ち、そして勝利を手にする。
今や街は恐怖のどん底に落ちる崖っぷちに立っている。突き落とすのは容易だ。我々は容赦なくドリスを恐怖と混乱へと突き落とし、これまでの報いを受けさせるだろう。
「セリニアン、ライサ、ローラン。お前たちは公爵官邸に向かえ。公爵官邸はこの島の一番高い場所にある。すぐに分かるはずだ」
「私が案内しますよ」
私が指示を出すのにローランが頷いてみせた。
「では、ローラン。案内は任せる。行くぞ」
上陸したスワームたちの攻撃目標はふたつ。
ひとつは公爵官邸。ここにいるレオポルドは絶対に始末しなければならない。こいつには積もり積もった恨みがある。ただでは死なせてやるものか。
そして、もう一方は城門。
城門を内側からこじ開けて、外のスワームたちを迎え入れる。城門が開いてしまえば、もう敵にできることはまるでない。ただただ神に祈りでも捧げながら、スワームたちに蹂躙されるだけである。
私は城門の制圧をスワームたちに任せ、自分たちは公爵官邸に向かう。
マリーンの街で親切にしてくれたみんな。巻き込んで悪かった。けれど、今仇を取ってやるから。レオポルドにはこの世のものとは思えない苦痛を味わわせてから、その首を城門に吊るしてやる。
私はそう決意してリッパースワームの1体に飛び乗ると、スワームの速度で進むセリニアン、ライサ、ローランの3人に続いたのだった。
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「どうなっている、シルエット元帥! 城門の敵は押しとどめたのではないのか!」
そう叫ぶのはレオポルドだ。
彼は城門の敵は完膚なきまでに粉砕し、我らが勝利は確実であるという報告を受け取ったばかりであった。そこにスワームの大軍が市街地に入り込み、市街地を制圧し、兵士たちを屠りながら、城門を目指しているとの報告は飛び込んできた。
「敵は上陸作戦を実行したようです。敵が船を扱えるのは予想外でした。敵はただの怪物というわけではなさそうですね」
「なさそうですね、ではない! ただちに反撃して、市街地を奪還しろ! なんでこんなことに備えておかなかったのだ! この無能め!」
そうレオポルドが叫ぶ公爵官邸の窓からは炎上する市街地が見えていた。
「無能だと? 私は全軍を城壁に配置するのには反対したはずだ。後方に予備軍を残しておくべきだとも言った。それを却下したのはあなた自身だ、ロレーヌ公。全ての責任はあなたにある!」
そう、シルエット元帥は全ての戦力を城壁に集中させるのは、万が一のことが起きた場合の即応性が低くなると考えて、予備を後方に残すことを告げていた。だが、それを却下したのは当のレオポルドだ。
「この老いぼれめ! 誰に口を利いているのか分かっているのか! 私はシュトラウト公爵だぞ! この国の主だぞ! それを非難するというのか! 責任は全て貴様にある、シルエット元帥!」
「あなたがシュトラウト公爵になったことそのものが間違いだったのだ。シャロン公が弾劾されていなければ、このような悲劇は起きなかっただろう。あの二枚舌のフランツ教皇国を信じたあなたは最低の指導者だ」
レオポルドが激情して叫ぶのに、シルエット元帥が淡々と返す。
「解任だ! 貴様を解任する! そしてその階級も勲章も全て剥奪する! 私を侮辱したことを地下牢で後悔するといい!」
「状況をまるで理解しておられぬようですな、ロレーヌ公。この首都ドリスは残り僅かな時間で陥落するのです。これまで陥落した都市のことを考えれば、私も、あなたも、待っているのは死だけだ。ここで解任されても痛くもかゆくもない」
そう、首都ドリスは陥落寸前だ。
市街地では民兵隊が急速に組織され、スワームたちを食い止めようとしていたが、鎧もなければ、武器も貧弱な民兵隊はリッパースワームの容易な餌食となった。そして、市街地は着実にスワームたちに制圧されていく。
そして、城門も内側からの攻撃を受けて陥落寸前になっていた。内側からの攻撃が始まったと同時に外からの攻撃も再開され、城壁にいる兵士たちは八つ裂きにされ、魔術師たちは魔術を放つ暇もなくその首を掻き切られる。
首都ドリスは陥落する。それも残り数十分で。
「何か手があるはずだ。無能な将軍には思いつかない案が。何か勝利するための、生き残るための案があるはずだ。きっとあるはずだ。そうでなければおかしい。俺はついに成功したんだぞ……」
レオポルドはブランデーを呷り、広間を飢えた熊のようにうろうろする。
「諦めなさい。もう手はない。もう手はないのです。あなたがもっと上手く立ち回っていれば、今ごろは違った結果もあったかもしれないが」
「黙れ! 私は敗北したりなどしない! 勝利して、生き残るんだ! 貴様は勝手に死んでいればいい!」
諸侯軍を勢力を削る目的で浪費していなければ、もっとフランツ教皇国の真意を見抜ける外交の勘があれば、アラクネアを刺激しない方法が取れていれば。
もしかすると、もしかすると、もしかすると。
だが、歴史にイフはないという。ただ、現実の流れがそこにあるのみ。選択を誤っても、過去に戻って修正することはできない。現実を現実として受け入れるしか、他に方法はないのだ。
「公爵閣下! 敵です! 敵がこちらに向かってきています!」
そして、レオポルドの終わりを知らせる声が響いた。
無情にも。
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