嵐
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──嵐
新大陸はポートリオ共和国まで残り2日程度まで迫った。
だが、その日は当初から嫌な予感がしていた。
空気が張り詰めたようで、まるで戦場のようだった。
「女王陛下。これは荒れそうですね」
「荒れそう? 海がか?」
セリニアンが呟くように告げるのに、私は身震いをする。
ただでさえ揺れているのにこれ以上揺れるというのか。信じられない。
「あっ。ご安心を女王陛下。私の予報は当てにはなりませんから。何か嫌なものが近づいている感じがするというだけで、嵐が来ることぐらい的に想像したわけではありません。魔獣の襲撃かもしれませんから」
「魔獣の襲撃でも最低だよ、セリニアン……」
私はこの居住性が最低の船の船室で一刻も早く陸地に着くことを祈っているのに嵐だの魔獣だのに来られては迷惑だ。よそに行ってくれ、よそに。
「女王陛下……。まだ着かないんでしょうか……」
私が青ざめていると同じくらい青ざめたライサがやってきた。
「後2日はかかる。それから嵐か魔獣が襲撃してくる可能性があるそうだ」
「うええ……。本当ですか……。もうそろそろ限界なんですけど……」
ライサは本当に限界そうだ。エルフという森の生き物を無理に海上に引き摺だり出すのはよくないのだなと実感できる。ちなみに私も陸の生き物だから、海上で過ごす時間は最小限にしてもらいたいものだ。
「とりあえず様子を見ておきます。嵐なら乗り越えるために連携が必要になりますから。今、この船を操っている船員のほとんどはスワームですので」
そう、船を操っているのはスワームだ。
私はスワームを何体かアトランティカの海賊たちのところに修行に出し、操船技術を学ばせていた。ローランのそれはやはり素人のそれだったので、今度は立派なプロの船員になれるように学習させておいた。
おかげで今ではどのスワームもプロの船員のように船を操ることができる。東部商業連合から借りるのは、海図を読み、新大陸の航路を知っている航海士だけでよかったのであった。
しかし、嵐か魔獣か、か。どっちもありがたくないな。私としては何事もなく、無事に新大陸はポートリオ共和国に到着して、地面のありがたさを噛みしめたい限りなのであるが。
だが、嵐がくれば船は転覆するかもしれないし、魔獣がくれば応戦しなければならない。シーサーペントに有効な銛はこの船には積んでいない。海面に出たところを、ケミカルスワームの毒針で滅多刺しにしてやるぐらいしか方法はないな。
「まあ、今は何も起きないことを願っているよ」
「ええ。何事もないといいのですが……」
こういう時に限ってことは起きるのである。それもド派手に。
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「嵐です、女王陛下! 振り落とされないようにしてください!」
嵐がきた。セリニアンの予感は的中したわけだ。セリニアンは気象庁で働ける素質があるのかもしれない。
「だい、じょうぶ、だ、セリニアン……」
「まるで大丈夫そうに見えません、女王陛下!」
大丈夫なはずがない。船は左右にぐらぐらと大きく揺れ、転覆するのではないかという角度まで達する。こんな状況で平気な顔をしていられる奴がいたら、それは人間じゃない。セリニアンも人間じゃないし。
「!?」
私が気を休めるために他のスワームの意識にアクセスしていたとき、私はそれを発見した。この嵐の中において、更に最悪な存在を私は見つけ出してしまった。
「セリニアン! 魔獣がいるぞ! シーサーペントだ! それも2体!」
「魔獣の襲撃ですか!」
真っ白な鱗をしたシーサーペントが2体、私たちの船底をゆっくりと泳いでいた。恐らくは船が嵐でひっくり返ることを待っているのだろう。そうとしか思えない位置でシーサーペントは泳いでいる。
「ケミカルスワームを総動員! 銛はないから奴を水面に引き摺りあげておくことは不可能だぞ! 奴が浮上した隙を突いて叩き込むか、奴が少しでも水面に近づいた時点で毒針を放て!」
戦闘の指揮をしていると不思議と船酔いは収まる。物事に集中しているのが重要なのだろう。これがいいことかもしれないが、魔獣の襲撃は決してありがたくないことだ。
「ライサ、動けるか!」
「なんとか!」
ライサも魔獣が迫っているとなると船酔いもどこかに消えていた。
「狙いはシーサーペントだ。矢でどうにか奴を刺激して浮上させてくれ」
「難しいですけどやってみます!」
ライサは長弓を掴むと上甲板に駆け上っていた。
「セリニアン、君は敵が近接した際に応戦する構えを。船を沈められないように頼む」
「お任せを、女王陛下」
さて、水上での戦いでは海の魔獣であるシーサーペントにあらゆる部分において利がある。だが、そのような逆境に立ち向かってこそのアラクネアだ。私たちはここで無事にシーサーペントを迎撃して、撃破し、新大陸に辿り着いて見せるぞ。
そして、私の指示で展開したケミカルスワームが上甲板に詰めかける中、ライサが既に姿がはっきりと見えているシーサーペントに向けて長弓を絞る。
そして、長弓から矢が放たれたとき、矢はシーサーペントの背に突き刺さり、海が大きく揺さぶられる。海面が隆起していき、シーサーペントがその巨体を海上に現した。
だが、これぐらいの大きさに怯えるような私たちではない。私たちはこれよりも巨大な怪物を相手にしてきたのだ。リントヴルムやベヒモスといった怪物たちと私たちは戦ってきたのだ。
「ケミカルスワーム、一斉射撃! 敵を沈めるチャンスは少ないぞ! 急げ!」
私が命じるのに、ケミカルスワームが一斉に海上に姿を現したシーサーペントめがけて毒針を浴びせかける。ケミカルスワームの毒針の威力はポイズンスワームより上だ。ケミカルスワームの一斉射撃を浴びたシーサーペントの肉は溶けだし、海に溶け落ちる。
「いいぞ。まずは1体仕留めた。次だ」
私は慎重に海上を見渡して次のシーサーペントを探す。もう1体は先ほどの1体がやられてから姿を消した。どこに隠れたのか──。
そのとき船が大きく揺さぶられた。
「真下かっ!」
そう、シーサーペントは私たちが攻撃できない船の真下から体当たりを始めていた。船がゴオンッという音と共に大きく揺さぶられ、船上にいる私たちは振り落とされそうになる。
「船を急旋回させろ! このままじゃ沈められるぞ!」
「了解!」
頭が働く獣だ。こちらの攻撃を見抜いて、それに対応する手段をすぐに生み出してきた。いや、連中は前からこうやって狩りをしていたのかもしれない。こうやって無防備な船底に忍び寄り、損傷を与える。
「くっ! 浸水が発生してる……! このままじゃ沈むぞ!」
船内にいるジェノサイドスワームは浸水を報告していた。ワーカースワームが修復のために努力しているが、浸水の規模が大きすぎる。
「脱出する前にシーサーペントを仕留めないと! そうしないと救助に来た船まで沈められてしまう!」
船は急旋回して船底にいるシーサーペントをさらけ出そうとするが、なかなか上手くいかない。他の船からシーサーペントの姿が見えたらただちに攻撃するようにもしているが、敵は巧妙にも姿を隠している。
そして、これまでにない衝撃が走ったのは次の瞬間だった。
何が起きたのかは分からない。私は気付けば海水の中にいた。
そして、船がゆっくりと水中に沈んでいくのが見えた。
加えて、その船を沈めたシーサーペントが私に方に向かってくるのも。
ダメだ。食われる。
そう思ったとき、セリニアンが横から現れ、シーサーペントの頭に長剣を突き立てた。その長剣の刃によって頭蓋骨を砕かれ、脳を抉られたシーサーペントが痙攣しながら、海底に沈んでいく。
私はセリニアンに手を伸ばす。セリニアンも私に手を伸ばす。
だが、届かない。
次第に息が苦しくなってきた。
セリニアンを助けないと。あの子は泳げないんだ……。
私の意識はそこで途絶えた。
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「おお。女王よ。死んでしまうとは情けない!」
私は気付くと病院のような場所にいた。いや、ここは病院だ。
「サマエル。君か」
「ええ。私です。サンダルフォンじゃなくてがっかりしました?」
私の視線の先には黒いゴシックロリータファッションのサマエルがいた。
「がっかりしたよ。サンダルフォンの方がいい」
「わがままな人ですね。せっかく助けてあげたというのに」
サマエルはくるくると私が横になっているベッドの周りと回る。
「あなたは危うく溺れ死ぬところだったんですよ。それを防いであげたのはこの私。私が適当な砂浜にあなたを打ち上げさせてあげました」
「つまりは私の実体は今砂浜で横になっているというわけか。嬉しいね。海水浴気分が味わえる」
サマエルが笑いながら告げるのに、私は肩を竦めた。
「それでも死ぬよりいいでしょう? 私はあんな呆気ない死に方は認めるつもりはないのですよ」
「……サマエル。お前の目的はなんだ?」
私はサンダルフォンの断片的な情報から、この世界に私を閉じ込めているのがサマエルだということを理解していた。だが、私などを閉じ込めて何がいいのだろうか。何が目的なのだろうか。
「私はですね、人々は必死になって生きる姿を見るのが好きなんですよ」
サマエルはベッドサイドの椅子に腰かけてそう告げる。
「あなたのように化け物の軍隊を率いて、必死になって戦う人なんて見たら、それはもう興奮しちゃいますよね。次は何をするんだろう、この問題にはどう対応するのだろうって具合に」
「悪趣味だな」
サマエルの楽しげな言葉に私は吐き捨てる。
「あなただって随分と悪趣味なことをしてきたでしょう。この世界に来てからいろいろと。そしてこの世界に来る前にもいろいろと」
サマエルはそう告げて立ち上がると病室の廊下側のカーテンを開いた。
そこには私がいた。私が医者から話を聞いていた。そして、私は生体認証スキャナーに親指を押し付けて、医者に言った。言ってしまった。
「違う。これはお前が作った光景だ。現実じゃない」
「現実を忠実に再現したものですよ、人殺しさん」
私が目の前の光景から目を逸らすのに、サマエルがくすくすと笑う。
「そこまでだ」
そこでサマエルの笑いを遮る声が響いた。
「サンダルフォン。またあなたなんですか。暇なんですか?」
「黙れ、悪魔。人を玩具にするのはやめろ」
サマエルが肩を竦めるのに、サンダルフォンがそう告げた。
「サンダルフォン。私は……」
「いいのです。仕方のないことだったのです。あなたの母親はもう助かる見込みはなかった。ああするのがあの場面では適切だったのです」
そうだ。私は母さんを殺した。
父さんと母さんは車に乗っていて事故に遭った。父さんは即死し、母さんは植物人間状態になってベッドに横たわっていた。
「残念ですが、お母様が意識を取り戻す可能性はありません。延命措置について生前に話し合われていましたか?」
「いいえ。そういう話題は何も」
こんなことになるなんて思いもしなかったから。
「では、延命措置を継続するか否かの判断は親族である、あなたに委ねられます。既に成人されているので問題はないでしょう。ですが、もし決断が難しい場合は、当病院の専門スタッフが改めて説明をいたします」
私はこう言った。
「死なせてあげてください。もう二度と目を覚まさないんじゃ死んでるのも同じです」
そして、私は生体認証スキャナーで指紋を承認し、母さんを殺した。
「私は殺したんだ。母さんを……」
「違います。天に召される場所に逝けるよう枷を解いたのです。あなたの行動をどう判断しても殺したことにはなりません」
打ちひしがれる私をサンダルフォンが優しく抱きしめてくれた。
「殺したんですよ、人殺しさん」
「悪魔の言葉に耳を傾けないでください。あなた母親を殺してなどいない。不要な医療措置を中断しただけです」
サマエルが笑い、サンダルフォンが囁く。
「私は母さんを殺してないんだね?」
「殺してません。主の名においてそう宣言しましょう」
いつの間にか泣いていた私にサンダルフォンはそう告げた。
「では、あなたを再びあの世界に送り出さなければなりません。ですが、救いはあります。あなたにも必ず救いがあるのです。だから──」
サンダルフォンの腕の中で私の意識が溶けていく。
「人の心を忘れないでください」
「人の心は忘れないよ」
私の罪は許されたのだろうか。
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