三十二話
北地区の大通りから離れ、また路地裏を歩く守孝とイン。だが、先程とは違いベレー帽を被った獣人の少女を伴っている。
その少女の手の中には金色に光る貨幣が一枚握られていた。
「ねぇ、モリタカ、モリタカ!本当に前金が金貨一枚、ちゃんと目的地に連れてったら金貨が一枚。合計金貨二枚で良いんだよね?」
前を歩く少女は嬉しそうに守孝に話し掛ける。
「ああ、嬢ちゃん。そこは安心して良い。傭兵は契約を破らない」
「むう~僕はソフィヤって言う名前があるんだ。嬢ちゃん言うな~!」
頬を膨らましながら怒る嬢ちゃんことソフィヤ。その仕草は唯の何処にでもいる少女だ。
彼女には親がいない所謂孤児である。年は今年で十一歳。一日中北地区だけではなく王都中を歩き回り、食べれる食料を集め北地区の貧民街でスリをして日々を過ごしている。
「はっはっは、俺からしたら嬢ちゃんで十分だ」
「もう、マスターったら。ごめんなさいねソフィヤちゃん」
そんな会話が続く現在一人増えて三人。ソフィヤは笑いながら進み、守孝とインも楽しそうに会話はするが常に目線は周辺に見張ってる。
既に貧民窟に入っていた。建ち並ぶ家々は汚れ、何処かしら壊れており何処からともなく臭う異臭そして道路脇に打ち捨てられた……恐らく人間の死体。
確証が持てないのはその死体が腐敗が進み、見るも無残な姿だったからだ。
その腐乱死体が当然の様に放棄されていた。ソフィヤはそれを当たり前の様に無視し進む。この光景が当たり前の世界。それが王都の貧民窟だった。
「ソフィヤちゃん。本当に知ってるんですよね?最近、騒がしい不良が何人か集まってる家なんて」
今回のソフィヤに請け負って貰った仕事は。最近、それも ここ数日の間で、こそこそと何かやってる不良集団は居ないか。居たとして、もし居場所が分かるなら案内を……と頼んだ。
それに対してソフィヤの解答は『最近何かやってる奴等が、何処にいるか分かる』だった。王都中を歩き回り噂等も知っていると判断し、ソフィヤに多少の金銭を渡して手伝って貰ってる。
「だから分かってるって。ここら辺でこそこそと悪事を働いてる四、五人の不良グループが、家の一つを無理矢理、奪ったんだ……そこに住んでいたお爺ちゃんはパンをくれるいい人だったんだ。だけど……」
そこでミシェルは黙ってしまった……そう言う事なんだろう。
「今日はその不良グループは何かしてたか?」
「……えっと、朝に馬車に乗り込んで何処かに行ってたね。あいつらは馬車なんて持ってるわけがないから覚えていたよ」
何時もは無い馬車が有り朝に何処かに行った。ミシェルが連れ去れてた時刻と大体一致する。この時点で守孝はその不良グループを誘拐犯達と推定する。
そのまま貧民窟の路地裏を歩くこと数十分、だんだんと城壁に近づいていた。
「あそこだよ。不良グループが奪った家は」
目的地の1階建ての一軒家は北地区でも更に端にあった。城壁に近く一日中、日陰になりそのせいか、辺りは湿気とカビが混ざりあった臭いが立ち込めていた。
ソフィヤがそのまま家に行こうとするのを守孝は慌てて腕を掴み路地裏に引き込むんだ。
「きゃっ!?ちょっとなに!?」
「ここ迄で良い。外にでるな……イン何処かに監視はいないか?」
守孝はインに近づき小声で話し掛ける。ソフィヤには、まだ誘拐の話はしていない。何処からこの件がバレるか分からないと守孝は判断したのだ。
「……いますね。百メートル程離れた道角に隠れている人がいます。そのまま出たら丸見えです。マスター良く分かりましたね」
「誘拐犯達が"A"にミシェルちゃんを受け渡して無いのなら監視する奴が居るんじゃないかと思っていた。半分ぐらい賭けだったが……これでやり易くなる」
誘拐犯達が"A"に受け渡して無いと言うことは、あの建物にはミシェルが居ると言う事だ。
「インは建物の中の人数を確認してくれ」
路地裏の角で守孝は身を屈めポーチから一枚小さな金属板……鏡をとりだしす。これも[ピースメイカー]から取り出した物だ。それを道の角から出す。
「ねえ、それって鏡だよね何してるの?」
「鏡の反射で顔を出さずに見てるんだ……お、アイツだな」
鏡に監視者が写し出された。守孝達がいる路地からは反対側、その道角に隠れている。
「マスター。恐らく居間だと思うところに五人、その後ろにある小さな部屋、多分寝室に一人います」
インが守孝に報告した。ソフィヤが教えてくれた不良グループの人数と一致する。恐らく寝室に居る一人がミシェルの筈だ。と……ここで彼は一つ疑問が発生した。
「……普通にスルーしてたが、インお前、何時から動いて無いもんや建物の構造まで分かるようになった?」
本来、彼女は動いて無いモノや建物の構造はセンサーで捉える事が出来になかった。しかし今はやれる様になっている。
「んー何時でしょうか?私にも分かりません。多分私も成長してるんですよ!」
そう言ってインは胸を張る。
「……まあ良いか。使える手数が増えるのは良い事だからな」
機械である自動人形が成長すると言う摩訶不思議な現象だが、彼はスルーする事にした。そもそも己に摩訶不思議な事が起きてこの世界に居る。機械が成長してもおかしく無いと勝手に彼は解釈する事にしたのだった。
「む~二人だけで話さないで、僕も仲間にいれてよ~!」
ソフィヤは頬を膨らましながら守孝のローブを引っ張る。こう言う仕草はどこの世界の変わらない。そう彼は思う。
「嬢ちゃんには関係無いことだ。俺は少し考え事が有るからインと喋っててくれ」
そう言ってソフィヤをインに押し付ける。
この時、守孝は悩んでいた、ソフィヤをどうするかを。現在、既に誘拐犯達の所在は掴めた。ここは一旦 マルクスの所に戻り、態勢と装備を整え、改めてミシェルを救出する。そう結論付けていた。
その際、ソフィヤと言う存在が問題となってくる。
守孝達が北地区に入り誘拐犯達の所在を掴むに掛かった時間は約二時間近く。既に空は薄く紅色が刺し始めていた。ソフィヤが居なかったら更に時間が掛かっていただろう。
だが、時間短縮との引き換えに彼女に自分達が"最近何か怪しい不良グループを探してる"と言う情報を知られてしまった。それが他に漏れるのは不味い。誘拐犯達にまで漏れてしまったら彼等は潜伏場所を変える。そうなったら守孝達は、もう見つける事は出来ない。
確かに守孝自信、その危険性が有るのをある程度承知で彼女に道案内を頼んだ。彼女も『僕は口が固い』と言っていた。
だが、それを信じられるか?相手は今日、それも数時間前に会ったばかりの貧民窟の少女。それもスリをしてきた相手。ここで口を封じてしまった方が良いのでは?
彼の中に冷たい水の底の様な感情が渦巻く。子供を殺した事は有る。 戦場では良く逢ったこと。 しょうがないこと。 じゃあ今回もしょうがないこと……?
守孝は空を見る。貧民窟の路地裏から見る空はほんのりとオレンジ色が交り始めた空だった。もう数時間すれば宵の帳が訪れるそんな空。
この場この空には。硝煙の匂いも、人が焼ける匂いも、人も物全てが焼かれる炎も、そして天を汚さんとばかりに幾筋も伸びる黒煙も無い……ここは戦場ではない。
(……しょうがないじゃないだろうが。ここは唯の街。差別を受けながらもそこで逞しく生きる少女。その命を奪って良い訳がない。それに……)
傭兵には暗黙にして鉄の掟がある。"傭兵は契約が絶対"だ。契約に則り人を殺し、契約に則り人を守る。そして金を貰う。契約を破る傭兵は、傭兵ではなく唯のイカれた殺人者。故に契約を自でを破る訳にはいけなかった。
「おい、嬢ちゃん」
「だから僕はソフィヤって名前があるんだけど。それで何か様なのモリタカ?」
首を傾げるソフィヤに彼は財布から金貨を一枚取り出し渡した。
「案内料の後金である金貨1枚だ。俺達は此処で帰る良くやってくれたよ助かった」
「え~折角、案内したのに帰っちゃうの?モリタカ達と喋るの楽しいからもっとお話ししようよ」
そう言ってソフィヤは不満を言う。彼女は話し相手に餓えてるそう感じた。彼女は孤児で差別をされる獣人。話し相手が少ないのでは、と彼は結論付けたが、彼も彼女に構ってる暇はない。
彼はソフィヤと同じ目線まで腰を落とし言った。
「俺達はこれから仕事だ。嬢ちゃん言っておくが"俺とインはこの場所には来てないし嬢ちゃんとも今日会って無い"良いな。もし何処からか漏れていたら……わかってるな?」
彼は声を低くし冷徹とも取れる声色でソフィヤに警告した。彼女の口を封じはしないが、脅す事はする。それが彼の答えだった。
「え……その……あぅ……」
いきなりの警告。そして冷徹とも取れる声色。そして彼女は感じた。"もし僕が誰かにこの傷だらけの男の事を話したら本当に殺される"と。そのいきなりの殺意に彼女はそう感じたのだった。
「……ま、俺が脅したのが悪いが、そんなに深刻に考えるな。俺達の事を喋らなければ良いだけだから」
守孝は声色を何時もと同じ調子に戻し軽く口調で話す。
「う、うん分かったよ。モリタカ達の事は誰にも言わない」
「そうか、嬢ちゃんありがとな」
守孝は彼女に礼を言うと頭を撫でた。
「ひぅ!?モ、モリタカいきなり何を!?」
「ん?嫌だったか?」
「べ、別に嫌じゃないかな……むしろ、んー何て言うか暖かいかな……えへへ」
猫が笑う様な満面の笑みでそう答えるソフィヤ。彼女は自らの頭を彼の手に擦り付ける様に押し当てていた。
だが、そんな緩やかな時間は直ぐに終わる。
「……さて、そろそろ行くか」
「あ……」
守孝はソフィヤの頭から手を退ける。手を退ける際、ソフィヤの小さな呟き、そして彼女から届く名残惜しそうな目線。だが、そろそろ彼は戻らなければならない。
「また、今度だ嬢ちゃん。そうだな……何日か後にまた、北地区に来るその時にでも会おうじゃないか。その時は何か飯を奢ってやる」
「……分かった!また、今度ねモリタカ!」
その言葉にソフィヤは元気に頷く。
そして守孝とインの二人は来た道を戻っていった。来た時よりも早くその影はきえてしまった。
その場に一人ただずむ獣人の少女、ソフィヤ。独り事がポツリと漏れた。
「……変な人間達だったね」
初めてだった。
僕を邪険しない人間を。
僕を見下さない人間を。
僕を一人の子供とみる人間を。
僕の頭を撫でてくれた人間を。
「…………?」
その時、胸の奥で何かアツいものが涌き出るのを感じた。それが何かは彼女は分からない。こんな事は初めてだった。
「……あれ?何で涙が……?」
ソフィヤは一筋に頬を伝って落ちる涙を指先で拭い見る。何もしないで涙が落ちるのは初めてだった。
涙が流れる時は目にゴミが入るか、イタイ事をされるか、イヤな事をされる時ぐらい。涙が流れるのは自分が嫌な時だ。こんな事では涙なんて出るはずがない。
「……んー分かんないや。今度モリタカに会う時に聞こおーっと。それよりも今日は臨時収入が有るから夕食は豪勢だ!久しぶりにカビが生えてないパンが食べれるよ!」
そう言ってソフィヤもまた、路地裏に消えていった。




