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5.憂鬱な日

 

 ミーシャの授業を受けた次の日、自室で目を覚ましたベンは小難しい顔をしていた。


(“ベン”の記憶から夕食の時どうなるかは知ってたけど・・・あれは無いな)






 ミーシャと別れた後ベンは自室には戻らず、夕食を食べる為に食堂へと向かった。その道中は相変わらず静かなもので、ミーシャとの一件で良かった機嫌は次第に冷めていった。


 使用人の開けた食堂の扉を当然だ、といった表情で通ったベンは“ベン”の記憶通り、母のマリィの隣に腰を下ろす。


(表情筋も言う事聞かないのかよ・・・。もう勝手に身体が動き出しても驚かないな・・・)


 食堂には既にベンを除く家族全員が揃っており、ドイルとマリィからは体調を気遣うような視線を感じたが、ベンは一言「大丈夫です」というと視線を運び込まれてきた夕食に移した。


 それ以降ドイルとマリィからの視線は無くなり、食器がぶつかる甲高い音と咀嚼音だけが流れる静かな夕食が始まる。


 ベンは目の前の豪華な食事をマナー通りに綺麗に食べながら周りを見渡した。まず目に入ったのは、上座でワインを飲みながらローストチキンを頬張るドイルと、同じくワインを飲むマリィ。そして最後に、ベンの目の前の席で縮こまりながら少しずつ料理を食べる義理の妹のアーニャだった。


 メインディッシュが終わりデザートが運ばれて来た時、酒に酔ったせいで顔を真っ赤にしたマリィが口を開いた。


「ベ、ベン?最近お勉強の調子はどうですの?」


「順調ですよ母様。問題ありません」

(問題ないですよ)


 ベンは無表情でそう言うと、水魔法の応用で作られたバニラアイスをスプーンで掬って口に放り込んだ。その瞬間、乳製品独特の甘みが口の中に広がる。“ベン”はこの甘さが好きだったようだが、ベンはあまり好きになれそうにない。


 いつもなら学んだことを自慢げにひけらかすベンが、淡々とした口調で報告してきたことに違和感を覚えたマリィだったが、すぐに別の事に興味が移ったのか口元を歪めながら嗤った。


「流石私の息子ですわ!容姿も良くて頭も良い、それに男の子でありながら魔法の才能もあるなんて。そこにいる不細工で頭も悪い庶子の小娘とは正反対ですわ。得意の魔法もベンと比べれば霞んでしまいますものねぇ。」


 ワインで唇を潤しながらそう言い切ったマリィは汚いものでも見るような目でアーニャを嘲笑う。当のアーニャはデザートに手をつけることも無く、ただ俯きながらじっと耐えていた。


(聞いてて気分が良いもんじゃないな・・・)


 アーニャとの比較に挙げられたベンは嫌々バニラアイスを食べながらアーニャに視線を遣る。いつもの“ベン”ならここで嬉々としてマリィに加勢するのだが、今のベンはただただアーニャを哀れに思う。






 庶子、つまりアーニャは“ベン”の父であるドイルが平民の女との間に作った子供ということである。“ベン”の記憶にも詳しいアーニャの情報は無かったが、マリィ曰くアーニャは下町の売春婦がドイルを誑かして作った子供で、アーニャがヒルウェスト家に引き取られたのは“ベン”が6歳、アーニャが5歳の時だった。


 当時の“ベン”は突然現れた自身の妹と名乗るアーニャを酷く嫌った。それはアーニャの容姿が自分たちと違い醜かったからだ。ベンとドイルとマリィは非常に似た容姿をしており、大変美しい家族だと国中の人間から羨ましがれられている。


 それに比べてアーニャの容姿は、貴族特有の金髪ではない平民に多い黒髪で、幼いながらもはっきりとした目鼻立ち、そして肉付きの悪い身体。“ベン”からすれば当然受け入れられる容姿では無かった。


 そしてアーニャのオドオドした性格も“ベン”のアーニャ嫌いを加速させ、マリィと一緒になって嫌味を言うようになった。


 当のアーニャはそんな“ベン”とマリィを避け、自室に篭るようになった。しかしヒルウェスト家には余程の事情がない限り家族皆で夕食を食べる、という決まりがあった。


 アーニャを家族として認めることは癪だったが、気に入らないアーニャが自室でのうのうと過ごすことが許せなかったマリィはこの決まりをアーニャにも強要した。そしてアーニャは毎日マリィと“ベン”に嫌味を言われることとなる。


 初めはどんな嫌味にも愛想笑いを浮かべて対応していたアーニャだったが、次第に笑わなくなっていった。






(可哀想だけど俺だけじゃどうしようもないしな・・・。それに俺には関係ない話だし)


 ベンは内心でアーニャを見捨てると、残りのバニラアイスを片付けるためにスプーンに手を伸ばす。その間もマリィのアーニャに対する嫌味を言い続けている。


「そう言えばあなたの母親はあなたを捨てて他の男と駆け落ちしたらしいじゃない。卑しい売春婦だこと。だからいくらドイルの血が混じってもあなたは出来損ないのままなのね」


「お母さんは私を捨ててない!!お母さんは仕方なく私をここに預けたんだ!!」


 マリィがアーニャの母親を罵った時、今まで俯いて黙っていたアーニャが立ち上がって大声を出した。そんなアーニャの姿を見てもマリィは動じず、むしろ嬉しそうである。


(わざと怒らせたのか)


 自分が何を言われても黙りのアーニャが母親のことを侮辱されると怒ることをマリィは知っている。だからわざとアーニャの母親を侮辱してアーニャの反応を楽しんでいるのだ。


 そんな光景をさすがに見かねたベンは父であるドイルに目を向ける。しかしドイルはベンに向かって引き攣った笑みを見せるだけでマリィとアーニャの仲裁に入ろうとしない。


(役に立たないな・・・)


 ベンは内心でドイルに呆れながらも自分も人のことを言えないな、とため息を吐いた。


 その後も続いたマリィによるアーニャへの嫌味に辟易としたベンは無言で席を立ち、浴場で湯浴みをした後自室に帰って泥のように眠った。






(毎日あんな光景を見てたら気が滅入りそうだな・・・。でも俺に何か出来る訳もないし、何より面倒事は好きじゃない)


 マリィのアーニャいびりを見たくない気持ちと、面倒に関わりたくないという気持ちの狭間で揺れ動いていたベンはある事を思い付いた。


 思い立ったが吉日とベンはベッドから起き上がると、自分で着替えを始める。なぜ着替えを手伝ってもらわないのかと言うと、昨夜ベンが使用人たちにもう着替えを手伝わなくて良いと言い聞かせたからだ。ただし「お前達の汚い手で触られたくない」という大変失礼な言い方ではあったが。


 着替えを済ませたベンは運ばれてきた朝食を手早く食べると、昨日と同じ場所、書庫に向かう。


 書庫の中に入ったベンだったが、どこを探してもミーシャの姿が無い。


(しまったな。来るのが早すぎたか)


 入り口の隣にある柱時計を見るとまだ7時であった。


(この時間ミーシャが何をしてるかなんて“ベン”の記憶を見てもわからないしな・・・)


 ミーシャが来るまで待つことも考えたベンだったが、他にもやりたい事があったので昼時にもう1度来るか、と決めると今度は庭に向かって歩き出した。


 表の広い玄関ではなく裏口から庭に出るとベンは日光の眩しさに目を細めた。次第に見え始めたベンの視界に入ってきたのは綺麗に刈られた広大な芝生とその奥にある鬱蒼と茂った森。そして洗濯物を干す使用人たちの姿だった。


(この場所が・・・)


 ここに来たのは魔法の練習と、“ベン”が悪魔の子と呼ばれることとなった出来事があった場所を自分の目で直に見るためだ。


 洗濯物を干しながら談笑していた使用人たちはベンを見つけると一斉に顔を青くし、頭を下げる。その見慣れた光景にうんざりしながらベンは森に向かって歩き出す。


 森の手前まで来たベンは鬱蒼と生い茂る木々を見上げた。この森は“ベン”が魔法の練習に使っていたもので、魔物も危険な動物もいない安全な場所だ。


 人の足で均された元獣道を通り森の中を突き進むと、開けた場所に出た。


 そこは火の魔法を使うのに森だと火事になる、とドイルに窘められた“ベン”が、得意の我が儘で開拓させた“ベン”専用の練習場である。


 だだっ広い練習場に着いたベンは記憶通りの光景に冷や汗をかく。そこはまるで戦場の跡地のような有様だった。直径5mほどの穴に黒く焦げた土、そんな穴がそこら中に空いている。


 今更自分の持つ力の強大さに怖気付きそうになる。マリィも同じ火の変換資質を持っており、一度“ベン”に全力の火の魔法を見せてくれたことがあった。その時見たものは1m位の火球で、決して目の前にある様な穴を空けられるようなものではなかった。だがマリィは自分は女の中でも平均以上の魔力を持っていると豪語していた。


 つまりベンの持つ魔力は女の平均値を大きく逸脱している可能性があるのだ。しかし同時にこの世界で1番魔力を持つ者がどれほどのものかもわからないが故にどこまで逸脱しているかもわからない。


(気にする必要はそんなにないか。マリィさんが嘘をついてて実は平均以下でしたーって可能性もあるし。使い方を間違えなければ良いだけのことだしな)


 気を取り直したベンは早速身体を流れる魔力を意識し、今から生み出したい魔法をイメージする。それはあの日“ベン”が見せた青い炎。


 魔法を生み出す方法は知っている。だが知っているだけで肝心の感覚がわからない。手に魔力を集め体外に放出しようとしてもすぐに魔力は四散してしまう。魔力に形を与えることができない。






 魔力を集めては四散させを5時間ほど続けた時、ついにベンの集中が途切れた。


(ダメだ・・・。魔力の流れを掴むことも1箇所に集めることもできた。でもどうしてもその魔力を身体の外に出すことができない。簡単に出来ると思ってたんだけどな・・・)


 長い時間集中していたベンは疲れからその身を土の上に放り出す。真上には雲一つ無い空と眩い太陽、そして群れで飛ぶ鳥の姿がある。そんな景色とは裏腹にベンの心は曇り、一向に晴れる気配はない。


(お前を侮ってたよ“ベン”。簡単にできる訳ないよな)


 ベンは知っている。いつも傲慢で我が儘だった“ベン”だが魔法に対しても勉学に対しても、常に努力を怠ったりしなかったことを。


 初めは魔力の存在を意識する所から始まり、“ベン”はドイルとマリィには内緒で独学で魔法を習得しようとした。まともに魔法を使えるようになるために“ベン”は2年という年月を要した。


 そしてあの日、“ベン”は純粋にドイルとマリィに自分の血の滲むような努力の結果を見て欲しかっただけだった。ただ見せ方を間違えただけ。


 ベンの“ベン”に対する心境は複雑だった。確かに“ベン”はどうしようもない奴だ。ベンも受け入れられない部分も多い。


 しかし“ベン”はいつも純粋だった。ただ他の在り方を知らなかっただけ。そう在っても良いと育てられ、暗に教えられてきただけ。だから心の底から嫌悪はできない。むしろ少しの哀れみを覚える。


(お前は褒めてもらいたかっただけなんだよな・・・。その結果が両親から怯えられるなんてな)


 物心つく前から貴族と平民の違いを刷り込まれ、物心ついてからも我が儘を言えばどんなものでも嬉々として受け入れられ、それが当然だと、我が儘を言えば、平民を悪く言えば両親は喜ぶと思っていた“ベン”。


 今度も喜んでもらえる、褒めてもらえると思っていた。しかし“ベン”に待っていたのは周囲から、そして誰よりも喜んで欲しかった両親から向けられる恐れを含んだ視線だった。


(だからミーシャさんを気に入ってたんだよな。ミーシャさんは平民だったけどお前を怖がったりせずにいつも笑顔で接してくれたもんな)


 そう内心で呟くと、ベンは起き上がった。ごちゃごちゃと考えるのは後で良い。今は少しでも“ベン”の魔法に近付きたかった。


 もう一度魔力を手に集めるために目を瞑って集中しようとしたベンの耳が、なにかが茂みをかき分けてコチラに近付いてくる音を拾う。


 この練習場のことは屋敷の人間なら誰でも知ってるし近付こうともしない筈。では何が?と思ったベンは音のする方を凝視し、何かあればいつでも逃げられるように腰を少し落とす。


(危険のない動物なら良い。でも魔物や俺に恨みを持つ奴とかだったら反撃する手段が無い!)


 ベンの背中を冷たい汗が伝う。


 茂みをかき分ける音が練習場の手前まで来た時、辺りに静けさが満ちる。そしてそれが姿を現した。


「なぜお前がここにいる!」

(どうしてここに!)


 ベンの予想は遠からず当たっていた。


冒険したい。

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