3.価値観
(どうしてこうなった・・・)
昔のことわざに『口は災いの元』というものがある。不用意な発言は自分に災いをもたらすという意味で、至極真っ当なことわざだ。
もう一つ『目は口ほどに物を言う』ということわざがある。これは、目は口で喋るのと同じくらい相手に気持ちを伝えられるというもので、今のベンからすれば「嘘だ!」と叫びたくなるようなことわざだ。
ベンの目の前では顔を真っ赤にしたメイドのエリスが太った体をクネクネさせて悶えている。
(可愛、くないな・・・)
ー数分前ー
「綺麗だ」
(ブスだ)
室内の空気が凍る。ベンは天を見上げて自嘲気味に笑った。
(なんとなくはわかってたけど、な。俺が話す言葉は“ベン”というフィルターを通して偉そうな言葉になるんじゃないかって。まぁそれはいいさ。わざわざ“ベン”の言葉真似しなくて済むし。でも意味まで変わっちゃったらもう俺の言葉じゃないよな・・・)
「ベ、ベン様」
ベンの周りに陰気な空気が漂い始めた時、件のメイドが声を発した。力なく視線を戻したベンの目に飛び込んできたのは、発情したメイドの姿だった。
丸々とした顔は真っ赤に染まり、赤かった目はさっきとは違う色を帯びている。そして何より目を引くのは顔から滴り落ちる大量の汗。少し、いやだいぶベンは引いていた。
「ベ、ベン様が望むのであればわたくしは」
そう言うとメイドは大きな体からは想像出来ないくらいゆっくりとした足取りでベンのベッドに近寄ってきた。
「ま、待て!まず名を名乗れ!」
(ま、待って!ま、まず名前を教えて下さい!)
近寄ってくるメイドに言い知れぬ恐怖を覚えたベンは思わず名前を尋ねてしまった。
「エリスです!歳は二十で趣味は食べることと読書です!出身はガーナ村で「もういい!」」
名前を聞いただけで水を得た魚のように喋り出したメイド、エリスの話が長くなるであろうことを察したベンはエリスの自己紹介を遮った。
エリスはまだ言い足りないのかベンに非難するような目を向ける。
(こいつ・・・さっきまでと態度が違いすぎだろ)
胡乱気な目をエリスに向けるベンだが、エリスはどこ吹く風で意に介していない。そしてナニを想像しているのか突然身体をクネクネさせ始めた。
(どうしてこうなった・・・)
そして冒頭に戻る。
しばらくの間顔を真っ赤にして身体をクネクネさせているエリスを眺めていたベンだったが、聞きたいことがあったことを思い出した。
「おい、お前に聞きたいことがある」
(なぁ、聞きたいことあるんだけど)
疲れのせいか内心も投げやりな態度になってしまったベンだったが、エリスには聞いておかなければならないことがある。
「俺が意識を失ってからどれくらい時間が経ったか教えろ」
(俺が寝てたのってどのくらいですかね?)
トリップ状態から戻ってきたエリスは一度目を瞬かせ「2時間です」と言った。
(短!2、3日は寝てたと思ってたんだけどな・・・)
思ったより短い昏睡時間に喜んでいいのか残念がればいいのかとても微妙な気持ちになったベンだったが、もう一つ聞かなければならないことがある。
「俺の部屋から醜い女が出てこなかったか」
(この部屋から綺麗な女の人が出てきませんでしたか?)
その女は最後に“ベン”に会った者で、なおかつ“ベン”の夢に出ていた。さらにベンの中にあるもう一つの記憶の中にも頻繁に出てくる。そんな女を見逃せるほどベンは馬鹿ではない。能天気だが。
「醜い女、ですか?」
エリスは首を捻った。1人の例外を除き、この屋敷の住人で容姿が優れていない者はベンの部屋に近づいてはいけないというルールがあり、これは容姿の優れない者を毛嫌いする“ベン”が癇癪を起こさないために作られた暗黙のルールである。
「その者はこの屋敷の使用人なのでしょうか?」
「知らん」
(わからないです)
その人物がヒルウェスト家に仕える者なら誰でも知っているルールを犯していることからエリスは侵入者ではないか、と疑った。当のベンも恐らくこの屋敷の住人では無いだろうと思っている。
「わたくしは見ておりません。他の者に聞いてきましょうか?」
「必要ない」
(あ、大丈夫です)
エリスの提案はあの女の情報を集めるという点では大変助かるのだが断った。
(あの女の人が侵入者だ、ってなって騒動になるのはめんどくさいしな)
断る理由はそれだけだった。このベンという少年は面倒くさいがりな性格もしている。
「他に聞きたいことはございますか?」
「もう用はないから出ていけ」
(ありがとうございました。もう自分の仕事に戻ってもらって大丈夫ですよ)
ベンはエリスの善意に対しての返事も傲慢な言葉に変換してしまう自分の口を恨めしく思いつつも、概ね意味は変わらないので良しとする。
当のエリスは今まで甘い対応だったベン(勘違い)が急に素っ気なくなったことに戸惑っていた。今まで平民に対しては容姿が良かろうが悪かろうが等しく辛辣だったベンが自分を綺麗だと言い、さらに普通に会話までした。つまり自分は特別なのだ、と思っているのだ。
「あ、あのベン様?お世話の方を」
何としてでもこの時間を続けたかったエリスだったが、ベンから向けられる“見慣れた”冷たい目を見て固まってしまう。
「おい、何か勘違いしてないか?」
(えっと、言い方が悪かったのか?)
エリスの顔から熱が消え、代わりに嫌な汗が頬を伝う。
「汚らわしい平民が。目障りだ」
(エリスさん、1人にしてくれませんか?)
(この口どうにかならないかねー)
エリスの居なくなった部屋でベンはままならない自分の口を恨めしく思う。エリスはあの後青くなった顔をしながらベンの部屋を出ていった。
しかし以前のような荒々しさは形を潜めていた。これはベンの能天気な性格と“ベン”の傲慢で怒りっぽい性格が合わさった結果である。ただ以前より冷たくなった、と受け取られてしまいそうだが。
(てか、エリスさんみたいな人が美人なんだよな・・・。俺にはよくわかんないな)
ベンはエリスの顔を思い浮かべる。丸々としたシルエット、のっぺりとした顔。
(どう見ても美人、じゃないよな。逆に美人は・・・)
今度は“ベン”が最後に会った女をベンは思い浮かべた。それはスラッとしたシルエットに目鼻立ちのはっきりとした顔。ベンにはどうしてもあの女の方が美人に思えてしまう。
(でもなんで俺はエリスさんを美人じゃないと思うんだろ)
ベンはこの世界の美醜の価値観を知っているし理解できる。それは“ベン”の記憶を持っているからだ。そしてこの世界の常識、魔法や魔物といったものも受け入れられる。むしろベンはこれが普通だと思っている。しかしなぜかこの世界の美醜観だけは受け入れられない。
(もう一つの記憶のせいなのか、俺自身の感覚なのか・・・)
だが価値観については“ベン”とは違う“誰か”の断片的な記憶からはうかがい知る所はできない。なぜなら“ベン”の記憶は主観的なものなのに対して、“誰か”の記憶は客観的で音のないもの。だからベンにはその者の感情がわからない。さらに断片的過ぎて世界観も常識も知ることが出来なかった。
唯一わかるのはこの“誰か”と“ベン”が最後に会った女は何かしらの関係がある、ということだけであった。
(やっぱりあの女の人が鍵なのかな)
ベンはもう見慣れてしまった天井を見つめるのだった。
この世界の美醜は平安時代の美人を思い浮かべて貰えるとわかりやすいと思います。それプラス太りすぎor痩せすぎが良いって感じです。
次話からあべこべ要素も出てくるので苦手な方は気を付けて読んでいただけると嬉しいです。