1.始まりの日
「おい!誰か来い!」
朝日が山々の隙間から顔を出して間もない時間、モンドール王国の辺境の地にある屋敷に、早朝に似つかわしくない荒々しい声が響く。
その声は声変わりをしていない少年特有の甲高さと、その年に似つかわしくない傲慢さを合わせ持ったなんとも奇妙な声だった。
「お、お呼びでしょうかベン様」
少年が3度ほど喚いたあと、駆け付けた年若い男の使用人が仰々しいドアをノックし震える声でベン様と呼ぶ少年に問いかけた。
「着替えだ!早くしろ!」
ドア越しに怒鳴られた使用人はびくびくしながらベンという少年の部屋に入り、着替えの準備を始めた。
その間もベンは間髪入れずに使用人を怒鳴り続ける。
「俺が起きた時にはすぐに着替えができるようにしておけといつも言ってるだろ!お前はこんなことも覚えられないほど馬鹿なのか!おい!」
「も、申し訳ございません、食事の準備を・・・」
「うるさい!役立たずの卑しい平民の分際で口答えするな!」
「申し訳、ございません・・・」
理不尽な罵声を浴びせられ続ける使用人は反抗せずただ涙目で謝るばかりだった。
しかしそれも当然である。
このベンと呼ばれる少年は、モンドール王国の貴族であるドイル・ヒルウェスト侯爵の嫡男でヒルウェスト家の次期当主となる貴族であり、モンドール王国の国民から悪魔の子と呼ばれる最悪の子供なのだから。
まだベンが物心つく前、ベンの両親はベンを溺愛しどんなわがままも叶える、いわゆる親バカであった。そんな環境に置かれたベンはとてもわがままで傲慢な子供に育った。
そんなベンのわがままはベンが年を重ねる度に過激になっていき、やれあの庭師が気に食わないからクビにしろや、あのメイドはブスだから地下で働かせろなど酷いものばかりであった。
何度かヒルウェスト家に仕える者たちがベンのわがままを抑えてほしい、と当主であるドイルとベンの母であるマリィに申し立てたがその願いが叶うことはなく、むしろ嫌な顔一つせず嬉々としてベンのわがままを叶えてきた。
そんなある日ある事件が起こった。それはベンがまだ八歳の時、夏が終わり辺りの山々が紅く染まり始めた時期のことだった。
過去にベンのわがままで地下で働かされていた年若いメイドのアリエルが休暇を使って町に行こうと屋敷の裏口に向かっていた。
他の仕事仲間からくれぐれもベンと鉢合わせないように慎重に、と言われていたアリエルだったが、久しぶりに町に行けるということで気を抜いていた。
それが仇となり運悪くベンと鉢合わせてしまった。
ベンはアリエルの顔を見るなり顔を歪め、あらん限りの言葉で侮辱し始めた。周りにいた人間はそんな彼女を気の毒そうに見つめながらも決して仲裁に入ろうとはしなかった。とばっちりを恐れたからだ。
しばらくの間は顔を不機嫌そうに歪めながらアリエルを罵っていたベンだったが、突然顔に笑みが浮かぶ。その顔はまるでイタズラを思いついた子供のようであった。
ベンはアリエルにこの場から動かないように命じると、屋敷の中へ戻っていった。
数分後、ベンは屋敷にいたドイルとマリィを連れて戻ってきた。
「お父様お母様!今から魔法を使うからちゃんと見てて!」
「おぉ!ベンはもう魔法が使えるのか!流石私の息子だな」
「当然ですわあなた。ベンはあなたと私の子ですのよ?」
「うむ、そうだなマリィ」
自身の両親に褒められたベンは当然だと言わんばかりの顔をした。そしてベンはドイルとマリィに背を向けて、自身の掌をアリエルに向けた。
「何をしているんだベン?」
突然アリエルに掌を向けたことを不審に思ったドイルはベンの肩に手を置いて問いかけた。
「?今から火の魔法を見せるんだよ?」
「違う、そうではない。なぜあのメイドに手を向けているんだ」
ドイルの問いの意味がわかったベンはああ、と言うとドイルの顔を見上げた。
「火の魔法を出しても威力がわからないと面白くないでしょ?」
ベンの顔に氷のような冷たい笑みが浮かぶ。
「だからあの“的”に当てるんだよ」
その瞬間ドイルの顔から血の気が失せた。ベンが顔を真っ青にして震えているメイドを人として見ていないことに恐怖したからだ。
ドイルに向けていた視線を前に戻したベンは恐怖で震えるアリエルに微笑みかる。
「お前不細工だから今まで辛かっただろ?可哀想だから俺がお前を整形してやるよ」
そう言うとベンは掌に魔力を込め始めた。
ベンの掌に現れたのは小さな青い火の玉だった。しかしその火の玉は徐々に膨張し始め、人間の大人ほどの大きさにまで膨れ上がった。
そしてその火の玉は膨張と共に周囲の空気を燃やしながら異常な熱を放ち始めた。
ベンの後ろで固まっていたドイルはあまりの熱さにその場を後ずさりながら離れた。
不幸にも的にされてしまいそうなアリエルは地面に額を擦り付けて許して下さい、殺さないで下さいと命乞いをしていた。
それを聞いた周囲の人間はようやく事の重大さに気付きアリエルを助けようとした。
しかしいつ放たれるかわからない巨大な火の玉を前に足が竦んでしまう。しかもベンを取り押さえようにも異常な熱さのせいで近づけなかった。
誰もがアリエルの死を覚悟した時、ベンの前に一人の年老いた男が躍り出た。
その男は身体を覆う灰色のローブを身にまとい、手には古めかしい大きな木の杖を携えていた。
突然現れた老人を見たベンは笑みを消し、不機嫌そうな顔をした。
「なんのつもりだよザイード」
「いやなに、貴殿がどうやらおイタをしているようでしたのでな。まだ続けるお積りですかな?」
そう言うとザイードと呼ばれた老人は笑みを浮かべながらベンに杖を突きつけた。
一瞬腕に力を入れたベンだったが苛立たしげに鼻を鳴らして魔法を解いた。
「当てる気なんて・・・「許して下さい!ころさないでください!」」
アリエルは自分が助かったことに気付かず未だに命乞いをしていた。ベンはそれを一瞥すると舌打ちをした。
「お父様お母様、僕もう疲れたから部屋に戻る」
両親の顔も見ずにそう言うと、何事も無かったかのように屋敷へ戻っていった。
その後ベンに殺されかけたアリエルは働けるような状態ではなくなってしまい、ヒルウェスト家を去っていった。
そしてこの事件以降ベンは悪魔の子と呼ばれ使用人から、そしてあれほどベンを溺愛していた両親からも恐れられるようになるのだった。
そんなベンに一介の使用人ごときが逆らえるわけがない。もしここでベンの逆鱗に触れてしまったなら二年前のアリエルの二の舞になってしまう。
使用人は手早くベンの着替えを済ませるとそそくさと部屋を出ていった。
そんな使用人の姿に一度鼻を鳴らしたベンだったが、何かを思い出したのか不機嫌そうだった顔がさらに苦々しげなものになる。
「またあの夢か」
そう呟くとベンは椅子に座って頭を掻き毟った。
その夢はベンと全く同じ顔をした少年と見知らぬ少女が出てくるものなのだが、なぜかはわからないがベンはその夢を見る度に言いようのない不安と苛立ちに駆られる。
さらにその夢を見た時はいつも朝早くに起きてしまうのだ。
ベンからすれば良いことが一つもないまさに悪夢と呼べるものだった。
しばらく椅子に座り窓の外を眺めていたベンだったが、不意に室内に別の者の気配を感じた。
目の前にいたのは見知らぬ女。
その女は無表情でベンをじっと見つめている。
女に向かって誰だと言おうとした時ふと、いや、本当に俺はこいつを知らないのか?という疑問が過ぎった。
その時ベンの頭にはなぜこの女がこの部屋にいるのかなどの疑問はすでに消えており、ただ一心不乱に女の顔を凝視した。
女はベンに顔を舐めるように見られても微動だにせずただベンの顔を見ながら立っている。
数分間女とにらめっこをしていたベンだったが、自分の座っている椅子の肘おきに触れたとき今朝見た夢を思い出した。
「お前は!?」
ベンは椅子から飛び上がり女に詰め寄ろうとしたが、すぐに足は止まった。
今まで無表情だった女の顔に表情が現れたのである。
それは今にも泣き出してしまいそうな顔だった。
その顔を見た時なぜかベンまで泣きそうになった。
それは決して同情や憐憫の類ではない。自分の中にいるナニかがこの女の感情に強く反応しているのだ。
動きを止めたベンに向かって女は歩を進め、ベンの頭に手を置いた。
その瞬間ベンの意識が薄れ始める。
「ごめんなさい、ーー」
薄れて行く意識の中で最後にベンが聞いたのはあの女の泣きながら謝る声だった。
次話から容姿の説明をします。




