その4 嘘なんて、ついてない
木箱の上で組み敷かれる。
綺麗な男からは想像もできない固い指の腹がティアナの濡れた唇を拭った。
「何を……何を飲ませたの?」
毒じゃないなら一体なんだ?
拷問と得体の知れない物を体内に入れてしまった二つの恐怖で声が震えた。
脅えるティアナにラシードは、笑顔のまま、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げる。
「媚薬」
「びっ、媚薬っ!?」
どうして媚薬なんかと考えると同時に、ここが男ばかりの野営場だというのを思い出した。
「慰み者にする気なの!?」
先程ザックスに聞かされた、逃げ出した後に辿る末路が頭を過る。
前線とはいえ統率された兵士たちではないのか。偶然とはいえ軍を率いる王子を助けたのに、この扱いはあまりにも非道ではないか。
「そうなりたくなかったら話してよ」
「全部ザックスって人に話した!」
「その副官がさ、君が隠しているものを聞き出せって言うんだよ。可愛い女の子に拷問はしたくないって。ああ見えて優しいんだよね。だからさ」
ラシードは瞳孔の奥が見渡せる位置まで顔を寄せる。心地よい声色がティアナのすぐ側で響いた。
「副官の温情に報いるためにも教えてよ。何か重要なことを隠してるんでしょ。僕も知りたいな」
「隠してない!」
蕩けるような笑みを浮かべる美しい男。甘い囁きに呑まれる前に即答した。けれどラシードはティアナの答えを即刻否定する。
「あはは、嘘だね。あのザックスを誤魔化せる奴なんていやしないよ」
「ひっ!」
硬い指の関節が触れるか触れないかの力で頬を撫で、ティアナの体が恐怖ではない何かでびくりと弾けた。
「思ったより早いね。薬に耐性がない?」
「やだっ!」
魔法が使え医療部に在籍していたティアナに薬への耐性などあるはずがない。まして媚薬など、一歩間違えば常習性のある恐ろしい薬だ。
ヴァファルの常識とこちらの常識が同じとは限らないが、徐々に熱をもつ我が身に起きる変化にティアナは慄いた。
煌めく碧い瞳が心を惑わしにかかる。体の内側から溢れる熱に悶えそうになる我が身が恐ろしくて唇を噛んで耐えた。
「黒曜石みたいな瞳が赤く潤んでそそるね。辛いなら言って、楽にしてあげるから」
「辛くなんかっ、あっ!」
拘束される腕が、押さえつけられる膝が、ラシードに触れられる部分が疼き、例えようのない感覚が湧きおこる。
思わず漏れた声に自分自身で驚き、恥ずかしさに頬が染まった。
「本当に?」
「はうっ!」
耳元で囁かれ吐息にくすぐられたせいで更に体が疼いた。意に反して急速に熱を持つ肉体に羞恥と嫌悪が湧き起こる。
「なにを隠してるの。教えてくれたら楽にしてあげるよ?」
どうすると優しく囁かれ、まるで恋をしているかの麗しい瞳がティアナに向けられる。
それが偽りで秘密を暴こうとする悪魔の囁きとわかっているのに、あまりに苦しくて縋りつきたくなった。
「異世界ってどこの国のことなのかな。もしかして殿下がおっしゃられた通り、本当に天から降って来たの? 君は僕らに勝利をもたらす天の御使いなのかな?」
「天の御使いじゃ、ありませ、ん」
媚薬の効果は絶大だった。投薬したラシードが想像した以上の効果をティアナに与えている。
効き目のあまりの早さにラシードは尋問を進める手を速めるが、そんなことを素人のティアナに気づけるはずもなく。
艶のある黒髪に指を入れられ、かき上げられるとそれだけで身悶えた。
快楽に慣れていないティアナでも、つい後を追いたくなる感覚に自然と涙が零れ、伝う雫すらもが切ない声を上げるきっかけになってしまう。
「殿下に何を――誰の命令でここに来たの?」
煌めく碧い瞳。優しい囁きに、甘い吐息が肌をくすぐり、美しすぎる顔に恋をしているような錯覚すら覚える。
「誰の命令も受けてないっ……」
ぎゅっと目を閉じて必死に抗うのに逃がしてはくれない。
「それじゃあ神様に言われたの?」
「わたしの国は神を信じていませ、んっ……」
指の腹で頬をなぞられ身が震えた。洩れる吐息に恥じらいより恐れが勝る。圧し掛かる体重も拘束の道具ではなく、疼きとなってティアナに快楽をもたらしていた。
「いや、嫌なの。お願い、やめて」
「家族を人質に捕られてるのかなぁ。だから言えないんじゃない?」
「ちが、う」
「皇太子とやらのご命令?」
「ちがっ、はぁんぅ!」
髪をいじられながら耳を食まれたせいで艶のある声が上がった。
堪えていた声が一度でも上がってしまうとどうしようもない。
経験がないから分からないけれど、男女の艶事はこんなものじゃないはずだ。
なのにほとんど触れずしてこれだけの感覚を与えられ、恐ろしくて涙が溢れる。
苦しくてたまらず何もかも話してしまいそうだ。
脳裏を過った愛する家族の姿に嗚咽を上げると、いつの間にか拘束されていた腕が解放されていた。気づいたティアナは襲う感覚から逃れたくて、自分の腕に思い切り強く噛みついた。
上に乗るラシードから溜息が吐き出され、噛みついた腕を口から引き離されそうになる。
無理矢理もたらされる快楽から逃れたくて更に歯をたてると、血の味が口内に巡った。
「誰か副官呼んで」
ラシードが外に向かって声を上げる。
二人がかりでやられるのかと蕩けそうになった瞳で外に続く幕を眺めていると、さほど時間をおかずにザックスが姿を見せた。
「吐いたか?」
「すげぇ頑固。薬にも慣れてないしこれ以上じらすと危ないから無理」
「……吐かせろ」
少し考えたザックスだったが、やはり重要な秘密があるとみて先を促すとラシードは嫌そうに首を振った。
「じゃあザックスが自分でやってよ。乙女の純潔を無理矢理散らすなんて流石の僕にも無理だね」
小刻みに震える体を持ち上げられたティアナは、腕を咥えたまま甘い声を洩らした。
ラシードはティアナの口に指をねじ込んで腕から歯を引き剥がす。手荒にされたそれすらもが震えるティアナの体に快楽を与え、心では抗いながらも肉体は慄き涙が零れた。
ティアナの様子をみて流石にあきらめたのか、ザックスはラシードに抱き上げられたティアナの前に膝をつくと血の流れる腕を取る。
「うっ……やぁ、ぁっ!」
嫌だと、触られ場所から無理矢理に注がれる快楽を拒絶するかに涙が零れ落ちる。
軟肌に深く入り込んだ歯の痕からは赤い血がゆっくりと伝い落ち、ザックスは布を取り出すと傷口にきつく結びつけた。
その刺激でティアナはもうわけが分からなくなってしまい、瞳は虚ろに空を彷徨った。
※
「何を隠している。言ってみろ、悪いようにはしない」
熱に濡れた瞳を覗き込むが焦点が合わない。ただ嫌だと小さく首を振られ、ザックスは溜息を落とした。
証言事態は信じがたいものばかりだが、ティアナがエイドリックの命を救ったのは事実だ。
彼女の望むように保護し、安全な場所に逃がしてやりたいとも思う。
だが何かを隠しているティアナを全面的に信用する訳にはいかないのだ。
例え近く敵襲を受け全滅する可能性が大きいとしても、一歩判断を間違えばその前にここにいる全員が危険に曝される。
エイドリックをたらしこむために素人が送られた可能性だって否定できないのだから。
たとえ死ぬ運命だとしても最後まで戦い抗う。それが軍人というものだ。
「信用させたくはないのか?」
「嘘なんて、ついてない……」
はぁはぁと荒い息を吐くティアナにザックスは顔を寄せる。そうしなければ声が小さ過ぎて聞き取れなかったからだ。
「お前は大事な何かを話していないだろう。黙っているのはなぜだ?」
「いえ、な、いっ……」
吐息を漏らし、身をよじろうとしていたが力が入らないようだ。服が肌にこすれ自らを虐めるに終わっている。
あまりにも苦しむ様に見かねたラシードが制止をかけた。
「これ以上は駄目。本当に殿下の恩人なら尚更だ」
「分かった。落としてやれ」
大きく息を吐いてあきらめたザックスにラシードは頷くと、抱えたティアナの首の後ろに手慣れた仕草で手刀を入れた。
ティアナは体を熱く火照らせ涙を流したままラシードの腕の中で意識を失う。
その姿にやったラシードも、やらせたザックスも後ろめたさだけが苦く残った。
「言っておくけど薬の量は間違ってないから。むしろ全部飲ませられなかったから普通より少ないくらい」
「それにしては効き過ぎていたようだが?」
「薬に耐性がなさすぎるよ。余程健康に育ったんだろうね」
ラシードは硬い木箱にティアナを横たえる。
汗でしっとりと濡れた髪を手櫛で整えてやると、慣れた手つきで上着を脱がせて綺麗に畳み、ティアナの頭の下に敷いて枕代わりにした。
「それにしても何を隠しているんだろう。素人で薬慣れしてないのに口を割らないなんて、余程のことだよ」
ザックスはラシードの話に耳を傾けながら、瞼を閉じたティアナを黙って見下ろす。
その隣ではラシードが荷を漁り、大きめの布を取り出してティアナにかけると、首元が苦しそうだとブラウスのボタンを二つほど外してやった。
覗く肌はほんのりと桃色に染まり、流れた汗で湿って艶めかしい。
「この子、本当に天使じゃないだろうね?」
「だとしたら僕は神様に殺されちゃうよ」とラシードは笑う。
ザックスは「悪かった」と詫びた。
秘密があるのは確かだ、言えないとティアナ自身が認めた。
この状況で黙っている秘密とはなんだろう。
敵国であるタフスや、エイドリックの兄で第一王子であるファブロウェンに通じる可能性は低いかもしれないが、ザックス達にとって重要な何かであるという勘が働いてやまない。
酷いことをしているのは分かっているが、吐かせない選択肢はなかった。
拷問で傷をつけるのは流石に戸惑われのでラシードにやらせたのだが、媚薬を盛られ必要以上の効き目を味わっても簡単に口を割らないとは余程のことだ。
反応からして経験がないのは分かった。快楽を知らない娘なら尚のこと。苦しさから落ち安かろうに、ティアナはラシードの罠にはかからなかった。
知りたいと思う。
けれど口を割らせるよりも目の前には大きな問題がぶら下がっている。
エイドリックを助けた事実だけを見ればティアナの望むまま逃がしてやりたいが、東の砦を守る副官としては決断できなかった。
ラシードは眠るティアナを天使と呼び、微笑みを浮かべて見つめている。
二十歳というがもう二つ三つ若くみえる綺麗な娘だ。
死を覚悟した戦を前にして殺伐とした雰囲気が流れていたが、まさに降ってわいた娘に兵士たちもどことなく浮ついている。
いいことではないが緊張ばかりでは参ってしまうので、彼女の出現は悪いとばかりも言えない。
「この娘、どこの国の出と思う?」
黒髪に黒い瞳の娘。色素の薄いイクサルドの人間でないのは確実だが、もしかしたら異国の血が混ざっているのかもしれない。
エイドリックの母親も異国出身で、濃い茶色の髪をしており、薄い金髪や銀髪の多いイクサルドの地では目立っていたのを思い出す。
「天上じゃないかな?」
真面目に聞いているのだから冗談はよせと、ザックスは美麗な横顔の義弟を睨みつけた。
「少なくともイクサルドじゃないのは確かだよ。だってザックスに纏わる美談を知らないんだから」
「なにが美談だ」
「もしくはエイドリック殿下の悲恋?」
「ラシード」
まともに答えろと睨むザックスにラシードは声を上げて笑った。
「ははは、だから天上だって。殿下の上に落ちて来たんだから間違いないよ」
茶化してはいるが、ラシードはザックスに想像がつかないのなら自分に質問しても無駄たと言っているのだ。
黒髪黒眼は南方の民に存在するが、彼らは肌の色も黒く、体も顔立ちもティアナとは全く異なる。
「ところで、殿下の具合はどうなのさ」
「熱は下がられた。快方に向かっている」
砦に長く仕えた料理人は金で第一王子に落ち、食事に毒を盛られた。
井戸に毒を入れたのもこの男で、タフスの攻撃でこれ程の被害を出したのもそれが一番の原因となったのだ。
「で、副官殿は?」
それでもザックスの状態が普通だったならなんとかなったかもしれない。
けれど少年期よりの無理が祟ったのか、井戸の毒のせいなのかは知れないが、最近になって残っていた右目の視力低下と視野狭窄が急速に進んでいた。もともと患っていた左目の視力は早々に失われている。
「タフスが攻めて来るまではもつさ」
「嬉しい答えじゃないね」
残念そうに溜息を落とすラシードは、それでも表情を崩さずに笑っていた。




