表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天使が落ちた世界  作者: momo
本編
35/42

その35 俺を許してくれるか?



 扉がノックされて返事を待たずに開かれる。

 混乱しているティアナには扉を叩く音は聞こえなかったが、ザックスは当然気がついていて、入ってくる人物も誰なのか予想ができていたようだ。


「わぁ、酷い顔だね」


 ラシードが盆に水差しとコップを乗せて入ってくる。

 彼の声は明るけれど、痛い物を見るように眉を下げた。

 後ろ手に閉じられる扉の向こうには、神殿騎士の制服がちらりと見えた。

 ティアナはザックスから体を離して涙に濡れた顔を拭う。ザックスがハンカチを貸してくれたので、受け取ってみっともない顔を隠した。

 ラシードは盆を台の上に置いて水を注ぐと、ティアナの横に腰を下ろしてコップを差し出した。


「飲みなよ。落ち着くから。薬は入ってないよ、ただの水だから大丈夫」


 差し出された水を受け取って素直に口に運ぶ。

 嗚咽が止まらないせいで上手く飲み込めなかった。それでも注がれた水の半分程が渇いた体内に取り込まれる。

 残った水をラシードが受け取って溜息を落とす。


「明朝イリスをつれて将軍が出立するってさ」

「どこに!?」

 

 ティアナはラシードに飛びつく勢いで声を上げた。


「王城」

「神殿ではないんだな?」

「ロヴァルス将軍が神殿嫌いなの知ってるだろ。それに天使ちゃんを神殿にかかわらせたら監禁まっしぐら。こっち側に置いときたいのにそれはないよ。多分だけど、王太子殿下が直々に沙汰を下されるんだろうね」 


 何かと口うるさい神殿と軍部は仲が悪い。基本的に神殿は閉鎖的な考えしか出来ず、血生臭い軍人なんて嫌いなのだとラシードが教えてくれた。


「だからお綺麗な神殿騎士を抱え込んで自らを格上げしているつもりなんだよ。ガウエン家の人間なら当然神殿寄りの考えを持つように育てられるんだけどね。僕はそういう押しつけが嫌で神官にも神殿騎士にもならなかったし、未来永劫なるつもりはない。何が神に仕えるだ、汚職が蔓延して金に汚いのは王城以上じゃないか」

「ラシード」


 悪態をつくラシードを止めるようにザックスが名を呼んだ。そして顎で扉の向こうを指す。聞かれていると指摘したのだろう。

「聞こえるように言ってるんだよ」と、声を抑えたラシードがにっこりと笑った。


「天使ちゃんだってそんな場所に閉じ込められるのは嫌だろう? いくら天使でも、君があんな場所に閉じ込められるのは僕は嫌だな」


 ラシードの言うとおりなら、神殿とはティアナが想像するのとは異なる組織のようだ。


「それで、天使ちゃんはどこまでやれるの? いっそのこと牢獄爆破して、神のご意志だとか叫んで問答無用じゃ駄目?」


 さっきまで考えていたことをラシードから提案されて、ティアナは思わず彼の考えに飛びついた。


「やれるでしょうか?」

「あの風をもう一回起こせばやれるんじゃない?」

「できます。あ、でも……それだと中にいるイリス君が死んでしまいます」

  

 ザックスには却下された考えをラシードが提案してくれる。

 その案に乗りかけたティアナだが、現実的に無理だと気づいて声を沈ませる。

 そんなことをしたらイリス以外にも多くの被害がでるのは明らかだし、そもそもあの石造りの強固な牢だけを吹き飛ばせるかどうかすら不明だ。

 ザックスに至っては何を言っているんだと、溜息を落としてラシードを睨みつけていた。


「でもさ、ロヴァルス将軍直々の護送となれば隙を突くのも難しいよ。それにロヴァルス将軍は副官の動きを読んでるだろうしね。一対一の戦いならザックスの方が上でも、副官に将軍を殺すつもりはないだろ?」


 ラシードは声を落として、イリスを救出する前提で話をしている。きっと扉の前で聞いていたのだ。否定的だったザックスも拒絶していない。

 落ち込んでいたティアナだったが、俄かに気持ちが浮上した。

 けれど冷静になると、二人を巻き込むことになるのだと思い至り、唇を噛んだ。

 どうにかして自分だけでやれないだろうか?

 そんな風に考えていたら、「僕は天使ちゃんのためにイリスを取り返したいだけだよ」と、それはそれはとても美しい笑みを浮かべてラシードが言った。


「罪を償わせるのも必要だけど、死んで償わせるってのはちょっとね」

「ラシードさんは処刑に反対なんですね?」

「だってイリスを殺したら、あいつの思惑どおりじゃないか。泣いて命乞いするなら殺すけど、自分が死んで天使ちゃんの心に永遠に刻まれようとしているってのが気に入らない」

「そう、ですか……」


 笑顔で返されて本気なのか冗談なのかよく分からなかった。ザックスを見上げると無表情だ。


「副官はどう思う? 何か案はないの?」

「お前が言うように、イリスの望みは自分の死に対して彼女が傷付き悔み続けることだ。処刑ではイリスの願いが叶ってしまう」


 ザックスは溜息を吐いて額に手を当て考え込んだ。

 そうなったらティアナが壊れるだろうとザックスは考えていたのだ。これが本当の神の御使いなら気に止める必要はないだろうが、ティアナは特別な力をもっていてもか弱い一人の娘。どうすれば守ってやれると悩んでいたのだが、ティアナは自分のことを案じてくれているとは思わず、イリスを助ける策を検討してくれているのだと思い、期待に満ちた視線をザックスに向けていた。


「じゃあ王太子殿下を拝み倒す? 殿下は神論者だし天使ちゃんは殿下と交流を持ったんだよね? 神殿に取り入るよりは確率高いかもしれないけど。ねぇザックス聞いてるの?」

「ああ、聞いてる。彼女は神の御使いとして王太子殿下に目通りしている。だが彼女が再び都へ行けば、神殿が口出ししてくる可能性も高い。彼女がイリスを助けたがっているのは神殿騎士の二人が把握しているからな。助ける条件として神殿入りを提示されたら……」


 イリスが助かるなら神殿に囲われてもいい。そう思うティアナに二人の視線が注がれ、二人して溜息を落とされた。


「だよねぇ。あいつらが天使ちゃんを囲い込む好機を見逃すとは思えなしなぁ……でも王太子に直談判で情状酌量を求めるのも、天使ちゃんの神秘性が疑われかねないしなぁ」


 力は本物なので疑われても証明できるのだが、王太子がティアナに惹かれたのは神の御使いという根底があるので、人間臭くイリスの救済を求めるのは得策ではないだろう。

 では命令するのか。

 ティアナの命令なら神の言葉として聞き届けてくれるだろうか。


「お願いです、どうかわたしを逃がしてくれませんか? 将軍が都に着く前に、ファブロウェン様と神殿を説得します」

「う~ん、でもねぇ。神殿は神の御使いに刃を向けたイリスを許さないと思うよ。あいつら汚いからこっそり殺したりするしね」


 都に向かう途中で捕まってイリスは処分。ティアナは神殿に押し込められるのが関の山だろう。「神に仕える神官は神の名のもとに結構あくどいんだよ」とラシードは笑う。


「あの……ラシードさんは味方になってくれるんですか?」


 イリスを助けられないかとの話に乗ってきているが、エイドリックに仕える兵士の一人としては裏切りになるのではないだろうか。

 それともここで見聞きした全てをエイドリックや将軍に報告するのだろうか。

 不安に揺れるティアナの視線に気づいたラシードは、わざとらしくむっとした表情を見せた。


「この前の戦いで生き残れたら君を守るって約束したのを忘れたの? 本当は僕だってイリスは償うべきだって思ってるけどさ、死なせるのは天使ちゃんの為にもならないみたいだから協力は惜しまないつもりなんだけど」

 

 いつものティアナなら他人を巻き込むなんて考えもしなかっただろう。

 けれど泣き叫んでいるうちに、イリスを助けるのには自分一人ではとても無理なのだと理解したのだ。

 勿論ザックスやラシードの命に関わるようなら頼れない。

 けれどティアナが口にする案は二人に切って捨てられたのだ。

 この世界を知る二人の意見を聞いてなんとかできないだろうかと、ティアナは縋る思いで「ありがとうございます」と礼を言った。


「でも無罪放免は無理だよ。王太子殿下を説得しても天使ちゃんは間違いなく神殿に取られるし、それでもイリスは罪人として一生牢獄だ」

「わたしは構いません」


 神殿という場所がどういったところなのか知らない。切望されるならイリスの命と引き換えに閉じ込められても構わない。その間にイリスを牢獄から出す法を考え付くかもしれないのだ。


「神殿に入れば君の起こす奇跡は、お布施という名目の多額の金銭でしか起こせなくなってしまうよ。必然的に王侯貴族や成金商人くらいしか顧客になれないだろうね。あいつらは狡猾だから」

「それでもイリス君が生きてくれるなら」

「きっとロヴァルス将軍やエイドリック殿下は妨害するだろうから、上手くいくとも限らないし」


 ティアナを神殿に取られるのはよしとしないのだ。

 神殿に閉じ込めて金でしか奇跡を起こさせなくするなんて宝の持ち腐れではないか。

 そんなことは将軍もエイドリックも許さないだろう。

 けれどティアナはそれでいいと考えを固めかけていた。

 取り合えずイリスが助かるのなら眼の前の藁に縋るしかない。

 神殿というものが分かっていないティアナには、ラシードの脅しがまるで通用しなかった。


「神殿か」


 一人押し黙っていたザックスがふと呟く。


「何? まさかザックスまでそれしかないって言わないよね?」


 碧い瞳がザックスを睨むと緑の瞳が鋭く睨みかえした。


「たとえ表向きだろうと、神は人々の前に平等ではなかったか?」 

「まぁ、そうだけど?」

 

 問われたラシードは訝しげに返事をし、ティアナは二人を交互に見やった。


「罪を犯した神官は何をして許される?」

「破門だね。二度と神殿の門を跨げない」

 

 罪にもいろいろあるが、神官が犯す罪は、大抵が神のご意志に背くという表現で裁かれるのだとラシードが嫌そうに告げた。

 

「ほんと神殿って嫌なところだよ。天使ちゃん聞いて。最も神の意思に背く考えなのが、神殿の頂点に立つ大神官なんだ」


 そう毒を吐いたラシードだったが、一瞬真顔になって動きを止めた後に「あっ」と声を上げた。


「いたね、破門されなかった大神官が!」

「その大神官と平民が同じ償い方をしたとて、神の前では平等なのだから何もおかしな話ではないだろう?」

「いやぁ……うん。同じだけどさ。でも同じじゃない」

「だが彼女が声を上げれば同じになる」

「まぁ、そう、かも、だけど……」


 強い眼差しのザックスを前に、ラシードの声が尻すぼみになる。

 ティアナが詳しく聞きたいと二人を交互に見やれば、ラシードが悲しそうな目をしたままにこりと笑って見せた。

 けれど明らかに今までのラシードとは異なる表情に、ティアナは不安から眉を寄せる。

 するとラシードは大きく息を吐いて金色の髪を掻き上げた。


「まいったな。当然ザックスも行くんだよね?」

「俺を許してくれるか?」


 ザックスがラシードを見下ろし、ラシードは一度唇を噛んでからまた息を吐きだした。

 ティアナは二人の間に何があるのか分からなかったが、口出ししてはいけないような気がして押し黙り、ザックスは黙ってラシードからの答えを待っていた。

 


 ザックスにはラシードがティアナを嫌っていないのはよく分かっているし、どちらかと言えばとても気に入っている。だからティアナにも協力的なのだ。

 けれどラシードは馬鹿じゃない。

 双子の姉アーリスを真実の意味で愛してやれなかったザックスを、その点にかんしてだけはよく思っておらず、ザックスが他の女性に心を捧げてしまわぬよう常に監視していた。

 ザックスがアーリスと婚約したのはエイドリックに頼まれたからだ。アーリスから向けられた男女間の情に応えたのではない。婚約し、結婚までした間柄だが、ザックスにとっては任務のようなものだった。

 死に行くわが身を盾にしたアーリスの我儘だというのはラシードも知っている。それでもラシードにとって姉が愛した男性が、真実の意味でそれに応えなかったのは許せない出来事だったのだ。


 そのラシードがザックスの感情に気づいていない筈がない。

 はたしてラシードは、ザックスが特別に想う女性の側に居続けるのを許してくれるだろうか。

 もちろん許されなくても行くしかない。

 ティアナを一人にしないと決めたのはザックスだし、一人になど出来よう筈もなかった。


 答えを待つザックスにラシードは氷の様な碧い眼を向ける。けれどそれは本当に一瞬のことで、すぐに美しい顔に輝く微笑みを零した。


「僕はイリスほど子供じゃないから。まぁ、殿下が今も裏切り者の姉さんを想い続けてくれてるからいいかな。それにザックスも、姉さんのことは忘れないでしょ?」 


 姉さんを忘れないで欲しい、ラシードはそれだけを願い続けている。

 ラシードの願いにザックスは無言で頷く。

 ティアナには二人が何について語っているのか分からなかったけれど、アーリスについてだというのは理解できた。

 ラシードの姉で、エイドリックの婚約者で、ザックスの妻になった女性。

 二人の間には、そのアーリスが鍵となって存在している。

 死んだ彼女を忘れないでと告げたラシードにとって、彼女はきっと姉以上の大切な存在だったのだろう。ティアナにはそう感じていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ