その21 神は私を王とは認めないのだな
色とりどりの花々が咲き乱れる庭園。
要塞を思わせる城の造りからして、このように素晴らしい庭園があるとはまったく想像していなかった。
ティアナはあまりの素晴らしさに感嘆の息を吐く。
前を歩くファブロウェンは、ティアナが漏らした吐息に反応して立ち止まった。
碧い瞳が驚きを孕んでいるのは、神の使いがこの程度で驚くと思っていなかったからだろう。
あいにく本物の御使いではないのでしょうがない。ティアナも自分からそう名乗ったわけではないのだしと開き直ってごまかすのはやめた。
「気に入って頂けたか?」
「――とても美しいと思います」
正直に答えると、硬かったファブロウェンの表情もゆるんだ。
いつも食事の席でしか顔を合せなかった王太子は、何を思ったかティアナを見事な庭園へ招待してくれた。
突然の誘いに、戸惑うティアナの背を押したのはザックスだ。
そのザックスを一人だけ部屋に残すことに不安を感じて戸惑っていたら、マリアから「ロブハート殿もご一緒にどうぞ」と告げられた。
それならとファブロウェンの招待を受けた。
ザックスはファブロウェンの護衛たちの近くにいて、ティアナとファブロウェンとは一定の距離を保った状態でついて来ている。というより、ファブロウェンの護衛に囲まれていた。
大きな男が護衛らに囲まれている様は、まるでザックスが王太子に攻撃を仕掛けるのではないかと警戒されているようだ。丸腰の彼をそれほど警戒する必要があるのだろうか。やりすぎに思えて何だか可笑しくなってしまう。
ザックスを気にするティアナの様子に気付いたファブロウェンは、少し寂しそうな表情で二人を交互に見やった。
「エイドリックはなぜあの男をそなたに与えたのであろうか」
「彼では不都合が?」
イクサルドだけではなく、国外にも名を馳せる実力者だと聞いている。ティアナを重要視するなら妥当な人選だと思うが……問い返すとファブロウェンは首を横に振った。
「神はなぜそなたをエイドリックに授けたのであろう」
視線を反らし、うつむき加減に告げたたファブロウェンの声は消え入りそうなほど小さかった。
これまでの態度とは変わって、気弱になったように見える。いったいどうしたのだろう。
もしかしてティアナがエイドリックの味方に付いているせいで、信仰する神から失格の烙印を押された気になっているのかもしれない。
ザックスによるとエイドリックには信仰心があまりないようなので尚更だろう。
「わたしには神の意思は分かりません。ですがあの日、わたしがエイドリックの元に落ちたのは、彼にわたしが必要だったからです」
「私には不要と? 神は私を王とは認めないのだな」
いつになく自虐的なファブロウェンにティアナは違うと首を振った。
「あなたは大きな勘違いをしています」
「勘違い? 何を勘違いしているというのだ?
「あの日、エイドリックは命の危険に曝されていました。イクサルドの存亡にかかわる状況でした。神の意思は計れませんが、彼らを救うためにわたしは落ちて来たのです」
タフスとの密約があったとしても、守るつもりがなかったのはイシュトの言葉で知っている。あの日ティアナが落ちて来なければ、イクサルドはタフスの侵攻を許し、今頃この都は戦火の真っただ中だったかもしれない。
「あなたのもとでない理由は分かりませんが、思い当たる節があるのではありませんか? あなたに必要なのはエイドリックであってわたしではありません。何を恐れいているのか知りませんが、エイドリックはあなたから王位を奪い取るつもりはありませんよ。エイドリックが王位を望んでいるなら、彼がわたしをどう使うかくらい想像できるのではありませんか?」
ティアナはエイドリックに対して全幅の信頼を置いているわけではないし、彼が嘘をついてティアナを騙している可能性だってあった。
けれどこれまでの状況でその可能性はとっくの昔に排除されていた。
エイドリックが望んでいるのは王太子からの信頼だ。兄弟としての絆だ。
あんな目にあっても兄王子へ固執する理由は知らない。ただのお兄ちゃん大好きっ子かもしれない。エイドリックは遠ざけられて命を狙われても、ファブロウェンとの関係回復を望んでいる。
「十年前だ。病弱な私に代えて、エイドリックを次なる王にと声が上がったのは。病が落ち着いた後も声は止むことなく内政が乱れたが、私自身はエイドリックを信じていた。だがな、私は聞いたのだよ。兄に変われる準備があると。エイドリック自身が言ったあの言葉を私は忘れない」
ティアナは内心うろたえた。そんなわけがあるものかと、聞き間違いや勘違いではないのかと詰め寄りたくなったが、ぐっと我慢した。
なぜならファブロウェンが、「忘れられない」と言ったから。
きっとショックを受けたのだ。その時までファブロウェンはエイドリックを信頼していた証だ。
「私の命が狙われ出したのはそれからだ。エイドリックに通じる証拠も幾つか上がっていた」
疑う余地はないと語る彼は表情を失っている。あえてそうしているのではなく、まるで心を失っているようだとティアナは感じた。
ファブロウェンが握った証拠が信頼できる物なのだろうか。
彼自身は信じてしまったようだが、過去に何があったか知らないティアナでは答えようがない。
十年の間で二人に起きたことは、お互いの中での真実になってしまっている。もしそこに第三者の思惑が加わっていたならどうなるのか。
二人はいつから兄弟の会話を怠っているのだろう。
「じっくりと話し合われては?」
「なんだと?」
「エイドリックの望みは、あなたの治世を支えることです。わたしもそれに従います」
「神が選んだのはエイドリックだというのにか?」
「そう神が言いましたか?」
もしそうならびっくりだ。ティアナは偽物の神の使いなので、もし神がエイドリックを王にと言っているなら、そうするべきかもしれない。
けれどファブロウェンの答えは「いや……私に神の声は聞こえない」だった。
よかった。方針を変えずに済むとティアナはほっとする。
「未来の王がありもしない言葉に振り回されてどうするのです?」
神などいないのだ。次代の王が有りもしない神の意思に惑わされてどうするのか。
ティアナはこことは異なる世界から落ちて来たが、神でも、神の使いでも、まして天使ですらないのだ。
見たものや聞いたことを、自分の都合のいいようにとらえるのは簡単だ。
十年前のファブロウェンは弟から出た裏切りの言葉を聞いたが、その真意を確かめた様子はない。
信じていた弟からの裏切りを連想させる言葉を聞いてショックだっただろう。
だから現実に裏切られる前に、裏切られていると捉えてしまったのではないだろうか。
最後の最後まで信じ続けて裏切られる苦痛を回避したくて、今日まで来てしまったのではないだろうか。
「未来の王……王だと?」
ティアナの言った「未来の王」との言葉はファブロウェンの胸に刺さったようだ。エイドリックがそう望んでいるとは聞かされても冷めていたのに、神の使いと思い込んでいるティアナからの言葉は彼の心を動かしたようだ。
「王です。王になるのなら王になる者らしく、何が正しくそうでないのかを、自身のその目と心で見極めるべきです」
王になるべき人が自国の民を無駄にしていい筈がない。
ティアナが落ちてくるまでにも、あの国境では多くの命が失われている。本来なら死なずにすんだ兵士たちだ。
ティアナからすれば、ファブロウェンは王様失格だ。
王位に固執して、弟を恐れて敵国の甘い言葉を信じてしまった。
弟を殺すために国境の土地を対価として渡す密談をするなんて、そこに住んでいる民はどうなるのか。国境を守る兵士たちにだって家族がいるのに。仕える王の裏切りで命を落とすなんて死んでも死にきれないだろう。
そんな兄を信じて王にと望むエイドリックには、ちゃんとした考えがあるのだろう。
自分が王位に就くのが嫌だという、子供染みた理由だけでないことを願いたい。
「王、か……」
呟いたファブロウェンは白い手で額に滲んだ汗を拭った。
春の陽気とはいえ日差しは強い。
どことなく辛そうな様子に、ティアナは仕方ないなと息を吐きながら、確かめたいこともあったのでファブロウェンに歩み寄った。
「お手を」
「なんだ?」
両手を差し出すと、不審そうに眉を顰められた。
「ご気分が優れぬようですので、不都合がなければ拝見させて下さい」
「敵に塩を送るのか?」
「意味が分かりません。殿下はご病弱と聞いています。わたしの力を知っているのに求めないのは誇りのせいですか? それとも疑っている?」
「……必要ない」
少しの間を置いて否定されたが、これを逃しては確かめる機会を失う。
ティアナは硬い表情を崩して、患者に向けるのと同じ微笑みを浮かべた。
安心させるよう、声色も少しばかり高くして親しみのある色をもたせる。
「触れるだけです。許可なくそれ以上は致しません」
じっと見つめていると、ファブロウェンはティアナから視線を外さずに、恐る恐るといった感じて左手だけを差し出した。
この警戒されている感じはいったいなんだろうと、心内で苦笑いを漏らしながら差し出された手を取る。
エイドリックやザックスと違って剣で硬くなった掌ではなく、男の人特有の筋張ってはいるが、とても綺麗な手をしていた。
触れた表面から体の中の流れを感じ取る。ゆっくりと取り零しのないように丁寧に巡らせると、結果が想像とは違ったので首を傾げた。
「それほど悪いのか?」
自虐的な笑みを浮かべたファブロウェンに、「いいえ」と首を振った。
どうしよう。彼に伝えていいものかと戸惑う。
ザックスに相談したくて振り返りそうになったが、あきらめたようなファブロウェンの様子に、医師として正直に向き合おうと、患者を相手に口を開く。
「いったいどこが悪かったのです?」
「どこ、とは……子供の頃は、熱を出しては寝込むを繰り返す日々だった」
神の御使いが分からないのかと、ファブロウェンの瞳が語っていた。対するティアナは成程と、妙に納得して優しく握った手を解放した。
「それは幼児期特有の症状で、成長期には落ち着かれたのではありませんか?」
「それは……そうだな。だが十年前は原因不明の病に倒れた」
「年齢はお幾つでした?」
「二十六だが?」
「幼少期の症状と、十年前はまったく別のものです。十年前に倒れたのは久し振りの不調でしたよね?」
「まぁ、そうであったと記憶している」
「十六までご無事だったのですから、体は十分にできあがっています。殿下はご自分が思う以上にお元気ですよ」
子供の頃の弱さと十六の病は全く別物だろう。病弱だからと思い込み、あまり外にも出ずに屋内に閉じこもっていたのではないだろうか。そのせいで体力がなかったのかもしれないが、原因不明の病を克服するだけの力は備わっていたに違いない。
「殿下のお体には病弱な要素が見当たりません。どこも悪いところはないという意味です」
ティアナの見立てに、ファブロウェンは眉を顰めだ。当然だろう、実際体の不調を自身が感じているのだから。
「体はどこも悪くはありませんが、このまま毒の接種を続ければ近いうちに体が壊れ、起き上がれなくなります」
「私は毒など――」
「摂取しています。間違いなく殿下の血には毒が巡っております。あの日、夕食に混入されていたものと同じ毒です」
欠陥があると思われたファブロウェンの体は、特別悪い個所は見受けられない。けれど間違いなく毒が巡っている。今はまだ症状にでない程度だが、確実に体を蝕む。
断言するティアナの言葉を聞きながら、ファブロウェンは首を小さく横に振っていた。
「そなたの言葉のどこに信憑性があると――」
「思い当たる節があるのでは?」
闇色に染まる瞳で碧い瞳を見つめる。
ファブロウェンは逃げずに瞳を揺らしていた。
「エイドリックではありません。殿下に何かあれば、彼はなりたくもない地位に縛られる。彼は自分が王に向かないと分かっているのです」
あの夕食の席でファブロウェンも何かを感じたに違いないのだ。
それを確かな物へと、けれどエイドリックに向かわせないよう注意しながら引き出そうとした。
こういうことに慣れていないが、エイドリック始め、彼を慕う多くの命がかかっているのだ。濡れ衣一つで奪われていい命ではない。
ファブロウェンがティアナに惹かれていると言ったザックスの言葉を信じて、必要以上に距離を縮めた。
偽りで固めた身で、相手の信心深さにつけ込むあさましさに言い訳はしない。
ファブロウェンは神にすがり、信仰心を強めることで、自分のの弱さを隠そうとしているのではないだろうか。そうでなければ、突然現れた怪しい女に、一国の王子が心を開くはずがない。
息遣いを感じるほどそばに寄るとファブロウェンは逃げた。
揺れる瞳がティアナからすっと反れて、仮面を纏ったいつもの表情に戻される。
そうだ、彼は王太子という仮面を纏っているのだと改めて気付かされた。
王になるために必要な居場所を守るために必要な仮面。
ファブロウェンはティアナから一歩後ずさったところで、背筋を正し堂々と胸を張る。
「先に失礼するがそなたは庭を楽しまれよ。話せてよかった」
踵を返したファブロウェンを黙って見送った。離れた場所に控えていた護衛が後を追う。
ティアナとザックス、それから監視のためか男が二人、この場に残された。




