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天使が落ちた世界  作者: momo
本編
2/42

その2 わたしのお陰なんですよね?



 ティアナはほんの一月前まで医師として多くの患者を診てきたが、このように疾病を抱えたまま堂々と佇む人間を見たのは初めてだった。

 佇むというよりも、とにかく大きいので迫力がある。


 ヴァファルでは、どんなに貧しくても病めば必ず無料で治療を受けられる。

 死産やそれに近い状態ではどうにもできないが、先天的に目が見えないとか、手足が動かないとかいった状態でも魔法で補う術があった。

 だからティアナは患者として不自由を抱える人間を目の当たりにすることはあっても、このように片目を眼帯で覆い、残されたもう片方も病に犯されたままという人間が放置され、さらに従軍しているという事実に驚き唖然としてしまった。


 不治の病という概念のないヴァファルに生まれ育ったティアナは、別の意味で新たな驚きに声を無くす。

 そんなティアナに向かってザックスと呼ばれた男が口を開いた。


「誰の手の者だ?」


 感情を一切含まない低く冷たい声にティアナは竦み上がったが、あらぬ誤解を与えてはならないと必死で首を振った。


「タフスか、それとも第一王子の?」

「どちらの方も知りません、違います!」

「では誰だ?」

「誰の命令も受けていません。気付いたらここにいたんです!」

 

 こんな人間に嘘をついてもすぐにばれてしまうだろうから事実だけを話す。怪しいと思われて殺されてはたまらない。

 すると思わぬ場所から援護がやってきた。


「本当だザックス。彼女は忽然と、上から落ちて来た」


 そう言いながら薄暗い天幕を見上げるのは茶金の髪をした男だ。彼はきっと偉い人なのだろう。

 そうだとティアナは大げさに頷く。

 ここが天幕の中で本当に良かった。

 建物なら天井に潜んでいたと疑われるだろうが、天幕の天井は布で出来ているので潜む場所なんてない。

 ティアナは冷たい目で見下ろすザックスとかいう大男に必死で訴えた。


「仕事をしていたら落とし穴にでも引き込まれるような感覚に襲われてここにいたんです。本当です。命の恩人を疑わないで下さい!」

「恩人?」


 細い目が更に細められ恐怖を覚えるが気にしてはいられない。ティアナは茶金の髪の男が最初に言った「助けられた」という言葉をしっかりと記憶していた。


「そちらの状況は分かりませんが、わたしが落ちて来た事であなたは助かったんですよねっ?!」


 命の恩人を傷付けるなんてしませんよねと、強く同意を求め振り返れば、最初に向けられた鋭い視線は消え失せていたのでほっとした。

 碧い目は笑ってはいないが鋭いよりましだ。


「わたしのお陰なんですよね? さっき言いましたよね!?」


 頷け、同意しろと、不用意に魔力を込めてしまわないように注意しながら必死に念を送る。

 人を操る魔法を使ったことはないし使えるわけでもなかったが、魔力が放出されて帰還できなくなるのは避けたかったのだ。

 願いが通じたのか、ティアナの訴えに男の顔が緩められた。


「そうだ、そなたに助けられた」


 男は硬い寝台の上から足を下ろすと、狭い天幕の中で一歩だけ足を進めてティアナの前に立つ。それに合わせるかに、後ろの男が剣を握り直す音が耳に届いた。


 前に立つ男はすこし気だるそうにしながら下に落ちたティアナの私物を拾い上げると、一つ一つ慎重に確認していく。メモをぱらぱらとめくってから財布を探った。


「調べさせてもらわなければならないが、そなたが本当に敵でないとみなされれば何か褒美を取らせよう。といってもここでは大したことはしてやれないが」

「では保護を要求します」

「調べて何も出てこなければ」


 彼らが疑うようなものが出て来る筈がない。けれど信用してもらえるものが出せるかはどうかは分からなかった。

 

「保護が必要な理由を聞いても?」


 男の様子を黙って窺っていたら理由を求められる。

 ティアナの私物を手のひらで弄ぶように調べながら一瞥し、メモの記入された部分を開いてザックスに渡した。

 彼らの琴線に触れるような記載があったのだろうかと不安が強まる。


「ここがわたしのいた世界とは異なる世界だからです!」


 声を上げたティアナをすぐ側で碧い目が見下ろす。


「異なる世界……ね。それはどこの国かな? 本当にタフスの命を受けて私を殺しに来た間者ではないのか?」


 見下ろす碧い瞳は、いい大人が何を妄想しているのかといった可哀想な子を見る目ではなかった。

 財布にしまわれた紙幣と硬貨に見覚えがなかったに違いない。

 世界が異なるのだから違って当然。

 そんな中で言葉が通じるのは有り難かった。異世界で共通言語とは奇跡でしかない。もし通じなければ魔法で強制的に言語を繋げる必要があっただろう。

 

 かけられる言葉使いもどことなく優しい気がする。

 流石に異世界というのを信じてくれないだろうが、紙幣と貨幣の違いにティアナが異質な存在なことくらいは気付いてくれた筈だ。


 異質だからと排除されない事を願う。

 なんにしろ後ろではザックスという男が剣でティアナを串刺しにしようと待ち構えているのだ。

 なんとしても生き残ってヴァファルに帰らなければ、生まれたばかりの妹だっているのに誰が養っていくというのだろう。


「タフスなんて人、本当に知りません。それどころかあなたの名前も、国の名も地名も人種もここがどこなのかも全て知りません」

「ここはイクサルド王国東の国境。タフスは我が国と戦を交える王国だ」

「王国?」


 てっきり人の名前だと思い込んでいたが、逆にそれが不自然だと取られてしまわないだろうか。ティアナは慎重に相手の様子を見ながら質問した。


「国境って、まさか前線?」

「そうだよ。しかもこのままなら第一王子の思惑通りこちらは全滅して国境を突破されそうだ」

「第一王子て、ええっと……タフス王国の?」

「イクサルドの、私の兄上だ」


 さらりと告げられた情報にティアナは息を呑んで目を見開いた。

 自国の王子たる者が国境を守る兵の全滅を望んでいるなんていったいどういう事なのだ。目の前にいる弟を嫌っているにしても、敵に国境を超えさせ自国に侵攻されるのは、戦に素人のティアナにだってよろしくないことだと理解できる。


「馬鹿ですかその人!?」

「ははは、不敬だなそれは!」

「ひっ!」


 条件反射で後ろを振り向いたが、ザックスはティアナに剣を向けてはいなかった。

 ああそうか。このザックスという男の仕える主の命を狙っている相手だ。ザックス自身も馬鹿な王子と思っているのかもしれない。


 それにしても第一王子とやらは国境が破られてからのその後を背負えるような人間なのだろうか。

 武装の様子から、彼らにはヴァファルのように魔法がある訳ではなさそうだ。

 勿論ヴァファルにも剣を握って戦う軍は存在するが、皇帝やその後を継ぐ皇太子が本気で掛かれば掌を返す程度で退けられてしまうだろう。それだけの力が皇帝となる者には備わってなければならない。


 こちらの世界の事はティアナにはどうしようもできない。第一王子が目の前の男の命を狙っていたとしても、ティアナには関わることができなかった。

 完全に国の、世界を超えた問題であり、ティアナにとっては他人事だ。

 何よりの問題はティアナがヴァファルに戻るまで国境が持つかどうかだ。

 早くて七日、遅くとも四十日。過去の例どおりにいくとは限らないが可能性は高いと思っている。


「では、あなた様はイクサルド王国の王子という訳ですね。お名前を伺っても?」


 無礼を承知で聞いたのは「不敬」といいながらも彼が笑ったからだ。

 タフスという国と戦争をしているとか、前線で戦う王子の邪魔を第一王子がしているとかいうのも一般的に知られている情報なのだろう。そうでなければこうも軽々と怪しい人間に話して聞かせる訳がない。

 ティアナは本当に彼を知らないのだと印象付けるために、あえて危険を犯して名を尋ねた。


「エイドリック・イクサルド。イクサルドの第二王子だが、兄に厭われ前線送りとなった。君が本気で保護を求めるなら、最も相応しくない場所に落ちて来たといえるだろうね」


 心を読まれたティアナは顔を顰めた。

 一見穏やかに話すエイドリックだが、実際は四面楚歌な状態なのかもしれない。

 たった今も刺客に襲われていたようだし、立つ姿はしっかりしているようで、どことなくだるそうだ。

 魔法を使う訳にはいかないので判別はできないが、もしかしたら毒にでもやられているのではないかとティアナは予想した。


 深入りするのはよくない。

 帰還を目指すティアナでは彼らに協力する術がないし、情が湧くと自分が辛くなるだけだ。

 生き延びてヴァファルに帰るのだと自分自身に強く言い聞かせていると、ふいに後ろからザックスに腕を取られ体がびくりと跳ねた。


「今からそのザックスに、そなたを詳しく調べさせる。何も出てこなければ出陣まで身の保証はしよう。だがおかしな点があれば容赦しない」


 ごくりと喉が鳴る。無意識に唾を呑みこんでいた。

 殺されるか生き残れるか。

 戦いの最前線にいては生き残れる確率も減る。

 近くの町や村まで避難できればいいが、文化や習慣も異なるであろうこの世界で、果たしてどこまで生き残れるだろうか。

 ヴァファルに帰って来た者たちのように上手くやれるだろうかと不安が過った。


 些か乱暴に腕を引かれ天幕を出ると眩しい陽の光に目を細めた。

 近くにいた兵士たちがティアナの存在にぎょっと目を見張るのが分かる。

 いる筈のない女が戦場にいるのだから驚いて当然だが、ぽかんと口を開けて凝視する者までいるので、不躾な視線はとても不快だった。


 陽の光は眩しいがすぐに慣れる。

 気候は温暖で辺りを見渡せば多くの天幕が張られており、周囲は緑に染まる木々に覆われていた。

 夏ではない、春だ。

 季節はヴァファルと同じ。

 時間の流れも同じだろうかと考えなが、二の腕を掴まれたままザックスに連行されて行く。

 大きな男だけあって歩幅も広い。

 女性としては背の高い部類に入るティアナだが、早足で付いていかなくては本当に引きずられる勢いだ。

 目も悪いだろうが張られた天幕や人にぶつかる素振りすらなく、見立てよりもしっかり見えているのだろうと推察された。


 ざっと見るだけでも、怪我をしている兵士の数がとても多い。

 白い包帯を巻いている者もいるが、布切れを代用している者もいて物資の不足が窺えた。

 魔法のない世界ではヴァファルにおいての応急処置が、こちらでの治療になるようだった。


 無言で歩いていたザックスが行き着いた天幕の一つを潜ってティアナを引き込むと、放られるようにして開放された。

 ずっと掴まれていた二の腕が痛い。痣になっているだろう。痛みをごまかすためにさすりながら黙っていると、ザックスは積み荷を幾つか下ろして座るように顎で促す。

 簡易的な椅子らしい。黙って従うと、ザックスは大きな背を積み荷に預けて立ったまま腕を汲んだ。


「もう一度名を言ってみろ」

 

 大きな体に眼帯。もう片方は白く濁った緑の目。歳の頃はティアナより十歳ほど上か、あるいは三十手前かもしれない。

 ティアナより頭二つはゆうに大きなこの男は、王子であるエイドリックの信頼が厚そうだが、そのエイドリックを遥かに超える勢いでティアナを疑っているのは確実だった。


 素直に名を答えると次は生まれを聞かれる。ヴァファル帝国だと告げるとザックスの眉間の皺が深くなった。


「それは何処にある?」

「ヴァファル帝国はわたしが住まう世界のほとんどを領土としています。生まれは西の端にある小さな村です。帝国の周りには幾つか小さな国はありますが、どの国とも上手くいっていて、わたしが生まれるずっと前から国同士の戦はほとんど起きていません」


 とても平和な国から来たのだと印象づけようと問われた以上を口にした。

 だからこそ手荒なことには慣れていないと意思表示するように、先程掴まれて傷む腕をさする。


「歳は?」

「二十です」

「仕事は何を?」

「帝国監査部に勤めています。配属されて一ヶ月です」

 

 そこでザックスは何かを考えるように太い指を顎に当てた。何か失敗したかと不安が過るが、考え込んでいたザックスの手が下がり再び組まれる。


「何を調べている?」


 先程よりもずっと低い声にティアナははっとした。

 監査部という言葉はあまりいい印象を与えない。実際不正を調べたりもして他の部署からは嫌煙されることも多いのだ。


「わたしが調べていたのは、わたしのように消える人間についてです」

 

 転移魔法の話などできる訳がない。けれど嘘をついても見抜かれそうで、ティアナはそれを恐れた。

 できる限り正確に、魔法という言葉を使わずどうやって理解してもらおうかと悩んでいると、ザックスが先に質問を追加した。


「お前の国では頻繁に人が消えるのか?」


 少し馬鹿にしたような感情が交じっているが、それにいちいち腹を立てるティアナではない。なにしろ命がかかっているのだ。

 ザックスの上司でこの国の王子が刺客に襲われた。その場所に居合わせたティアナも同時に疑われもおかしくなかったのだが、処分されるのではなくこうしてきちんと取り調べを受けさせてもらえるのは、襲われていたエイドリックが運良くティアナの出現を目撃してくれていたお陰だ。


「頻繁ではありませんが時折。人を瞬時に遠くへ運ぶ移動手段が開発されたのですが、それを使った人間が年に一人か二人、消えるという現象が起きていたのです。現在その移動手段は使用中止になっているのですが、便利ですので原因究明を言いつかりました」


 ティアナの答えにザックスはまたもや何かを考えるように押し黙った。

 その間もティアナをじっと睨みつけるのでなんとなく恐ろしい。


「単なる失踪という訳ではないのか?」

「どのようにしてかは不明のままですが、戻って来れた者がいます。彼らによればヴァファルや異国ではない別の世界に飛ばされていたのだと。どうやって戻って来れたかは彼らにも分からないそうです」

 

 ふぅん……と、ザックスはさほど興味なさそうに一度視線を反らしてからティアナを見下ろした。



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