その18 誰が触れるのを許しましたか?
ティアナは夕食の時間まで窓辺に立って、外の様子を眺めながら過ごした。
暇を持て余しているように見えたのか、「何かご用は」とマリアに何度か話しかけられたが「何も」と返すのを繰り返す。
見張られるのは仕方がないけれど、一人になりたくてバルコニーにでると、外の景色を黙って眺め続けた。
部屋の位置は三階。お陰で遠くまで見渡せる。
二重に聳える城壁の向こうには、赤茶色の屋根が台地を埋め尽くすように延々と広がっていた。
帝国であるヴァファルを知るティアナからすると、都の規模としては小さく感じるが、王国としては一般的な規模なのかもしれない。
国の大きさを知っているわけではないのでよくは分からなかった。
けれど城の作りからして、戦いの多い世界なのだろうというのは想像できたのと同時に、それにしてはと首を傾げる。
東の砦にいた時は、多くの兵士に囲まれていたので当たり前なのだと思っていたが、ファブロウェンはエイドリックに比べ明らかに細身だ。
イリスは少年だったのでそれ程でもなかったが、ラシードの体にもしっかり筋肉が付いていて逞しかった。
ザックスや斧槍を振りまわす者たちはさらに別格だったし、それほどでなくても剣を持つ兵士は、誰も彼もが相応に鍛え上げられた肉体を持っていたのである。
エイドリックを見て分かるように、王族であろうと戦いの場に立つ。
そのために剣や武術を学んでいるだろうが、ファブロウェンからはその様子がまったく感じ取れなかった。
もちろん彼は第一王子だし、次の王となる身として先陣を切る役目を担うわけではないだろうが、軍事国家ならそれらしく技を身につけていてもおかしな話ではない。
それなのにファブロウェンはどうしてと思うが、そう見えないだけで彼も、衣服の下はしっかり鍛えられた肉体をしているのだろうか。
ティアナは風呂に入れてもらって、垢を落として綺麗な衣服に包まれている自分を改めて見下ろした。
彼らは無事だろうかと気にかけるのと同時に、自分だけ特別扱いされていることに、身の置き場がないような気持ちになる。
エイドリックを筆頭に連行された彼らの処遇が心配だったが、今のティアナにできるのは待つことだけだった。
魔法で騒ぎを起こすのは簡単でも、エイドリックの立ち場を更に悪いものへと変えてしまいかねない。ティアナだって争いよりも平和な解決を望んでいるのだから。
日が沈み、星が瞬くまで外気に触れ続けた。
途中マリアの気使いで温かなショールが肩にかけられたが、特に寒さを感じていたわけでもない。
治癒に長けた魔法を使うティアナが風邪をひいたり、病を患ったりすることは極めて稀で、そうなったとしてもすぐに自分で癒やせてしまうのだ。
だからといってティアナが持つ情報を安易に口にするつもりもなく、黙ってされるがままを受け入れていた。
夕食にと招かれた先は、決して広くはないが、豪華なシャンデリアと内装の素晴らしい部屋だった。
取り付けられた蝋燭の橙色の灯りが、硝子に反射して光を増長させている。
とても綺麗だったが、魔法で作り出した光源に慣れたティアナには薄暗く、幻想的な雰囲気も、置かれた立場のせいで不気味に感じらてならなかった。
部屋に入ると、先に入室していたファブロウェンが立ちあがってティアナを招く。導かれるまま椅子に腰を下ろせば、ファブロウェンはティアナの正面に座った。
「それでは頂こう」
グラスに赤い液体が注がれると前置きも何もなく促される。
湯気のたつ豪華な料理が目の前にあるのに空腹を感じなかったが、正面に座るファブロウェンを真似てナイフとフォークを手にしながら眉を顰めた。
「不満でも?」
ティアナの様子に気付いたファブロウェンが食事の手を止める。不満はないが、彼ら王族はいつもこうなのかと驚いてしまっただけだ。
並ぶ料理の全てに、ごく僅かだが毒が混入されている。
ヴァファルではもともとの食材に毒性がある物があったが、こちらではそういうわけでもないし、ティアナの目の前に並ぶ品々も食材ではなく料理事態にごく僅かな毒が混ぜられているのだ。
体を毒に慣らすにしても限度がある。
殺意を持って毒を盛られた時に極限がきたらどうするのか。
まさにエイドリックがそうだった。
毒の扱いにも慣れていないのに、実行しているのだとしたら極めて危険だ。
敵に塩を送るわけはないが、ティアナはナイフとフォークを元に戻してファブロウェンを真っ直ぐに見つめた。
「あなたと二人で話がしたいのですが」
部屋に揃う護衛と給仕の視線が一斉にティアナへと注がれる。ファブロウェンに付き纏っていたあの老人はいない。
ティアナの言葉にファブロウェンは少しばかり考えていたが、片手を上げただけで護衛と給仕を部屋から退出させた。
「それで、話とは」
ファブロウェンはティアナを見たままグラスを持ち赤い液体を口に含み、それを見たティアナは更に眉を顰めた。
「体を慣らす名目で毒を接種するのはお勧めできません」
グラスを持ったファブロウェンの動きがぴたりと止まった。
「毒に体を慣らそうとしても、蓄積され許容範囲を超えれば肉体は壊れます。つい先日、毒を盛られたエイドリックがそうだったように、あなた方のこの行為は肝心な時には意味を成さないのです」
グラスを置いたファブロウェンが興味深そうにテーブルに膝を付いて手を組む。
「毒を、エイドリックが?」
「信頼する料理人が王太子派へ寝返ったと」
次に眉を顰めるのはファブロウェンの方だった。
「私は命じておらぬぞ」
「そうですか。エイドリックもあなたの命は狙っておりませんが?」
ティアナはファブロウェンの言葉をそのまま信用するつもりはない。注意深く相手を観察しながらも感情を表に出さないよう、凛とした表情を心がける。
「エイドリックは知らぬが、私は自ら毒を口にするような真似はしない」
「ですが――入っていますよ?」
ファブロウェンが口にしたもの全てを視線で追えばふっと鼻で笑われた。
「信用できんな」
グラスを持ち液体を含んだファブロウェンは口の端だけで笑った。
会ったばかりの娘の言葉なんて信用するに値しないのだろう。ティアナにも毒が入っている証明はできない。
今は仕方がないと、ティアナは食事と向き合い口をつけた。
「毒が入っているのではなかったのか?」
馬鹿にした声色に、ティアナは咀嚼し飲み込んでから答える。
「毒がわたしに効くとでも?」
入っていると分かった時点で取り除くし、無理矢理口に入れられたとしても、体内に取り込んだ時点でティアナの体は毒を浄化しにかかるだろう。魔法使いの体とはそんなものだ。
「望まれるなら、そちらの毒も取り除きましょうか?」
「――必要ない」
そういいながらファブロウェンは、それ以上何かを口に運ぶことはしなかった。
どういうわけかその日から毎度、ファブロウェンと夕食の席を共にするようになる。
毒が盛られていたのは最初の食事だけで、後は豪華な食事だった。
置かれた状況のせいで美味しいはずの料理に食欲が湧かず、味もほとんど感じない。
常に気になるのは城の門を潜って別れたきりの彼らだった。
ファブロウェンはティアナをどうしたいのか。彼から特別な要求はなく、飼殺しにされている気分である。
ファブロウェンにくっつく老人は、ティアナと顔を合わせるたび忌々しそうにしていたが、直接何かを言ってくるでもなく、見かけは平和な時間が過ぎるだけだ。
エイドリックが望んだように神秘性を持たせようと態度に気を使っているせいで、相手もティアナをどうしたらいいのか決断できないようだった。
そうして五日も何もせず、部屋にこもりきりの日が続くと流石に参ってきた。
ザックスやエイドリックたちが心配で、問うのは無知を曝すようで控えていたがそろそろ辛い。
「いいかげんザックスを返してくれませんか」
安否も気になっていた。
沈黙だらけの夕食の席で口にしてみれば、ファブロウェンは不服そうに布で口元を拭った。
「ここでの暮らしは気に入らぬか?」
「気に入りません」
答えるなりティアナが席を立つと、ファブロウェンもティアナにつられるようにして立つ。
それを無視して扉に早足で向かって取手に手をかけると、ファブロウェンの護衛に腕を掴まれた。
「お控えください」
剣を握る男の腕を、あえてゆっくりと目で辿り振り仰ぐ。
「誰が触れるのを許しましたか?」
ティアナを掴んだ男が弾け飛んで床に尻餅をついた。
何をしたかといえば、ティアナが魔法で弾き飛ばしたのだ。
始めは何が起きたのか分からなかったようで、護衛たちは瞳を瞬かせた後、状況を察すると一斉に剣に手をかける。それをファブロウェンが止めた。
「慌てるな、大事ない!」
振り返ったティアナが部屋を見渡すと、部屋の全員が緊張に包まれて身構えていた。
魔法を彼らの前で見せるのは初めてだ、聞くと見るのでは感じ方も異なるだろう。
未知の力に衝撃を受けている彼らを前に、ティアナはこれを機に、やれるところまでやろうと決意を固める。
「わたしはエイドリックのもとに使わされ、エイドリックはわたしにザックスを与えました。そちらにも言い分があるのは理解します。その代わりザックスだけでも今すぐ返しなさい」
返事を待たず扉を開いて外へ踏み出すと、護衛らがティアナを取り囲むが、次は警戒して誰も触れようとはしない。
彼らはティアナが一歩踏み出す度に同じだけ後ずさり、取り囲んだまま追って来る。その護衛とティアナの間に入り込んだのがファブロウェンだった。
「分かった、戻そう。だがしばし待て」
「十分待ちました」
「しばし、もう少しだけ部屋で待ってくれ。すぐにつれて行かせる!」
慌て焦るファブロウェンの声に、ティアナは立ち止まった。
彼らが傷付けられているのに自分だけが優遇されているようで怖かった。何としても取り戻さなければと、無能な自分への怒りをファブロウェンに向けていた。
「すぐに?」
確認した声は自分でも驚くほど冷たく、ファブロウェンは一瞬言葉を飲んでから「二刻」と繋げる。
「二刻ほどでいい、待て。必ず連れて行かせる」
二刻という時間が意味するところは何なのか。
彼らの身に何が起こっているのかを考えると、怖くて今すぐにと叫びそうになるが、ぐっと堪えて目を細めた。とりあえず無事と分かって、ほんの少しだけほっとする。
「では、二刻のちに」
言い残すと通い慣れた石造りの廊下を早足で舞い戻る。慌てて付いて来ようとしたマリアにティアナは振り返った。
「ザックスが戻ればあなたも必要ありません。今まで御苦労でした」
この五日間、ティアナのために尽そうと必死だったマリアには悪いが、ザックスが戻った時に彼女がいては話しもできない。
冷たく思われるだろうがきっぱり突き離すと、マリアは息を飲み唖然としたがすぐに我を取り戻す。
「決してお二人の邪魔はいたしませんので、せめて扉の前で控えるお許しを!」
第一王子の命令でティアナに仕えているのだ、離れればマリア自身が何か不味いことになるのかもしれない。
あまり意地悪をするのも憚られ、ティアナは勝手にしろという意味を込め無言で歩みを進める。マリアはその意味を正確に読み取るとティアナの後を追った。
マリアのいない部屋で長椅子に腰を下ろしたティアナは、強く出るだけでザックスを返してもらえるのなら、もっと早くにそうしておくべきだったと後悔していた。
エイドリックの指示なく魔法を使うのに躊躇したけれど、この力はやはりこの世界では異質で稀有なのだと実感する。
今のうちにエイドリックの解放を望むべきだろうか。
ファブロウェンにとってエイドリックは、自分を暗殺しようとした罪人なのだろうけれど、エイドリックはそんなことしていない。エイドリックがティアナを騙しているなら別だが、彼からはそんな雰囲気は感じなかった。
尤も素人のティアナに真実を見抜く力ない。だから自分の見たままを信じてしまう。
それでもファブロウェンと過ごして様子を見ていると、何がというわけではないが、どうにもしっくりこないのだ。
食事に混入された毒の話もだが、彼はティアナの指摘を鼻で笑っていた。
あの対応は王族として長く生きる彼が身につけた術だとしても、ティアナの言葉を否定したくせにその後、食事には一切手をつけていなかった。それは彼自身で何か感じることがあったに違いないのだ。
ファブロウェンにとって、エイドリックは自分を殺そうとした主犯格。
それはエイドリックにとってもしかり。
けれど何かが違うのではないだろうかと、ティアナはごろんと長椅子に寝そべった。
幾何学模様が描かれた高い天井を眺めながら思案に暮れる。
ちらつくのはファブロウェンに付き従う初老の男で、彼がいったい誰なのか知らないが、ファブロウェンの信頼を一身に受ける存在に違いない。
毒の件も彼に相談して取りやめたのだろうか。
ティアナを殺そうと毒を盛ったとも考えられなくはないが、そうだとしたらなぜファブロウェンの食事にまで混入させる必要があるのだろう。
それにあの毒の量では、小さな子供を殺すこともできないと思われる。
なんにしてもティアナはこの国を知らなさすぎた。
エイドリックとファブロウェンの確執も、王家の内情も全て、何も分からないのだ。
マリアによれば「翡翠の命石」と呼ばれる、緑色の石が付いた首飾り。それが寝そべるティアナの襟元から零れ落ちる。
これを持っていたお陰でザックスと情を交わしたことになっており、少なからずその情はティアナらにとって優位に動いてくれるようだ。
この世界に流されてからは緊張の連続でとても疲れていた。
いつの日か奇跡が起きてヴァファルに戻れないだろうか。そんなことをぼんやり思いつつ首飾りに触れていると、扉が叩かれる。
びっくりして慌てて体を起こした。
驚きすぎて動悸が凄い。落ち着けるために深呼吸していると、「失礼いたします」とマリアの声。
そっと開かれた扉の先には、待ち望んだ男が立っていた。