その17 神があれを認める筈がなかろう
砦を離れて十日。ティアナはイクサルドの都に足を踏み入れた。
ヴァファルに比べて、建物は低く道幅も狭い。整備された石畳が王城に向かって真っ直ぐにあるものの、天高くそびえる塔や三階四階と続く家屋はないようだ。
魔法が支配する帝国と、全て人力による世界の差だろうが、それ以外には特にこの世界がヴァファルに劣っているという印象はなかった。
生活一般は皇帝の力が届きにくい辺境と変わらず、なのに街の人々は飢えていない。
活気に溢れ、都というにふさわしい賑わいと人の数。
行き交う人々からは明るい声が聞こえてくる。東の国境で殺し合いがあっているなんて嘘のようだ。
城は都の中心に築かれていた。
土色の高い壁に囲まれたそれは巨大な要塞のようにも感じた。優美さよりも実益なのは戦の多い国ゆえの城なのだろう。
馬を降りて城門を潜る。道なりに進むと、またもや高い壁があって門を潜る。
二度目の門を潜ったところで、一行を迎えた兵士らに取り囲また。
先頭を行くエイドリックやザックスを始め、周りをぐるっと取り囲むようにして剣を向けられる。
「エイドリック殿下には、タフスと内通したうえ、王太子暗殺未遂の容疑がかけられております。抵抗は反逆とみなし容赦致しません。武器をこちらへ。どうか従って頂きたい」
エイドリックたちは抵抗せずに武器を預けた。馬も奪われてしまう。
戸惑うティアナの耳元で、「静かに、堂々としていろ」とザックスが囁いた。
大人しく拘束されたエイドリックがティアナを振り返った。
イシュトを逃がしてから険悪になっていたが、彼の視線には気遣いが窺えた。
タフスと繋がっているのは第一王子なのに訳が分からない。エイドリックに罪をなすりつけるつもりだろうか。
恐かったが、大丈夫だとの気持ちを込めて頷けば、エイドリックが頷き返してくれた。
エイドリックとティアナ以外の全員が縄をかけられる。余計なことを口走ってエイドリックたちが危険になったら大変だ。ザックスの助言に従い、ティアナは口を開かず成り行きに身を任せることにした。
エイドリックたちは拘束されたままどこかへ連れて行かれてしまい、ティアナだけがその場に残された。
付いて来るように言われたので大人しく従う。手荒にされることなく、兵に囲われて連れて行かれた先は、明らかに罪人向けではない一室だ。
年配の女性が一人いて、彼女はティアナに深く頭を下げた。
どうやらティアナの存在はエイドリックの思惑通りに伝わっているらしい。
エイドリックはタフスと内通して王太子を暗殺しようとした罪に問われているようだが、イシュトの言葉を信じるなら濡れ衣だ。
この国の王太子はいったい何を考えているのか。
弟のことが嫌いだからって、国境を守る自軍に毒を盛るなんて。いかに愚かであるか、素人のティアナにも分かることなのに。
こんなイクサルドがいつまでも平和なわけがない。
そもそも二人の父親でもある国王は何をしているのだろう。
とんでもない事態になっているのを傍観しているとしたら愚王なのかもしれない。
そんなことを考えていると、旅で汚れていたティアナを、マリアと名乗る女性がお風呂に入れて、新しい服を着せて髪を梳かし、身綺麗に整えてくれた。
その間、ティアナは黙って奉仕を受けた。
エイドリックの目論見通りの神秘性を保つためだ。
どうするのが正解なのか分からなかったので、黙ってされるがままを受け入れただけとも言えるが、笑顔一つ見せず、礼の一つも口にしなかった。
裸にされたのには驚いたが、拒絶もせずされるがままに身を任せた。
着せられた服は胸の下で切り替えのあるゆったりとした裾の長いワンピースで、とても手触りがよく久々に女に戻った気がした。
状況から察するに、ティアナは王太子の手の内に囲われるのだろう。
エイドリック達が気になるが、まずは敵を知ることに集中しなければと冷静さを保つ努力をする。
タフスと内通しているのは王太子である第一王子だし、エイドリックは暗殺未遂などやっていない。
砦で危機に瀕していたエイドリックにはそんな時間がある筈がないのだ。
本当にエイドリックが兄を殺したいと思っているなら、ティアナを上手く使っただろう。先ほど連行されるときも、ティアナに関して何も言わず、されるがままだったのは、自分は無抵抗だと、兄に反旗を翻していないとの主張だったのかもしれない。
兄王子との和解を望むエイドリックを思うと切なくなった。
毒を盛られ、敗戦覚悟の戦いに押しやられても、関係回復を願う彼は、連れて行かれた先で何を思っているのだろうか。
身だしなみを整え終えると、合図もなく無遠慮に扉が開かれた。
多くの護衛に囲まれた男が入って来てティアナに目を止める。
「王太子殿下、ファブロウェン様に御座います」
マリアが耳打ちして頭を垂れる。
ティアナはどうしようかと一瞬迷ったが、現状とエイドリック達のことを考えて腰を折る真似をせず、目の前に現れた男を真正面から迎えた。
「彼女が?」
「左様でございます」
ファブロウェンは隣に立つ初老を迎えた男に確認しながら、ティアナから視線を外さない。
少し意外そうにしていたが、すぐに硬い表情に戻った彼の瞳は、エイドリックと同じ碧で、髪の色も同様に茶金だ。
背の高さも殆ど変わらず、容姿も似通っている。
どちらかと言えば、エイドリックの方が端正で華やかだが男らしく、ファブロウェンは剣を持たないのか体つきは細く感じた。
「娘、名は?」
「先にお名乗り下さい」
凛とした返しに側に立つマリアが息を飲むのがわかった。
ファブロウェンの隣に立つ初老の男は不快を露わにしているが、ティアナだってやりたくてやっているんじゃない。
できる限り堂々と、緊張を悟られないように注意して、ゆっくりとした呼吸を心がけた。
「ファブロウェン・イクサルド。これでいいか?」
「殿下!」
隣の老人が叱咤したが、ファブロウェンは片腕を上げて男の口を閉じさせた。
誰だこの男はと、視界の隅で観察しつつ、ヴァファルで垣間見た皇太子の威厳を思い出しながら、声が震えないよう慎重に息を吐きだした。
ヴァファルでは、たとえ貧しい辺境の生まれであろうと関係ない、力こそがすべてなのだ。
自分には皇太子の側室になって未来の皇帝を生みだせるだけの力がある。それだけ凄いのだと、自身に強く言い聞かせる。
相手が王族だから怯む必要なんて微塵もない。
こっちは王国、ヴァファルは強大な帝国だ。
「ティアナ・レドロークです」
姿勢正しく直立したまま動かない。震えそうになる足に力を入れていると、ファブロウェンが長椅子に腰を下ろした。
前に座るよう促されて、遠慮なくそうさせてもらう。
あと少しでも立ち続けていたら、緊張のあまり倒れてしまいそうだったのだ。
「噂は耳にしている。そなた、奇跡を起こすらしいな?」
やはり知っているのではないか。
その問いかけに答えず、無表情でファブロウェンの側に立つ老人を一瞥し、再度目の前の王子に視線を戻した。
お前たちの下にいるつもりはない……と、慇懃に意思表示したつもりだ。
これで正解なのか分からないけれど、拘束されたエイドリックたちのためにもやるしかなかった。
「わたしはエイドリックのもとに使わされました。エイドリックをどこへやったのです?」
態度のせいか言葉のせいかは分からないが、ファブロウェンが顔を顰める。
ティアナは緊張のあまり膝の上に乗せた手が氷のように冷たくなって、音が遮断された感覚に陥った。
「あれには私の暗殺を命じた容疑がかけられている」
「元気そうで何よりです。それで、エイドリックは?」
何が暗殺容疑だと、ティアナは不快を現すように目を細めた。
彼らがティアナの力をどの程度信じているかは分からない。
毒を盛られても元気なエイドリックや、隻眼ではなくなったザックスを目の当たりにしたのなら、信じる他ないだろうが、それを本当に奇跡と思っているのか、もしくは仕掛けがあると疑っているのか。
ティアナだけが拘束されずこの待遇なのは、恐らくエイドリックの思惑通りと思われる。
それでも女神と崇めはしてくれない。
あくまでもファブロウェン自身が上と言うことだろう。
「暗殺に関わった者が、エイドリックの命令を受けた証言しているのだ。王族ゆえに命はとらぬが、生涯幽閉となるだろう」
双方から聴取は取らないのか。
エイドリックを咎人としたくてたまらないらしいファブロウェンを、ティアナは漆黒の瞳で強く見据えた。
王族だから命はとらないのなら、王族ではない部下たちはどうなってしまうのか。
エイドリックにこの状況が覆せるのだろうかと、不安が押し寄せる。
「わたしがなぜ、エイドリックの元に使わされたか分かりますか?」
「エイドリックではなく、このイクサルドに使わされたのだ。あれは腹黒い。神があれを認める筈がなかろう」
「わたしは彼のもとに落ちたのです。それが、定めです」
この世界に落ちたのは、これが定めだからだ。
ティアナは自分自身に暗示をかけるように言い放てば、ファブロウェンではなく、隣に立つ老人が忌々しげに顔を顰めた。
ファブロウェンの腹心なのだろうが、嫌な感じの男だ。ファブロウェンは唸る老人を無言で制すると息を吐いた。
「そなたの身は神殿預かりとする。天から落ちたのであればそれが妥当だ」
ティアナは天からの使いなんて信じないが、こちらの世界では異なるらしい。
邪険にできないといったところだろうが、神殿という場所がどこにあるのかすら知らないティアナは、ここから移動させられるのは嫌だった。
エイドリックたちから離れるのはとても不安だ。特に彼らの命が守られるのか心配でたまらない。
どうしたものかと思案していると、後ろに控えていたマリアが「あ!」と声を上げた。ティアナは思わず振り返りかけるが、寸での所で堪える。神の力を持つものが、後ろで声が上がったくらいでびくついてどうするのか。
「いったい何だ?」
ファブロウェンでなく、老人が苛立たしげに問えば、マリアが恐縮して頭を下げる気配が伝わってきた。
「ティアナ様の御身には、翠玉の命石がございます」
「何だと!?」
声を上げ驚く老人と、眉を顰めたファブロウェンを前にして、命石とはなんだろうと疑問に思うが表には出さない。
そのまま澄まして成り行きを見守っていると、ファブロウェンが立ちあがり目の前にやって来た。
あれはおもむろに腰を屈め、少しの躊躇を見せた後で、ティアナに向かっておもむろに手を伸ばす。
伸びたファブロウェンの指が再び戸惑いを見せるが、すぐに意を決してティアナの首に伸びた。
その間ティアナは微動だにせず、ファブロウェンから視線を離さずさない。
視線を感じているであろうファブロウェンは、額に薄っすらと汗を滲ませていたが、ついに彼の指がティアナの首に下げられた首飾りを引き抜き、緑色の石を確認して息を飲んだ。
「そなた……ロブハートと情を交わしていたのか」
ファブロウェンが手にする石は、ティアナがザックスに貰ったもので間違いない。
ザックスに何かあってもこちらの世界で生きて行けるようにと、身元保証としてくれたものだ。
石にはティアナでは読めない文字が刻まれていたが、恐らくザックスの名前だろうと予想していた。
衝撃を受けたらしいファブロウェンの言葉からすると、この首飾りは彼と情を交わした女性が持つべきものらしい。
なるほど、彼らの様子を窺う限り、身元保証という意味ではとても効果がある品物のようだ。
「どうなのだ?」
「彼がいないと困ります」
再度問われたティアナは怯まず、ファブロウェンと視線を交わしたままそう答えた。
なんと答えるのが正解か分からなかったので「困る」と表現した。
そう答えることで勝手に想像してくれるだろう。
ティアナの弱みと思えば、命の保証くらいにはなるかもしれない。さらにザックスがいないことで、彼いわくイクサルドに使わされたティアナに不自由があるなら、天が下界に罰を下すかもしれないと恐れてくれるのではないか。
いかほどの信仰心があるのか分からないし、エイドリックの様子からすると期待できなかったが、どうしたらいいのか分からないなりに精一杯神の使いを演じてみた。
案の定ファブロウェンが護衛の一人に目くばせすると、その護衛が一礼して部屋を出て行ったのだ。
ティアナにとって幸と出るか否か。
この世界に落ちて短いが、自分だけが助かる道なんて考えていない。
考えの衝突があっても、世話になる彼らを簡単に身捨てる人間ではなかった。
最悪の場合は大人しくするのをやめよう。城中に暴風を起こして脅してやる。
捕らわれた皆の身を案じていると、ファブロウェンがティアナが下げる首飾りからようやく手を離し、背筋を伸ばした。
「夕食を共に。それまではゆるりと過ごせ」
そう言い残して部屋を出て行く。
最後に初老の男がティアナを振り返ると、忌々しそうに睨みつけた。