その14 王族だと喧嘩も命懸けなんですね
イーク・ロヴァルス将軍は四十代半ばの、想像したほど大きな男ではなかった。
大きくないといってもザックスや前線で斧槍を揮う男達と比べてであって、ロヴァルス自身が小さい訳ではない。
ティアナよりも確実に背は高いし、エイドリックの隣に並ぶとほぼ同じくらいだろうか。
けれど肉体は若い者に負けずとも劣らぬ鍛え上げられているようで、エイドリックの隣に立つ姿には彼以上の貫禄が備わっていた。
そのロヴァルスに入室と共に睨まれたティアナは瞬時に視線を反らしてしまう。
イリスの言うように彼が怖かった訳ではない。そうではなく、中年の渋みを湛えたロヴァルスの容姿がとても好みで、彼の視界にいるのが恥ずかしかったからなのだ。
恋をした訳ではないが憧れがある。
子供の頃から親元を離れていたせいなのか、ティアナは同世代より、庇護してくれるかなり年上の男性に好意を持つ傾向が強かった。
そんなティアナの様子に、目聡く気付いたエイドリックが目を細め口角を上げる。
「ロヴァルス将軍は妻帯者だ。そなたと変わらぬ年頃の息子もいる」
「――そうですか」
こんな意地悪しないでほしい。大人なのだから気付いても「ふーん」ですませるような事柄じゃないだろうか。
こんな状況で男に見蕩れるなんて恥ずかしいが、ほんの少しの間だったのに。
そんなことを思っていると、いつの間にかロヴァルスが目の前に立っていて徐に跪いた。
「王国の危機だけではなく、殿下始め、多くの兵を救って頂き感謝する」
胸に手を当て頭を下げたロヴァルスの前にティアナは慌てて屈み込んだ。
「やめて下さい、わたしはっ!」
ロヴァルスが顔を上げると、強く鋭い眼光がティアナを射た。
至近距離で受け止めたティアナは、その目を見て否定しかけた言葉を呑まされる。
彼らにとって死は当たり前なのだ。どこの誰とも知れない小娘にすら、共に戦う命を救ってくれたからという理由で簡単に膝をつける程に身近なもの。
きっとロヴァルスも砦に馬を走らせながら間に合わないのを覚悟していたのだろうし、実際に間に合わなかった。
けれど砦に辿り着けば、奇跡ともいえる状態が目前に広がっていたのだ。
奇跡の原因をエイドリックからどのように説明されたのか知らないが、ロヴァルスはティアナが担うべき役目を理解して受け入れたに違いなかった。
追い込まれる、逃げられない。
逃げたいと思っても行き場もないティアナには、目の前の全てを受け入れる道しかないのだ。
仕方がない。なるようにしかならないと、小さく溜息を落としてエイドリックを仰いだ。
「わたしは何をさせられるのですか?」
エイドリックに保護を求めた以上は報いる義務が生じる。
ここで魔法は特別だが、使い方を一歩間違えば迫害の対象として命を落とすだろうし、エイドリックもティアナが従わず危険とみなせば切り捨てるだろう。
いくら魔法が使えたとしても、訓練された兵士たちにティアナが敵うわけがない。魔法で応戦できるとしても寝込みを襲われでもしたらひとたまりもない。
「そなたは私に遣わされた天の御使いだ。慈悲を与えてくれればそれでいい」
「天を味方につけて王になるつもりですか?」
第二王子であるエイドリックが望むなら敵わぬ望みではない。
使い方一つで弟を暗殺しにかかる兄王子を排し、エイドリック自身が王太子として立つ夢を実現できるだろう。
しかしエイドリックは失笑して首を振った。
「私に王は務まらないよ。軍に身を置くほうが性に合っている。玉座に座り政務をこなす我が身を想像しただけでうんざりだ」
「ではどう使うのです?」
治療は出来るがそれだけで勝てる戦いばかりではない。
今回はエイドリックとザックスを始めとして、多くの損害が出ていると油断した敵の失敗もあったから勝てたようなものだ。エイドリック自身どちらに転ぶかという瀬戸際だったに違いない。いつもこう上手くはいかないぞとの意味を込めて見つめていると、予想に反した答えが返ってきた。
「兄弟喧嘩に終止符を打ちたい」
「これは兄弟喧嘩、なのですか? 王族だと喧嘩も命懸けなんですね」
「そなたの国でもそうであろう?」
皮肉で返せば苦笑いを浮かべられ、ティアナは首を横に振った。
「ヴァファルは最も力の強い皇族が次の皇帝になると決まっています。皇帝の力こそがヴァファルを支えているので、それを少しでも違えれば衰退の一途を辿ると誰もが理解していますから。妬み嫉みで力の種を摘み取る馬鹿はいないと思いますけど」
皇帝の血を引く子供たちの中で最も力の強い者が次の皇帝となる。目障りだからと命を奪うような真似をすれば、ヴァファルの均衡は崩れて崩壊すると誰だって知っているのだ。
その代わり、外戚となって権力を握りたいと目論む貴族は後を絶たない。
だからこそティアナも、いつの間にか誰とも知れない領主に養子縁組されてしまっていたのだが、これもさして珍しいことではない。
「なるほど。だからこそ、そなたのような生まれの娘ですら皇太子の側室となれるのか」
「そうですね。力のない者は辺境へ追いやられますが、見捨てられたわけではありません。豊かな者ばかりではなく、貧しい暮らしをする者も結構な数いますが、最低限でも生きることは約束されています。それからわたしは候補であって側室ではありません」
側室だろうが候補だろうがエイドリックにすればどうでもいいのだろう。けれどティアナはきっちり訂正する。
彼らが知らずともティアナは皇太子を知っているのだ。たとえ戻れない世界であってもどうでもいい話ではなかった。
「そういう訳で、ここをロヴァルスに任せ一度都に戻ることにした。そなたの言う通り、兄弟喧嘩とはいえ命がかかっているし、この状態が続けば私だけではなく国にとっても大きな被害になるのは必至だ。私に謀反の疑いがないと王太子にご理解いただくためにそなたの力を借りたい」
「演技は下手ですよ」
ティアナにはエイドリックが望む天使の役目なんてとてもできそうにない。
「偽りを求めている訳ではないよ。そなたはそなたのままで都を目指しながら、天の御使いとしての力を揮ってもらえればそれでいい」
何も難しくはないと、エイドリックは笑顔を向けるが胡散臭い。けれど頷くしかないティアナはしょうがなく首だけこくりと動かした。
「殿下を宜しく頼む」
「いえ、こちらこそ」
ロヴァルスに頭を下げられティアナはとんでもないと首を振った。
その様子をみていたエイドリックが意味深に微笑み、ティアナは気恥かしさでエイドリックを睨みつける。冷やかしなんて子供のすることだと声に出したかったがぐっと堪えた。
ロヴァルスは砦に残りエイドリックの後を引き継ぐらしい。タフスと国境を交える重要な砦であり、エイドリックも再び戻ってくるつもりでいるが、捕らえた捕虜の中にタフスの王子が一人交じっていたのだ。
ザックスが捕まえた彼は、エイドリックのように軍の総括指揮をしていたわけではないらしいが、実際に国での立場はどうなのか。
彼を交渉の駒として都に連れて行くのだという。
それが酷い怪我をして、ロイズとアロートに引き摺れられていた灰色の目の青年だと知ったのは、翌日になってからだった。
タフスの第四王子で、イシュトという名の彼は誰の目から見ても酷い怪我をしていた。
一応手当てはされてはいたが、両手両足は折れていて使い物にならず、特に右腕の傷は膿んでかなりの苦痛を伴っているに違いない状態だった。
数多の傷が体中に散らばり発熱を伴っているが、それでも意識はしっかりしているようだ。
これだけの重傷を負っていながら意識を保っている彼に、なんて人間離れしているのだろうとティアナは慄いたが――。
「このままでは死んでしまうわ、手当てをさせて下さい!」
重症の彼を荷馬車に乗せ都まで連行するというのだ。
相手は敵国の人間だとしても、捕虜として捕らえている以上は人間らしく扱うべきである。
ティアナが訴えると、エイドリックは首を横に振って無情に言い放った。
「そなたにやらせるくらいならこの場で殺す」
「どうして? 交渉に使うんでしょう?!」
見上げた瞳は今までにない冷たい碧をしていた。
「奴は動ける状態になれば必ず脱走する。そのせいで被る被害を予想すれば殺した方がましだ」
「わたしの前では弱者です!」
たとえそうだとしてもこの状態で放っておくなんてできない。せめて痛みだけでもと訴えたが、エイドリックの冷酷に染まった表情がティアナを止めた。
「助けた途端に首を落とされるぞ。それでもよいのか?」
返す言葉がなくティアナは息を呑んだ。話は終わりと背を向けたエイドリックを見送ると、ザックスに肩を叩かれた。
「この男は悪鬼と呼ばれ、女子供も容赦なく殺すがタフスでは英雄だ。交渉の材料にするのはうってつけだが、お前に手当てさせて力を取り戻させる訳にはいかない」
このまま自然治癒を待っても、重い後遺症に悩まされ、二度と戦場には立てないだろう。
日常生活すらまともにおくれるか怪しい状態だ。
けれどティアナの手当ては怪我人を元の状態に戻すもの。視力を失った者に光を、手足を切断されても繋ぎ合わせて不自由ない状態にまでもっていける。
再びの脅威となると分かっていて手当をするなら、今すぐ殺してしまうというエイドリックの判断は、兵を預かる身として当然の判断なのだ。
そしてティアナが落ちたのはエイドリックの上であって、タフスの、まして瀕死の状態ともいえるイシュト王子のもとではない。
けれど今目の前で大怪我を負い、苦しんでいるのはエイドリックではなくタフスの王子だ。
「せめて痛みからの解放を。それだけは許可して下さい」
エイドリックには綺麗事を突き放されお願いできなかった。代わりにザックスに訴えると僅かに思案して後で許可が下りる。
荷台に上げられた男はもう目を開けてはいなかった。
先程まで意識があったのだが痛みで気を失ったのだろうか。確かに声一つ上げない彼には感嘆するより恐怖を感じる。意識のない男の側に膝をついたティアナを、ザックスがすぐ側で守るように寄り添った。
「あなたもこれ程雄々しいのですか?」
タフスの英雄が王子なら、イクサルドの英雄はザックスだ。
十代の頃より功績を積み上げ、エイドリックの婚約者であった女性を妻にまでした人物。
大きな斧槍を揮い、敵を薙ぎ倒す様は悪鬼と呼ばれるに並ぶものがあった。
「手足をもがれてはどうしようもないが、この男はもげてはいない」
用心のためだと告げる大きな男の視線は、常に意識のないイシュトを気にしている。確かにもげてはいないが、折れている状態では同じではないか。
ティアナは苦痛で意識を失ったのなら意味はないと思いつつも、せめて少しでも穏やかな安らぎをと願い男から痛みを遮断した。
「捕らえられた敵は、誰もがこんな扱いを受けているんですか」
「ちゃんと傷の手当てをして食事も与えている。心配するな。この男が特別なだけだ」
それだけの危険人物ということだろう。
だからザックスも手足を使い物にならなくしたに違いない。実際に戦いから戻ったザックスも、見た目には分からなかったが酷い怪我を負っていたのだ。
彼らはどれだけ痛みに強いのかと驚かされる。
本当は分かっているのだ、この世界で生きるためには必要なことだというのも、戦いだからこれが仕方のない現実なのだということも。
頭ではわかっていても納得できないのは、平和なヴァファルで生まれ育ったせいだ。
医師として辺境を周り、どんな相手にも手を尽くしてきた過去があるからだ。
けれどその過去も医師としての誇りも何もかも、命をかけた戦いの世界では通用しない。
イシュトが受けた惨状の原因はティアナにもある。
直接手を下していなくても加担したには変わりないのだ。
ティアナにエイドリックを酷いと罵る資格はなかった。