その11 許してあげるから服を脱いでよ
イリスから土色の上着とズボンを受け取る。
見習いの兵士が着る軍服で、ティアナの体に合うのはこれくらいしかないらしい。男ばかりの集団の中で女物の服がないのは当たり前だ。
恐縮するイリスにティアナは、これで構わないと返事をしてお礼を言う。
これならヴァファル帝国監査部の制服を着ているよりも目立たず、周囲に溶け込めそうでほっとするくらいだ。
しかも女性用ではないが、薄い短めのワンピースみたいな下着まで用意してくれ、着の身着のままやって来た身としてはとても有り難かった。
気のきく少年だ。
イリスの案内で薄暗い廊下を歩く。
もうすぐ日が沈み闇が訪れる、ティアナにとって四度目の夜だ。
数えてもヴァファルに帰れないと分かっているが、戦いのあるこの世界に落ちて、これから迎えられる夜の数は幾つだろうかと不安が過った。
つれて行かれた先にはエイドリックとザックスの他に大きな男が三人。誰も彼も大きいが、やはりザックスが縦にも横にも一番だった。
ティアナを視界に入れた三人は、目を見開くと直ぐに歩み寄って来た。
迫力に負けて、壁際まで後退したティアナに気付いたらい彼らは、苦く顔を歪めたた後に、名乗りを上げ順番に握手を求めて手を差し出してくる。
三人共ティアナに命を救われた男達だった。
そういえば見覚えがあると、握手を受けながら記憶を巡らす。
確かに三人とも意識を失ったままの重傷者の中にいた。
ロイズ、カフェク、アロートと名乗った彼らは、二十代中頃から三十代初めの年頃で隊長職にあるらしい。
ティアナは彼らからの礼の言葉を、後ろめたく感じながら受け取った。
救わなかった命の数を思うと礼を受ける資格なんてないのに。友の死を悼むラシードの背中が思い出された。
挨拶と礼が済んだら、広げられた地図の前に案内された。
軍事会議が催されるようだ。
どうしてこんな場所に呼ばれたのだろう。黙って様子を窺っていると、不意にエイドリックから声をかけられた。
「そなたは自分で身を守る術を持っているか?」
身を守る術と問われ少し考えた。
一人二人の暴漢を相手になら身は守れるが、訓練を受けている訳ではない。戦い慣れた彼らを相手にとなれば恐らく無理だろう。
「わたしは軍部に所属していたのではないので、剣も攻撃魔法も使えません。せいぜい襲ってきた相手を弾き飛ばせる程度です」
「攻撃魔法とは?」
「剣に魔力を込めて遠くの敵を倒すらしいのですが。ヴァファルは平和な世界でしたので、見る機会もなく。わたしにはよく分かりません」
力が飛び抜けて強い皇帝が治める帝国。異国の侵略を受ける機会もほぼなく、貧富の差はあるものの、戦のない平和な世界だった。
「訓練次第ではそなたにも使えるようになるのか?」
攻撃魔法と聞いて軍事目的でティアナを使おうとしているのか。
ここで生き抜くためにできる限りの力は使うつもりだが、まったく経験のないティアナには残念ながら無理な注文だった。
「気長に待って頂けるのなら習得できるかもしれませんが……」
剣に魔法を乗せて戦う場面を見たこともなければ、どうやるのかも知らない。それにまずは剣の扱いを学ぶところから始めなければいけないだろう。
すぐに役立つような技ではない。
「そうか。ではザックスを暴漢に見立てて弾き飛ばしてみよ」
「え、あの……」
促されたザックスが巨体を異動させ、ティアナの前に立ち腕を掴んだ。いいのだろうかと迷っていると、胸ぐらをぐいっと引かれたので、慌てて魔法を使った。
ドンと音を立てて巨体が壁にぶつかる。
膝は折らなかったが、急な出来事に受け身が取れなかったようで、肩を押さえて唸っていた。
「ごめんなさい、怪我を!?」
「いや、驚いただけだ。怪我はない」
部屋にいる者たちは誰もが驚いていた。その中でエイドリックは、「なるほど」と呟いて腕を組む。
この程度では戦力にならない。ティアナは訓練を受けていないので、次々に敵がやってきたら同じ対応はできないだろう。
けれど、あるべきものは何でも使いたい気持ちは理解できる。
何かしら力になれないだろうかと、ティアナも必死に考えた。
「あの……そうですね。もし相手が大軍で押し寄せるのでしたら、足止め程度ならできるかもしれません」
「どうやって?」
兵を一人弾き飛ばしても意味がない。何一つ取り落とさぬようにと向けられる碧い双目。ティアナはそれを見つめ返した。
「風なら起こせます」
ティアナの言葉にエイドリックの目が見開かれた。
「自然を操れるのか?」
「操るというか……もとは開拓や農業に使うやり方なので、風で地面を耕すといいますか……」
森や雑木林などを畑に変えるときに用いていた方法だ。自然を操るのではなく、風を起こして地面を抉り耕す。これを応用すれば、一軍で襲い来る敵の足を怯ませることならできるかもしれない。
「試したことはありませんが、対象を地面から人に変えれば、吹き飛ぶだけの威力はあるんじゃないかと思います。ただ、わたしの力では一度か二度が限度です」
ザックス相手にしたような、物体を弾き飛ばすのと違い、自然界にあるものを取り込んでの魔法は、慣れていなくてもわりと扱いやすい。けれど広範囲に及ぶためそれなりの力を必要とする。魔力量が多くても疲労がものすごく、何度も同じことを繰り返したら意識を失ってしまうだろう。
「今からそれを見せてもらえるか?」
「今からですか?」
窓の外を見ると既に真っ暗だ。
「できないのか?」
「いえ、できますけど……人を相手に?」
「威力を知りたいだけだ」
「でも、思いきりやれば結構な被害が出ますよ?」
「ほう、それは楽しみだな」
エイドリックは掴みようのない微笑みを浮かべた。
六人連れ立って外に出る。
人を相手にではないので、見せるだけなら心は痛まない。
選ばれた場所は砦の向こう、敵対するタフスを望むなだらかな丘だった。
簡単な魔法だが、人や建物への被害が出るので実際に使った経験は少ない。
「風だけにしますか?」
「いや、そなたがやっていたままを見せて欲しい」
ティアナはエイドリックが望むとおり、準備を整えてから広範囲に向かって両手を前にかざして魔法を放った。
ティアナを境に風が起こったかと思うと、瞬く間にごうごうと音を立て嵐が吹き荒れる。
強烈な風は闇雲ではなく一定で、東のタフスに向かって吹き荒れる風は刃となって地面を抉った。
対してイクサルド側は無風。
誰もが驚き見つめる中、これくらいでいいかなと手を下ろす。
すると吹き荒れた風は何事もなかったかのように治まり、周囲は一瞬で静けさを取り戻した。
木々を根ごと掘り返す方法だ。遮るものが何もない場所で試すのは初めてだった。
「あまりやり過ぎると地形が変わりそうでしたので」
戦略を練っている途中なのだ。風が地面を抉り攻め難くなるのはよくないと途中で止めたのだが、エイドリックからはなんの言葉もない。
もしかして怒っているのだろうかと心配になっていると、ティアナの耳に渇いた笑いが届いた。
「ははは、これは驚いた。正直これ程までとは予想していなかったぞ」
合格はもらえたようだがほっとはできない。
何しろティアナは魔法を使って人を傷つけようとしているのだ。
たとえ相手がこちらを狙う敵だとしても、ティアナは偶然ここに落ちただけの人間。
もしもタフス側に落ちていたなら、今隣にいる彼らを傷付ける立場だったかもしれないと思うと、とてもではないが喜べなどしなかった。
ティアナの魔法をどう使うかはエイドリックに任せるしかない。
ご満悦のエイドリックを中心に、六人で来た道を戻る。
頼りないカンテラの明かりが心を沈めるので、手のひらに魔法で光を作って辺りを照らした。
すると一同がティアナを振り返ったが、彼らは何も言わず無言で前に進む。
闇の中でここだけが昼間のように照らされて明るかった。
重い気分で戻ると食事が与えられた。
美味しくはないが貴重な食料だ、ザックスと並んで残さず腹に入れたところで、ラシードが現れる。
ティアナはそっと視線を反らした。
「副長。悪いんだけど彼女、ちょっと借りていい?」
「ああ、構わないが。ラシード、お前彼女に何かしたのか?」
「それを確かめたくてね」
避けていることをザックスにも知られていたようだ。
ザックスから視線を投げられティアナは無言のまま立ち上がった。
笑顔のラシードに黙ってついて行くと、人気のない物置小屋の裏へと連れて行かれる。
日の落ちきった闇の中に浮かぶのは、表情と異なる冷たさを孕んだ碧い瞳。
ティアナは胸が苦しくて、黙ったまま壁を背に俯いた。
「急に避けられるようになったけど。俺、何かしたかな?」
俯いたまま首を振ると一歩詰め寄られた。ティアナは同じ数だけ後退し、壁に背をつけてしまう。
「理由がわからないんだけど。もしかして媚薬のことまだ怒ってる?」
媚薬を盛られたのを怒っている訳ではない。
ラシードの独断ではなかったし、そもそもがザックスの命令だ。
それも不審人物を調べるのに必要な手段だったと理解している。
拷問にかけられて肉体的苦痛を受けるよりましだっただろう。
記憶に残る部分では、ラシードから無体を働かれたと思える部分は特に見当たらなかった。
違うと首を振るティアナに、それじゃあ何と苛立たしげに詰め寄られる。
言葉にするのは嫌だったが、逃げてばかりもいられない。
ティアナは顔を上げてラシードと視線を合わせた。
「あなたのご友人を死なせてしまい、顔向けできなかったんです」
自分から直ぐに視線を外してしまったので、ティアナはラシードが驚いたように目を見開くのに気付けなかった。
「ルストさんから最初に呼ばれた時に治療していれば、間違いなく助けることができました。でもわたしは国に帰りたくてそうしなかった。魔法を使えば二度とヴァファルに帰ることができなくなる。わたしにだって生きる場所が、わたしを必要として待っている家族がいる。それを捨てる勇気がありませんでした。もっと早く決断できていたら、あなたの友人は今も生きていたのに」
友人を失い項垂れたラシードの背中が忘れられない。
いつも笑顔の彼。その心の内を思えば思う程、戦場だからという言葉では片付けられないものを感じたのだ。
何よりもティアナは、長年人を救う仕事に付いて誇りを持っていたのに、自分の都合一つであっさりと命を見捨てた。
直接手を下していなくても、ティアナが殺したのだという事実は永遠に変わらない。
「奥さんや恋人がいたかもしれない。わたし同様に守る家族があったかもしれない。でもわたしは見捨てたんです。医師として最もやってはならない選択をし、あなたから友人を奪った。なぜ助けなかったと罵られる覚悟はあるのに、こっちだって不条理を得たのだからという醜い思いだってある。わたしだって一人の人間で善人じゃないんです。この世界の生まれですらない。そうやって自分に言い訳をしている状態で、あなたに合わせる顔なんてある訳がないじゃないですか!」
天使という言葉を向けられる度に心が歪む。
何が天使だ、鎌を振り上げた死神じゃないかと、心のどこかで誰かが囁くのだ。
黙って話を聞いていたラシードは顔を背けるティアナをじっと観察していた。
罵倒されるか殴られるか、ティアナは覚悟をもってラシードの出方を待っていたが、彼からは意外な言葉が発せられる。
「じゃあさ、許してあげるから服を脱いでよ」
驚いたティアナが弾かれたように顔を上げると、軽蔑するかに意地の悪い笑みを浮かべたラシードが、とても愉快そうに見下ろしていた。
「後悔して自責の念にかられていても、国に帰るには仕方がなかったって思っているんだよね。君が顔を背けている間に僕の大切な友人は死んでしまった。いいよ、許してあげる。でも服を脱いでやらせてよ。ここじゃ女を抱く機会なんてないし、明日には死んでしまうかもしれないんだ。こんな機会逃すなんて馬鹿のやることだと思わない?」
許してあげるよ、罪から逃げたいんだろうと、美麗な顔が微笑む。ラシードの高く結わえた金色の髪を風が揺らしていた。
「哀れに死にゆく僕に君を抱かせてよ。ねぇ、天使ちゃん?」
触れるほど接近したラシードに、耳元で囁かれて思わず突き飛ばす。
あっさりと離れたラシードをティアナは睨みつけた。
人の弱みにつけ込むなんて。卑劣だと思ったけれど、どこかでほっとしている自分に気づく。
許される機会を与えられたのだ。
ティアナは上着に手をかけ、勢いよく脱ぎ去るとズボンの紐を解いた。
それだけで腰回りの大きなそれはすとんと足元に落下する。
残ったのは白い軟肌を包む太ももまでの短い下着のみで、大きく開いた襟口からは柔かそうな胸がのぞいていた。
細く白い手足が闇の中に淡く輝き、ラシードの碧い瞳を引き付けている。
ほんの少しの躊躇の後、下着の裾に手をかけて引き上げようとした瞬間。両の手首を掴まれ、強く壁に押し付けられた。
「やっ!」
だんっ、と壁を打つ音に恐怖を感じて硬く瞼を閉じる。
剥き出しの肌に触れるラシードの体温を感じた。