その1 そなたは何者だ?
ヴァファル帝国は魔法により統治されている。魔法省監査部は、その魔法に関わる不正を主に取り扱う部署だ。
ティアナ=レドロークはこの監査部に異動させられ一ヶ月になる。ここに来る前は十五の歳から五年間、医療部に在籍して僻地を転々としていた。
それが帝都勤めの監査部へ移動となったのは、ティアナが常人ではあり得ない膨大な魔力と素質を兼ね備えているせいだ。
皇家の優秀な子を残すため、皇太子の側室候補として目をつけられてしまったのだ。
ティアナは帝国の西の端にある、辺境の小さな貧しい村の出身だが、ヴァファルでは生まれよりも、持って生まれた魔力量や素質が重要視される。
次代の皇帝も血筋はもちろんだが、如何に魔法において優れているかで選別されるので、たとえ正妃の子で長子であろうと、側室たちの産んだ皇子のうちで、それよりも優れている者があればその皇子が次なる皇帝となる。
魔法は血で受け継がれるものだが稀に突然変異か先祖がえりの如く、殆ど魔力をもたない、持っていても大した魔法は使えない平民の中から逸材が生まれることがる。それがティアナだった。
幼い頃から魔法が使えたティアナは貧しい家を助けるため、僻地勤務で村を訪れた医師に弟子入りし医術を学んだ。
十歳を迎える前には師となる医師について村を出て帝国中を周り、十五で正式に魔法省医療部に在籍して一人僻地を巡っていたのだが……それも一月前までの話。
仕事で訪れた僻地の領主に目をつけられ、知らぬうちに養子縁組されてしまい、皇太子の側室候補として監査部勤務となり城勤めとなってしまったのである。
どうして監査部かといえば、監査部の長は慣例により皇太子が勤めているからだ。
監査部に娘を送りこみ皇太子の目に止まる・気に入られお手つきとなる・側室として召し抱えられる……というのが貴族たちが未来の皇帝たる皇太子に娘を売り込む常套手段。
阿呆らしいと思うが、僻地勤務より給金が格段に多く出る監査部勤めは正直ティアナにとっては有り難い職場でもあった。
「っていうか、わたしが側室になれるなんて義父様は本気で思っているのかしら?」
背に腹は代えられないので知らぬ間に養女とされていたのは特に怒ってはいない。けれどもし万一にも側室なんてものに選ばれたら給金が得られなくなってしまう。
だからティアナは自ら率先して皇太子に関わろうなんて思わない。
もしも皇太子の目にとまるようなことになったら、田舎で待つ家族が極貧の生活に舞い戻ってしまうではないか。
それに最近になってようやく垣間見た皇太子さまはティアナの予想から大きくかけ離れていた。
「だいたい皇太子さまって十五じゃない。この前ちらっと見たけど有り得ないわぁ……本当有り得ない。二十歳の女が十五の少年に媚売って側室? やっぱり義父様どうかしてるわね」
実家には多くの弟と妹がいてティアナの仕送りをあてにしている。
両親弟妹は僅かな魔力はあっても魔法が使えず、医療部勤めの給金だけではあまりいい暮らしをさせてやれずにいたが、監査部の給金なら弟姉妹の全員を学校に通わせてやれるし、倹約しながらもたまにはご馳走を食べることだってできる。
決してレドローク家は怠け者ではなかったが、痩せた土地では身を粉にして畑を耕しても幾許の金銭にもならず、税を治めると食べて行くのだけでやっとなのだ。
一番最初に生まれたティアナが魔法を使えなければ、口減らしの為に何人かは売られるか飢え死ぬかしていただろう。
だから勝手に自分を養子にした貴族を恨んではいない。
名前も元のままを名乗らせてもらえるし、何より給金がよかった。
僻地を周るのはたくさんの知識を得られるので苦にはならなかったが、監査部の給金はそれ以上に魅力的だ。
しかもついこの前も母親が妹を出産したらしく、また一人家族が増えたので正直有り難くも感じていた。
さらにいいことに、両親の話では、その生まれた妹にも魔法が使える気配があるらしい。ティアナの様な力が眠っているなら更に幸いだ。
そんなティアナが監査部で何をしているか。
監査部という所なので不正を調べる訳だが、新米となるティアナに回ってくる仕事に重要な案件などない。渡された案件は『転移魔法の事故原因について』である。
転移魔法とは読んで字の如く、様々な場所に魔法を使って移動する手段である。魔力を込めた部屋と部屋が事前に繋がれていて、その部屋同士ならどこへであっても行ける。
ある一定の魔力を持つ物なら誰でも使いこなせるのだが、時々事故が起きる。
その事故というのが問題だった。
ティアナは分厚い資料をめくりながら頭を抱えうんうん唸っていた。
「まぁ義父様の思惑はどうでもいいとして。お給料もらってる限り仕事はしっかりしなきゃだけど、転移魔法の開発者は本当に天才だわ。いくら読んでも原理が全く理解できないってどういう事よ?」
最初の事故は転移魔法が開発された二十年前。開発者の魔法使いが転移中に姿を消し、戻ってくることはなかった。
それから年に一人二人の割合で合計五十人、そのうち暫くして本来の目的地に『帰還』できたのは十五人。
複数人で行方不明となり、そのうち数人で戻って来た者たちの証言により、転移した先で魔法を使わなかった者だけがヴァファルの地に帰ってくることができるのだとまでは解明されていた。
姿を消し戻って来た者たちの証言で得られたのは、彼らがこことは異なる世界に飛ばされていたという事だ。
帰還した者たちの話では、症例ごとに飛ばされる世界は異なっていて、ヴァファル以外にも多くの世界が存在していることが証明されるに至る。
そこにはティアナたちと同じ姿をした人間がいるのがほとんどのようだが、行く世界によっては蜥蜴が二本脚で歩き世界を支配しているところもあれば、獣人といわれる人と獣の混ざり合った風貌の者たちが支配していたり。時には船が空を飛ぶ高度な文明であったりと、まるで物語のような世界があちらこちらに存在しているが、魔法をもつ世界は今の所ヴァファル以外には見つかっていなかった。
もし転移に失敗し異世界に辿り着いてもそこで魔法を使わなければいつかは戻って来れる。
これまでの最長滞在時間は四十日、短くて七日。それが分かってからは行方不明になる者は年に一人二人いても、魔法さえ使わなければ帰ってこれるというので、たまに起きる事故は放置され重要視されなかったのだが。
やはり安全に使えるなら移動時間がかからない転移魔法は便利だという声が上がり、誤って魔法を使い帰還できなくなる者をなくすためにも、転移魔法にある欠陥をみつけ改善するという仕事をティアナは与えられてしまった。
何よりも皇帝をはじめ、国の有力者が安全に転移したいというのが一番の理由。一年前、皇帝お気に入りの側室が使用して事故が起きて行方不明になって以来、転移装置の使用は禁止されていた。
「年に一人……というより五百回使って一人か二人の割合ね。それ位の失敗はあって当然の誤差範囲なのかな?」
なんにおいても失敗は起きる。五百回の転移に一度くらい失敗が起きてもさほどの問題でもないのかもしれない。
ただ人が消えて異世界に落とされるのだ。それが大きな問題であって、異世界でなく、国内の何処か、目的地以外の転移場所なら降りる場所を間違えたくらいですまされたのだろう。
「目的地を一点に絞らず複数設定したら確率的にどうなるのかしら?」
ティアナは狭い机上に開発者が描く転移陣を間違いなく描き、転移を発動させる魔力を込めた宝石を幾種類も間違う事なく正確に置いて実験用の転移装置を三つ作る。
そこに人に見立てた人形にティアナの魔力を込め転移魔法を稼働させてみた。
目的地は二か所。やってみたが人形は動かない。
「やっぱり無理か。だよねぇ、うん。そんな予感してたよ」
現在ある転移魔法の陣は全て開発者が描いたものだ。転移を発動させる部屋事態に開発者の魔法が施されている。恐らく資料を読んでもティアナでは再現できない部分があるのだろうと予想はしていた。
やはり本物で実験するしかないのだろう。
ティアナは用意した十体の人形を手に、一年前に閉鎖され使われなくなった転移魔法が置かれた建屋を目指した。
転移魔法が施された部屋の床は黒曜石で作られている。
その黒い床には白い大理石を細かく砕いたものが埋め込まれ、それによって誰にも理解不能な魔法陣が描かれていた。
更には魔力が込められた紅玉や翡翠、金剛石が開発者にしか分からない意味を持って埋め込まれている。
そこに一体、魔力を込めた人形を置いて目的地を指定すると、置いた人形がすっと目の前から消えた。
恐らく指定した場所に転移したのだろう。
それからティアナは人形に番号を打ち二体置いて転移場所を二ヵ所指定する。それから次は三体で二か所と様々な状況を想定して転移させ、最初の一体を転移させた場所にまる一日かけて馬で移動してみると、そこには転移させた十体全てが鎮座していた。
「全て一番最初に指定した場所に転移したとなると、誰かが故意に撹乱させた可能性は低いか」
やはり魔法陣事態に決定的な何かの設定ミスがあるのか、異世界に飛ばされるのは転移魔法を発動させるにおいて許容範囲とするべきなのか。それとも出鱈目な転移先を複数指定して確認してみるか?
ティアナは失敗の先を異世界からヴァファルの何処かにまで修正できないかと資料をめくり、番号を打った人形を確認しながら考え込んだ。何かヒントになるもはないかと、この一月睨み続ける転移陣を見つめていると埋め込まれた宝石が煌めいていた。
「うん?」
部屋は閉じられ魔法による光源が部屋を照らしてる。揺らめく炎もないのにと疑問に感じて、転移陣に足を踏み込んだその時。ティアナの体ががくんと傾いた。
「えっ!?」
やばいと思った時は遅かった。がくりと引き込まれる感覚に飛ばされると認識した瞬間、足元が抜けて一気に落下した。衝撃に備えると同時に背中に痛みを覚える。
「うっ!」
「ぎゃっ!」
「がっ……!」
ティアナの唸りに続き第三者の声が上がり、すぐに人の上に落ちたのだと理解した。
背中を打ったが衝撃は少ない。作動させたわけでもない転移魔法が作動した。
どこに飛ばされたのだろうと焦る。急いで起き上がり、自分が下敷きにしてしまっている人間から慌てて降りた。
「ごめんなさっ……ひぃぃぃっ!」
目前には鋭利な刃物。ティアナは悲鳴と共に両手を上げて跳び上がった。
足元にはティアナが押し潰したであろう人間が転がっている。
刃物……いや、その剣は、ティアナではなく足元に転がっている者に向けられていた。
ほっとしたのも束の間、両手を上げていたティアナは後ろから羽交い絞めにされ、首元にひやりとする何か……恐らくきっと絶対に剣と思われる代物を押し当てられてしまい硬直した。
「手荒にするな、彼女に助けられた」
ティアナは羽交い絞められたまま、声の主に視線だけを向ける。
ここがどこだかわからないが、首を切られてはたまらない。こちらに害がない事を分かってもらうためにも、助け舟には遠慮なく乗らせてもらおう。
声の主は剥き出しの剣を片手に、硬い長椅子の様な場所に膝を立てて座っていた。
額にかかる茶金の髪をかき上げながらほっとしたように息を吐きながら、ティアナに碧い目を向けている。
二十半ばの年頃だろうか。彼が座る長椅子……ではなく簡易的な寝台のようなものの下には、ティアナが押し潰したせいで意識を失っている様子の男が一人。
状況を把握しようと周囲に視線を巡らせていたら引き倒されてしまう。
首を切られると思い竦み上がったが違った。
男はティアナを羽交い締めにしたまま、倒れて意識のない男の体を器用に弄っていた。
太い腕だけがティアナの視界に映り込む。
対象が自分でないことにほっとしたのも束の間、男が「ちっ」と舌打ちして態勢を戻した。
茶金髪の男が男も見ずに頷く。
「それで、そなたは何者だ?」
碧い目がティアナを捕らえて離さない。
動けば首元の剣が肌を傷つけると分かっている。恐くて声が出せないティアナの首の皮に刃先があてられ、ちりっとした痛みが走った。
「ティアナ=レドロークです!」
首に薄く血が滲むのがわかる。
薄暗い辺りを見回してものすごく嫌な予感がした。
忘れてはいけない、ここは転移魔法が発動される部屋ではなく、どことも知れない場所。最悪異世界かもしれないのだ。
余計なことを口走れば殺されるかもしれない。
何かあれば暴漢に対処できるだけの力はあるが、予感が的中しているなら魔法を使うのは自ら帰路を絶つことになってしまう。それだけは絶対に避けなければならなかった。
「ザックス」
男が呼ぶとティアナを拘束する後ろの男が剣を突き付けたままティアナの体を撫でる。
悲鳴を上げたいのをぐっと我慢して耐えていると、ポケットの中から財布にハンカチやペンにメモ帳といった持ち物が取り出され下に落とされた。
「武器はない様です」
「放してやれ」
大人しくしていたお陰で身体検査はすんなり終了した。
拘束を逃れたティアナは自分の首元に触れ、指先についた血を確認する。
よかった、思った程切れていない。これなら放っておいてもすぐに血は止まると安堵の息を吐く。
魔法を使えば二度と元の世界に戻れなくなるからといって命を落としては本末転倒だ。
地面に転がり意識のない男が新たに入って来た男二人に抱えられて外に連れ出される。
薄暗いここは室内ではなく天幕の中のようだ。出入りの際に幕が持ち上げられると外は明るい。
意識のない男を連れ出した者等は剣を持ち、兵士が着る制服のような同じ服装をしていた。
まさかここは駐屯地で戦の真っ最中ではないだろうなと、命の危険を感じながらゆっくりと後ろを振り向いたティアナはぎょっとした。
とても大きな男がティアナを見下ろしていたのだ。
壁のように立ち塞がる男の細い緑色の目は眼光鋭い。
だが驚いた理由はそれではない。男の瞳が濁っていたからだ。
しかも右目は黒い眼帯に覆われていた。
ティアナを羽交い締めに拘束していたのは恐ろしく大きくて、濁った目を持つ隻眼の男だった。