第七十話 奇策と油断
「わ、わかったから待ってくれ」
「……で?」
ガタガタと震えているのは勿論、笑顔の紅と顔を合わせている人質となった男だ。
どうかこの男を組織をあっさり裏切るクソ野郎だとすぐに見限らないでやって欲しい。
初めはこの男も強気で反発していたのだ。
一言目は「下っ端だからと甘く見るな!口は割らないぞ!」というような忠義心の強いやつであり、俺も見直していたのだ。
だが、その直後紅が小声で耳元で何か囁きかけると顔を真っ青にして震え出し、手のひらを返したようになんでもしゃべると言い出したのだ。
一体何を囁いたというのか。
後日聞いたところ笑顔で「え?抵抗する力がなくなるくらい弱るまで監禁したあとちょっとアッチの気がある貴族のおじさまに売り飛ばすよ?って軽く脅しただけだよ?」なんてことを言い出したということをここでは言及すまい。
男は途端に饒舌になり、ペラペラと建物や組織について話しはじめた。
「あ、あんたらが思ってるような組織で大体間違っていないさ。
あと、ボスはいつもこの一個上の階の部屋から出てこない。
それに、俺たちみたいなロビー担当のやつより有能な奴らが上には配置されてるからな。あんまりなめない方が身のためだぜ?
……ま、まだなんかあんのか?」
「おたくのボスが“所持者”ってのは本当か?」
俺が最も気になっていたことを単刀直入に聞くと、男は驚いたような顔で俺たちをまじまじと見た。
「あんたら……それ知ってて来たのか!?頭おかしいんじゃねえのか!?……いや、半信半疑で来て今ビビってるってとこか?」
男は突然気づいたようにニヤついた顔になって俺たちを小馬鹿にしたような態度をとった。
まあ、勘違いをするのもうなずける。
俺が震えていたのは本当のことだから。
ただ、ビビっていたわけではなく喜びに打ち震えただけなわけだが。
これでもし倒せれば、師匠も多少は見直してくれる。
そして何より、自分の強さと向き合える。成果を感じられる。強くなったことを実感できる。
これらはただ自分より弱い相手と戦っただけではわからない。
こと魔術師においては特に、だ。
だが残念なことに男は勘違いしたまま俺たちを馬鹿にしてきた。
さすがの俺もイライラしてきたので、わざとらしく腕輪をちらつかせる。
すると男は腕輪に施された装飾の青い龍に睨まれたかのごとく表情を一変させた。
「おまえ……まさかそれ……」
「さあて、何だろうな?」
俺の顔に張り付いた笑みをみて、男の顔からにやけがとれる。
表情を凍りつかせているところをみると、必死に頭の中で葛藤している最中だろうか。
目の前の受け入れ難い現実と、今までにない強敵の出現に。
実際はまだまだ使いこなせていないんだが。勘違いしてくれると好都合だ。
とはいえ、今の反応で確信した。奴らのボスは、本物だ。
おれの持っている物とボスが持っているものが同じという証拠なのだから。
だが、負けるつもりは毛頭ない。
逃がすつもりも毛頭ない。
個人的な恨みがあるわけではないが、自らの成長の糧のために。
精一杯抵抗して、そして俺たちの踏み台になってくれ。
「いつまでもこうしてても仕方ない、上にボスがいるなら上行こうぜ」
「そうだねーーって、どうかしたの、フィオ?」
ふと振り返ると考え込むようにして何かを計算しているフィオがいるのをみて紅が声を掛ける。
また何か奇策でも思いついたのだろうか。
まあ、そんなサクサク出てくるような作戦なら奇策にもならんのだが。
「この建物、そんなに高くなかったよね?」
「ん?えっと……」
突然そんなことを言い出すフィオ。
一体何を考えているんだ、と見当もつかない問いを頭に浮かべながら俺はこの建物に入る前のことを思い出す。
こぢんまりとした建物だったはずだ。
「確か10メートルくらいだったと思うけど……」
「今このフロアの天井まで僕たちから4メートル位だから、この建物は二階建てで間違いないねー。てことは五〜六メートル位の所には敵の足があるってことだよね」
そこまで言い終えてからフィオはいたずらを思いついた子供のように笑う。
その無邪気な笑顔が無慈悲な策略を思いついた合図であるのだろうということは信じ難い事実だ。
道行く人がころっと騙されてもおかしくない。
そして俺たちの想定した通りフィオはその笑顔のまま残酷な作戦を口にした。
「じゃ、ここで僕の固有魔法を打てば奴らの下半身は使い物にならなくなって一網打尽だねー」
その言葉は文字通り凍りついて動かないという使い物にならないという意味であって他意はないのだろうが、その言い回しのせいであろう。男性陣が凍りついたのは言うまでもない。
あ、勿論今のは実際に凍りついたわけではなく比喩だけど……ええい、めんどくさい!
そんなこんなで反対するものもいなかったので、俺たちがフィオの近くに寄るとすぐにフィオは固有魔法を唱え始めた。
「『絶対零度領域』」
その直後、パキィンという音と共にあたり一面が凍りついた。
全てのものが白銀へと色を変え、冷気が俺たちの肌にも突き刺さる。気温はだいぶ下がったのだろう。
そしてここで俺はある違和感に気づく。
「なんか……範囲広くなってないか?」
「え?うん。僕が強くなるといえばこういう地道なことしかーー」
フィオが返答を最後まで言い終えないうちに、上階から怒号のような悲鳴のような叫び声が響いてきた。
思わず上を見上げると、そこには勿論一面凍りついた天井が目に入る。
「どうやら成功したみたいだな」
「そのようだね」
「これ……もしかして一網打尽?」
「甘い」
楽観的な雰囲気を一声で吹き飛ばしたのはそれまで沈黙を貫いていたアクセルだ。
厳しい顔で俺たちを見ている。
「“所持者”の戦闘力を低く見積もりすぎだ。もし本当に“所持者”である程度の熟練度があるなら下半身を凍らされた程度で戦闘不能になるわけがない。それに……」
ここでアクセルは一瞬間をおいた。
そして忠告するように続ける。
「今のを全員が食らったと思うんじゃねえぞ。ただでさえ距離がギリギリなんだからな」
「……!」
ゴクリと生唾を飲む俺たち。
確かに油断していたかもしれない。
敵は強い。負けるかもしれない。
自分を戒めるようにそう言い聞かせる。
気を引き締めて行こう。
いよいよ俺たちは階段に足を踏み入れた。
明かりのない階段は薄暗く、立ち込める冷気がより一層不気味さを醸し出していた。
一歩一歩俺たちが足を踏み出すたびに凍りついた階段がコツコツと音をを鳴らし、あたりへ響かせる。
だが幸運にも上ではまだ喧騒が続いており、俺たちの足音はかき消された。
「じゃあ……いくぞ」
俺たちがフロアへ乗り込むと、そこには概ね予想通りの光景が広がっていた。
大半が凍りついた下半身に悪戦苦闘しており、だがそれでも無事な者がいたようで溶かす手伝いをしている者もいる。
考えてみれば当然なのだが、凍り方に偏りがあった。
フィオの固有魔法はドーム状の領域の中を凍らせるというもの。
それは当然フィオを中心にして等距離しか凍らせられないということだ。
それはつまり、フィオの真上にいたものほどより凍っており、フロアの端に行けばいくほど凍りつきが浅くなるということを意味する。
そして問題のボスはというと。
悪運か、それとも実力か。
やつが座っていたのは部屋の最奥部。つまり部屋の端だ。
そしてひときわ高さがある大きな椅子にふんぞりかえるようにして座り、足をデスクへ乗っけている。
「おめーらの仕業か。まあゆっくりしてけや」
氷はニンマリと口角をあげているやつの椅子の足部分で途切れていたのだった。
ペースがなかなか戻らない...地味に忙しい……
すみませぬ




