第六十二話 変貌のきっかけ
俺たちが指定の建物に入り、敷居をまたぐとそこにはアクセルと一人の老人が座っていた。
どこか物憂げな老人は俺たちを見るや否や挨拶を許す間もなくしっかりと頭を下げた。
「この度は……誠に……!」
「いえいえ、そういうの大丈夫ですから、ほんと。頭あげてください」
「ですが……!」
「いいんだよ、倒したの俺なんだから」
アクセルが横から口を出す。
正しいし、全く何も間違っていないけれど他人から、それもこの人からこのテンションで言われるとすげー腹立つな。
「チッ」
「蒼てめえ今師匠に向かって『チッ』っつった!?」
「んなわけねえだ…ソンナワケナイジャナイデスカ」
「片言!わざわざ言い直して片言!しかもお前普段敬語使わねえだろ!違和感しかねえよ!」
まくし立ててくるアクセルに俺は溜息をつく。
これで強いんだよなあ……
「はいはい分かった分かった」
「淡々と師匠あしらえるお前マジ大物」
こんな馬鹿なやり取りがあったのはさておき、全員が席についたところで話は本題へ入る。
話題は勿論、あの異常なヌエの話だ。
ボスケスタの長ーークラネスさんとアクセルの間ではもうある程度の話はついている様だ。
俺たちが眠っている間に話していたのだろうか。
やることはキッチリやる人なんだよな、この人。
だが二人の様子を見ると、結論にほぼ目星はついている様に見える。それもあまり芳しくない方向に。
「まず初めに……紅と蒼には言っておかなくちゃならねえ」
「「?」」
何のことか分からず疑問符を浮かべた俺たちの顔が緊迫に歪むのは、その次のアクセルの言葉を聞いてからだった。
いや、フィオも例に漏れず驚いていたのだが。
「今回の件ーー勿論ヌエの事だが、奴には神の力が混入されていた。そして恐らく……奴らーーそう、お前らの敵、『凪の団』が関与している」
「「……!!」」
まさか、こんなに早い段階でしかけてくるとは。俺はそんな風に思っていた。
いずれ何かをしかけてくるであろうことは予想していた。
だがまだまだヒノマルまで距離があるだけに驚かざるを得なかったのだ。
それだけ奴らも本気だということだろう。
奴らにとってケンタが重要な駒なのか。
単に俺たちが目障りなだけか。
その真偽の程を知ることはできないが、何にせよここからの旅は過酷になるのだろう。
それでも彼らは同行を許してくれるだろうか。
だが俺が不安になって顔をあげると、予想外の言葉が待っていた。
「だからこれからはもっと気を引き締めて……何笑ってんだ」
そんな心配は杞憂だったようで、アクセルはもう既に俺の動向を前提に話を進めていた。
全く、頼りになる。
俺は思わず頬が緩むのを堪えながら、話の続きを促した。
「だが今回は退けたとはいえ俺は奴らを甘くみてたらしい。……『凪の団』、俺の感覚を信じるとこいつら相当イかれてやがる」
「何故?神の力を扱うのはそんなに重い……ヤバい事なの?」
フィオが全員を代表して質問を投げかける。
伊邪那岐が神なんだし、奴らが神の力を使うなんて当たり前なんじゃないのか。
更には俺や紅、その他にも人体実験されていた子供は少なくなかったはずだ。
何故、今更そこに着目するのか。
「まあ、その時点で本来なら大分おかしいんだが、イかれてるって程じゃない。神にはその力を行使する権利であり義務があるからな。だがまあ……それが普通の神だったらの話だ」
「今回のは普通じゃなかった、と?」
その通り、とばかりにアクセルは大きく頷く。
だが普通じゃない神とは何なのか。経験も知識も少ない俺たちにはそれを知る由はない。
「ヌエに混ざってたもの……それは、堕ちた神、もしくは死んだ神ーー堕神の力だ」
堕神。
それは神としての本分を全うせず、あるいは全う出来ず、堕ちてしまった神の末路だ。
悪へと染まった神は二度とその本来の姿を取り戻す事はなく、全てを破滅へと導く。
堕神は九割方堕ちた神だ。神は基本的に不老なので、老いによって死ぬ事はない。
死ぬとすればそれは戦いによるものだ。
だが戦いで神が死ぬ事は非常に稀なため、こちらのケースは一割程である。
「堕神に干渉し、あまつさえその力を残滓とはいえこの世界の生き物に融合させるなんざ正気の沙汰とは思えねえ」
狂ってる。
そうアクセルは呟く。
まだこの世界における禁忌や、神に詳しくない俺たちでも胸糞悪いものがあった。
「とはいえ力を混入させたのは奴らだとしても、ここまで事態を進展させたのは外部の人間だろう。お前たちも薄々分かってるとは思うがな」
俺たち三人の頭の中に同時に同じ人物の顔と一つの簡素な集落の光景が浮かんだ。
目の前に座る苦虫を噛み潰したような顔をしたボスケスタの長と似ている、ある初老の男の顔が。
「こいつらにも詳しく話してくれるか、クラネスーーいや、ウラネスの兄よ」
ええ、と頷きクラネスは直前まで俯いていたその顔をあげる。
そして彼は、事の顛末を語り始めた。
彼の弟、ウラネスとは同じ筈の話を、全く違う内容で。
「我が弟ウラネスは、しばらく前に出ていったのですじゃ。ですが……それを語るにはもう少し前から話さねばなりませぬ」
語られたのは、悲しい運命によって歪んでしまった一人の男ーー否、一つの家族の物語。
「あやつは、数日前に儂が勘当すると同時に国外追放を命じました。とうにあやつは壊れてしまっていたのですじゃ。
昔はあやつも少し真面目すぎるところもあったが、よく笑う気のいい男でした。
ですが、ある出来事をきっかけにあやつは壊れていった。少しずつ、けれど確実に。
まず儂等の両親は罪人を捉える、つまり他国でいう近衛兵のような仕事をしておりました。
そのせいもあってか、儂等は両親によく懐いておりました。流石に成人する程にもなると甘えるなんて事はなくなりましたが、儂等の誇りだったのですじゃ。
しかし悲劇は唐突に起きました。
ある日、両親は仕事に行ってその後二度と家には戻りませんでした。
昔裁いた罪人に殺されたのです。逆恨み、というやつですな。
当時儂には妻がおり、何とか支えてくれる家族がいたために乗り越える事ができました。
じゃが、ウラネスはそうする事ができなかった。
思えばその時から既におかしくなっていたのかもしれませぬ。
それでも、深く傷ついておったウラネスのそれからも考え、儂等は一緒に住む事にしました。
家内も突然の出来事故反対せず、儂等に子供ができたのもあってかウラネスは少しずつ自分を取り戻していったように見えました。
そして月日は流れ、そのウラネスにも懐いておった娘も結婚し、新しい生活を歩み始めました。
程なくして孫が産まれ、娘夫婦は頻繁に儂等の元を訪れ、儂等もそれを拒む事はしませんでした。
特にウラネスは子供に懐かれやすい気質だったようで、孫にも懐かれておったのです。
しかし漸く幸せになれたと思った儂等家族に、ここで悲劇が訪れますのじゃ。
儂の娘の夫となった男は元々流浪の剣士でした。それもあり、娘夫婦はこの国でと腕利きと称される程の戦士に上り詰めたのです。
それはつまり、何か異変ががあれば真っ先に彼女達の元へ連絡が届く事を意味します。
ある時ボスケスタの民の主な肉の収入源である魔物の姿がパッタリと途絶えた時期がありました。
それはボスケスタの民全員の死活問題。
何かあったのか様子を見るため、娘夫婦が森へと足を運んだのですじゃ。
しかし、その後帰ってきたのは傷だらけになった瀕死の娘一人。
皆は慌てて介抱しようとしたが、それを留めるように娘はヌエが現れた事、そして夫は自分を逃がすために残った事を告げ、そのまま息絶えました。結局その男も戻ってくることはなかった」
クラネスは辛そうに唇を噛むと、自らを落ち着かせる為だろうか、そこで一息ついた。
その表情が表すのは苦悩、怒り、後悔、そして海よりも深い悲嘆。
一体どれほどの過去を抱えて生きてきたのだろう。
様々な壮々たる出来事を感じさせる、そんな顔だった。
「そうしてそこでウラネスの精神は決壊したんでしょう。言葉も少なくなり、荒んだ目で物を見るようになった。それでもまだその時はましでした。
そして更に降りかかった出来事で、ウラネスは完全に変貌してしまうのですじゃ。
そしてその出来事はウラネスだけでなく、もう一人儂の家族を狂わせるに至ったのです」




