第五十一話 本当の雫
「イ…サナ…?」
俺は横たわる躯体に呼びかけるが、返事はない。
何があった?どうした?
そう考えてから人間にあるような一般的な体調不良はあり得ないことに思い当たる。
そうだ、こいつは幽霊だった。
つまりそれは、誰にもーー紅を除くがーー相談できないと言うことを意味する。
まずい。
とりあえず俺は呆けて動けなくなっていた足を無理やり動かし、イサナへ駆け寄る。
顔を見ると目を閉じているが死んでいるわけではなさそうだ。
いや、幽霊だから死ぬも何も無いんだが。
どうやら気を失っているようだ。
俺が軽く呼びかけると小さく唸った後薄っすらと目を開けた。
よかった、一応無事なようだ。
「大丈夫か?」
「うむ…何とか…の…」
イサナは途切れ途切れに言う。
まだ少し苦しそうだ。
どうしたのだろうか。
イサナはしばらくぼーっとしていたが、急にハッとすると体を傾けた。
どうしたのか聞いても何でもないを連呼するばかりだ。
よく見ると左手に何かを隠しているようだ。
「お前…何隠してんだ?」
「あ…ちょ!」
俺は半ば強引にイサナの体を捻り、左手を手にとった。
しかし、彼女は左手に何かを隠しているわけではなかった。
「!何だよ、これ…」
そこにあったのは半透明となった左腕だった。
肘から手の先にかけてが透けてきている。
そう、彼女が隠していたのは左腕自体だったのだ。
だが、少なくとも前見たときにはしっかりと存在していたはずだ。
一体、何故。
「時間が…来たようじゃな」
「…は?」
唐突にイサナは呟いた。
「妾は元々幽霊じゃ。逆にここまで長い間ここにとどまれたのが不思議だとは思わんか?」
「いや、でも!」
「忘れたのか?最初の頼みごとは成仏すること。蒼のおかげで願いが叶いそうじゃ、礼を言うぞ」
そう言ってイサナはにぱっと破顔した。
でも、それもそうか。
本音を言うと、急すぎて納得いかない部分もある。
唐突に現れてめちゃくちゃなことを言うかと思えば、俺の生活に入り込んで来て。
かと思えば、国の窮地を救って、その上俺のピンチにも駆けつけてくれて。
いつしか俺の中でとても大きな存在になっていた。
その彼女の願いが叶うと言う。
そんなの、応援してやるしかないじゃないか。
いや、イサナがそれを望むなら応援したい、叶えてやりたい。
ならば、ギリギリまでしたいことをさせてやるべきなのではないだろうか。
そう思った俺は黙って自分の手を見つめているイサナに声をかけた。
「イサナ、最後にやりたいことはないか?見届けてやるよ」
「蒼…ふふ、それでこそ蒼じゃな。では、最後に一緒に街並みでも見に行かんか?」
「よしきた」
俺はイサナを抱えて部屋を飛び出した。
さっきまで歩いていた道を駆け足で引き返す。
先刻の地平線に触れるか触れないかの位置にあった夕陽は、三分の二程地平線に隠れてしまっていた。
俺たちは精一杯楽しんだ。
露店で食べ物を買って買い食いするなど、道沿いにある店を手当たり次第にはしごしていった。
笑って、からかって、怒られて、また笑って。
気づくといつしか橙色の夕陽は完全に沈み、辺りは暗くなっていた。
俺たちはそこで一休みすることにした。
「ふー…楽しかったのう」
「そうだな」
特に言うこともなく、俺たちは無言で空を見上げる。
沈黙が辺りを支配したが、イサナが口火を切りその時間はすぐに終わりを告げる。
「本当に感謝するぞ、蒼」
「こっちの台詞だよ。お前が俺にくれた利益の方が遥かにでかい」
「それは受け取り方の問題じゃ」
確かにそうかもしれないけれど。
国と幽霊じゃ規模が違いすぎるんじゃないか?
いや、それこそ確かに考え方だ。
国を救った霊を救った、と考えればどうだろうか。
まるで俺が国を救ったみたいだ。
言葉って難しい。
「でも行動を起こしたのは蒼じゃ。妾は口添えをしただけにすぎん」
うーん、そんなもんかなあ。
俺はそんな大きなことをしたつもりは無いんだが。
そう思いながらふとイサナの方を向くと、左腕だけでなく右腕や膝から下まで半透明になっていた。
本当に残された時間は少ないのだと実感する。
俺がそのままぼーっとイサナを眺めていると、地面が濡れた。
不思議に思って空を見上げたが、雨が降っている様子はない。
「なあイサ…!?」
イサナに視線を戻した俺は不意に言葉を失った。
何故なら。
彼女が泣いていたからだ。
怒って。
笑って。
真剣になって。
愚痴をこぼしこそすれ、今まで一度も涙は零さなかった彼女が。
泣いていた。
ここで俺は気づいたのだ。
あの願いは、笑顔は嘘だったのだと。
「本当は…あと、あと少しだけ蒼たちと一緒に居たかったのう…」
そう小さく呟かれた言葉を皮切りに止まらずに流れ続ける涙が俺を動かした。
それと同時に徐々に薄れていっているイサナの身体を抱え上げる。
「な…蒼!?」
「お前の願い、叶えてやる!」
そのまま俺は駆け出す。
アカデリア全体を周れば誰かが解決策を知っているかもしれない。
諦めるにはまだ早い。
ついこの前学習したはずだ。
目の前で希望が潰えることの辛さを。
手に届く範囲くらいは守るのだと。
そう決めたはずだ。
無理なことをやるなんて無駄なことだと、誰かが言った。
結果は変わらないのだと。
確かにそうかもしれない。
そんな考え方もあるだろう。
だが、俺はそうは思わない。
最後まで諦めなければ救われるなんて綺麗事は言わない。
けれど、最後まで足掻いてできないのと、最初から諦めるのでは違うと俺は思うんだ。
いや、そう信じたいだけかもしれない。
何かが変わるんだって、そう信じたいだけなのかもしれない。
でも、何もしないで見過ごすのはもう嫌だから。
だからきっと、そう証明したいのだ。
できることはある。
まだ、終わってない。
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