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グラウンドにいた香奈はその音に一早く気が付いた。
もともと五感が鋭い方ではあるが、この音が来ないか警戒していたのだ。
その音はこちらに近づいてきていて、音が近づいて来れば来るほど他の生徒たちも気付き、ざわつきはじめる。
聞くだけで誰もがそいつを容易に想像できるであろう特徴的な音。
誰もが見間違えることのないくらい存在感を誇示する警光灯。
そして、ホワイトカラーをベースに体の真ん中に赤いラインを引いたフォルム。
救急車である。
実を言うと最初に香奈は、遠くから聞こえてくるサイレンの音が聞こえた時、この救急車に対して内心あるお願いをしていた。
頼む、こっちにこないで!
こことは無関係であってくれ!
しかし不安を掻き立てるその音がどんどん近づいてくるうちにそのお願いは……。
っていうか、来るなぁ!!!
という絶望的な絶叫へと変わっていた。
だが現実は非情なり。
その救急車がグラウンドまで入ってきたのだから、心配事が確信に変わった。
あたり一面その出来事に騒然となったが、香奈は舌打ちしたい気分だった。
あれほど怪我さすなと言ったのに何やってんだ。
慌てて剣道場に行こうとしたのだが、後ろから自分の名前を呼ばれた。
いつの間に来ていたのか渚がそこにいたのだ。
「おいどこ行くんだ? 練習一緒にやる約束だろ?」
この騒ぎを引き起こしておいてよく言うものだ。
「それどころじゃないでしょ! 何なのよこの騒ぎ!?」
さすがの香奈ものんびりした渚を見やって怒鳴る。
急に怒られた渚はびっくりしたようだ、キョトンとしている。
「何って……救急車のせいだろ?」
「そんなこと聞いてるんじゃないの! 朝川さんに何したの!?」
「あー……めんどくさかったからリミッター解除した」
これを聞いた香奈は絶望的に天を見やった。
最悪と言ってもいい。
渚だけを行かせたのは失敗だったと今更ながら後悔したが、手遅れだ。
「まさか死んだんじゃ……」
「さすがにそれはないだろ、大体二十パーくらいだよ。解除率」
女の子とはいえ、長身の瑠璃子を吹っ飛ばした力で20%だというのだから恐ろしい。
「それでも打ちどころが悪ければ……」
「だから大丈夫だって。もろに直撃したのに立ち上がりやがったんだからな
サイボーグなんじゃねーのって思っちまった」
「立った!?」
そこで渚は事の顛末を説明した。
「とんでもない子だね……」
全てを聞いた感想がそれである。
それもそのはずで、渚と香奈にとってリミッター解除というのは禁忌の技だったからだ。
この双子は普段の状態であっても身体能力は周りの平均値を大きく上回る。
だがそのことはまだ序の口だった。
もともと人間は全力を出せないように、脳が心理的リミッターを掛けている。
100%に近い力を発揮してしまうと体がその力に耐え切れず、自壊してしまうからだ。
ただし有名な例をあげると、命の掛かった時など緊急時に無意識で抑制がはずれたりする。
火事場の馬鹿力の理論である。
そういう特殊な事情を除けばリミッターが掛かっていて、本来人間は20%くらいしか力を出していないのだ。
だがこの双子はどういうわけか自分の好きなタイミングでそのリミッターを外すことができてしまう。
もともと身体能力の高い二人である。
その潜在能力は測りしれない。
だがリスクも高い。
第一に自壊しないようにとわざわざ脳が抑制している部分である。
それを自分で外すのだから、酷使すれば当然のように体が痛む。
第二に制御が難しい。
力加減を間違えやすいのだ。
今回みたいに相手を吹き飛ばしてしまったり、いらない注目を浴びてしまったりする。
そういう煩わしいことが嫌だったので”使用上の注意”を設けて極力使わないように心がけた。
というより人に向かって使ったことが無いのだ。
子供の頃に作った『約束、禁じ手、禁忌の技』これを使ったのだ。それだけ見ても香奈の驚きのほどは知れるだろう。
食らった本人は立ち上がったというのだから驚きを通り越してもはや呆れる。
「まぁ、たしかにそれだったら生きてるかもね……」
「んじゃま、練習しましょうか」
「こんな状況でできるわけないでしょ!」
まだグラウンドには救急車がいるし、野次馬の人数が相当いる。
そして何より、瑠璃子の安否が気になるのだ。
「あれだけ怪我させないでねって言ったのに……」
「怪我はしてないと思うぜ? 脳震盪を起こしたとは思うけど」
「それを怪我させたって言うのよこのバカッ!!」
香奈にしてはずいぶん汚い言葉である。
「もういい。ウチ一人で見に行ってくるから、ナギ姉は勝手に練習でもなんでもやってて!」
そう言い残して本当に行ってしまった。
一人ぽつんと残された渚は、怒らせちまったかと顔を掻きつつ、
しょうがないので帰ることにした。
チラリと騒ぎの方を見てみる。
背の高い女の子が救急車に乗せられるところだった。
確かに心配してなくないが、とりあえず打った感触からして大丈夫だろうと思っている。
入院場所がわかったら見舞いに行けばいいか、程度に思っていたのだ。
その認識が甘いものだと思い知らされるのはもう少し後の話しになる。
そんなこんなで帰り支度を済ませて学校を出る。
今日は香奈を怒らせてしまって一人だが、いつも大体そうだったりする。
たまーに、一緒に帰ることもあるのだが、渚と違って香奈は人気者だからよく友達と寄り道するのだ。
自分はその輪の中に入りたいと思ってないので気にしない。
よくもまぁ毎日毎日キャッキャと騒ぐことがあるものだと感心するくらいである。
そう考えながらぷらぷら一人歩いていた。
「そーの後ろ姿は黒神姉妹の片割れだなぁ? はて、どっちだろう?」
知った声で後ろから声を掛けられた。
後ろ姿では判断できないようだ。
「その呼び方止めてもらえませんかね」
苦笑しながら振り返った。
そこには仕事帰りなのだろうか、すっきりしたスーツを着こなした、いかにもOL風の女性が立っていた。
今日は長い髪を首の後ろで束ねて一本に垂らしている。
本庄夏美さんという近所に住んでいたお姉さんである。
「おぉ、ナギちゃんの方かぁ!」
そう言ってしっかり抱きしめて頭をグリグリ撫で回してくる。
驚いたことに顔を見ただけで渚だと当ててきたのだ。
「あんたら相変わらずそっくりだねぇ。後ろから見たんじゃどっちか判らないわ」
「よく言いますよ。オレ等のこと見分けることができるのナツミさんしかいませんよ」
昔からだが、渚と香奈を見分けることの出来る人は両親しかいなかった。
だがこの人と知り合ってからはそうではなくなった。
なぜだか分からないが、この人だけは自分たちを見分けることができるのだ。
「ありゃ、そうなの? 高校行ったら誰かしらできそうだと思ったのに」
「全然ですね。誰一人として区別できませんよ。
めんどくさいから香奈にはヘアピンさせてます」
「あはは、そうなんだ。その様子じゃ彼氏もできてないなぁ?」
「やめてくださいよ……。彼氏なんて作りません」
「あちゃー……。そっちも相変わらずなのね」
「治りませんよ」
そうして夏美はキョロキョロと辺りを見回す。
何か探しているようだった。
「どうかしたんですか?」
「カナちゃんの姿が見えないんだけど、どうしたのかなーって」
「ああ、そういう事ですか。実はさっき喧嘩しちゃったんですよ」
「あららーだから今日は一人なんだ?」
「帰るときはいつも一人ですって」
「あっれぇそうだっけ? この前見たときは二人一緒だったような……」
「その時の方がめずらしいんですよ。そういうナツミさんこそ、こっちにいるのはめずらしいですね」
夏美は一昨年から一人暮らしを始めたこともあり、実家にはあまり帰ってこないのだ。
「そうなのよ。ちょっと用事ができちゃってね。会社も早抜けでこっち来たの」
苦笑しながら言うので何か厄介事なのだろう。あえて何も聞かないことにした。
「そうなんですか。確かにいつもこっち来るとしたら夜ですもんね」
「そうそういっつも帰してくれなくてね」
そうやって話しをしてると香奈が近づいてくるのが見えた。
こちらの姿を(特に夏美の)見やって走り込んでくる。
「お、もう片割れの登場だなぁ!」
「だからその言い方止めてくださいって」
渚は半分諦めつつ言うのだが
案の定聞いてる風には見えなかった。
「ナツミさんだぁ!」
そう言ってうれしそうに香奈が飛び込んでくる。
夏美の方も心得てるようで、うまく受け止めては、これまたヨシヨシと頭を撫でる。
「カナちゃん元気そうだね!」
「はい! ナツミさんも元気そうで何よりです!」
そうやって二人で戯れ合う。相当懐いてる様子だった。
渚もこの人の前だと敬語だったりするしで、二人にとって大事な人なのだ。
「カナちゃんも今帰りなの?」
「そうなんです。どっかのバカ姉が問題起こして部活どころじゃなくなちゃったんですよー」
ムッと思った。
「あらら、それは大変ねぇ?」
「しょーがねぇだろ。剣道させたあいつが悪いんだ」
そう言ってむすっと黙り込む。
「ありゃ、剣道やったの? ナギちゃんが?」
「そうなんですよ、確かにちょっと普通じゃなかい展開だったんですけど、だからって……」
「怪我はさせてないぞ」
「そうゆう問題じゃないでしょ!」
そうやって喧嘩が始まりそうなのを見やって、夏美がとめる。
ここらへんの呼吸はさすがだ。
「とりあえず行こっか? 話は帰ってからってことで」
そう聞いて二人は一時休戦となった。
久しぶりの夏美との会話に専念したい気持ちはお互い共通である。
何故かと言うとこの人は自分たちを見分けて、話しをしてくれる。
こんな貴重なことは他の人では体験できないのだ。
話しだすと夢中になってしまうくらい楽しい。
あっという間に黒神家まできてしまったていた。
それでも話すことは山ほどあり、家の前で喋っていた。
「ナツミさんいつまでこっちいるの?」
「実は明日にはまた帰るのよ。こっちに取るものがあっただけだから」
「そうなんですか……」
物凄くがっかりそうな香奈である。
「まぁそんなに落ち込まないでよ。またいつでも遊びに来ていいからね」
「ほんとですかぁ!? 絶対行きますよ! ね、ナギ姉?」
「おう、絶対行く!」
「そしたら、また一緒にお風呂入りましょう。お姉さんがあんたらの頭洗ったげる」
「えぇー。もう子供じゃないんですからそれはいいですって」
「いいじゃんいいじゃん。あんたらの髪綺麗なんだから触らせてよ」
「それじゃあウチはナツミさんの背中流しますね!」
そう聞いた瞬間、夏美はいたずらっ子の笑みを浮かべる。
まさに、ニヤニヤといった感じである。
「あらぁん? 前は洗ってくれないのかしらん?」
「え、え、、え……!?」
「あはは、カナちゃん何想像したのかなー?」
「な、なんでもないです。もう……! からかわないでくださいよ」
「カナはそういうの弱いからなー。『喜んで洗います!』ってくらい言えればいいのに」
「そんなの、むりぃ……」
「そうそう、カナちゃんはいつまでもそうじゃないとね! お姉さんも、からかい甲斐が無いわ」
「むぅ……」
いつものように香奈が頬を膨らませる。
あまりの可愛さに夏美は我慢できなかったようだ
ギューっと抱きしめる。
こうしていつまでも遊んでいたかったが、夏美も用事があるということなのでここら辺でお開きにした。
双子は久々の夏美とのお喋りを堪能して家に入り、ドアを閉めた。
ほのぼのとした空気もそこまでだった。
喧嘩の第二ラウンドが鳴らされたのだった。
主要人物がでそろったはず。
需要があるかわかりませんが、人物紹介をしておきます。
「黒神渚」
今作の主人公。
剣道日本一の称号を得る。
双子の姉妹の姉。
身長が低く、妹とはそっくりである。
妹とはテレパシーができる。
身体能力がずば抜けて高い。
リミッター解除という自身の能力を数倍化させることができる。
乱暴者だが、香奈いわく優しいらしい。
学校一の嫌われ者。
「黒神香奈」
今作の準主人公。
双子の姉妹の妹。
陸上部。
身長が低く、姉とはそっくりで、見分けるためにヘアピンをつけている。
姉とはテレパシーができる。
身体能力がずば抜けて高い。
リミッター解除という自身の能力を数倍化させることができる。
クラス一どころか学校一の人気者。ラブレターが送られるほどである。
「朝川瑠璃子」
今作の準主人公。
剣道部所属。
身長が高く、モデル級美少女である。美女というにはまだ幼い。
殺気に対する感度が高く、その強さは別人に変身するような集中力。
渚曰く、立ち会うと何かしらのオーラが見えるとのこと。
「本庄夏美」
近所に住んでいたお姉さん。
現在は一人暮らし真っ最中。
渚と香奈を見分けることができる貴重な存在。
いたずらドS美女。
「黒神健治」
父。
渚をおちょくるのがやめれないらしい。
「黒神真由美」
母。
どこかのんびり、のほほんとした人。