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無名の剣士  作者: むー
第一章
30/31

29


 渚と瑠璃子の決戦の熱が冷めやまない、夏の日。

 瑠璃子の母、頼子は静かに息を引き取った。

 余命宣告よりも一ヶ月以上早い別れだった。

 最愛の娘に見守れながら最後は安らかに旅立ったと、後になって聞かされた。


 結論から言うと、瑠璃子の兄は最後まで見つからなかった。

 瑠璃子があれだけ会わせてやりたいと願ったものの、現実は非常だった。


 渚との勝負により、瑠璃子の名前は一躍有名になった。

 もはや無名の剣士とは言えないほどである。


 あの時の勝負はノーカットで全国に放送されてしまったのだ。

 もちろん専門家たちがただいなる労力を使い、分析を行うのも忘れない。

 ただ、最後の渚のあまりに情けない姿は温情によりカットされたのはまた別の話である。


「ルリちゃん……ちゃんと泣いた?」


 心配そうに香奈が訊いた。

 双子の目からみて無理をしているのがありありとわかったからだ。

 苦笑いのような、何とも言えない寂しげな表情で瑠璃子が答える。


「大丈夫ですよ。ちゃんと心の準備はできていましたから」


 明らかに嘘だ。

 余命宣告よりも早すぎる別れに、心の準備をする暇など無かったはずなのだ。


「もう、泣かないって決めたんです」


 気丈にも瑠璃子は、母の死後すぐに行動を起こしていた。

 これからは一人で生きていかなければならない。

 やらねばならないことがたくさんあったのだ。


 まず頼子の葬式を出す必要があった。

 家にも自分にも財産などないので、まずは母の実家をあてにした。

 元々、母の死を伝えねばならなかった関係もあったため、喪主を努めてもらえないだろうかと打診したところ、すげなく断られてしまった。

 その時初めて、母は実家と喧嘩別れをして自分を産んだという事実を知った。

 父方など連絡先もわからない。


 こうなってしまってはただの高校生である瑠璃子は何もできない。

 困り果てた。

 そんな瑠璃子を見やって渚は声をかけたのだった。


「おい、お前金はあんのか?」


 母を亡くした直後の相手に、物凄く現実を突きつける言葉だった。

 だが、これが渚である。

 こんな時でもいつも通り接してくれる渚を涙が出そうになるくらいありがたかった。


「いえ……無いですよ……私、どうしたらいいかわからなくて、どうしたらいいんですかね……?」

「オレに聞かれてもわかんねぇよ。カナはどうだ?」

「ウチだってわからないって! とりあえず、うちの両親でよければ相談してみようか?」

「いいんですか? 迷惑じゃないですか?」

「迷惑ってことはないけど、ルリちゃんの話することになるけど、良い?」

「はい。私なら大丈夫ですからぜひおねがいします」


 こうして三人は黒神家へ。

 事情を訊いた健治は自身もあまり経験がないと言った上で提案してきたのだった。


「そういう事情であれば、病院から直接火葬場まで行ってくれるはずだ。正直俺も詳しくはわからんからな病院に相談したほうがいいぞ」

「なんだよ役にたたねーな、って葬式はやっぱ無理だよな?」

「一言多いぞ、まったく……。まあ国が払ってくれるって話もあるんだが、どうだったかな母さんや」


 真由美にも話を訊く。


「うーん、そうねぇ……。死亡診断書を出して、話をすれば対応はしてくれると思うのだけど……こういっては申し訳ないのだけど、実家に縁を切られてしまった方に、はたして国が動いてくれるかどうか怪しいわね」


 さすがに世慣れている大人だけあって、実にわかりやすい説明だった。


「そうすると、葬式無しで火葬してもらうってことか、瑠璃子どうだ?」

「……仕方ないですよ。お母さんには申し訳ないんですけどね」


 寂しそうな表情で言う瑠璃子だ。


「瑠璃子さん、あなたお墓はもってるの?」

「お墓……? そういえばありません」

「そうよねぇ……実家のお墓に入れさせてもらうのが一番なんでしょうけど、たぶん今の話を聞くかぎり無理そうよね」

「ああ、そうなると、うーん」

「一度お寺さんに預かっていただくのがいいのかしらね。瑠璃子さんが自立して改めて納骨するってことにしてもらうの」

「え、そんなことができるんですか?」

「もちろん、お寺さんに相談しなくてはならないけど、でもできるはずよ」


 こうして方針は決まったのだった。

 お寺のほうはすぐに見つかった、一番最初に訪ねたところで快く引き受けてもらえたのだ。

 町外にあるお寺さんではあるが、同じ街であるので通うに不便しない。


 しかし、問題はまだあった。

 瑠璃子の一人暮らしの件だ。

 当然未成年である瑠璃子は、引き取ってもらう親戚がいない場合、基本的に施設に行くことになるだろうという話がでたのだ。

 そうなると今の学校は転校する可能性も出てくる。


「え、そんなのヤです!!」


 そう大声を上げる瑠璃子だった。

 そんなことを言ってもどうにもならないが、この問題はすぐに解決した。


「お前が今の学校まだ通いたいってんだったら、一応方法がなくもないが……」

「方法があるんですか!? なんでもします教えてください!」

「ひどく、気が進まないんだが……」


 めずらしく歯切れの悪い言い方をする渚だった。


「ようは、お前が一人で生きていけるってことを証明できればいいんだ。ってことは収入があればいいわけだ」

「……まさか?」

「ああ、ナツミさんに相談してみよう」

「…………」


 以前、夏美の家に遊びに行ったとき、モデルのバイトを募集していた。

 バイトとはいえ専属モデルともなれば、そんじょそこらのアルバイトとは比べ物にならない収入になるはずである。

 そこで収入証明なりなんなりがあれば、現時点での所得がゼロに等しくても何とかなるのではないか、といったものだ。

 しかし、それには瑠璃子自身モデルになる覚悟が必要なわけなのだが。


「わ、私がモデル……? 人前でポーズとかするんですか……?」

「だから気が進まないって言ったろ。まぁお前次第だけどな」


 だが、瑠璃子の決断は早かった。

 今の学校を、というよりも渚たちと離れることのほうが何よりも嫌なのだろう。

 すぐにやりますと力強い返事をしてきたのだった。


 本人がやると言った以上、渚もそれ以上何も言わなかった。

 その場で夏美に連絡をするのであった。


 こうして手続きなど滞りなく終えた瑠璃子だったが、必要なこと終えた今、胸に空いた穴の存在を意識してしまうのだった。

 家に帰っても誰もいない。

 料理も、洗濯も、掃除も、これからは全部一人でやっていかなければならない。

 今まで以上に働かなくてはならないし、勉強の成績だって落ちるだろう。

 剣道の時間?

 AOの時間?

 その時間を取る余裕など無くなるだろう。


 これからのことを思うと不安しかなかった。

 一人で家にいる時間がどうしようもなく辛い。

 どんどん暗い感情が押し寄せてくる。

 どうしていいかわからなかった。

 こんな時の対処などできない。

 完全に考えることを止めた。

 思考の停止。


 どれだけそうしていただろうか。

 時間の感覚がなくなり呆けているとインターホンが鳴っていることに気がつく。

 瑠璃子はハッと我に返った。

 家に帰ってから大分時間が経っていたようだ。

 洗濯物を手に持ったままずっと座っていた。

 長時間同じ姿勢でいたのだろう、体のふしぶしが痛い。

 もう一度インターホンが鳴らされる。


 瑠璃子はのそのそと動き出し、玄関へと出てみる。

 すると制服姿の渚と香奈が立っているのだ。

 その手にはコンビニで買ってきたのだろうか、ジュースやお菓子が大量に持たれていた。


 唖然と二人を見やる瑠璃子だったが、その様子をみて香奈が言ってきた。


「今日泊まってもいいかな?」


 そんなことを申し訳なさそうに訊いてくるのだった。

 悪いはずがない、むしろ誰かがそばにいてくれるのがありがたいとさえ思った。

 ましてやそれが、大好きな二人である。

 すぐに渚と香奈を家に上げようとしたのだが、何故来たのか気になったので訊いてみた。


「どうして急に来てくれたんですか?」

「えーっと。まぁ、なんとなく?」

「……なんですかぁそれ」

「コマけぇことはいいんだよ! それよりもこれ食おうぜ、オレは腹が減ってるんだ」

「もう! またそうゆう言い方して」

「ごめんなさい、私ご飯の用意してなくて……」

「あーいいんだよルリちゃん! こんなのにご飯なんて必要ないんだからね」

「おい、お前こそその言い方!」


 いつものようににらみ合いを始める双子である。

 玄関の前でそんなやり取りをしているのだ、目立つことこの上ないどころかこれでは近所迷惑になってしまう。

 瑠璃子は二人を引っ張り込むようにして家の中へ招いたのだった。


 二人が買ってきたお菓子の量はとんでもないものだった。

 何袋も転がり、ジュースも2リットルのものが3本もあるしでとてもじゃないが、三人で消費しきれる量ではないのは明らかだった。

 最初は遠慮していた瑠璃子であったが、それでも健啖家の渚が頬張るように口へ突っ込んでいくのを見やって、慌てて手を出し始めた。



---



 双子が買ってきたお菓子はあっという間に無くなってしまった。

 瑠璃子も少しいただいたものの、ほとんど渚が食べてしまったようなものだ。

 この小さい体の一体どこに入っていったのか謎しかない。

 そんなことを考えていると渚が今度は眠いと言い出したのだった。

 相変わらず、自由奔放である。


 しかし困ったことに、この家には今すぐ使えるベッドが一つしかなかった。

 どうしようか悩んでいると、渚は一人さっさと瑠璃子のベッドに潜り込むのであった。


「あーナギ姉! また勝手にそういうことする!」

「……おやすみ」


 たしなめる香奈だったが、どこ吹く風の渚である。

 最後にそういって寝息を立て始めるに至っては、さすがの香奈も呆れていた。

 だが、瑠璃子はこの相変わらずの双子に微笑ましいものを感じていた。

 自分がこういう境遇になってもこの二人は変わらずに接してくれるのだ。

 泣かないと決めたはずなのに涙が出そうになるほどうれしかった。


 泣かないよう必死にこらえていると、渚がこちらを見ていることに気がついた。

 寝息を立てていたから、即寝したのかと思いきや、狸寝入りだったようだ。

 慌てて顔をそらすのだが、渚はそんな瑠璃子を呼ぶように、自分の横を叩く。

 おいでおいで、ということらしい。


 誰かと一緒に寝ることなどないことだった。

 どうしたらいいのかわからないのだ。

 そんな様子をみやってだろうか、香奈が背中をおしてくる。


「ナギ姉が粗相してるけど、ルリちゃんのベッドなんだから寝ようよ。ほら」


 そういって若干抵抗している瑠璃子をベッドに押し込む。

 しかたなしに瑠璃子は押されるがままにベッドに入るのだった。


 そうすると、いつの間にか端っこに寄っていた渚が腕を差し出してきた。

 これの意味がわかるのに、瑠璃子はしばらく時間が掛かった。

 だが、意味がわかった瞬間、自分の顔が熱くなる感覚を感じるのだった。

 おそらく鏡をみたら自分の顔は真っ赤になっていることだろう。


 渚が腕枕をしてくれようとしているのだ。


 あまりの恥ずかしさに跳ね起きる瑠璃子なのだが、それを押さえ込むかのように香奈が抱きしめてきた。

 もはや瑠璃子の頭はパニック状態に陥ったとしても仕方がないだろう。

 そう言えるだけの状態が今まさにあるのだ。


 渚が腕枕をし、後ろからは香奈が抱きしめてくる。これで冷静でいろなどと、例え天地がひっくり返ったとしても無理であろう。

 ものの見事に双子にサンドイッチされてしまった瑠璃子は抵抗どころではない、まったく動けなくなってしまった。

 抵抗むなしく(抵抗なんて実際してないが)渚の腕に着陸した瑠璃子はいつの間にか目をつぶってしまっていたようで、恐る恐る目を開けてみる。


「あ……」


 渚の顔が目の前にあった。

 それも、オフ会の日、壁に押し付けられた時よりももっと近い距離でだ。

 渚のまつ毛一本一本がはっきり見えるくらい、渚の息遣いが感じられるくらい、渚の整った唇が艶めかしく光っていた。

 まるで吸い込まれるように渚の顔を凝視してしまう。

 同性愛主義ではないはずなのに、物凄くドキドキしていた。


 この状況は一体なんなんだろうか。

 何故か分からないがすごくいいことのはずなのに、物凄くピンチな気がするのは気のせいだろうか。

 そんなことを考えていると、後ろから髪を撫でられた。


「ルリちゃんの髪ってロングなのにさらさらだよねぇ……羨ましい」


 香奈がそんなことを言ってくるのだが、それどころではなかった。

 香奈に頭を撫でられる度に、ゾワゾワと落ち着かない何かが上がってくるし、そればかりに気を取られていると、今度は渚の吐息が首筋にかかり、声が漏れそうになる。


 このままじゃまずいと思っているのに、抵抗できなかった。

 もはや体に力が入らないのだ。

 それどころかもっと、もっとしてほしい……。

 そんな風に思い始めた矢先だった。


「ン……アン……」


 必死に声を押し殺していたのに、失敗してしまったのだ。

 恥ずかしい声を二人に聞かれてしまったかもしれない。

 今すぐ消えてなくなりたい気持ちだったが、チラリと目を向けてみる。


 渚がニヤニヤしているのが見えた。


 やはり今の声を聞かれてしまったのだ。

 そしてわかってしまう。

 わざと吐息が首筋に当たるように仕向けていたのだろう。

 明らかに確信犯だ。


「……っ! ナギさん!!」

「おお、いきなりなんだよオレは眠いんだから、もう少し静かにしてくれよな」

「どの口がそんなことをっ! ひどいです!!」

「おいおい、なんのことだって、オレにはよくわからないから詳しく教えてくれよな」


 平気でこんなことを言ってくるのだった。

 このままでは自分が不利なのは明らかだ。

 話題を変えることにした。


「……なんであの時本気を出さなかったんですか?」


 瑠璃子は先日の試合のことを持ち出すことにした。

 急な話題転換で目をパチパチさせている渚だったが、「色気がねぇなぁ」と舌打ちしながら応じてきた。


「そう簡単に言うけどな、お前が言うオレの本気ってのはなんだとおもってるんだ?」


 逆に聞き返された瑠璃子は過去のことを振り返るのだった。


 あの技を実際に見たのは二度。

 一度目は殺気を感じた瞬間にはもう記憶が飛んでいた。

 夢の中で渚と会話をしていたという認識で、起きた瞬間には『渚に会いに行かなくては!』と思うだけだった。


 二度目は最近の話だ、しっかり覚えている。

 一度目同様、殺気を感じた。

 それどころかもっと明確な黒い炎まで見えたのだ。

 来る! と思ったときにはすでに渚は目の前にいた。それと同時に自分の体も動いていた。

 どうやら自分は後方に跳躍したようだ。

 そこまでわかっていたからあとは受身を取るだけでよかった。


 ゆっくり思い返して出た結論は


「ナギさんのあの技は身体能力の強化、でしょうか?」


 そうとしとしか考えられなかった。

 一度目も二度目も自分は渚のどんな動きでも見逃さないほどの気迫でアンテナを張り巡らせていたのだ。

 そのアンテナに引っかからせないで動くなど普通であれば不可能なはずだ。

 自分の想像を超えなければ、だが。

 だからこそ、自分の想像を超えるスピードを手に入れることのできる技である可能性が高いのだ。


「んー、まぁ半分正解ってとこか。……いいよな?」


 最後の言葉は自分に向けられたものではなかった。

 心得たように香奈が答える。


「まぁルリちゃんだったらいいんじゃないかな、ぶっちゃけ今さらのような気がしないでもないけど」

「そう言うなって説明できる暇なんてなかったんだからよ。ってことでルリ他言無用だぞ」


 そう前置きしてから渚が改めて語り始める。


「オレらの技はな、『リミッター解除』とよんでる」

「『オレら』ってことはカナちゃんもできるんですか?」

「ああそうだ。カナもできるんだ。っとまぁそれはいいとして、基本的にはお前が言った身体能力の強化であってる」

「でもそれだけじゃないんだよねぇー。動体視力や聴力も強化できるんだよね」

「ええ!? そんなことまでできるんですか?」

「できるんだよなぁこれが。脳の抑制を解除するから、そこに影響するなにかであれば全て能力が強化される」

「何かっているのがウチらじゃわかんないんだけどね」


 絶妙のタイミングで香奈が相槌を入れていく。

 ここらへんの呼吸はさすがだった。


「まぁそういうわけで基本的に五感の全ては強化できると言っていい」

「……そんなの、無敵じゃないですか……」

「ところがどっこい、そうとも言い切れないんだよなぁ」


 一昔前の煽り文句を入れてくるが瑠璃子は突っ込むのも億劫に感じるほどだった。

 無言で続きの催促をする。


「デメリットも存在するんだ」

「デメリットですか?」

「そもそも、なんで人間にはリミッターが存在するとおもう?」


 そう言われて瑠璃子は少し考えたものの、理由などわかりきっていた。


「疲れるから、ですよね?」

「疲れるどころじゃないんだがな……。正直に言うとリミッター解除を連発すると自分の体が壊れる」

「え……?」

「筋肉とかブチギレるんだよ。だからやたらめったら使えないんだ」

「そ、そんな、自滅の技じゃないですか!!」

「ルリちゃんの言うとおり、ウチらの技は無敵に近いんだけど、反動もでかいんですよ。ましてや人に向けて使えば、申し訳ない話、ぶっ飛ばしちゃうし、力加減間違えれば……」


 最後の言葉をどう言おうか悩む香奈だった。

 だが、渚が躊躇なく言う。


「死人がでる」

「もう、はっきり言わないでよ!」

「こんなん、言い繕ったってしょうがねぇだろうが! とまぁそんな理由で使わなかったんだよ。納得したか?」

「……そんな危険な技だったなんて……」

「使わないで済むんだったらそれに越したことはないんだがな、お前の力が予想以上だったから、思わず使いそうになっちまったぜ」


 そう言って渚はにやりと笑うのだった。

 その様子をただ唖然と瑠璃子は聞いていたのだが、渚が続ける。


「オレの技はそんなんだけど、お前の技はずいぶんと使い勝手が良さそうだったな」

「私の、技ぁ、ですか?」


 急にそんなこと言われても思い当たるフシが無い瑠璃子だった。

 そう返された渚は少し驚いた様子で問いかけるのだった。


「お前、自覚なかったのかよ?」

「一体、何の話をしてるんですか?」

「まじかぁ……お前のはおそらく、『意識の加速』だと思うんだよ」

「なんですかぁそれ?」


 本当にわけがわからなかった瑠璃子である。

 自分が何かしたなんて、あのとき必死すぎて全く気付かない。


「……ったく。まぁ最初は動体視力がよくなったのかと思ったんだが、それにしては反射速度も上がってるしで、おかしいなと思ったんだよ。お前から見てオレの動きはどうだった?」


 そう言われてあの試合のことを思い返す。

 渚の動きは……、いつもよりもゆっくりに見えていた気がする。

 スローモーションの世界に入り込んだ錯覚。

 その世界を自分だけが自由気ままに動けたような意識。


「…………」

「まぁつまりそういうことだと思うんだ。つってもまだ自分で思ったようにオンオフできないだろうし、そこらへんは訓練だな」


 渚が最後に締めくくったのだった。

 瑠璃子はその言葉を何度も何度も頭の中で反芻した。

 まだ伸び代があるという事実は自身が望むべくものである。

 だが、それに伴う時間というのが……。


「……私はまだ強くなれるんですかね?」

「ああ、強くなれると思うぞ。それこそその技が完全に開花したらオレやカナよりも強くなるかもしれない」

「ホントに?」

「こんなんで嘘ついてどーするよ。ま、がんばって精進しろよな」

「……それはうれしい、けど……。もう私にはそんな時間は残されていないかもしれません」


 瑠璃子は寂しそうに続けた。

 バイトに専念しなければ、身寄りの無い瑠璃子はすぐに施設送りにされてしまうだろうという予想。

 そんなことになってしまえばせっかく渚や香奈と知り合えたのも離れてしまう。

 今の瑠璃子にとってそれはとてつもなく辛いことだった。


「だから剣道をする時間はもう取れないかもしれません。せっかくナギさんに稽古つけてもらって、結果を残すことができなくて非常に残念なんですが……。もちろんゲームの時間なんて論外でしょうから、このまま引退ですね」

「お前が自分で決めたんならオレはなんも言わねーけど、剣道でタイトル取って大学推薦なり企業推薦なりもらったほうが将来的にいいんじゃないか? そーゆう特待生制度は有利だろ」


 渚が提案をするのだが、瑠璃子は困ったような笑顔で言う。


「さすがに今はまだ将来のこと考えられません。まだ二年生ですから、もう少しだけ考えてみます。とにかく今を生きなきゃ……」

「……将来、か」


 渚は噛み締めるようにぽつりとつぶやくのを見やって、瑠璃子は怪訝そうに首をかしげる。

 どういう意味か問いただそうと瑠璃子が口を開きかけたとき、渚が何かを思い出したかのように喋りだした。


「そーいや、結果の話をしたけどよ」


 そんな前置きをして続ける。


「あの試合は事実上お前の勝ちでいいんだよな?」

「へっ!?」


 いきなり何を言い出したのか、理解できなかった瑠璃子だ。

 確かに、自分は渚から一本を取った。

 最後には面を手控え勝ちをゆずりもしたが、そもそもあの試合自体、渚は本当の意味で全力を出していないではないか。

 渚が本来の力を出し切っていたなら、瑠璃子は簡単に弾き飛ばされていたことだろう。

 だからそういう結論になるのはおかしいのだ。

 そのことを言おうと思ったとき、ここでもさらに渚が先手を取るように口を開く。


「だからあの時の約束通り……してやるよ」


 またもや理解できない瑠璃子だ。

 約束とは一体いつ、何のことをしたのかさっぱり記憶にない。

 しかし、言った本人の渚は渚で珍しく、少し躊躇するようにおどおどしている。

 これは一体なんの前触れなのかまったくつかめない。

 このままでは埒があかないと思った瑠璃子は、申し訳ないと思いながらも訊いてみた。


「えっと、ごめんなさい約束って、何かしてましたっけ?」


 渚はショックを受けた顔をしたが、次にはさもありなんと頷く様子を見せる。

 ますますわけがわからなかった。


「まぁ、お前寝ちまったしな」

「ええ……? 一体なんの話なんですかぁ?」


 瑠璃子からしてみるとまったく身に覚えのないことなのだ。

 渚に勝ちたいと想いはしたが、『勝ったから何かをする』約束は取り付けてなかったはずだ。

 過去の記憶を何度も探ってみたもののやはり思い当たる節はなかった。

 そのことを改めて渚に問いただそうとしたが、渚が思いもよらぬ行動に出た


 腕枕をしてくれている渚との顔は、これまで以上に近かいのは先述したとおりなのだが、そのままさらに近づいてくるのだ。


「え?」


 瑠璃子の口からそんな声が漏れた。

 近づくだけ近づいて、顔がぶつかるところまで来ても止まる気配がないのだ。

 そして、『柔らかい何か』が瑠璃子の唇を襲った。

 今まで散々寸止めしてきたそれを、驚くことに本当にしてきたのだ。

 瑠璃子は驚きに目を見開いた。

 その時、渚と目が合い、瑠璃子が冷静であれば渚が何を考えているのか探ることもできたのだろうが、それどころではない。

 瑠璃子の頭の中はすでに真っ白になっていた。


 どれほどそうしていたのかわからない。

 時間の感覚が無くなっていた。

 瑠璃子の唇を襲う、『柔らかい何か』が顔から離れていく。

 解放された瑠璃子は再度渚の顔を見た。


「こーゆうときは目をつぶるのがマナーだって言ったろ?」

「…………」


 思考回路が停止している瑠璃子にそんなことを言っている渚だった。

 瑠璃子はまるで金縛りにあったかのように固まってしまっていた。

 そんな様子を見やって、後ろにいた香奈が声をかける。


「ルリちゃんが戸惑ってるじゃん。ってかいきなりそういう事することのほうがマナー違反!」

「細かいこと気にすんなよ。するぞって言ったら大暴れするのは目に見えてたんだから、ちょっと順番が変わっただけだろうよ」

「乙女心にはその順番が大切なの、ったく……。おーいルリちゃん、起きてる?」


 瑠璃子を挟んで言い争いをしていたようだが、まったく耳に入ってこなかった。

 今されたことの感触がいまだ余韻として残っている気がする。

 瑠璃子は思わず自分の唇にそっと手を触れてみた。

 なんだかいつもより暖かいような気がする。

 そんなことをしていると、頬をペチペチと撫でるように叩かれているのに気がついた。

 はっと我に返る。随分とトリップしてしまったようだ。

 するともうすでに香奈の顔が目の前に来ていた。


「え?」


 思わず先ほどと同じ言葉を呟いている瑠璃子だ。

 

「もうルリちゃんかわいいからウチもちゅーする!」


 そう言って香奈が本当にキスをしてきた。

 渚と違って頬を、その赤い舌でチロリと撫でていくようなキスだった。


「おい、カナ! お前レズじゃねぇつったろ!?」

「いいじゃんいいじゃん! ルリちゃんがかわいすぎるのが悪いんだよー」

「なんだその変態痴漢親父みたいな言い分は!」

「えへへへー」

「…………」


 いつものように双子がやりあっているが、それどころではない瑠璃子は恐る恐る訪ねてみた。


「えっと、いきなりだったので、その、今のは一体、何だったんですか?」


 瑠璃子はしどろもどろになってしまったのはこの際仕方がないだろう。

 そんな瑠璃子をよそに双子は即答する。


「ん、キス」

「ちゅーだよ」


 やっぱり、自分の勘違いではないらしい。

 少しだけ冷静になれた瑠璃子は渚に問い詰める。


「何でそんなことをしたんですか?」

「何でって、まぁしたくなったから」

「…………」


 瑠璃子はそのあとの言葉が続かなかった。

 自分でも気持ちがよくわかっていなかった。

 いきなりされたことに怒りは感じるし、少なからず衝撃を受けた。

 しかしそれとは別に、大好きな渚とキスできたことに喜んでいる自分もいることも事実であり困惑していた。

 一体自分は何が言いたいのかわからないのだ。

 瑠璃子のそんな迷いを知ってか知らずか、香奈が言ってくる。


「ナギ姉、まだ説明してなかったの……?」

「ああ、タイミングがつかめなくてな」

「もう! ルリちゃんが怯えてるのはそういうわけなのね」

「そんな、怯えてるわけじゃ……。いきなりだったから驚いただけです」

「そうだよねぇ、ウチも悪ノリしちゃった、ごめんね」

「謝ることじゃ、ないですよ」


 瑠璃子がさらに続ける。

 

「えっとナギさん。一応私のファーストキスなんで、大事にしてください」


 これで煽ってないなどとは言わせないとばかりに渚の目が光る。

 当然香奈の目も光る。

 双子が同時に動きだすのだった。


「お前はいっつもそうやって! こっちの気持ちもしらねーでよ、ほらこっち向けよ」

「ルリちゃん今のはいじらしすぎるよー。ウチとももう一度して!」


 双子の同時攻撃である。

 左右同時にキスをしてくるので、さすがの瑠璃子も身動きがとれなくなっていた。

 香奈は頬や耳にキスの集中攻撃を浴びせ、渚は唇を重点的に攻める。

 右手は渚が押さえ込み、左腕は香奈に絡め取られてしまった。

 もはや抵抗できずに身を委ねるだけになったのだった。

 ちゅくちゅくと卑猥な音が、直接頭に響く感覚。

 自分の頭が真っ白になる。


「……ン…ふぅ、ン……」


 自分がどんな声を上げているのかわかった。

 さっき漏れたときはとてつもなく恥ずかしかったのに、今ではそんなことどうでもよくなっていた。


 双子が自分の身体を左右に挟み、好き放題するのに飽きたのかようやく開放してくれた。

 瑠璃子は「はぁはぁ」と肩で喘ぐように息をしていた。

 自分の顔はおそらく真っ赤であろう。その顔を双子に見つめられている気配がするのだ。

 慌てて隠そうとするものの、腕は相変わらず拘束されていて振りほどけない。

 

「だめぇ見ないでください……」

「いいじゃん、可愛い顔もっと見させろよ」

「……ンハァ、イヤァ」

 

 恥ずかしい言葉を耳元で吐息混じりに言ってくるのだ。

 瑠璃子は自分の身体が溶ける感覚を味わっていた。

 思わず「いやいや」と首を振るのだがもはやどうにもならなかった。

 しばらくこの二人におもちゃにされるのだった。

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