第五話 三日目 引越し編 2
「ところで優乃ちゃんは何してるの、仕事」
「私、お芝居の専門学校に行ってるんです、というか行くんです」
「へぇ、そんなのあるんだ。どんなことするの?あ、座らない?」
二人挨拶をしてからずっと立ちっぱなしだった。優乃はそうですねと笑って、矢守とぺたり、腰を下ろした。
「行ってみないと何をするか分からないんですけど、多分まず基本的な発声練習とか、感情の出し方とかするんじゃないですか。私高校の時、演劇部にいたんですよ。その時は毎日発声練習とかしてました」
「発声練習って大きい声出す練習?あーとか、いーとか」
優乃にとってマンガの世界が分からないように、矢守にとっても芝居の世界は全くの別世界なのだろう。
普通そうだよね、と思いながら優乃は矢守に説明した。
「うーんと、例えば発声練習ですと、『あえいうえおあお』って聞いたことないですか。大きく口を開けて一言一言はっきり発声するんですよ」
「へぇ。あいうえいおあお?」
「近いですね。『あえいうえおあお』です。何でこの順なのかは知らないんですけどね。多分口の形とか関係してるんだと思います。で、これに合わせて腹式呼吸、うーんと、お腹から声を出すようにするんです」
そう言って優乃はやって見せた。
矢守は体の小さい優乃から意外なほど大きな声が出て、驚いたようだった。
「すごいんだね、神藤さん」
「優乃でいいですよ。神藤さんなんてあまり呼ばれたことないんで、ちょっと恥ずかしいです」
「そっか。じゃ優乃ちゃん」
「はい」
「口の形とかって、直されたりするの」
「そうですね、『あ』ならもっと大きく開けてとか、『い』なら横に強く引っ張ってとか、『う』だと口を突き出してとかは言われますよ。口は大きく、はっきりが基本ですね」
「そうなんだ、口を開けてか…」
「何かありました?」
「うん、何でもないの。こっちのこと」
と言いながら、矢守は続けた。
「さっき言ったけど、私男性向けのマンガ描いてるでしょ。最終的にヤることは同じなんだから、ネタに詰まってくるのよ。そうすると後はシチュエーションでどう描くかになってくるのよね。それでモノをくわえさせる時に、お口の形の練習ってありかなーって。あっ、ごめんね。お芝居とかバカにしてるんじゃなくって、一つのシチュエーションとして使えそうだなって思って…。そうね、お口の練習から下の方の練習ってつなげていけそう…」
思わず赤面してしまうことを、真剣に話す矢守。アイデアがふくらんできたのか、一人ぶつぶつ言い始める。
所々それらしい単語が聞こえてくる。優乃は聞こえないフリをして、矢守から視線を外した。
やだ。矢守さんが言うと、お口って言う言葉もやらしく聞こえてきちゃう。マンガ家さんって気にならないのかな。自分で描いてるから、意識しなくなるのかも。
妙な空気が流れる中、どうしようと優乃が黙っていると
ギ
ガ
ガラ
ガ
ガ
と音と一緒に大八車が見えてきた。




