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水を得た魚、大地に立つ  作者: 八車祥転
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第2話

 目が覚めると、見知らぬ天井があった。

 一瞬、どこにいるのか分からなくなる。

自分の部屋じゃない、ここは――

 そうだ異世界だ。

 昨日、クラスごと召喚されてスキルが発現しなくて――。

 重苦しい現実が、一気に押し寄せてくる。

「晃制様、お目覚めでしょうか」

 ノックの音と共に、扉が開いた。

 ロッテが顔を覗かせる。心配そうな表情だ。

「あ、おはようございます……」

「おはようございます。朝食の準備ができておりますので、お着替えをお手伝いさせていただきますね」

 そう言って部屋に入ってくるロッテ。その後ろから、リーゼも続いて入ってきた。

「おはようございます、晃制様。昨夜はよくお休みになれましたか?」

「え、ええ……まあ」

 正直なところあまり眠れなかった。でも、心配させたくなくて曖昧に答える。

「それは良うございました」

 リーゼがてきぱきとカーテンを開ける。朝日が部屋に差し込んできた。

 ロッテが服を用意してくれる。昨日とは違う、動きやすそうな服だ。そして、その横には革製の胸当てや腕当てが並んでいる。

「本日より訓練が始まりますので、こちらの装備をお召しになっていただきます」

「訓練……」

 そうか。グノーシスが言っていた、できる限りのサポート。これがそうなんだろう。

 服は何とか自分で着替えられたが、胸当ての装着で手間取った。

 こういう装備の装着はしたことがないので、どうつけるのが正解なのか分からない。

「あの、晃制様。こちらは……」

 ロッテが申し訳なさそうに近づいてきた。

「このベルトをこう通して……はい、これで」

 リーゼが手際よく胸当てを装着してくれる。

「す、すみません……」

「いえ、慣れないものでございますから。これから毎日お召しになりますので、すぐに慣れますよ」

 ロッテが優しく微笑んだ。

「さあ、朝食にいたしましょう。訓練の前に、しっかりお召し上がりくださいませ」

 食堂に案内されると、そこには既に何人かのクラスメイトがいた。

 皆、それぞれのメイドや執事に付き添われて朝食を取っている。

 俺が入ってくると、数人がちらりとこちらを見た。でもすぐに視線を逸らす。

 いつものことだ。元の世界でも同じだった。

 ただ、朝からこいつらと顔を合わせるのは若干気が滅入る。

「こちらへどうぞ」

 ロッテに促されて、端の席に座った。

 テーブルには、パン、スープ、サラダ、果物が並んでいる。見たことのない料理もあるけど、美味しそうだ。

「いただきます」

 一口食べると、予想以上に美味しかった。パンはふわふわで、スープは優しい味がする。

 あまりの美味しさに俺が固まっていると。

「お口に合いますか?」

 ロッテが嬉しそうに聞いてくる。

「あ、はい、すごく美味しいです」

「それは良うございました」

 食事をしながら、リーゼがこの世界のことを教えてくれた。

「この世界には、魔法とスキルが存在します。勇者様方の世界には魔法やスキルが存在しないと聞いていましたので・・・。魔法は誰でも訓練すれば使えるようになります。スキルも、ものによっては本人の才能や努力次第で獲得できるのです」

「獲得できる?」

「ええ。例えば、料理を極めれば料理人のスキルが、剣術を極めれば剣士のスキルが……その人の可能性に応じて、新しいスキルを得られます」

「じゃあ、俺も……」

「もちろんでございます」ロッテが優しく微笑んだ。「晃制様にも、きっと」

「ただ」リーゼが続けた。「勇者の皆様が持つチートスキルは特別でございます。過去の経歴や心の根底にある願いから生まれる、この世界の理を超えた力。従来のスキルとは格も能力の強大さも段違いなのです」

 持っている人は、な。

 俺には、それがない――少なくとも、今は。

「晃制様」リーゼが真剣な顔で言った。「午前中に、訓練場へお越しくださいとのことです」

「訓練場?」

「はい。剣術指南役の方が、晃制様をお待ちしているそうです」

 剣術指南役――つまり、師匠か。

 グノーシスが言っていた。スキルがなくてもできる限りのサポートをする、と。

 これが、そのサポートなんだろう。

「分かりました。食事が終わったら、行きます」

 残りの朝食を済ませると、リーゼとロッテが訓練場まで案内してくれた。

 城の中庭にある、広い訓練場。既に何人かの兵士が剣の稽古をしている。

 金属がぶつかり合う音。掛け声。汗の匂い。

 ――そこで、俺は彼女を見た。

 金髪を後ろで一つに束ねた、凛とした女性。

 金の装飾が入った純白の鎧を身に纏い、剣を腰に下げている。端正な顔立ちと、真っ直ぐな瞳。

 彼女が振り向いた瞬間、俺の心臓が跳ねた。

「君が、八子祥晃制か」

 落ち着いた、でも気高さを感じる温かみのある声。

「は、はい……」

 緊張で声が裏返りそうになる。

「私はリース・アルマノイド。王宮騎士団の副団長を務めている。今日から、君の剣術指南を担当することになった」

 リース・アルマノイド。

 その名前を、何度も頭の中で繰り返す。

「よろしく頼む」

 彼女が手を差し出した。

 俺は慌ててその手を握る。温かくて、でも力強い手だった。

「よ、よろしくお願いします……!」

「では、早速始めよう」

 リースが訓練用の木剣を二本取り出した。一本を俺に渡す。

「まず、剣を握ったことはあるか?」

「いえ、ありません……」

「そうか。なら基礎の基礎からだな」

 リースが木剣の持ち方を教えてくれる。

「親指と人差し指で軽く握る。力を入れすぎるな。剣は体の一部だと思え」

「は、はい」

 言われた通りに握ってみる。でも、どうしても力が入ってしまう。

「力みすぎだ」

 リースが俺の手に触れて、力の入れ具合を調整してくれた。

 その瞬間、また心臓が跳ねる。近い。すごく近い。

 金髪のきれいな髪が俺の顔を擽る。

「……聞いているか?」

「あ、はい!聞いてます!」

 慌てて返事をする。リースが少し笑った。

「緊張しているのか?大丈夫だ、ゆっくりで構わない」

 優しい声だった。でも、それがまた緊張を増幅させる。

「では、素振りをしてみよう。私の真似をしてくれ」

 リースが木剣を構える。

 俺も同じように構えようとするけど、上手くいかない。

「足の位置が違う。もっと腰を落とすんだ」

「こ、こうですか?」

「そうだ。いい感じだ」

 何度も何度も、素振りを繰り返す。

 同じ動作の繰り返し。単調で、地味で、しんどい。

 十回、二十回、三十回……。

 腕が重くなってくる。肩が痛い。腰が、膝が、悲鳴をあげている。

 普段から運動なんてしてこなかった。贅肉を携えた俺の体には、この訓練はなかなかキツい。

「まだいけるか?」

「は、はい……!」

 息が上がる。でも、止めたくない。

 五十回を超えた辺りで、腕が上がらなくなってきた。

「無理はするな。休憩にしよう」

 リースの声が、遠い天国の声のように聞こえた。

 俺は木剣を置いて、その場に座り込んだ。いや、倒れ込んだ、が正しいかもしれない。

 息が荒い。汗が止まらない。服がびっしょりだ。

「初日にしては、よく頑張ったな」

 リースが水筒を差し出してくれる。

「あ、ありがとうございます……」

 震える手で受け取って、がぶ飲みする。冷たくて、美味しい。生き返る。

「体力がないのは仕方ない。これから少しずつ鍛えていけばいい」

 リースが隣に腰を下ろした。

「君は、元の世界で武術や剣術のようなものを習っていたか?」

「いえ……全く」

「そうか。なら、まずは体力作りと基礎からだな」

 リースが真っ直ぐこちらを見た。

「焦る必要はない。一歩ずつ進んでいけばいい」

「……はい」

 優しい言葉だった。でも、俺の中には焦りがある。

 他のクラスメイトは、強力なスキルを持っている。

 俺には何もない。

 このままじゃ、本当に足手まといになる。

「では、今日はここまでにしよう」

 リースが立ち上がった。

「明日も同じ時間に来い。毎日続けることが大切だ」

「はい。ありがとうございました」

 頭を下げると、リースが少し笑った。

「そんな丁寧にしなくていい。気軽にくれ」

 その笑顔に、また胸が跳ねる。

 リーゼとロッテと一緒に、城の廊下を歩く。

 体はしんどい。でも、気持ちの中には何かが残っていた。

 今日は初めて、何かに向かって動けた。

 廊下を曲がると、遠い方から音が聞こえてきた。

 木剣がぶつかる音。

 見る方向には、別の訓練場があった。

 そこに、リースがいた。リースと――皐月が稽古をしている。

 リースが木剣を振るい、皐月がそれを受け止める。

 リースが何か言葉をかけると、皐月がこくこくと頷き、もう一度構える。

 あいつも、リースに教わってるんだな。

 同じスキル非保持者。同じ師を持つ。

 少しだけ、安心した。

 一人じゃない。

 「行きましょう」とロッテが小さく言った。

 俺は頷いて、廊下を続けて歩いた。

 部屋に戻ると、俺はベッドに倒れ込んだ。

 体中が痛い。特に腕と肩。明日には筋肉痛が来るだろう。

 でも、嫌な感じじゃなかった。

 リースの顔が頭に浮かぶ。凛とした表情、優しい笑顔。

 天井を見上げる。

 昨日の夜は、絶望しかなかった。

 でも今は――少しだけ、違う。

 まだ何も始まっていない。

 これから、だ。

 体は疲れているのに、なぜか目が冴えている。

 その日の夜、布団の中で目がなかなか閉じなかった。

 明日の稽古が、楽しみだった。

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