あの夢の続きを
私にしては珍しい純愛(?)もの。
花火はまだ打ち上がっていなかった。
「ちょっと二人きりになりたい」
男女六人で来た花火大会で入ったスマホのメッセージ。
返事をする前に位置情報まで送られてきた。
「今行く」
私は駆け出していた。といっても慣れない浴衣を着ていたから、気持ちの上での全力疾走だった。
花火のよく見える河川敷から少し離れた橋の上で、君は待っていた。
息切れする私を見た君は苦笑いをしていたし、緊張しているようにも見えた。
「単刀直入に言うけど」
彼の声を、言葉を、邪魔するものはこの世界のどこにもありはしなかった。
「好きです」
澄んだ夜空の星々が呼応して瞬くようだった。
「付き合ってください」
「はい」
私たちの新しい関係性を祝福でもするみたいに、花火が開いた。
スマホのアラームを止めて、ぼやけた目が宙をさまよった。
「……夢か」
いやいやいや、……夢か、って期待してるみたいじゃん!
期待、してないって言ったらそりゃ、嘘になるけどさ。
素直に落胆していることを自覚して、恥ずかしさが込み上げてくる。
枕に顔をうずめて「うー」と呻き声を上げた。
「琴音、そろそろ起きなさい」
お母さんがドアをノックしながら起こしに来た。
スマホを見れば、アラームを消してから二十分も経っていた。
「やばっ」
このままでは遅刻してしまう。
それに、いや、こっちはもう間に合わないか。
急いで学校へ行く準備を整え、リビングへ行き朝食をかき込む。
ごはんが喉に詰まりそうになって、コップの水を飲み干した。
「ごちそうさま!」
食器をシンクに置いて水に浸け、台所の脇にあるカレンダーが目に入った。
花火大会は今週の土曜日。つまり、明後日だ。
カバンを持って靴を履き、「行ってきます!」私は慌ただしく家を出た。
「夢かぁ……」
起き抜けに思わずため息がこぼれた。
花火大会で告白する夢だった。
たしかに、告白しようとは思っていたし、友達にも協力してもらって花火大会に誘うことはできた。
意識をし過ぎた結果、その願望を夢に見たのだろう。
告白が成功するという以外は、ひどくリアリティのある夢を。
「はあ……」
もう一つため息を吐いて、スマホを見れば遅刻しそうな時間だった。
俺は急いで制服に着替え、朝食も摂らずに家を飛び出した。
普段乗っている電車の時刻を三本分見送ったが、なんとか間に合った。
これを逃すと遅刻が確定するのだ。
ほっと息を吐いて、やってきた電車に乗り込み、車内を見回す。
乗っているのはほとんどスーツを着た人たちで、学生たちもちらほらいる。
——まあ、いるわけないよな。
日常の密かな楽しみも今日はお預けか、と思った矢先であった。
閉まるドアの直前、彼女はやってきた。
「あれ、なんでいんの」
それはこっちのセリフだ。
「寝坊」
「珍しい。夜更かしでもした?」
「いや、別に。そっちこそ遅いじゃん」
「私も寝坊」
「お前もかよ」
「一緒だね」
俺にだけ見えるように笑った琴音と目が合った。
今朝の夢のことを思い出して、つい目を背けてしまった。
「もう夏休みだね」
「……今週の土曜日って、来る?」
「一応」
「そっか」
「なに?」
「いや別に」
「私が行ったら迷惑?」
「だったら誘ってねーよ」
「……そっか」
「遅刻すんなよ」
「そっちこそ」
なんだか会話の全てがよそよそしい感じになってしまった。
これもすべて夢の中で告白した自分のせいだ。
意識しないようにと思えば思うほど、態度は素っ気なくなっていく。
心なしか、琴音の態度も冷たく感じてしまう。
俺たちって、普段、どんな会話してたっけ?
お互いが間合いを探りながら、塑性変形でもしたような関係性のまま、花火大会当日になってしまった。
やってしまった。
あの夢を見てから、稜平とまともに会話できなかった。
特に、心の準備ができていない状態で、不意打ちみたいに電車で一緒になったのが悪い。
しかも「一緒だね」とか誰だよ!
そんなキャラじゃないだろ私。
絶対おかしなやつって思われた。
返答もなかったし。滑ったみたいじゃん。
そのせいで冷たくしちゃったし。
どうしよう。嫌われたかな。
それは、嫌だな。
というか、告白されるって決まったわけじゃないじゃん。
好きだって決まってわけでもないじゃん。
それなのに、勝手に意識して、浮かれてさ。
……あれ、私ってもしかしてちょろい?
なんてうだうだ考えていたら、花火大会当日になっていた。
お母さんに言ってわざわざ浴衣を着せてもらい、遅刻しないように家を出た。
花火大会の行われる場所から最寄りの駅に着いた。
待ち合わせの時間にはまだ早い。
改札付近に立ちながらスマホをいじっていた。
SNSを見ていたら、友達二人から「ごめん行けないかも」と「ごめん行けなくなった」という連絡があった。
私一人で男子三人の相手すんの?
……私も帰ろうかな。
そう思ってスマホから目を離すと、改札から出てくる稜平を見つけてしまった。
しかも、稜平の方も私に気付いたみたいで、迷わずこちらに歩いて来る。
「よっ」
私の抱える気まずさなんて微塵も考えていない、という具合の気安さで声を掛けてきた。
「二人来れないって」
「マジか。こっちも二人遅れるって」
「えぇ、どうなってんの」
「知らね。ま、とりあえず俺たちだけで行こうぜ」
「……うん」
これでもう、帰るという選択肢は消えてなくなった。
スタスタと先を歩く稜平の速度が、心なしかいつもより速い。
私が慣れない浴衣を着ているせいで追いつけない、ということもあるけれど、それにしたってなんだか歩幅が大きい気がした。
「ちょっと待って」
どんどん離されていくのが少し怖くて、つい伸ばした手で稜平の服の裾を掴んでいた。
「なに?」
振り向く彼に「速い」とだけ、文句でも言うみたいな口調で告げた。
「ごめん」
素直に謝罪を口にする稜平は、本当に申し訳なさそうな顔をするからずるい。
だから、ちょっと困らせてやろうと思った。
「ねえ」
「ん?」
「この浴衣どう思う?」
案の定、稜平は困ったような面倒くさいと言うような表情を浮かべて、
「似合ってる」
言って顔を背けた。耳の先が赤いのは、何も夕陽のせいばかりではないだろう。
私はと言えば、褒められるだなんて思いもしなくて、
「うるさい」
言って稜平の背中を叩いた。「ありがと」聞こえていませんようにと祈りながら、小さな声で言った。
花火大会の会場には出店が並んでいた。
地元のお祭りといった規模の小さいものばかりだけど、人混みはそれなりの賑わいを見せている。
花火が打ち上がるまでの間、私たちは出店を回った。
りんご飴をかじる私の横で、稜平はたこ焼きを食べる。
一口もらって、すっかり身も心もお祭り気分になった。
くじを五回引いた。四回は外れで、当たった変なキーホルダーは稜平にあげた。
射的のコルクは一発も当たらない。
輪投げも入らない。
金魚すくいはおまけで一匹もらったけれど、いらないのでお店の人に返した。
「そろそろ行くか」
稜平が言うので、「どこに?」と反射的に訊ねていた。
「どこって、花火」
「あ、そうじゃん」
「忘れてた?」
「いやいや、覚えてたし」
お祭りが楽しくて忘れていましたなんて言えるわけがない。
花火がよく見えるという河川敷にやってきたけれど、人でごった返していた。
家族連れや友人、あるいはカップルなんかがたくさんいて、関係性の定まっていない私たちの居場所はどこにもないように思われた。
「ちょっと離れるけど、あっちで見ようぜ」
稜平が指を差したのは橋の上だった。
夢で見た場所じゃん!
「うん」
密かに上がっているテンションを見抜かれないようにするのに必死だった。
さっきから心臓が踊り狂っている。
クラブの縦揺れかロックバンドのヘドバンかってくらい暴れてる。
大丈夫だよね。心臓の音、バレてないよね。
……というか、これ、もしかして、本当に?
なんて考えて、余計にドキドキしながら、私たちは橋の真ん中までやってきた。
欄干に二人してもたれかかって。
夜空を模写した川を眺めながら。
「あのさ」
稜平が何かを言いかけた瞬間、花火が打ち上がった。
爆発音と衝撃が駆け抜けて、色とりどりの大輪の花が咲く。
負けじと人々は歓声を上げて、連鎖するみたいに次々と花火が打ち上がっていく。
今、この世界で、誰かに言葉を届けることなど不可能だった。
私たちは無言のまま、大人しく花火を眺めていた。
稜平のチャンスは完全に失われてしまっていた。
きっと、花火が終わっても、言葉の続きを聞くことはないだろう。
つまり、あの夢で見た光景を見ることは、もう叶わないのだ。
終わるな。終わらないで。どうか、もう少しだけ。
そんな願いも虚しく、最後の花火が夜空を彩る。
「……帰るか」
稜平は言って背を向けた。
「待って」
自分でも分からないけれど、私は稜平の服の裾を引っ張っていた。
立ち止まり振り返る稜平に、言葉を探す。
このまま帰ったら、あの夢の先には、多分もう、一生辿り着くことはできないのだと、直感がそう告げていた。
それならいっそ。立場が逆だったとしても。後悔するくらいなら。
言ってしまえ。
「好き、です」
言ってしまった。
沈黙が怖かった。
その恐怖に背を追われて、まるで逃げるみたいに、言葉が駆け出していく。
「好きです。私と付き合ってください」
世界が丸ごと返事を待っているかのように、静寂が帳を下ろしていた。
「俺の方こそ、よろしくお願いします」
声を聞いて。口元を両手で覆って。腰が抜けて。私は涙を浮かべた。
地面にへたりこむ私を見て、稜平が見たこともない焦った顔をしていた。
それがおかしくって、泣きながら笑った。
差し出された稜平の手を取り立ち上がる。
握った手はそのままに、私たちは一緒に帰り道を歩いた。
……手汗とか、大丈夫だよね?
「ねえ」
「なに」
「稜平の告白も聞きたい」
「はあ?」
「私ばっかりずるいじゃん」
「なんだよそれ」
「あ、もしかして嫌いなの?」
「あー、もう。好きだよ」
「それで?」
「俺と付き合ってください」
「はい」
ああ、これで。ようやくあの夢の続きを見に行ける。




