戦場に咲く花③
蟻のような人の群れ。鼻腔を微かに刺激する血と硝煙の臭い。風に乗って聞く悲鳴と怒号。張り巡らされた独特な緊張感によるひりつきは、心臓の輪郭を直接なぞらているような錯覚をさえ起こさせる。自然と背筋が伸びた。
——私はいま、戦場にいる。
アンナは戦場から少々離れた後方の天幕の外から、戦の様子を眺めていた。
傍らにはいるのは二十の騎兵と作戦参謀の一人、時々やってくる伝令くらいなもの。貴族令嬢の護衛には物足りない気もするが、翻って、その地が安全であることを物語っていた。
「我が軍は優勢ですね」
伝令の報告を聞き及んだ参謀はアンナの隣に立ち、現在の戦況を簡単に教えた。
「当然ね」
「アンナ様の策が見事にハマったようです」
澄ました顔をしているアンナは、心の中でほくそ笑んでいた。
というのも、自身の思い描いたように事が運んでいたからである。
兵数や兵種、兵站の量や予備軍の存在、どこに布陣してどのような策を練っているのか。その他、色々な軍の情報を現在戦っている国に流したアンナではあるが、例え別の思惑を企んでいるとはいえ、自国が負けることは本意ではなかった。
そのため、直前の作戦会議で将軍たちを説得し、情報を逆手に取った策を講じていた。
敵国が劣勢になれば、無理を承知でアンナのいる天幕に奇襲をかけてくるだろうと信じて。
軍略としては、相応の被害が出た時点で撤退するのが常である。しかし、後方の手が届く距離に、殺しても誘拐しても一定の成果が見込める要人がいるとなれば話が変わってくる。
追い込まれた者たちの視野というのは狭くなりがちだ。敗北と決した勝負を五分以上に持ち込めるとなれば、「やるかやらないか」ではなく「どうやってやるか」という思考に囚われるだろう。
そこに隠し味として、それとなくアンナの存在を匂わせておいたり、護衛の数を少なくしておけば、まず間違いなく少数精鋭の別動隊を向かわせてくれるはず。
そう。全てはアンナの掌の上とも知らずに。
——こい。来い。コイ!
「急報! 急報!」
血相を変えた伝令が馬を飛ばしてアンナたちの下へとやってきた。
——来た!
アンナは思わず歓喜の声を上げそうになるがぐっと堪え、わずかばかりニヤけるにとどめる。
「何事ですか」
跪いて礼を取ろうとする伝令を手で制した参謀は、一切の動揺を表に出すことなく静かに訊ねた。
「敵騎馬隊約五十が左方の森を抜け、後方より襲撃してくるとの情報が入りしました」
「分かりました。あなたは前線に行って援軍の要請を。我々は」
参謀が指示を出すより先に、アンナは伝令の乗ってきた馬に飛び乗って駆け出した。
「二十騎、私に続け!」
馬上で腰に下げた剣を抜き放ったアンナは、切っ先を天に掲げ、護衛の兵に命令を下した。
さすがよく訓練された精鋭たちである。突然の出来事にも関わらず、兵たちはわずかな逡巡を見せる間もなく馬を駆った。
「あ、えっ」
「俺の馬……」
事態についていけない参謀と伝令を残して、アンナとその護衛たちの背がみるみる小さくなっていった。
護衛の兵士の一人は困惑していた。アンナに命令を下されたことに、ではない。護衛なのだから、護衛対象の命令を聞くのも、まして事あるごとに軍に顔を出して無茶ぶりをしてくるお嬢様にこき使われるのも慣れっこである。
——速すぎる。
アンナの駆ける馬の速度が尋常ではないのだ。
兵士たちとて精鋭を自負している猛者ばかり。馬術の扱いには相当の自信がある。少しくらい駆け出すのが早かったからといって、大した訓練もしていない子女に追いつくなど訳ないことのはずだ。
兵士二十人の誰一人として、アンナに追いつくどころか、むしろ距離を離されていく。
馬の性能、なわけがない。むしろアンナの馬は伝令を乗せて走って来た直後なのだから、兵士たちの馬の方が体力は残っている。
重量の差だろうか。いや、いくら軽装備で体重の軽い女性を乗せているからといって、軍馬にしてみれば誤差の範囲だ。
つまり、だ。つまり、純粋に馬を操る技術の差で負けているのだ。
そのことが少なからず兵士たちに畏怖と衝撃を与え、動揺を誘った。
元来、戦で武功を挙げるというのは男の誉であり憧れである。英雄になれる日を夢に見たことのない者などいるはずもなかった。そのために厳しい訓練を日々耐え抜いてきた。だが、いざ戦が始まってみれば、自分たちに課せられた命令は貴族の護衛である。それは落胆以外の何ものでもなかった。
とりあえずついてきただけ。
走りはじめて思考する余裕が出てきたために、加えて子女にも劣る智略と武勇を目の当たりにして、兵士たちの士気は下がっていた。
それを知ってか知らずか。アンナは再び剣を掲げ、振り下ろす。
「戦え!」
短い言葉が兵士たちの鼓膜を打った。
叱咤し窘めるがごとく怒声にも似た檄はしかし、明らかに悦びに満ちていた。
奮い立て。
楽しめ。
祭りである。
栄誉をこの手に。
私と共に。
陽の光の閃き反射して輝く剣を掲げるそれは、御旗を引く英雄のような神々しく、あまりの眩さに目が眩みそうであった。そうしてまた、その檄はたしかに、兵士たちの心に火を点けるに十分な熱をはらんでいた。
自身の熱が伝播し、温度の上がったことを背に感じたアンナは、共振するようにさらなる興奮を覚え、「ははっ」思わず笑みがこぼれた。
敵兵が目前に迫っていた。
情報の通り、騎兵、その数約五十騎。
アンナは馬の手綱を引いて、さらに一段加速してみせた。
先頭を走っていた敵兵の一人は戸惑っていた。無謀にも単身で、それも見るからに兵士ではない女が突撃してきていたからだ。
だが、どのような装いであろうと敵である。兵士は剣を抜き、迎え撃つ姿勢を取った。瞬間、女の馬はさらに加速して、気が付けば目の前にいた。
「はっ?」
素っ頓狂な声を上げた兵士は、視界がくるくると宙を舞うのを他人事のように感じながら、意識が途切れた。
戦場に血しぶきが上がるより早く、まるで針の穴を通すがごとき繊細さで、密集していた騎馬隊の隙間を縫い上げ、通り抜けていく騎馬の一騎に呆然とする。
その騎馬とすれ違った兵士たちは、一、二、三、四、五、と次々に一刀のもとに切り伏せられて倒れていく。
それはまさしく電光石火の一撃であった。
次いで、前方からは二十余りの騎馬がものすごい士気を上げて突撃してきた。
もはや隊列は崩れ、敵兵たちは何が起こったのかなど考える余地もないほどの苦境に立たせられていた。
敵兵にいち早く突撃をかまし、隊列の合間を抜けて後方まで食い破ったアンナは反転し、剣を鞘に納めた。
代わりに、腰から拳銃を抜き放つ。それはアンナが自ら開発と改良を施した一点物である。通常の銃とは異なり射程は短いが、近距離では五ミリの鉄板を易々と貫通する威力を誇り、また弾丸を六発も連射できる代物ものだった。
アンナは護衛の兵の突撃に合わせて敵兵の背に銃弾を浴びせた。
それはもはや烏合の衆であった。
統制も秩序も策もなく、各々がただ目の前の戦いに個々で対処するだけ。
そんな集団に負けるような兵はどこの軍隊にも存在しない。
悲鳴と絶叫が木霊する戦場にあって、アンナはぺろりと舌舐めずりをした。
——私の獲物だ。
アンナはもう残り少ない敵兵の中へ、再度の突撃を行った。
結果から言って、アンナたちは圧勝した。
敵兵五十は全滅。対してアンナたちは軽症者が二名のみ。はっきりいって異常とも言える戦果だった。
アンナが勝鬨を挙げると、呼応するように兵士たちも歓声を上げた。
地面にはまだ、熱を持った死体が、血の海に浮かんでいる。
その光景はちょうど、上から見ると花弁が開いたような形をしていた。
アンナは、その血だまりの中心に立って天を仰ぎ、高鳴る胸に手を当てると、確信した。
「私はいま、恋をしている」
戦場に、一輪の花が咲いた瞬間であった。




