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戦場に咲く花①

書いてたら長くなっちゃった…。

掌編小説の文字数超えそうだから、分割します。

 リブリーは懐かしむようにアンナの髪を()かしていた。


「こうしてお嬢様のお世話をできるのもあと少しなのですね」


 鏡越しにリブリーの表情を見たアンナは、一瞬だけ目を伏せ「そうね」短く肯定した。


「でもまだ一年あるわよ」


「一年しかないんですよ」


「寂しいの?」


「当たり前じゃないですか」


 水面に光る太陽の稜線のように透き通ったアンナの髪を下からなぞり、名残惜し気に手を離す。


 子どもというのは、気付かぬうちに成長して、どこか遠くへ行ってしまう。


 約十六年、つまりアンナが産まれた時から専属の侍女としてお世話してきたリブリーは、未婚ながら、子離れできない親の気持ちを嫌というほど味わっていた。


「じゃあ一緒に来る?」


 アンナの提案に思わず二つ返事で即答してしいまいそうになる。願ってもないことだ、とリブリーは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


「できません」


 首を横に振る。二人とも、それが叶わぬことと知らぬほど無知ではないのだ。


「さあ、できましたよ」


「じゃ、行ってくるわね」


 アンナは言って立ち上がり、懐に忍ばせた短剣に触れ、父親のいる部屋へと一人で向かった。




「ならん!」


 怒声と机に振るった暴力が衝撃を伴って部屋中に木霊した。父がこんなにも感情をあらわにするところをアンナは久しぶりに見た。貴族とは斯くあるべしという芯の一本通った父は、アンナが誘拐されたと聞いた時でさえ、泰然(たいぜん)とした態度を崩さなかったほどである。


 そんな父の怒りを真正面から受けたアンナはしかし、そこらの箱入り令嬢とは肝の座り方が違う。


「なぜでしょうか。成人した貴族が戦争を経験するのは我が国の(なら)わしでしょう」


 親譲りか否か、一切の臆病を見せることなく毅然(きぜん)とした態度でアンナは言った。


 戦争に兵士として参加したいのだと。


 アンナの父——アンドリュー——は目を閉じ大きく息を吐くと、努めて冷静に口を開いた。


「ただの古臭い慣習だ」


 貴族の義務として、戦争に参加するという慣習はたしかに存在していた。つい五十年くらい前までは。現在では、小さい紛争こそあれど、国内外ともに平和であり、もはや貴族の義務などというのは形骸化して久しかった。


 それに、とアンドリューは続ける。


「それに、貴族の義務は家督を継ぐ長男、予備として次男が負うものだ」


 決して、貴族の、それも結婚を控えた娘を戦争に駆り出す慣習などではないのだ。戦争を経験して生還すれば箔が付くのはたしかだが、アンナに限っていうなら、もう十分な実績があるのでその必要もない。


 アンナは剣術や弓術や馬術といった武芸全般、音楽や舞踊や絵画の芸術、その他学術方面だけでなく、最近では兵法や兵器の開発などにもその才能を如何なく発揮している。


 お転婆どころの話ではない。というか本当に自分の娘なのだろうか、もう当主の座を譲っちゃおうかな、などと実の父のアンドリューが血迷うくらいには、アンナは傑出(けっしゅつ)していた。


「むしろなぜそんなに(いくさ)に出たいのだ」


 なにがアンナをこうも駆り立てるのだろうか。ようやくいつも通りの平静さを取り戻しつつあるアンドリューとは相対的に、アンナの熱量は上がっているようだった。


「私の考え作った兵器を兵法を、自身で試したいと思うのはそんなにおかしなことですか」


「現場の兵士や将軍から話を聞けばよかろう」


 自分で作ったものを試してみたいという欲求はアンドリューも理解している。ただ、開発と称して散々試して——やらかして——きたし、実戦を想定した盤上遊戯で相手がうんざりするほど対戦していたではないか。


 アンドリューは方々を走り回っての根回しや謝罪をした日々を思い出して、苦い顔をした。


「百聞は一見に如かずですよお父様。それに、今回が最後のチャンスなんです」


 実のところ、アンナは父の言い分を理解しているし、自身がわがままを言っている自覚もあった。それでもと食い下がるのには明確に理由があるのだ。


 一つは紛争の終わりが近づいていること。早ければ一か月、遅くとも半年以内には隣国との諍いが終わるだろうとアンナは見立てていた。この争いが終わってしまうと、何事もなければ、数年は戦が起こることはないだろうと。


 一つはアンナ自身の自由がなくなること。すでに婚約者との結婚の日取りが決まっており、嫁いでしまえば今まで通りの生活は絶対にできなくなる。それに、これまで散々に言い訳を並べて先延ばしにしてきたので、これ以上の延期をすることもできない。


「後方支援や見学ではダメなのか。それならまだ」


「嫌でございます。私が指揮を執り、また一兵卒と肩を並べて兵器を使いたいのです」


 アンドリューは思わず天を仰ぎ、自分自身に「落ち着け」と言い聞かせた。


 アンナのペースに呑まれてはいけない。


 煙草に火を点け、深く煙を吸い込み、吐き出す。


 今日の父は手強いぞ。胃の底に小さく痛みを感じながら、アンドリューは違う角度から説得を試みることにした。


「……お前は女だ。男所帯の、それも軍隊にいきなり入って、兵士として使い物にならんことくらい分かるだろう。指揮官などはもっとだ。戦は遊びではない。駒の取り合い、などと軽々しく考えているんじゃないだろうな」


 アンドリューの言葉は(ことごと)くもっともであった。


 男と比べれば、女はどうしたって体力や力が劣る。比較対象が常日頃から訓練をしている常備軍の兵士となれば、その差はより明白だろう。


 軍隊とは個の集まりではなく、システムである。軍隊の訓練をしていない人間がいきなり入ってしまえば、システムが十全に機能しなくなる可能性がある。そのための訓練であるし、命を懸けた戦に、身内による不確定要素など邪魔以外の何ものでもない。


 そして、女という生き物は毒なのだ。女のみのグループではまるで蟲毒のように足の引っ張り合いが横行し、男女比が極端に男に偏ったグループでは壊死した箇所が全身に回るように秩序が崩壊する。


 軍隊なんてただでさえ抑圧されている環境なのに、見目麗しい貴族令嬢を入れるなど、井戸に毒を入れるがごとき蛮行に等しかった。


「お父様の言い分も理解しております。覚悟も、しているつもりです」


「覚悟?」


 アンドリューは嫌な予感が脳裏を過ぎった。


 さすがアンナの狂行の尻拭いをしてきただけはある。この時点で何かを察せるのは危機察知能力が相当に高いことの証左だった。惜しむらくは、その予感を思考の海から掬い上げるより早く、現実がやってきてしまうことである。


 アンナは懐から一本の短剣を抜き放った。


「待て」


 父の静止など耳に入らないとばかりに、アンナは自身の髪を片手で束ね、肩より上の位置で短剣の刃を髪束の端に押し当てた。まるで人質のように。


「女を捨てる覚悟です」


 はらり。数本の長い髪の毛が切れて床に落ちた。


 貴族の淑女にとって、髪とはすなわち命である。時には、上級貴族が家格よりも髪の質を比べて下級貴族にハンカチを噛む夜があるくらいには、彼女たちの美の象徴なのだ。そうしてまた、嫌がらせの代表例として、髪を切るというのがあるくらいには、嫉妬や屈辱など、女の闘争の象徴なのだ。


 アンナの目は明鏡止水を思わせるほど一分の揺らぎもなく座っている。


 ごくり。突然の事態についていけず、アンドリューは生唾を飲んだ。


「私も悪魔ではありません。後方の安全地帯で見学を行う、これで手を打ちましょう」


「いや、しかしだな」


「これ以上は譲歩いたしません」


 また数本、切れた髪が床に落ちた。


 本気だ。本気なのだ。


 アンドリューはとうとう根負けして、「よかろう」短く言うと、座っていた椅子の背もたれに深々と体重を預けた。


「二言はありませんね」


「ああ、ない」


「ありがとうございます」


 太陽が閃いたような眩い満面の笑みを浮かべたアンナに、アンドリューは事ここに至ってようやく、交渉の着地点がはじめから「後方での見学」だったのではないかと思いついた。


 最初に無理難題を要求して、通ればよし、通らなければ段階的にレベルを下げていく。一般的なやり方で、アンドリューも当然のように心得ている。


 ゆえに、それを見抜かせなかった娘の度量と、自身の不甲斐なさが鮮明になった。


 誇らしい。そう思うと同時に、悔しさが滲む。


 まあ、自由の利かない結婚生活の前の最後のわがままと思えば、留飲も下がるというもの。


「お父さま」


 どこか嵐の過ぎ去った心持ちをして安堵していたアンドリューに、アンナは聞いたこともないほど安らかな声で父を呼んだ。


 アンドリューが自身の目に焦点を合わせたことを確認して、


「覚悟は覚悟です」


 アンナは人質を殺した。


 短剣の切れ味は凄まじかった。


 数百以上が束ねられた髪をほとんど抵抗なく切ってしまったのだ。


 その短剣は、最近、アンナを殺そうとしてきた暗殺者を返り討ちにして手に入れた代物であった。


 無論、命は取っていない。命の代わりに頂いたのだ。


 さすが本職の仕事道具は性能が違うな、なんてアンナはちょっとした感動に浸っていた。


 人質だった髪はアンナの手から放たれ、無様にカーペットの一部と化した。


「バッカモーン!!!」


 その日、屋敷中に木霊した怒声は、子々孫々に語り継がれる寓話(ぐうわ)となるが、それはまた別のお話。

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