第十一話「人のこころないんか」
閉店後。
22時を回った。
ディードさんが消えていった後は、
いつもの、静かな「葦原」に戻る。
なんせ僕は、
モブオブモブ。
派手な出来事ばかり続いたら胃が痛むに決まってる。
洗い物を片づけ、火を落とし、
床を拭いて、発注を流し見て、
あとは帰るだけ。
その合間にふっとできた“すき間”で、
明日の予約表を確認しながらコーヒーを淹れた。
今日の気分はコナ。
立ちのぼる香りだけで、胸の奥がすっとほどける。
明日は三組。
コースも確認済みだし、準備は問題ない。
ふとカウンターを見ると、
ミャウリがいた。
スパークリングのグラスを片手に、
足をゆらゆら揺らしながら、まだ飲んでいる。
「そろそろ帰るけど」
「ん?」
返事というより、ただの鳴き声のかけら。
ミャウリはぐぴっと飲み、こちらを見もしない。
「そのグラス、飲み終わったら洗いたいんだけど」
「まだ飲むけど?」
当たり前のような顔で注ぎ足し、
泡を立てて、また口へ運ぶ。
「普通に嫌なんだけど?
人のこころないんか?」
ぐぴ。
ぐぴ。
さらに
ぐぴっと。
おい。
こいつ、完全に酔ってる。
「スパークリング美味いにゃにゃ。
チーズも美味いにゃにゃ。
生ハムも美味いにゃにゃにゃ」
ぐぴ。
「……そりゃイベリコ豚だし、チーズも良いの揃えてるしな」
「ニャルほど。
モブオブモブにしては、やるにゃん」
ぐぴ。
そしてなぜか、キラッとウインク。
ため息をつきながら皿を下げていると、
ミャウリの目つきが、急に澄んだ。
「……お面、被っておけ。
くるぞ」
ぐぴぴっと飲み干し、
次の瞬間、ミャウリは
ぱぁっと光って消えた。
「は? 閉店だし、誰が来──」
その時だった。
スマホが、不自然な静けさを切り裂くみたいに鳴った。
いつもバイブにしてるはずなのに、
ありえないほど大きく音が響いた。
胸の奥が、ひゅっと跳ねた。
店の空気まで揺れた気がした。
胸の鼓動が、スマホの通知音と同じリズムで跳ねていた。
画面を見るのが怖いなんて、変な話だ。
ただの通知。そう、ただの通知でしかないはず。
そう思いながら指を伸ばすと、
なぜか画面がじんわり熱い。
ロックを外すと、
ちょうど一件のメッセージが表示された。
送り主は……
知らない番号。
しかも、本文には一行だけ。
「開けて」
心臓が、どくりと揺れた。
誰を?
何を?
どこを?
意味がつかめないのに、
背中のうぶ毛が逆立つ。
店内は音が吸い込まれたように静か。
さっきまでミャウリがいた気配だけが、
まだ空気の温度として残っている。
その時。
カウンターの向こう、
入り口の木の扉が、
コトッ
と小さく揺れた。
風じゃない。
店内は密閉してる。
誰かが、外から触れたみたいな……
そんな音。
僕は思わず胃のあたりを押さえた。
「……お面、被っておけ。くるぞ」
さっきのミャウリの声が、
耳の奥で再生される。
扉が、もう一度。
コト。
スマホが震える。
また通知だ。
今度の本文は、こうだった。
「早く」




