エピローグ 新たな旅へ
王宮で暴れた一ヶ月後。
晴れた空の下、孤児院の前庭で、俺は困惑していた。
目の前には、孤児院の仔らがいて、皆、顔をうつむけている。
「ほらみんな、笑顔でオルグくんをお見送りしましょう、ね?」
アリスの呼びかけに雄の仔が、顔をあげた。
「病気が治ったら絶対、戻ってくるんだよな?」
前のめりになる仔に、俺はあいまいに微笑む。
俺の身体は神器を取り込んだせいで変容した。
両腕は指先から肘まで――ガントレットで覆われていた部分が黒く変色し、額には捻れた角が生えたままだ。仮面を取り込んだ直後は、人さし指ほどの長さだった角は、たんこぶほどの大きさに縮んでいる。
腕は騎士用のガントレットで、額はフードや布で隠せる。
問題は顔だ。
頬から額に掛けて、複雑な紋様が刻まれていた。
ステルラ帝国では、奴隷や罪人に入れ墨を刻む風習がある。
俺はイアンやその他、王宮の兵士や騎士たちを手に掛けた。罪人の証を刻まれても、当然だった。
即、首を落とされず俺が生きながらえているのは、ひとえにベアトリクスの発案によるものである。
俺は雄の仔の目線にあわせて膝を折った。
「必ず帰ってくる。それまでみんなを守ってくれ」
雄の仔は涙目になって俺に抱きついた。彼に続いて、他の仔らも俺にしがみついてくる。
俺はみんなをまとめて抱きしめた。
名残惜しく手を振り、俺は彼らに背を向けた。
門前にはベアトリクスがいる。
ジェラルドを失神させた後、俺も意識を失ったらしい。
次に目を覚ましたら、白い天井が目に入った。
よくよく目をこらすと高い天井には、翼を背負った人族が何人も描かれている。
羽を見るだけで吐き気がした。
「やっと気が付いたわね」
凜とした声音が、窓際から聞こえた。
椅子に腰掛けたベアトリクスが本から顔をあげる。金色の髪から包帯が見え隠れしていた。
その場で飛び起きる俺に、ベアトリクスは「動いたら傷が開くわ」と手をかかげた。
柔らかいベッドに、花をあしらった壁紙、毛足の長い絨毯。
見たこともない部屋の様子に俺がきょろきょろしていると、
「私の部屋がそんなに珍しいのかしら」
ベアトリクスは大股でベッドの脇に近付くと、腕を組んだ。
「顔、治らないわね」
ベアトリクスはサイドボードから取り出した手鏡を俺に差し出した。
俺は額のでっぱりに指先を滑らせる。
前世の俺とは似ても似つかない、なんというか……。
「魔獣と人との間に産まれた子のようだわ」
ベアトリクスが、ドレスの腰に下げたレイピアの柄を指で叩く。
魔獣と人族が交わるなどありえない。
俺が目をぱちくりさせると、「例えよ、例え」とベアトリクスは肩をすくめた。
そんなことよりも、俺はなぜ牢ではなく、ベアトリクスの部屋にいるのか。
「殿下、お怪我の具合は?」
「相変わらずね。まずは、自分の身の上を心配なさいよ」
「……処刑の日はいつでしょうか」
「そのことなのだけれど、お前に再度問うわ」
ベアトリクスは腕を組んで胸を張った。
広く開いた胸元、白い肌のうえで鎖に吊された赤い石が、鮮やかに輝いている。
「オルグ、お前、魔獣でしょう」
「……何度も申しますが、違います。俺は――」
「では聞き方を変えるわ。お前、暴食公を知っているわね」
「それは、伝説の魔獣ですから、噂ぐらいは」
ベアトリクスは納得いかないと言わんばかりに、目を細める。
「お前は英雄アルティミシアの愛称を知っていたわ」
「……神器が壊され、意識を暴食公に乗っ取られていたからだと思います」
「兄上が、王宮のバルコニーで、皇帝になると宣言し時、神器は壊れていなかったわ。つまりお前は正気だった。なのにアルティミシアの愛称を口にした。お前が五百年前の人間、それも英雄の名を親しげに呼ぶなんて、おかしいと思わない?」
言った気がするような、しないような……。
まさかそんな一言で疑われるとは。
「百歩譲ってお前が魔獣でないとしても、暴食公にゆかりのある者が、私に執着している。この事実を無視することはできないわ」
「俺は、殿下のお人柄をお慕いしているがゆえに、この身を賭して仕えているのです」
アルティミシアとの約束を守る。
ただそれたけだ。
「一生、私の下僕になるって言葉に嘘偽りはないってことかしら」
「はい」
「お前は神器を破壊し、暴食公の魔力を取り込んだ。罪人として処刑した結果、魔力が暴走する可能性があるわ。だから私が監視するの」
途中までは、なるほどと頷けていたが、最後の言葉に俺は納得がいかない。
「それなら、俺ひとりで帝都を――」
「私に一生仕えるつもりなのに、私から離れようとするなんて、愚問だわ」
ベアトリクスは人の悪い笑みを浮かべる。
二の句が継げない俺に、ベアトリクスは畳みかけた。
「お前の怪我が治り次第、帝都を発つわよ」
「……え?」
「以前、暴食公は切り刻まれ、さまざまな武器や武具に加工されたと話したでしょう」
「はい」
皇帝家が所有するのは、仮面とガントレット、それに心臓だ。
原型を留めているのは心臓だけである。
「見つかったのよ」
「と、言いますと……」
「隣国が、暴食公の欠片を手に入れたらしいわ」
まさかとは思うが、ベアトリクスみずから隣国に行くと言い出さないだろうな。
彼女が何を企んでいるのか、尋ねる勇気はない。
ベアトリクスは窓辺で俺に背を向けた。
「神器、いえ、暴食公を素材としたアイテムは、ステルラ帝国が責任を持って回収、封印するべきなの。兄上のように魔獣の力を悪用する者がいる以上はね。ステルラ帝国の皇女として私が回収の任にあたるのよ」
「……それは他の者に命じられては」
「愚問ね。暴食公の欠片かどうかは心臓で判定するのよ。この心臓を持っていられるのは、魔力のない私くらいなのよ」
俺の前世の身体は魔力を吸収する。
なかでも心臓は桁違いに魔力を喰らうようだ。
もともと魔力のない者には効かない。といっても魔力がない者は珍しい。
ベアトリクスはそんなまれに見る魔力を持たない人族だ。代わりを探すのは骨が折れる。
しかし。
「何よ、その顔は。言いたいことがあるならいいなさい」
「殿下の正義心に溢れた宣言に感銘を受けました」
「いつも思うのだけれど、舌を噛みそうな堅苦しい言い回し、よく口にできるわよね」
前世の俺を倒しに何百人、何千人と挑んできた人族には、いろいろな口癖のものがいた。
そこで学んだとは言えず、「孤児院の院長さまに教えていただきました」と無難に答える。
「まあいいわ。とにかく、私は旅に出るの。お前は私の奴隷兼下僕兼護衛よ。皇帝家に忠義を誓い、私に従うことで罪滅ぼしなさい」
ステルラ帝国で暴食公の欠片を保管すれば、悪用されないと踏んでいるようだが、そんなに簡単に済む話とは思えない。
ならば、いまの俺の身体に、暴食公を封じるしかない。
ベアトリクスとともに旅をし、帝国へ持ち帰る前に身体に取り込んでしまえばいい。
すべて集め終われば、誰の目にも届かない場所でひっそりと寿命をやり過ごそう。
ラヴィーネに事情を話せば、森の片隅に置いてくれるだろう。
俺は親友に託された思いを守らねばならないのだ。
そして、アルティミシアを死に追いやったクソ鳥を、殺すのだ。
「殿下の御心のままに」
とにもかくにも、ベアトリクスを守るのが最優先事項である。
俺はベッドから出た。膝に力が入らず、ぺたりと座り込んでしまう。
それでも震える脚で跪くと、
「そんなことしてる暇があるなら、さっさと怪我を治しなさい。治ったらすぐに出発するわよ」
ベアトリクスが俺に手を差し出した。
俺はその手を見つめ返す。
「はやくベッドに戻りなさい」
「いえ、下僕の身で殿下に触れるなど」
「帝都で私を抱えて走ってたじゃない」
「あれは非常事態で……」
「命令よ。私の手を取りなさい」
ベアトリクスは眉尻をつりあげる。
俺は、しぶしぶ、ベアトリクスの手のひらに、手をのせた。柔らかいかと思いや、指の腹や手のひらが硬い。剣を握る者の手だ。
俺はその手をしっかりと握った。
「あと、これだけは約束なさい」
ベアトリクスは俺の手を握り締め、
「私よりも先に死なないこと」
「それは……善処します」
下僕が主人を置いて逃げてはいけないのでは、と思うものの、真剣な表情である彼女に俺は応としか答えることが出来なかった。
名残惜しい別れをし、帝都を出て数時間が経過した。
適当な村で宿を取ろうと提案したが、「今のうちに野営に慣れたいわ」と目を輝かせるベアトリクスの願いにより、街道脇で野宿をすることになった。
神殿内で野営の真似事をしたのに、物好きである。
火をおこしていると、背後に気配がした。
ベアトリクスが獲物を捕りに森の中へ入ったのは、ほんの数分前だ。戻ってくるには早すぎる。
「お久しぶりです。ラヴィーネ様」
ラヴィーネは巨躯を感じさせない足並みで俺の横で身体を伏せた。
「小娘は一緒ではないのか?」
「狩りをされています。この姿のせいか、動物が逃げてしまって」
俺は額の角を触った。
土からのぞく小石のような大きさのそれに、ラヴィーネが目を細める。
「妾の友とは、似ても似つかぬ醜悪な様だな』
「俺は人間ですからね」
「……ふん」
ラヴィーネは地面に伏せた。そのふてくされた様子に俺は苦笑する。
「ラヴィーネ様、俺と殿下を助けてくださり、ありがとうございました」
ラヴィーネはそっぽをむいたまま返事をしない。遮られることもないので言いたいことは言っておこう。
「わざわざ別れの挨拶をしにきてくださり、ありが――」
「妾もついて行く」
「……はい?」
聞き間違いだろうか。俺は首を傾げた。
するとラヴィーネは顎を反らし、
「友の欠片を集めるのだろう。すべて集め終われば、完璧なる友に会えるやもしれん。そうは思わんか、小僧」
「……」
「否とは言えんだろう。なんせ貴様は、妾に借りがあるものなあ」
「……まさか試したいことって」
「友の欠片と完璧に融合したお前は、お前のままでいられるのか、楽しみだな、オルグよ」
ラヴィーネは俺を、五百年前の俺――暴食公に生まれ変わらせたいらしい。
実験を成功させるつもりはないが、行動をともにしてくれるのなら、頼もしいこと、この上ない。
問題は。
「ラヴィーネ様がご一緒してくださるのであれば、とても心強いのですが。殿下がなんというか――」
「あら、ラヴィーネ。ごきげんよう」
ベアトリクスが森の中から現れた。
片手にぐったりとした兎を持っている。
「寂しくなって私たちに会いに来たの?」
「笑えん冗談だな」
「もしかして、私たちについてくる気?」
「そのまさかよ。ありがたく思え」
「そうね。心強いわ」
ベアトリクスは、ラヴィーネの身体にすり寄る。
「ラヴィーネの鱗って、冷たくて気持ちがいいのよね」
ベアトリクスは目を細め、ふふっと笑った。
つねにない柔らかな表情に、俺は目を見張る。
「調子のよい小娘だな」
口調とは裏腹に、ラヴィーネは、まんざらでもなさそうに伏せたままでいる。
いつの間にか仲良くなったんだ?
「オルグも一緒に触ってみなさい。癖になるわよ」
ベアトリクスの言うとおり、ラヴィーネの鱗は、ひんやりとしている。
「それではラヴィーネ様、これから旅の道中、よろしくお願いいたします」
「……せいぜい頑張るのだな。人族どもが」
ラヴィーネの身体を触るのに満足したベアトリクスともに、俺は兎を捌く。
焚き火を囲んで肉を噛み締めながら、俺は夜空を見上げた。
小さなきらめきが、視界いっぱいに広がっている。
アルティミシア、俺、お前の血を引く者と旅に出るぞ。
この人生を全うしたら、お前に、どんな土産話を聞かせてやれるんだろうな。
俺は、まだ見ぬ旅路に思いを馳せた。
Fin
最後までお読みいただきありがとうございました。
読者様に少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。




