22話 神器をめぐる結末
ジェラルドの左半面は、様変わりしていた。
瞳孔は細くなり、虹彩は紅く染まっている。額には縦に長く捻れた角が生えている。
暴食公の魔力は、ラヴィーネの魔力で抑えられているはずだが……割れて制御不能になったのか。
『余はステルラの皇帝なるぞ……誰にも玉座は渡さん』
ジェラルドは、ぐるぐると喉を鳴らしながら、四肢を床につけた。
まるで生まれたての魔獣の仔である。
「私が兄上の気を引くわ。その隙に仮面を奪いなさい」
ベアトリクスは俺をチラリと見遣りながら、俺に指示を出した。
「殿下はおさがりくだ……御意」
彼女には借りがある。
俺は素直に頷いた。
俺が前に出ると、ジェラルドは一歩、退いた。
間合いを見極めようと、お互い円を描くこと、しばし。
ジェラルドが、一直線に俺の懐に飛び込み、拳を振り上げた。
虹色の手甲が、俺の両腕に叩き込まれる。
「――っ」
骨に響く衝撃で、床がひび割れ、足が沈んだ。
『ぐあああああ!』
ジェラルドは俺に振り下ろした腕を抱え、呻いた。その腕は不自然に折れ曲がっている。
魔獣の力を得ても、器は脆弱な人族。鍛えていなければ攻撃の反動で自滅するのだ。
「兄上、大人しく降伏を!」
ベアトリクスがジェラルドに、折れた虹色の大剣をかざす。
『うるさい雌豚が! 神より下賜されし聖剣に触れるでない!』
ジェラルドはベアトリクスから剣を奪おうと、彼女を追いかけ回し始めた。
奴がベアトリクスに気を取られている隙に、終わらせなければ。
俺は一足飛びにジェラルドへ肉薄し、仮面に手を伸ばした。
「!」
顔と仮面の境目がない。
『愚民が、気安く触れるな!』
ジェラルドが吠えるなり、彼の周囲に炎が渦巻き、槍の形になる。
『骨まで燃やしてやる』
無数の炎の槍が、俺に襲い掛かってくる。
『ふはははははは! 逃げろ、逃げろ』
炎の槍が広間中にバラまかれ、俺は壁際に追い込まれた。
ジェラルドは俺を遠ざけると、ベアトリクスから聖剣を奪った。
「――っ」
「殿下!」
炎の壁に遮られ、ベアトリクスに近づけない。
このままではベアトリクスが殺されてしまう。
しかし、ジェラルドは、ベアトリクスに目もくれず、瞳を半月型に細め、俺に嗤いかけた。
『神が暴食公の復活をお望みになられたからこそ、神器を集めていたが……。最初から余が暴食公そのものになればよかったのだ。そうすれば神に願いを叶えてもらわずとも、余自身がこの世界の支配者になれるのだ』
「兄上、何を言って……」
『余が暴食公になればすべて解決じゃないか。富も名声も女もすべて喰える。ぐふ、ぐふふふふふ……』
ジェラルドは口角からよだれを垂らし、嗤い続ける。
人族が魔獣の魔力に当てられると発狂する。
前世で何度か見た光景だが、魔獣の欲望が憑依するさまは初めて目にする。
神器に封じ込められ魔力が、煮詰まった影響なのか……。
何にしても前世の尻拭いはしなければならない。
俺は両腕に魔力を集中させ、黒い鎧をまとわせる。
見た目は壊れる前のガットレットそのものである。
『暴食公を、寄越せぇぇぇぇ』
ジェラルドは折れた大剣を振り回し、炎の海をかき分け、突進してくる。
俺は斬撃を横っ飛びに躱して、ジェラルドの左側に回り込んだ。
仮面を掴み、思い切り引っ張る。
『やめろぉぉぉぉぉぉ』
ジェラルドは身体をひねり、大剣を振りかぶる。
「振らせないわ!」
ベアトリクスがジェラルドの手の甲に、ガラス片を突き刺した。
『クソがぁぁぁぁ!』
ジェラルドは絶叫し、大剣から手を離し、逆手でベアトリクスを殴る。
「――っ」
ベアトリクスは吹き飛ばされ、床に転がった。
ガラス片の散った床で、ベアトリクスは苦しげに蹲る。
『人族の雌が! すぐ喰ってやるからおとなしく――』
「おい」
俺はジェラルドの目を間近から見据えた。
正確にはジェラルドの奥に居る俺に、だ。
「何、勝手なことしてやがる」
ジェラルドの喉から、ひゅー、ひゅーと隙間風のような音が鳴った。
その間にも俺は仮面をゆっくり剥ぎ取っていく。
剥がした仮面を、俺は己の顔に貼り付けた。
ゆっくりと仮面を顔に馴染ませる。
静かになったジェラルドから手を離し、俺はベアトリクスに駆け寄った。
「殿下! ご無事ですか」
「愚問ね」
ベアトリクスはゆっくりと起き上がった。
ガラス片でついた傷から、鮮血が流れている。
「こんなのかすり傷よ。いちいち深刻な顔しないで。……私を闘わせたくないのなら、もっと強くなりなさい」
「御意」
「それよりも兄上は……」
「この魔獣めが……」
ジェラルドは、すっかり人の姿に戻っていた。
やつれた頬を歪ませ、俺を恨みがましく睨んでいる。
こいつには聞きたいことがある――俺はジェラルドの前に仁王立ちした。
ジェラルドはびくりと肩を震わせる。
「殿下、お聞きしたいことがございます」
「頭が高いぞ。そもそも愚民の言葉に応えるつもりなど……」
俺はジェラルドの胸ぐらをつかみ、持ち上げた。
ジェラルドは空中で爪先をバタつかせる。
「これで殿下のほうが視線は高いですね。それとも、もっと高い方が、よろしいですか?」
俺が頭上のシャンデリアに視線を向けると、ジェラルドは額に汗をにじませた。
「殿下が神と崇めるのは、七色の羽を持つ者ですか?」
その一言にジェラルドは喉をひゅっと鳴らした。
直後、股の間を湿らせ、あたたかい液体を床に垂れ流す。
それだけで充分だ。
クソ鳥が……絶対に殺す。
俺は床にそっとジェラルドを下ろした。
「神よ、余は、余は――」
ジェラルドは何度も何度も同じ言葉をうわごとのように繰り返した。




