21話 オルグ、正気にもどる
「その姿、まるで魔獣じゃない!」
人族の雌が、俺に馴れ馴れしく話しかけた。
鬱陶しい。
俺は人族の雌を引き剥がそうと、金色の髪を引っ張った。
「……痛っ! 大人しくなさい!」
人族の雌は甲高い悲鳴を上げながらも、俺の腕からは離れようとしない。
煩わしければ喰ってしまえばいい。
俺は牙を鳴らした。人族の雌が、ハッと息を飲む。
その顔が誰かに似ていた。金色の髪、青い瞳、俺から逃げようとしない、しつこさ。
「アルティミシア……」
人族の雌、アルティミシアの髪をそっと撫でた。
瞼の裏でちらついていた光景は、夢だったのだ。
こうして彼女は目の前にいるのだから――。
「アルティミシアなんか、とっくの昔に死んじゃってるわ!」
アルティミシアが己が死んだと宣言する。
よくよく見れば瞳の色が違う。
アルティミシアの瞳は夜の海を思わせるほど暗い蒼色だ。
対する目の前の瞳は、空のように澄んだ水色である。
「シアが、死んだ……」
俺が何度、追い払ってもしつこく食らいついてきた強い雌だ。簡単に死ぬはずがない。
「そうよ。私はベアトリクスよ。アルティミシアじゃないわ」
ああ、そうだ。
夢ではない。
前世で俺が犯した罪は残っているのだ。
「死……俺が、殺した……アルティミシア」
左目から、とめどなく涙が零れた。
彼女の血を引く子を守ろうと決めたのに、俺は守るどころか前世の衝動に飲み込まれ、喰おうとしてしまった。
「俺は、また、約束を守れナイ……」
俺は喉に爪を突き立てる。
柔らかい皮膚が破れ、血が滲んだ。
人の身体に生まれ変わったお陰で、死ぬのに困ることはない。
「私の下僕として生きると約束したくせに、勝手なこと、してるんじゃないわよ!」
ベアトリクスと名乗った雌の身体が輝いた。
赤い光が目に突き刺さる。腕から力が抜け、だらりと垂れ下がった。
ベアトリクスは呆然と胸元を見下ろす。
ペンダントトップがまばゆいばかりに輝いていた。
アルティミシアに捧げた前世の心臓だったモノ。
赤い石が、俺の魔力を吸い取ったのだ。
俺はベアトリクスに倒れかかった。
「……世話の焼ける下僕ね」
ベアトリクスが正面から俺を抱きしめた。
血の臭いにまじって、甘い匂いがする。彼女との思い出が脳裏によみがえるも、飢餓感は収まらない。
柔らかそうな肉が目の前にあるのは、拷問以外の何物でもなかった。
「はなれて、ください」
「愚問ね」
ベアトリクスは俺の背中にまわした腕に力をこめる。
口の中が、疼く。俺は両手で床を掻きむしった。
ベアトリクスの肩に牙を喰い込ませそうになった――その時。
背後の窓が割れた。ガラスの破片をまき散らしながら、ラヴィーネが窓から顔をのぞかせる。
「小娘、そやつに仮面をかぶせろ」
「それで、元に戻るのね!」
逆だ。神器が揃えば、暴食公の本能が強まる。
俺はベアトリクスから逃れようともがいた。
ベアトリクスは必死に俺に覆いかぶさってくる。
「おとなしく、しなさいよ」
「だめ……だ」
これ以上、前世と融合してしまっては、今度こそ抗えない。
バサバサと風切り音がし、頭に何かが乗った。
「小僧、安心しろ。仮面をつけても、貴様は暴走はせん。……小娘、妾がこやつを押さえている隙に仮面を拾え」
「トカゲ、アンタを信じるわよ」
ベアトリクスがジェラルドのそばに転がる半分に割れた仮面を拾いあげた。
俺は床に顔を押し付ける。
しかし、「この頑固者が!」とラヴィーネに思い切り髪を引っ張られた。小さな身体に見合わない膂力に俺は、顔をあげてしまった。
「正気に、戻りなさい」
ベアトリクスが、俺に半面を押しつける。
仮面は俺の右顔面にぴたりと吸いついた。
涼やかな魔力が、身を焼く飢餓を追い払っていく。
「……とまった」
中腰で動きをとめた俺を、ベアトリクスが呆然と見つめていた。
俺も自身に起こった現象が理解できない。
「お前、右眼が――」
ベアトリクスが俺の顔を指さした。
指さす箇所――右まぶたにふくらみがある。
瞼を開けると、視界が広がった。
右眼が、生えていた。
人族は身体の一部を失うと、再生しない。
それなのに、なぜ?
ラヴィーネは俺の頭から飛び降りると、自慢気に顎をそらした。
「妾が、ただただ魔力を友に与えていたと思ったら大間違いぞ。そう見せかけて、妾の魔力を馴染ませていたのよ。今は一時的に、妾の魔力で友を抑えておる」
「右眼が治ったのも、ラヴィーネ様の力ですか」
「預かっていた物を返したまでだ」
ラヴィーネは前脚で顎を掻いた。
「……やるじゃない」
「ほれ、妾を敬え」
「……ありがと」
ベアトリクスが素直に頭を下げると、ラヴィーネは鱗をぶるりと震わせた。
「なんじゃ、貴様、……薄気味悪いぞ」
「私ひとりじゃ兄上を止められなかったもの。感謝して当然でしょ」
ベアトリクスは頬を緩ませた。ラヴィーネが照れたように、そっぽをむく。
和やかな空気が流れた直後、窓から光弾が降り注いだ。
間髪入れず、ラヴィーネが光の雨にむかって氷柱を吐き出す。
光と氷がぶつかり、爆発音が轟いた。ついで粉塵が舞い上がる。
「……目障りな人族どもめ」
ラヴィーネは荒れ狂う吹雪を身にまとい、外へ飛び出した。
直後、咆哮が響き渡る。
俺は床に倒れるジェラルドを見つめた。
折れた大剣が、虹色の光を放ち続けている。
権力を欲したジェラルド。暗い欲望をクソ鳥どもは嗅ぎつけ、彼を利用したのだろう。
「殿下……申し訳ございませんでした」
「まったく世話のかかる下僕だわ」
ベアトリクスは力なく笑った。
彼女のまとう服は裾や袖が裂け、ボロボロである。
「そっちこそ身体は大丈夫なの?」
両腕は人族のそれに戻っていたが、肘から指先までが黒く変色していた。
手を握ったり開いたりする。ちゃんと動く。
「はい、問題ありません」
「右眼が赤いわ。それに額に角が生えてる」
額を指先でたどると、たしかに固い感触がある。
神器が暴走した影響か、はたまた壊した副作用か。
何にしても、己の前世に飲み込まれそうになるとは。
「……俺は殿下を、傷つけてしまいました」
「私は心が広いから今回は見逃してあげるわ。その代わり、今後一切、私の命令に反することを禁ずるわ」
自身を殺そうとした者を、そばにおこうとする彼女の気がしれない。
俺はさらに自身の罪を打ち明けた。
「人を、殺してしまったかもしれません」
イアンを襲ったところまではかろうじて覚えているが、その後、人を殺していないか、自信がない。
人族の身で同族を殺せば、罪人として裁かれる。
下僕としてベアトリクスのそばにいることは敵わない。
それにこの見た目、両腕は隠せたとしても、右眼や角は隠しようがない。
「だからこそよ」
「……?」
「大罪人、それも暴食公の欠片を身に宿した人間を牢に入れるわけないでしょう」
「それは、どういう――殿下!」
ベアトリクスの背後、ジェラルドが仁王立ちしている。
俺は咄嗟にベアトリクスを引き寄せた。
「! 兄上!」
『許さない許さない許さない許さないぃぃぃぃぃぃ』
仮面の左半分を顔に張り付けたジェラルドが、獣のように吠えた。




