19話 オルグ、帝都へ向かう
瞬きの間に、過去を夢見るようになった。
瞼の裏には、血まみれのアルティミシアがこびりついている。
ガントレットと融合しつつあるということなのか。
わからないし、どうでもいい。
俺がするべきことは、ベアトリクスを取り返すことである。
ベアトリクスが消えた後、すぐさま神殿を出た。
森を一心不乱に駆け抜ける。
枝葉がシャツの裾に引っかかり、腕を振ると布地が裂けた。顔に細かな傷がつくも、痛みは感じない。
朝日が昇り始めた頃、小さな影が俺の肩に降り立った。ラヴィーネが俺の右肩にしがみついている。
「小娘の気配が消えたな。……友ごと奪われたか」
「……ラヴィーネ様、俺を帝都まで送っていただけませんか」
森から帝都までは馬を使って三日の距離である。人族の足では、限界まで走り続けても、倍以上はかかってしまう。
駄目元で頼んでみると、ラヴィーネは「何を差し出す?」と赤い目を細めた。
「なんでも、差し上げます」
「……命でもか?」
「はい」
ベアトリクスを取り返したあとなら、俺の身体など好きにしてもらって構わない。
俺は、ラヴィーネに枝葉が当たらないよう、身体をひねりながら走り続ける。
耳元でくつくつと笑い声がした。
「命か……。ならば生き残れ」
「え?」
「貴様で試してみたいことがあるのよ。……地べたを這ってでも生きるのなら、帝都まで連れて行ってやる」
俺で何を試すつもりなのか。
詮索している暇はない。
「お願いします」
「うむ」
次の瞬間、身体が浮き上がった。
ラヴィーネは枝葉を巨体でへし折りながら、上昇する。
破壊音が消えた。風が頬に突き刺さる。
「飛ばすぞ」
ラヴィーネの一声に、俺は頷いた。
ラヴィーネの爪にぶら下がり、数時間後。
眼下に帝都とおぼしき黒い影が見えてきた。
夜闇に沈む姿は獣が寝そべっているようである。
「ラヴィーネ様、このあたりで結構です」
俺が街の外れを示すと、「小娘は中心にいるのにか?」とラヴィーネは羽ばたきながら、王宮に首を向けた。
「……嫌な予感がするんだ」
ラヴィーネが帝都上空を飛んでも、兵士どころか、帝都の住人誰一人姿を現さない。
明らかに誘われている。
罠である可能性があるのに、ラヴィーネを道連れにすることはできない。
「……死ぬことは許さんぞ」
強風にのってラヴィーネの声が届いた。
見上げても、銀色の鱗しか見えない。
「……はい」
俺はラヴィーネから手を離した。
脚に魔力を集中、強化する。
塔の上に着地した。屋根の破片が飛び散る。
ラヴィーネは冷気をまとい、星のない夜空へと消えていった。
雨粒が目に入った。すぐさま土砂降りになり、俺は全身ずぶ濡れになる。
視線の遙か先、王宮周辺は墓地のように静まりかえっていた。
俺は水を跳ねさせ、塔から飛び降りる。
王宮に辿り着くためには二つの門を突破する必要がある。
第一門には門番がいた。
ランプ片手に周囲を警戒している。
暗闇から躍り出た俺に気づいた門番は「お前、外出禁止令を無視し、何して……」と口調を強くした。
しかし、俺の顔を認めるなり、「ひっ!」と喉を引きつらせる。
俺は反撃する暇を与えず、門番の腹部に拳をめり込ませた。
「……なんなんだよ。ただ立ってりゃいいだけって聞いてたのによ」
もう一人の門番は涙目で剣を構えている。
俺を攻撃してくる気配はない。
よく見れば、身体に合っていない大きな軍服を身につけていた。剣先はぶるぶると震えている。
訓練された兵士ではない。
闘う意思のない者を相手にするのは無駄だ。
俺は門柱をよじ登り、前庭へと降り立つ。
間髪入れず、第二の門を目指し、前庭を走り抜ける。第二門は俺の背丈ほどだ。数歩手前で踏み込み、門を飛び越えた。
玄関口まであと数歩というところで、まばゆい閃光が炸裂した。
両腕で顔を覆う。光が収まっても、眩しい。
腕が軽くなる。地面に黒い欠片が落ちていた。
ガントレットにヒビが入っている。
「ジェラルド様の仰る通りだ。お前ら、魔力吸収を続けろ!」
玄関前から声がした。
視界が戻るや否や、赤い閃光が何本も俺を狙ってくる。
避けきれずガントレットで防ぐも、衝撃で身体が宙に浮いた。
ガントレットの黒い欠片が飛び散るなか、間近にフードをまとった影が迫る。
「よお、オルグ。会いたかったぜ」
「……イアン」
イアンは俺の顔面を殴った。空中で殴られたせいで、踏ん張れない。地面に後頭部からぶつかる。
起き上がろうとしたら、イアンに腹を踏みつけられた。
空っぽの胃から胃液がせり上がり、俺は口から苦い唾液を吐き出す。
「てめえに、ガントレットを、ぶん盗られてから、ジェラルド様に愛想をつかされてよぉ。給金減らされてよぉ、俺は散々なんだよっ。全部全部、てめえのせいだっ」
イアンはこめかみに青筋を立て、何度も何度も俺の腹にブーツの爪先を食い込ませる。
身体に力が入らない。身体の内側で骨が軋み、肉が潰れる音がする。
イアンが右腕のガントレットを踏みにじった瞬間、ガントレットが完全に砕けた。
ジェラルドに対抗する唯一の武器が壊れた。
焦らなければいけない状況であるにもかかわらず、俺の心はおだやかだ。
やけに頭がすっきりとしている。
ふと俺はどうしてここにいるのかと疑問に思った。
なぜ、人族に踏み潰され、憎しみの籠もった目で蹂躙されているのか。
邪魔だなと思った。邪魔なら喰えばいいと思った。
久方ぶりに覚える飢餓感に、意識が黒く塗りつぶされていく。
――人族を守ってくれないか。
澄み渡った声が脳の片隅で、俺に囁きかける。
お前は誰だ?
声に続いて、金色の髪をなびかせた人族の雌が、俺に笑いかけた。
そう、アルティミシアだ。
俺の友。唯一の理解者。
砕けたガントレットの欠片が溶け、二の腕までを黒く染めあげた。
俺は左手で右腕を押さえ込む。
「……逃げろ」
必死にアルティミシアの顔を思い浮かべた。
気を抜けば、俺は前世の俺に喰われる。
「逃げろだって、自信満々だな。俺はお前をぶっ殺さねえと気が済まねえんだよ。化け物のクセに、英雄きどってんじゃねえよ」
「俺が、化け物……?」
「ジェラルド様がおっしゃってたぜ。お前、魔獣にとり憑かれてるんだってな」
「魔獣が人族にとり憑く? 何を言って……」
「虹色の翼を持った神様が言ってたらしいぜ。オルグには魔獣の魂が宿ってる。殺さなきゃ帝国が滅びる、だってな。俺も薄々感じてたんだよなぁ。お前、屋根から飛び降りても死ななかったしよぉ。化け物が人間のフリなんかしてんじゃねえよ」
俺は生まれ変わってから、人族はおろか魔獣さえ喰らっていない。
それなのに、なぜ、恐れられる?
己の周りにいる者たちを守っているのに、なぜ、疎まれる?
――暴食を定められし魔の仔よ。役目に抗うな。
脳裏に七色の羽が舞い、涼やかな声が鳴り響く。
うるさい、俺はもう暴食公なんかじゃない、人族のオルグだ。
……しかし、腹が減ったなぁ。
「それじゃあな、オルグ。さっさと死ねや」
イアンは俺に向かって手のひらをかざした。まばゆい閃光が閃く。その光に俺は、イアンの手ごと噛み付いた。
「――いってえ!」
イアンが叫んでいる。
俺の口の中で骨が、肉が砕けた。
血潮が喉を通り、内臓に染み渡っていく。
瞼の裏でアルティミシアが泣きそうな顔をしている。直後、彼女の姿は黒く塗りつぶされた。
「……不味い」
久方ぶりの肉はとても口にできるものではなかった。俺は怯える獲物を解放する。
「うせろ」
食えない者は殺す価値もない。
人族の雄は、血まみれの手を抱えて蹲り、ぶるぶると震えている。
「こ、殺さないでくれ……。頼む」
先ほどまで俺を殺すだなんだと息巻いていたのが嘘のように、獲物は俺に媚びへつらう。
俺は唇を拭った。口直しがしたい。
王宮の入り口を振りかえる。
視界が昼間のように鮮明だ。
右目の痛みが引いている。食うに耐えない代物でも、体力回復には役に立つらしい。
玄関前には布をまとった人族どもが数十人いた。
「ひ、ひるむな。撃て、撃て!」
閃光が炸裂する隙間を縫い、俺は獲物の足を一直線に切り裂いた。
その場で身動きが取れなくなった人族たちは、それでも抵抗する気配を見せたが、俺がそのうちの一体に食らいつくと、戦意を喪失し、口々に悲鳴を上げた。
「ひぃぃぃ、助けてくれ!」
「俺たちは命令された、だけなんだ。だから見逃してくれ!」
味見をするも、どれもこれも殺して食おうと思えるものではない。
俺は目の前の大きな建物を見上げた。
中に人族の気配がする。より魔力の高い奴もいるようだ。
背後では、食い散らかした獲物どもが喚き続けていた。




