16話 神器があれば暴食公は復活するらしい
ラヴィーネの棲家である神殿の最深部。
俺は床で目を覚ました。
台座に背を預けたベアトリクスは膝を抱え、うつむいたまま微動だにしない。
家族に裏切り者扱いされたのだ。気落ちして当然である。足音を殺し、その場を離れようとした。
すると、背後からベアトリクスの声がした。
「……兄上は神器を使って暴食公を復活させようとしているの」
ベアトリクスは膝を抱えたまま、神殿の壁を睨みつける。
人族は死んだ生物を蘇らせることができるのか?
ベアトリクスは真剣な表情である。思い詰めた気配からして、彼女は神器が揃えば暴食公が蘇ると信じているようだ。
俺を殺しておいて、俺の復活を望むとは、人族とはよくわからない生き物である。
「伝説の魔獣を蘇らせては、帝国が滅びてしまいます」
「……兄上は暴食公を使役する気でいるわ。大方、エセ魔術師に騙されているのよ」
俺を使って世界を牛耳る?
魔獣を己の意のままに操る術は存在する。
魔獣使役術だ。
先日、狼魔を使役していた人族に遭遇した。人族は見事に狼魔を操っていた。
だからといって、どんな魔獣でも使役可能かと言われれば、そうではない。術者が魔獣に見合う魔力を有していなければ、従わせることは不可能だ。
狼魔は下位魔獣だ。獣に近い。魔力が人並みにあり、魔獣使役の才に恵まれていれば、使役は難しくない。
一方、暴食公は上位魔獣である。
五百年前、俺を従わせることができる術者は皆無だった。
蘇らせたとしても、従うフリをした暴食公の餌になるのがオチである。
そもそも、ジェラルドの計画は端から失敗している。なんせ俺は人族として蘇ってしまっているのだから。いくらガワを集めても、中身がなければ
物言わぬ骸だ。
「私が先に神器を集めれば、兄上は皇帝になれず、暴食公を復活させるなんて馬鹿な企ても諦めると信じてたのに……」
ベアトリクスは苦しげに声を震わせた。
「兄上は陛下の言葉を蔑ろにして、皇帝を名乗っている。冒涜もいいところよ。兄上を……奴をあの場で殺すべきだったわ」
「殿下、気をお静めください」
「この状況で落ち着けですって? 下僕ごときが私に意見するな」
まるで手負いの魔獣の仔である。
俺はベアトリクスのそばで片膝立ちになり、目線をあわせた。青い瞳が潤んでいる。
ベアトリクスはジェラルドを恨んでいるだけではないのかもしれない。
兄妹はアルティミシアの血を引く人族である。どちらも死なせてしまっては約束を違えることになる。
「ジェラルド様に渡したくないのであれば、壊されてはどうですか?」
「壊すって何を」
「神器をです。物がなければ暴食公を復活させることはできなくなります」
ベアトリクスは浅い呼吸を繰り返している。次第にまばたきがゆっくりとなった。
俺はガントレットに包まれた両手を握りしめる。
争いの原因である神器がこの世からなくなれば、万事解決である。ベアトリクスだって、こんなものなければいいと呟いていた。
我ながら良い提案だと思った。
「自力で取り外せないくせに、戯言もほどほどになさい」
「神器から魔力を限界まで吸い出し、脆くすれば壊せるかもしれません」
「……駄目よ」
ベアトリクスは胸元のペンダントトップを握りしめる。反対されると思わなかった。俺はゆっくり瞬きをする。
「神器を壊してしまったら兄上――反逆者ジェラルドに対抗する術を失うことになるわ」
「ジェラルド様を退けてから壊せばいいのではありませんか」
「神器はステルラを守護する剣であり盾よ。私の代で失っていいものではないわ」
「しかし」
他に落とし所がないではないか。
否定ばかりして解決策を提示しないベアトリクスに、俺は呆れ、ため息をついた。
「その反抗的な態度は何? 度胸があるのは認めてあげる。いいわ。取引しましょう」
「取引?」
「お前が一生、私の下僕として仕えるのなら、神器を壊してもいいわ。一生よ、ずっと私の言うことをきいて――」
「承知しました」
なんだそんなことかと、俺は拍子抜けした。
記憶を取り戻して以降、ベアトリクスを見守り続けている。
当人からそばにいてもいい許可がでるのは、ありがたい。
俺は感謝の念を込めて頭を垂れる。
「正気? 騎士にもなれず下僕よ、奴隷よ。私が死ねといったら死ねるの?」
「はい」
「……狂ってるわ」
ベアトリクスは得体の知れない者を見る目をしていた。
「取引は中止よ」
「殿下ともあろう御方が、一度口にした言葉を翻されるのですか?」
ベアトリクスは悔しそうに唇を噛み締める。
「……わかったわ。覚悟なさい。下僕として扱き使ってやるんだから」
「御意」
暴君を演じるのは大変そうだ。
俺は緩む口元を隠すため、ふたたび頭を垂れる。
「次、私を笑ったら、覚悟なさい」
ベアトリクスが俺の頭頂部をレイピアの鞘の先で小突いた。
俺と言い合いをして後、ベアトリクスは疲れ果てたのか、仮面を収めた箱を胸に抱きしめたまま台座の前で眠ってしまった。
ないよりはマシだろうと俺はマントを広げ、そこにベアトリクスを横たえる。
眉間に皺を刻んで眠る顔を眺めていたら突然、右眼が痛んだ。血が箱に滴る。
箱の隙間から、煙が細く立ちのぼった。箱越しに仮面が魔力を吸っているのか。
ベアトリクスに魔力がないとはいえ、用心に越したことはない。
俺は彼女の手からそっと箱を取り上げた。
どんな形になっても、他者を貪り続ける亡骸。
俺は抜け殻になっても諦めが悪いようだ。
俺は神殿の外に出た。
星空を眺めていると、背後から冷たい風が吹く。
神殿の暗がりからラヴィーネが現れた。
入り口に合わせて小竜の姿に変化している。
「助けてくれてありがとうございます」
ラヴィーネは俺から少し離れたところで、巨体に戻り身体を丸くする。
ザクロのように赤い目が、俺に向けられた。
「妾の友を殺すことは許さん」
「……暴食公はもう死んでいます」
「知れたことよ。妾の友は仮面にはおらん」
ラヴィーネは牙を剥くも、襲ってくる気配はない。 俺が目の前であぐらをかいても、彼女はその場から動かなかった。
仮面には前世の魔力がこびりついている。
高い魔力察知能力がなければ、嗅ぎ取れないほどのかすかな魔力。
前世の俺は彼女に何もしてやっていない。
なぜこれほど執着されているのか、不思議だ。
ラヴィーネが俺に鼻先を近づけ、ふんふん臭いを嗅いでいる。
「友の匂いが濃くなっている」
「……これ付けてますからね」
俺は腕をかざした。
「ラヴィーネ様が大事にされている仮面と同様、暴食公を素材にしたアイテムです」
「なるほど。気配から察するに貴様と融合し始めているな。妾の友と心中するつもりか?」
「融合?」
「気づいておらんのか。魔力量がいやに多いのが災いしたな」
「と言いますと」
「箱を開けろ」
ふたたび仮面を持って行方をくらますかと疑うも、「答えが知りたいならさっさとしろ」と急かされ、俺は箱を開けた。
ラヴィーネは箱に鼻先を突っ込み、仮面に齧り付いた。ギチギチと軋む音をさせるも、仮面にはヒビすら入らない。
直後、牙が触れている個所から煙が立ちのぼる。
数秒も経たないうちにラヴィーネは仮面から口を離し、その場に力なく伏せた。
「……この通り妾の友は大食らいだ。ほんの少し触れているだけで、竜種の魔力すら食らい尽くす」
「教会で仮面をお付けになった時は無理をされていたのですね」
「無理などしておらん。つまらん話を蒸し返すな。……話を戻すぞ。魔力を限界まで喰らわれるがゆえに、妾の肉体は完全に喰われずに済んでいる。対して貴様はどうだ? 底なしの魔力を有しているが故に、友の魔力吸収に耐えることができる。結果、身体ごと取り込まれようとしていることに気づけておらんのだ」
俺の魔力量が多いのは認めよう。
しかしガントレットと仮面では、魔力を吸収する速さが違う。
ガントレットはゆっくりと俺の魔力を喰らっていたのだ。遅すぎるが故に気づけなかった。
俺は両手指を動かした。ガントレットの重さを感じない。指先まで思い通りに動く。
装着している違和感が完全に消えていた。
前世の抜け殻に取り込まれる。この場合、前世の姿に戻るのか。
それとも。
「愚かで哀れだな、人族の小僧。魔獣に匹敵する魔力を持って生まれたことを後悔するがよい――」
ラヴィーネはぴたりと口を閉ざした。
赤い瞳が俺に注がれる。
「貴様、もしや妾の友の記憶を有しているのではないか?」
「え?」
「魂と魔力は繋がっていると【白】の長老が語っていたのを思い出したわ。今の今まで忘れていたことが悔やまれるぞ」
ラヴィーネは俺の前を右に左にと、うろうろし始めた。
「友が獲物を殺さぬよう生かし続けているのが、そもそも不可解なのだ。喰らい始めたが最後、骨すら残さずしゃぶり尽くすオーガの王、暴食公が遠慮をするはずがない。つまり、人族の道具に成り果てた妾の友は、貴様を喰らおうとしているのではなく、貴様……いや、貴方様の骨肉になろうとしているのだ」
そうだ、そうに違いない。
巨大な牙を見え隠れさせながら、ラヴィーネは声を弾ませる。
「暴食公よ。妾のことは覚えているのか? 貴方様は幼い妾を人族の手から救ってくれたのだ」
ラヴィーネは尻尾を振り、羽をばたつかせた。
前世の俺を慕うラヴィーネが俺に協力的になれば、ジェラルドを傷つけずに降伏させることができるかもしれない。反面、ラヴィーネの俺に対する態度が変われば、ベアトリクスに俺が魔獣の、最悪暴食公の生まれ変わりだとバレてしまう。
俺は空を見上げる。
「……残念ながら、ラヴィーネ様、俺は人間です」
「戯言を抜かし続けるなら、左眼も食うぞ」
「そう言われましても」
人族に生まれ変わった以上、この身体でアルティミシアとの約束を全うすると決めたのだ。
俺は困った表情をつくった。
「意地でも認めんのか。まあよい。五百年以上、妾は最愛の友を遠くから見守っているのだ。今さら慌てるつもりはない」
顎を反らすラヴィーネだが、尻尾と翼はだらんと項垂れていた。
「で、貴様がこそこそと帝都へ戻ろうとしているのを、人族の雌は知っているのか?」
「ラヴィーネ様にはお見通しでしたか」
「黙ってコトを成し遂げようとするのは、友の悪い癖だからな」
「ずいぶん自分勝手なご友人ですね」
「……気が良いことを人族に見透かされ、利用された孤独な魔獣よ」
間違ってはいない。
オーガは繁殖期以外は単独で行動する。己以外はすべて食料だ。生きるために喰うのか、喰うために生きているのか、そんなことすら考えることもなく、俺はただ獲物を食らっていた。
アルティミシアと言葉を交わすことで、俺は俺の他に意思を持つ生き物がいると知った。
俺の思いを受け止めてくれるのがアルティミシアだけだと知ると、彼女がいないときには胸に穴が空いたような虚しさを覚えた。
思ったままをアルティミシアに言ったら、それが孤独なのだと教えられた。
俺は生まれ変わっても英雄アルティミシアに囚われている。
それでいいと思う。
アルティミシアが守りたいモノを守れば、俺は人族になれる。人族になれば、アルティミシアが夢見た世界を知ることができるはずだ。
「ラヴィーネ様、俺が帝都に向かうこと、殿下には内緒にしてください。それと……彼女を守っていただけますか?」
「……人間のいざこざに口を挟むつもりはない。置いていくなら好きにしろ。ただ妾が友をみすみす死なせるつもりもないことは覚えておけ」
ラヴィーネはひとつ大きく羽ばたくと、銀色の筋を残し、空の彼方へと飛び去った。




