13話 帝国を揺るがす兄妹喧嘩
王宮内、謁見の間。
俺は玉座を前に、ベアトリクスとともに跪いていた。
「面をあげよ」
玉座から枯れた声がした。
ベアトリクスに続いて、俺も顔をあげる。
痩せ衰えた人族の雄が、玉座に腰を据えていた。現ステルラ帝国皇帝――ベアトリクスの父親だ。
「ベアトリクスよ。ご苦労であった」
しゃがれた声を受け、ベアトリクスは神器をのせた板を皇帝へ捧げる。
「一品、足りないのではないか?」
板には仮面とペンダントが並べられている。
ベアトリクスはちらりと俺に目配せする。俺はマントに隠していた両手をかざした。
シャンデリアの光を受け、ガントレットは黒く禍々しく輝いた。
広間の両側に立ち並ぶ人族の雄や雌がどよめく。
「【腕】はこの者から引き剥がせないのです」
「ほう……」
皇帝は落ち着いた様子で長い髭をしごいた。
対して、周囲のざわめきは増している。
「【腕】を陛下に献上するため、陛下直属の魔術師に助力を願いたいのです」
ベアトリクスが重々しく告げると、皇帝はゆっくり頷いた。
「うむ。よかろう。大臣よ、すぐに手配を――」
「そのようなことをせずとも、その罪人の腕を切り落とせばよろしいのです」
謁見の間の扉が、大きな音とともに開いた。
金髪に翠の目をした人族の若い雄が、大股で俺の横を通り過ぎる。
「兄上」
ジェラルドは傲慢さを隠そうともせず、肩で風を切り、ベアトリクスの前へ出た。
「陛下。宝物庫から【腕】を盗んだのはベアトリクスです」
「なっ……」
ベアトリクスはあんぐりと口を開け、ジェラルドを見上げる。
「証拠はあるのか」
「ございます」
緩慢な動きで頬杖をつく皇帝に、ジェラルドは大きく頷いた。
「神器を収める宝物庫に出入りできるのは陛下の血を引く者のみ。もちろん余は盗んでおりません。なんと言っても本日、隣国の視察から戻ったばかりなのですから」
「だから私が盗人だと? 兄上。口が過ぎますわ」
ベアトリクスが立ちあがる。
「頭が高いぞ」
ジェラルドは人の悪い笑みを浮かべた。
「陛下の前では、私も兄上も同じ立場ですわ」
兄妹はどちらも引かず睨み合う。
「……親愛なる妹よ。お前は複数の孤児院に出入りしているであろう。孤児院の者に神器を融通する機会はたっぷりあるではないか」
「それこそ言いがかりですわ」
「近衛騎士を与えられないからといって、孤児に目をつけるのは感心せんな」
ジェラルドは、ベアトリクスの話を聞いていない。
広間を囲む雄や雌、皇帝は兄妹を黙って見守っている。
不毛な言い争いだと思うのは俺だけのようだ。
「私が身分の低い者を引き立てることと、ガントレットを盗むことが全く結びつきませんわ」
「現に、孤児院の者が神器を装備しているではないか。お前が与えたのだろう。余を、陛下を亡き者にするために」
「兄上、妄言が過ぎますわよ」
ジェラルドは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
対するベアトリクスは険しい表情をした。
孤児院にガントレットを身につけた賊が入ったことをなぜこの場で明かさないのだろう。何か言えない事情があるのだろうか。
「ベアトリクスとそこな貧民を捕らえよ」
ジェラルドの呼びかけに扉の脇で控えていた騎士がなだれ込む。
ベアトリクスは両手を縛られ、俺は二人の騎士に取り押さえられた。
このままでいいのか。俺は床に頬を押しつけたまま主人の指示を仰ぐ。
ベアトリクスの青い瞳には、強い光が宿っている。
俺と目が合うなり、「動け」と、命じた。
俺は額と足をふんばり、両腕に力を込める。
「な! こいつ!」
慌てふためく騎士二人を背中から振り落した。
ベアトリクスを拘束する騎士たちに向かって走り、騎士の腹に、拳をめり込ませる。
肉の感触がした。
俺に吹き飛ばされた騎士は、玉座へ続く段差にぶつかり、その場で動かなくなる。
「このっ。……ひっ、化け物……ぐえっ」
残りの騎士は俺の顔をみた途端、表情を引きつらせた。片目の俺がよほど恐ろしかったらしい。
騎士の動きが止まった隙に、顎へ一発、拳を叩き込む。
騎士は白目をむいて気絶した。
「体勢を立て直すわよ」
ベアトリクスは俺の首根っこに掴まり背中におぶさった。仮面とペンダントをしっかりと抱えている。
「何をしている! 早くこやつらを捕らえよ!」
ジェラルドの金切り声を背に、俺は怯え群れる人族どもを掻き分ける。
窓を殴って砕き、外へ飛び出した。
「はあ、はあ、はあ……」
王宮の裏庭から地下通路に下りたった瞬間、右目から汗とともに血が地面に滴る。
ベアトリクスは俺の背から降り、通路の壁に設置されている蝋燭に火を灯した。
俺は壁を支えに立ち上がる。
すぐ近くにある土壁の部屋に着くと気が抜け、片膝を地面についてしまった。右眼に手をあてると、ねっとりとした液体が絡みつく。
「見せなさい」
ベアトリクスは蝋燭を俺にかざした。不機嫌そうに眉をひそめ、
「ここまで無茶をしろとは言っていないわよ」
と、部屋の隅にある木箱から、布とガラス瓶を取り出した。
「殿下、自分で手当てはしますので」
「――っ、私が下僕の世話を焼くわけないでしょ。思い上がらないで」
ベアトリクスはガラス瓶と布を俺の胸に押しつける。透明な瓶には赤い液体が満たされていた。
「皇帝家御用達のワインよ。傷口を拭くのに使いなさい」
瓶の中身を布に染み込ませた。ツンと鼻につく臭いがする。
俺はベアトリクスに背を向け、右眼を覆う布をほどき、血を拭き取る。黙々と傷の手当てをしていると、背中に視線を感じた。
右眼に布を巻き終わり、ベアトリクスに向きなおる。
彼女は瓶を指さし、俺を手招きした。
「殿下、お怪我は?」
「愚問ね」
ベアトリクスは俺が差し出した酒瓶を手にするなり、瓶に口をつけた。
ごくごくと喉を鳴らし、酒を飲む姿に俺は左眼をぱちくりさせる。
「……まんまと嵌められたわ」
ベアトリクスはベッドに腰を下ろした。脚を組んで髪を掻き上げる。
貧民街の酔っ払いよろしく、目が据わっていた。
「まさか私を逆賊に仕立て上げるなんて思わなかったわ。こうなったらとことん兄上に抗ってやるんだから」
命を狙われている状況で酒を飲み、闘争心を失わない姿に、アルティミシアの面影が重なる。
アルティミシアは怪我が治りきらないうちに何度も俺に剣を向けた。
恐ろしくなかったのか、言葉を交わすようになってから尋ねたことがある。
『不利な状況に立たされると、わくわくするんだよ』
越えるべき壁が高ければ高いほど挑まずにはいられないと、満面の笑みで語った。
無謀な戦いを好むあたり、血は争えないようである。
「なに笑ってるのよ」
「いえ……、あの嵌められたとは一体?」
ジェラルドはベアトリクスの慈善活動――孤児院での剣術指南をよく思っていなかった。それだけの理由で妹を罪人に陥れようとするのか、俺はジェラルドの人となりを知らないのでなんとも言えない。
「以前、孤児院が襲われたのは私のせいだと言ったでしょう。刺客は兄上が差し向けたのよ。今日、確信したわ」
ベアトリクスは空笑いをし、天井を見上げた。
「謁見の間で私はお前を孤児院の出だと紹介していないわ。けれど兄上は知っていた。つまり刺客からお前の情報を得ていたと言うことよ」
確かに刺客は孤児院の者――イアンだ。
なるほど、奴の雇い主は皇帝候補だったのか。道理で強気だったわけだ。
「刺客は孤児院の者でした。俺の知り合いです」
「大方、兄上にそそのかされたのね。昔から口だけは上手いのよ」
ベアトリクスはふたたび瓶に口をつけた。
「陛下はジェラルド様が殿下を貶めようとしていることに気づいているのでしょうか」
ベアトリクスは中身のなくなった瓶を逆さにして肩をすくめる。
「そうだとしても、陛下は私の肩を持つことはないわ。だって、これしきの困難を解決できない者に、帝位を譲りたくはないでしょう?」
ベアトリクスはベッドから立ち上がり、木箱を漁りはじめた。
「着替えるから、扉の方を向いてなさい」
俺はベアトリクスに背を向ける。
神器はすべてこちらの手にある。
現状、ジェラルドは次期皇帝を名乗ることができない。
血眼になってベアトリクスを追ってくるはずだ。
「殿下。このまま帝都を出ましょう」
「愚問ね」
このまま逃げれば、神器を持ち去った反逆の皇女として、仕立て上げられる。
だからといって戻れば処刑される可能性が高い。
衣擦れの音が収まったタイミングで、俺はふたたび口を開いた。
「ジェラルド様の嘘を証明するため、態勢を整え直す必要があるかと」
ベッドか軋み、ため息が聞こえた。
俺は扉にむかって言い募る。
「まずは御身の安全を。……俺は殿下に死んでほしくないです」
死んでしまっては元も子もない。
俺はその場で頭を垂れた。
「顔を見せなさい」
ベアトリクスは街娘のような地味な色合いのシャツとスカートを纏っている。
「……お前のほうが死にそうな顔をしてるじゃない」
「少し、血を流しすぎたのかもしれません」
「……身を隠すのなら、帝都からなるべく離れるべきね」
俺は目を見開いた。
ベアトリクスが俺の体調を言い訳に、国外へ逃げる案を飲もうとしている。
「言いたいことがあるなら、さっさと言いなさい」
「俺の言葉を聞いていただけたことに驚いています」
「……負け戦をするほど馬鹿じゃないわよ」
ベアトリクスはバツが悪そうに顔をそらした。
ベッドのうえには、仮面とペンダントが無造作に置かれている。
「……こんなもの消えてなくなればいいのに」
神器は皇帝家の宝である。
宝は守るべきものだ。
それなのに、ベアトリクスは神器を冷めた目で見つめている。
酒を飲み干した豪快さはどこへやら、着飾っていないベアトリクスからは覇気を感じられず、まるで寄る辺をなくした幼子のように、俺の目には映った。




