12話 白銀竜ラヴィーネ
白銀竜が牙を剥くと、巨躯の周りに氷槍が浮かび上がる。
ベアトリクスを抱え台座の影に隠れる間際、背負った荷物に衝撃が走った。布地が破れ中身が辺りに散らばる。仮面を封じていた箱が床を滑った。
なんとか台座に身を隠す。脇の石畳が氷槍で砕け、欠片が俺の頬を切り裂いた。
「愚かな人族ども、やはり妾の友を奪いに来たな」
白銀竜の咆哮に、広間全体が揺れ、頭上から細かな氷の粒が降り注いだ。仮面を壊してしまうのを恐れてか、白銀竜は氷槍を飛ばしてくる以外の攻撃を仕掛けてこない。
「……私が仕留めるわ。隙をつくりなさい」
俺の腕を払い、ベアトリクスが台座の影から白銀竜を窺う。直後、ふたたび氷槍が降り注いだ。
ベアトリクスと肩を寄せ合い、俺は反論する。
「隙を作るのには賛成です。けれど、殿下が前に出るのは賛同しかねます」
レイピアでは、竜の鱗は貫けない。
ガントレットでなら一か八か砕くことができるはずだ。
「……下僕の分際で、口答えしないでよ」
「神器を回収するのが目的ですよね」
ベアトリクスは眉尻を吊り上げ、唇を噛みしめた。
ここで駄々をこねるのであれば、気絶させて地上まで抱えて走るしかない。
俺はガントレットに覆われた両手をバキバキと鳴らした。
「……私が引き付けるから、とどめをさしなさい」
ベアトリクスは仮面を俺に押しつけ、台座から滑り出る。
「よくも私を騙したわね! このクソトカゲ!」
「妾は高貴なる【白】の一族ぞ。小娘、トカゲ呼ばわりしたこと後悔させてやる」
ベアトリクスの挑発に、白銀竜は、氷槍を無数に放つ。
ベアトリクスはレイピアを抜き放ちざま、氷の切っ先をたたき落とした。
竜を倒すのは前世の俺でも骨の折れる仕事である。ベアトリクスが隙をつくったとて、『オルグ』では息の根をとめることはできない。
しかし奴が人語を解し、仮面に執着している点を利用すれば、勝機はある。
俺は白銀竜の背後に回った。のたうつ尻尾の動きを見計らい、ガントレットの爪を太い尻尾に食い込ませる。
鱗に爪を引っかけ、一心不乱に竜の背を登った。
白銀竜が俺を振り落とそうと、上半身をくねらせる。
振り落とされる前に、俺はその鼻先に降り立てた。
「【白】の御方。俺はオルグといいます。貴女の友人を少しの間、貸してはもらえないでしょうか」
仮面をかざすと、白銀竜は赤い瞳を細めた。
「下賤な人族め。頭が高いぞ」
「失礼しました」
俺は両足に魔力をこめ強化し、白銀竜の鼻先から飛び降りた。
すぐさまその場に片膝をつき、
「仮面――ご友人をお貸しいただきたいのです」
と、頭を下げる。
「断る……といいたいところだが、貴様には助けてもらった借りがある。話くらいは聞いてやろう」
「下僕、勝手に交渉を進めるな!」
ベアトリクスが俺の隣に走り寄る。
実力は天と地ほどの差がある。ここで奴の怒りを買えば、逃げる隙も何もあったものではない。
白銀竜の攻撃を躱し続けたベアトリクスは身をもって竜の力を思い知ったはずだ。
頭を下げたまま、目線だけをベアトリクスに向けると、彼女は眉をしかめつつも、しぶしぶ膝を折った。
俺が出しゃばるのを良しとしない彼女のことだ。この場の主導権を握ろうとするかと思いきや、一向に口を開く気配がない。
ジッと床を睨みつける皇女に代わり、俺は顔をあげた。
「仮面をお借りしなければ、ステルラ帝国内で内乱が起こるのです」
「ならばこの地を離れるだけだ。人族同士の争いなどに、妾は興味がない」
「元々、仮面は皇帝家の物です」
「貴様、妾が盗んだと貶めるつもりか」
「実際、そうじゃない。私を騙して仮面を奪ったんだから!」
白銀竜は、赤い瞳を文字通り炎のように揺らめかせ、ベアトリクスを睨みつけた。
「下等な人族に姿を変えられ嘆き悲しむ友を助けたまでだ。これ以上、人族の欲深い争いに妾の友を巻き込むでない。そこな小僧の妾を敬う態度に免じて殺しはせん。早々に友を置いて立ち去るがいい」
ベアトリクスの目的は兄であるジェラルドを皇帝位につかせないことだ。
目的を果たした後は、神器をラヴィーネに守ってもらえばいい。
皇帝家は最強の宝物番を手に入れられるし、ラヴィーネは友人と信じている仮面とともに過ごせる。
「殿下」
俺でさえ思いつけたのだ。
ベアトリクスが白銀竜を利用する計画を思いつかないわけがない。
「……王宮の宝物庫に戻すよりは安全かも知れないわね」
ベアトリクスはギリギリと歯ぎしりした。
俺は期待をこめて、白銀竜を見上げる。
「知恵深き【白】、必ずあなたのご友人をお返しします。だから……」
「人族は信用できん」
「どうすれば信用していただけますか」
白銀竜は前脚で顎を掻く。しばらくして、歯を剥き、爪でベアトリクスを示した。
「小娘の眼を差し出せ」
「――大人しく話を聞いていればいい気になって。魔獣風情が図に乗るんじゃないわよ」
ベアトリクスが顔を紅潮させ、レイピアの柄に手をかけると、白銀竜は満足げに首を傾げた。
「ほう、そうかそうか。ならば取引はなしだ。さっさと消え失せろ」
魔獣が契約に肉体を要求してくるのは、なんら不思議ではない。
目か。たいした代償ではないな。
「【白】の御方、俺ので手を打っていただけませんか」
俺は右目を指差した。
「下僕、何言って――」
「英雄気取りか。虫唾が走る……ふむ、やれるものならやってみせるがよい」
白銀竜は俺を挑発するように嘲笑った。
さっそく目に指を近づける。
直後、ベアトリクスが俺の肩を掴んだ。
「私の許可無く身体を傷つけるんじゃないわよ!」
「神器を揃えるのに手段は選んでいられません」
ベアトリクスに邪魔される前にと、俺は右目に指を捻じ込んだ。
ガントレットの爪で眼球を支えている筋を千切る。頭に肉をまさぐる音が響いて、気持ちが悪い。
そして。
「……どうぞ」
ぬめる玉を、俺は白銀竜に差し出した。
一体と一人が同じように固まっている。
先に動いたのはベアトリクスだった。
「――っ、勝手なことをするな」
俺の右目をハンカチで覆った。俺はそれでも白銀竜に手を差し出し続ける。
白銀竜はしばし俺を見つめ続け、爪で俺の右目を摘み、口に放り込んだ。
「取引成立だ。さっさと用事を済ませてこい」
白銀竜は台座の前で手足をたたみ、丸くなった。
まるで猫のようである。
俺は仮面をベアトリクスに両手で差し出す。彼女は無言で仮面を取り上げ、箱に戻すと、俺を見ようとせず、広間の入り口に向かった。
怒らせてしまった。無理もない。俺は彼女の指示をことごとく破ったのだから。
俺はふらつきながら腰を上げた。
視界が切り取られていて、動きづらいのに加えて、じくじくとした痛みが脳を揺さぶってくる。
白銀竜は石像のようにぴくりとも動かない。
彼女が本気を出せば、俺たちなど言葉を交わす前に殺せたはずだ。
そういえば、夢の中でアルティミシアが言っていた。俺が助けた仔竜が、俺の後を追っていたと――。
まさかな。
そうだとしても、ここで正体を明かすわけにはいかない。
「ありがとうございます。【白】の――」
「ラヴィーネ。妾の名はラヴィーネだ」
ラヴィーネは目にもとまらぬ速さで俺の腹に頭突きをくらわせた。アーチ型の入り口まで吹き飛ばされる。不思議と腹は痛くなかった。
「また、きます」
返事の代わりに、アーチ型の入り口が氷漬けになった。




